洲崎の古戦場。
元弘3年5月、新田義貞が挙兵。
鎌倉街道を南下する義貞軍を迎え撃つべく鎌倉方が軍勢を差し向けるも敗退を重ねる。
そして鎌倉への西の入口、洲崎が戦いの場となった。
化粧坂、大仏坂への入口に当たる洲崎は、柏尾川が造り出した湿地帯。
泥田に足を奪われながら戦いがくり広げられたのだろう。
現在、この辺りは広い空地とスポーツ施設となっている。
その北端に泣塔と呼ばれる墳墓がある。
20メートル四方ほどのフェンスで囲まれている中に高さ数メートルほどの小山があり、その中ほどにヤグラと石塔が遺されている。
平地に小山がぽつんとあるわけがない。
梶原の尾根の端が北西に延びて柏尾川に迫っていたのだが、戦時中にそのほとんどが削り取られてしまったようだ。
モノレールの湘南深沢から徒歩で3分ぐらいのところ。
だから、モノレールの西側に山際が掘削された痕跡を見かけ、何となく古い遺跡のように感じられるのだが、江戸時代以前の工事ではない。
湘南深沢駅からの眺め。写真中央の小山が泣塔。
古くは、この背後に尾根が続いていたのだ。