東勝寺のある屏風山を越えた谷戸が大御堂ヶ谷。ここに勝長寿院跡がある。
勝長寿院は、頼朝が父義朝を弔うために建てた寺。
鶴岡八幡宮の境内で殺された実朝も、ここに葬られている。
北条政子も勝長寿院奥に新御堂を建立している。
そのほか堂塔がいくつも建立されたが、幾度か火災に遭っている。
やがて北条氏が倒され鎌倉時代が終わる。
その後、中先代の乱で北条氏の残党が立ち上がるも、やはり攻略されて北条時行ほか何百人かが大御堂で自刃している。
そのような歴史的背景の重さを感じる場であるはずだが、ずいぶん宅地化されており、勝長寿院の建物を想像することも難しい。
掌のように支谷戸がいくつもある。
その中の一つが、平地のままの状態をとどめている。
ただし、木々が成長して見通しが悪くなっている。
大御堂の呼称の通り、かなり規模の大きな寺域であったようだ。