じゃっくり

日常をひたすら記すブログ

小鹿渓に行ってきました

2005年11月28日 | 雑記


朝五時に起きて、日の出を待った。六時すぎに太陽が顔をだしはじめたので、僕も同時に車を走らせた。

鳥取県三朝町の名勝小鹿渓を訪れた。八月に一度来ているのだけど、そのときは緑が溢れていて、セミの声もあって、お祭りムードさながらだった。今回は緑色から黄色、茶色、赤色に変貌しており、秋という季節にぴったりの光景が広がっていた。木々は少し紅葉の時期を過ぎ、冬に向かっての準備を進めている段階でもあったが、せっかくの休日だし、僕は朝早く、自分以外の足跡がついていない小鹿の道を踏みしめたかったのだ。

 

きれいなのは当たり前だ。色彩豊かなものに人は心を奪われ、「きれいだなあ」と口をそろえて言う。ただ、僕はそれで終わりたくはなかった。どうして小鹿渓は人をひきつけるのか。「きれい」の奥に潜んでいる何かを僕は追いたかった。そのために、感覚を研ぎ澄ませ、写真を何枚も撮っていった。

デジカメではなく、ケータイでばしばし撮っていく。場所を決めたら次は角度。何かを感じるアングルで撮る。何十枚も撮り、とりわけ好きなのが以下の写真。

 

 

左上の写真:紅葉ばかりに注目がいちがちだが、その中で葉がついていない木が僕の目にとまって、それはしばらく僕をその場に留まらせた。何かがある、と僕は思った。

右上の写真:手のようだった。とても奇妙、その奇妙さを撮ることができたと思う。よく考えたら小鹿渓が芸術的なのは、「奇」を感じることが多いからだと思う。奇岩と紹介され、どでかい岩がころがっていたりするが、木も奇である。

左下の写真:特に印象的な場所。巨岩が上下に連なっている。人の顔のようにもみえ、顎をつきだしているように見えるのが面白い。下にはわずかな空間ができており、そこに潜み、雨をしのぐこともできる。

右下の写真:その空間に入って、写真をとってみた。岩陰に隠れながら小さい頃を思い出してしまった。面白かったなあ。

これから小鹿は冬を迎える。雪が岩を、道を覆い、流れる水を凍らせる。その様を観にいくのもいいのかもしれない。

最新の画像もっと見る