「悪い事は続くもの・・・・・・でも俺は必ず土壇場で何とかなる」
私は窮地に追い込まれた時に必ずそう信じて、目の前のことに集中します。
不幸の始まりは私の目でした。
硝子体剥離という目の老化現象がありまして、
1年前に右目を。そして今度は左目がそれになりました。
今回はさらに網膜に傷が有って緊急レーザ-手術となりました。
先生に「あ、こりゃマズイ、すぐにやりましょう」っていきなり言われるのは、
なかなか動揺しますね。
そして数日後、東北に転勤している息子から連絡が入り、
「検査したら腫瘍があるみたい。一か月後に手術する。家族の人呼んでくれって」
サァ-ッと全身の血の気が引くのを感じました。
息子は普段は全然連絡よこさないけど、仕事もプライベ-トも充実しているようで、
元気に楽しく生きろよ~と、親としての任務終了と思っていました。
私たち夫婦は仕事の予定をすべてキャンセルして、福島に向かいました。
紹介してもらったその筋では権威といわれる先生に診てもらうために、
息子のアパ-トから80kmも離れた郡山の病院まで送る必要があります。
横浜から福島まで280km郡山まで80km。でもこれは車で行くしかありません。
生きた心地がしない一カ月後の手術当日
「開けてみるまで、良性かどうかわかりません」
この症例は8,9割は良性だと聞いていても、2時間半の手術。
生きた心地がしないというのはこのことです。
「もう土壇場だよ。もういいでしょ。勘弁して。僕はここから運が上向くんだから。」
手術後、先生の説明がありました。
「良性でした。きれいに取れましたよ。大丈夫。」
「心配しないよ」と言い切って、平静を装っていた私でしたが、
やっぱり、大丈夫と分かってから「あ~良かった良かったあ~ほんとに良かった良かった」
ともごもご独り言を言い続けてたそうです。
でも切り替えも重要です。
「さあ、そうとなったら、観光でもすっか」
兎に角、面会時間など待ち時間が多いので、もう下を向いているのは止めよう。
翌日、空き時間に夫婦で少し散策しました。
術後の痛みに耐えている息子には悪いが、初めての福島県が辛い記憶だけではもったいない。
旨い蕎麦が食べたいなと「蕎麦彩膳 隆仙坊」
雰囲気のあるお店。味も良くて疲れた体に染み入るなぁ~
プラネタリウムのある展望台へ。
「郡山市立美術館」
変な興奮状態だった気持ちを、静かな美術館で落ち着かせました。
併設のカフェのパンケ-キの甘さが、これまた染みました。
ト-タル八日間、福島県にいて感じたことは、
こちらと違って、人も街もゆったりとした空気が流れていて、
息子が「良いところだよ~」と言っていたのが分かるような気がしました。
その他、良い事もありました。
何年もお付き合いしている長男の彼女とも初めてお会いしました。
明るく可愛らしい人で、手術中も話しかけてくれて、ほんとに助けられました。
家でお留守番の長女は、仕事で疲れているのに、
大学の試験中の次女お世話(晩ご飯、洗濯、掃除)をして、お姉ちゃんしてくれました。
以上、そりゃもう大変でしたが、とにかく一安心。
人生はままならないものですね。