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ナベブログ

クルマ好きな元同人絵描き
わたなべやすおのブログです。
(現在は同人活動は無期限休止中です)

人の瞳が背中に付いていないのは…

2011年03月21日 20時10分29秒 | なべ日記(雑記)

前に向かい生きていく使命があるから…

そういう歌がありますです。





昨日思ったことで日記をば…。



昨日は「とびもの学会」で久々に外出でした。
また震災後に公共交通機関を使って外出するのも初めてでした。

天気はそこそこ良いものの、何だか街は全体的にひっそりしていて
何かすごく静かに感じます。
また少し物陰に入ると、灯りが消されているせいで
何か暗く感じます。

まぁ物陰が暗いのは本来当たり前のことなんですが…。
暗く思うというのは、それだけ私が灯りに慣らされていた証拠でしょう。

普段…というか震災前はどれだけ電気を使っていたのか
思い知った気がします。

電車のダイヤも本数を減らされたおかげで
接続がずいぶん変わっているようです。
また駅での待ち時間も長いように感じます。

普段得ている利便性が、実は圧倒的な浪費の上に成り立っていることを…。
暮らしの無駄な手数を省く…という行為が、実は他者の手数に依存することを…。
ある面でのエネルギーの節約が、逆の面ではエネルギーの浪費を生んでいる現実を
分かりやすく感じた気がしました。



震災余波での電源不足が生んでしまった状況ですが、
よく言われるエコ、エネルギー節約やエネルギー供給事情と言われるものに対して
頭を冷やして考える機会とすることもできるのだな…と思いました。

私も間違いなくエネルギーを浪費する一員です。
便利さを当たり前に享受している人間でした。
決して私もそういうものから逃れることは出来ないし、
また逃れることはあってはならないと思いました。






帰路はそれを特に強く感じました。

町全体からイルミネーションが消え、最低限の街灯等が灯っているだけです。
たまに付いているイルミネーションも他が消えているせいか、かえって物悲しく見えます。
自粛ムードのせいか必要以上に街は静かです。
というか街中で他の人にほとんど出会いません。

板橋も川越も狭山も同じでして、灯りを消した町がしーんとしている様は
人間が灯りにずいぶん左右される生き物なんだと思いました。




変な話ですが、北朝鮮でもエネルギー事情が悪く、夜の街は暗いと聞きます。
電車なども満足には走っていないと聞きます。
正直「北朝鮮もこんな感じなのかなぁ?」と思いました。



しかしながら…これだけ灯りがあれば十分と言えます。
十分行動できます。
逆に、いつもの夜の明るさが、夜という時間に対してどれだけ異常なものかを
改めて感じました。
夜なのに全くもって明るい…。どれだけのエネルギーの浪費だったのかと。
どれだけ人が闇を恐れているのかと。
またそうまでしてでも闇から人は逃げたかったのかな?と思いました。




人はいつか眠らねばなりません。
闇を避けるように人は夜を眠り、明日に備える時間として使ってきました。

でも人は力を得ました。
それは闇を煌々と照らすことが出来るほどになりました。


しかし闇を不必要に、過剰なまでに照らし出し、夜も遅くまで街全てが眠らずに
果てしない浪費を繰り返している様は、
ひっくり返せば闇をどれだけ恐れているかの証明でしょう。
エネルギーと言う力が、浪費が闇を征服してくれる…と思うからこそ
人は強気になれたのか…と。
眠ることを後回しにしてでも人が夜を照らして出て行くのは、
それが実は「人が本能的に人の力を感じる時間」だったからかも知れませんです。


だからこそ、今の状況が人は不安なんだと思います。
明るくし過ぎたことで、…闇を恐れて明るさを増したことで
少し明るさが削がれただけでも闇を必要以上に感じて恐れてしまうのではないかと思います。




今の日本…少なくとも関東の人が物的被害が軽微なのに
恐れて縮こまっているのは、そういう所があるんじゃないかと思いました。

地震、そして停電、
自然の驚異や人間の力を超えるかもしれない脅威に
太古の人が感じたのと同じ恐怖を感じているのかも知れません。





人は闇を恐れ、闇を克服することで進化してきた…と言います。
でもちょっと灯りが減っただけで、真っ暗闇でもないのに闇を恐れ、
多くの人が家に閉じこもってしまう…。

人は太古の洞穴で暮らしていた時とあまり変わっていないのかな?…と。
灯りが消えることに怯えて竦み、
食料が無いと思い込むと慌てふためき、
自然の脅威に恐れおののき、
未知なる脅威がすぐそこにあると錯覚しへたり込む…。
そして訳の分からないものを信じようとし、すがろうとする…。


人間は個人の勇気や英知を結集する意味ではすごく強いけど、
多くが集まり、皆で悲観し絶望してしまう弱さもあります。
どちらが人間の優先度の高い本質なのかは分かりません。


ですが…一つだけ確かなのは…。
人に灯りを与え、文明の力を生み出したのは神様でもなんでもなく、
勇気をもって洞穴から出て、恐ろしい火を強い心で手にし、
いろんな物を見て考え、明日へつなげてきた人々です。
決して「闇を恐れて目をつぶり、洞穴で震えていた人」ではありません。
前へ向かい生きていく使命を果たした人が、人を真に照らしてきたのです。




かつての日本は敗れて闇と泥にまみれました。
その中から立ち上がる強さは、きっと闇を恐れ泥沼から逃れたい思いから生まれ、
その力が日本を豊かで何にも恐れずに済む国へと変えて行きました。

しかしその豊かさは、実は怠惰と言う泥土にも変わりうるものでしょう。
今の日本は豊かさに溺れてしまいました。
そしてその豊かさはわれらが思う以上に脆いものでは無いかと思います。
ほんの少しの闇の気配に一気に元気を失った首都圏を見ていると
浪費が生んだ豊かさの脆さを感じずにはいられません。






被災地が大変なのは当然です。
実際に自然の無慈悲な驚異にいやと言うほど晒され、
全てを奪われ破壊された人が嘆き悲しみ、恐怖し沈むのは止むを得ないことです。

我らが今すべきことは…
被災地の人々を励まし支え、ふたたび自分の足で立つ手助けをするのが
同じ日本国民の務めです。


しかし…大きな被害のない首都圏まで沈んでいます…。
本来勇気をもって先頭に立たねばならない人間が沈んでいるのは
私はあまり良いこととは思いません。





闇は怖いです。
それは単純な灯りに対するものではなく、
人が生きていく道に影をさし、行く手を見えなくするものこそが真の闇でしょう。

でも…闇を照らすのは灯りではありません。
エネルギーやその浪費は本当に闇を照らすことは出来ません。
今回、それは証明されてしまったと思います。
この世の闇は、照らしても照らしてもその先を黒く塗りつぶしています。

それでも闇に屈せずこの世を照らすもの…
人の行く先に横たわる闇を照らし、人に光を与えるのは
人が前に向かい生きていく力そのものです。




太古の洞窟で闇を恐れて丸くなって震えている存在に再び戻ってはいけないです…!

それは人類の行く先に、最初に小さなかがり火を灯した人の行為に対する裏切りです。

怖くても勇気をもって前へ進みましょう。

その頑張りが少しずつ皆の行く先を照らしていくと思います。



人の瞳は背中ではなく前に付いています。
後ろに進むようには出来ていない、前に進んでこそちゃんと歩いていけるのです…。





皆さん、頑張りましょう!!


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