北条家が滅亡して以降の関東地方は、鎌倉に置かれた鎌倉公方と京都の幕府との権力争いによって彼らを取り巻く状況が目まぐるしく変化した。
時代が降ってくると足利家の力も衰えてくる。
頼朝が目指した武士の世の中、武士の規範というものが崩れ、混乱へとつき進んでゆき、戦国時代を迎えるわけだ。
その中での上杉家の存在が面白い。
上杉家は関東管領という、公方を補佐する立場であった。
上杉家にはいくつかの家系がある。
その中で力を発揮したのが山内上杉家だ。山ノ内明月院辺り参考
犬懸ヶ谷は、釈迦堂ヶ谷の東隣。
上杉家の中でも比較的早くに権力を失った犬懸ヶ谷上杉家が邸を設けた谷戸だ。
衣張山の北に位置し、現在、谷戸の最奥は杉木立が密集している。
ここもかなり台風、大雨の影響を受けて崩落している。
倒木が、まだかたずけられていない状態。