鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

回春院奥の平場

2022-01-30 22:08:07 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)

 

建長寺の奥、回春院のさらに奥。谷戸を詰めると開けたところに出る。

西御門を見下ろす位置にあるこの平場には、古く寺院があった。

背後の山際にはヤグラが点在する。

夏場は下草が茂ってしまうため、踏み分け道程度だと分からなくなってしまう。

草刈りが行われていれば、何とか奥まで行けそうだが・・・夏には歩いたことがない。

踏み分け道は朱垂木ヤグラ群を経て天園のハイキングコースに至る。

今の季節であれば、ハイキングコースを外れてのヤグラ観察もいい。


公田(くでん)

2022-01-28 21:32:38 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)

 

鎌倉市に接する横浜市栄区に「公田町」の地名がある。

公田(くでん)とは、時代背景によって多少意味を異にするが、おおよそのところは、私田に対する公の所有になる田のこと。

公が国であったり朝廷であったり、幕府であったりと、時代によって変わる。

栄区の公田町は、江戸時代に村民が共同で耕し、その収穫物を税として納めたことによるということからの地名だ。

 

近年、この辺りも開発が進んで古い地形が遺されていない。

山の上は平地とされて宅地化。山の斜面も崩落防止のコンクリート。

岩瀬村の白山神社の背後の山を歩いたことを、過去に紹介したことがある。

その延長にある山道を横浜側の公田町に降りてみた。

公田町は開発のさなかにある状況で、道路工事が複雑に進んでいる。

その一角の山際にヤグラが遺されているところがある。

ヤグラは寺や武家屋敷の背後に設けられた墓地であることから、単なる農家の蔵や物置が置かれていたところではなさそうだ。

風景としては、山崎辺りの里山のようだが・・・。


瓜ヶ谷の棚田

2022-01-26 21:18:47 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)

 

海蔵寺谷の裏から尾根を越えるとこの辺りに出てくる。

 

瓜ヶ谷の棚田は、もう何年も水耕されていないようだ。

今は湧水が凍り付いている。

谷戸の下手には竹が茂っている。

旧道は竹林に浸食されてしまったのだろうか。


瓜ヶ谷ヤグラ群の前で

2022-01-25 21:18:47 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)

 

海蔵寺の裏は立ち入りが禁止されているため、海蔵寺谷から瓜ヶ谷への直接の上り口を確認することはかなわない。

源氏山から葛原岡を経、尾根筋を辿って浄智寺に出るルートは古くから存在していた。

その途中、海蔵寺谷の辺りには尾根筋が堀り切られているところがある。

ここを越えたところが瓜ヶ谷であるが、現在は樹々が茂って藪化しているため通行不可能。

だが、尾根を辿るとすぐに瓜ヶ谷ヤグラ群へ向かう指標が出ているのでそれを辿る。

尾根を外れると急坂になり、転げ落ちるように降った所に5つほどのヤグラが並んでいる。

その前をさらに降ると小規模の棚田に出る。

この辺りの谷戸が瓜ヶ谷。

木々が茂っていなければ海蔵寺谷から直線的に通行が可能、のはずだ。

武家の屋敷か、寺院があったのだろう。

谷戸を抱く山襞の上の方にもヤグラが点在している。


梅ヶ谷の辺りで

2022-01-23 18:24:29 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

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化粧坂は鎌倉の出入口のひとつとしてよく知られているが、扇ガ谷から山を越えて西へ向かうルートを考えた場合、化粧坂を通らず海蔵寺谷の裏から山越えで瓜ヶ谷へ出る道があったのではなかろうかと想像している。

化粧坂の切り通しへ向かう谷戸が梅ヶ谷。

人家を見下ろすように、数メートルほど高い位置に平場がある。

何年か前に調査のためであろう藪が切り払われたのだが、その奥は細竹が密集したまま。

化粧坂の近くまで、このような一段高い位置に石造遺構がある。

草木で覆われていて判り難いが。