食べて、笑って、旅をして

ニュージーランドにいたときに書き初め、いまではテーマはいろいろ。旅、グルメ、高知、鳥、ダイエット、英語。徒然思うこと。

ありがとう、さよなら。ポチ

2019-05-21 | Living

大雨・大風の日、ポチは静かに息をひきとった。

週末を家でポチと過ごし、

もうダメかもしれないと思いながら

水だけで生きながらえていたポチ。

いよいよのときは横で一緒に寝ようと

用意していた寝袋で、二晩ポチの横で寝た。

土曜日の夜は3時間置き、日曜日の夜は1時間置きに

キャンキャンと苦しそうに吠える。

苦しむポチを見ていたら、

「もう楽にしてあげたい」という思いが強くなる。

「なんでこんないい子のぽっちゃんが、

 こんなに苦しまないといけないのか」と神様に文句を言っていた。

 

だから、月曜の朝、仕事に行く前に

「ぽっちゃん、がんばらなくていいよ。

 苦しいなら、お姉ちゃんのこと待たないでいいからね。」

と声をかけて行った。

願わくば、眠るように逝ってほしい。

まちがっても苦しみながらもがきながら死んでほしくない。

そんなにつらいなら、もう頑張らなくていい。

そういう思いだった。

そしたらポチは、ホントに私が帰るのを待たず、

逝ってしまった。

何度も吠えながら、鳴きながら、

苦しそうに体の中のものをすべて排出して、

そのあと、ウトウトしながら最期は眠るように

父母の腕の中で逝ったとのことだった。

どうしても仕事を休めず、夕方早いうちに帰ろう、

今夜また夜通し鳴かれたとしても、がんばって介護しよう、

「早く楽にしてあげたい」と思った自分を反省しながら

淡々とやるべき業務をこなしていた私に

ポチは逝ってしまったと母からLINEがきてしまった。

後のことをメンバーにお願いして、午後半休をとって帰った。

嗚咽が止まらなかった。

家に着くと、まだ温かったポチ。

ただ眠っているようなのに、もう目を開けてくれない。

覚悟していたとはいえ、受け止められなかった。

 
もっともっともっともっと、、、と
いろんな後悔が押し寄せてくる。
 
きっと何をどうしても、悔いない、なんて言えない。
それでも、悔やまれること以上に注いできた愛情と
過ごしてきた楽しい時間が私を後悔の渦から救い出してくれる。
 
ポチがいた6,449日。
ポチがいることが当たり前の日々。
 
口にすると涙で言葉にならなくなる。
まだしばらくはポチとの想い出を語り合うのは父母とだけにしておこう。
 
おとなしくて、利口ですごくすごく愛らしくいい子だった。
 
ただただ、いままでありがとう。
ポチがうちに来てくれて良かった。
 
 
 

ポチは私を追い越していく

2019-05-18 | Living

ポチが我が家にやって来たのは2001年9月23日。

あれからもうすぐ18年。
その間、私は転勤で幕張にいったり、ニュージーランド、東京で暮らしたりと、都合9年近くポチとは離れて暮らしていた。

小さいときから社宅だった私は、犬を飼うのが夢で、父母が家を構えて1年がたつとき、犬を飼いたいといった。
茶色で耳が垂れた雑種を飼う、という思い通り保護犬を引き取った。
耳は立って垂れ耳でなくなってしまったけれど。

5年くらい前にポチとの老後を過ごすためにも高知に戻り、今までの時間を取り戻すように休日は一緒に出かけた。

シニアと言われる15歳を過ぎても元気に走り回っていて、歳の割には元気やねぇと道行く方たちにもよく言われた。

だから、ずっと元気なんだと錯覚してしまっていた。


4月になって、急に食欲もなくなり、足もふらつくようになった。

犬は1年で5歳、年をとるから、一番若かったポチがいまは一番の長老。
老いていくという当たり前のことは、わかっていたことなのにわかってなかった。

ずっとずっと元気なんだと思っていた。
いま、日々弱っていくポチを見て、どんなに元気でも必ず老いるんだということを感じている。

ついこの間まで散歩の時間になるとじぃーっと家のなかを見て待っていたのに、もうそのポチはみられない。

つらそうにいるポチを見ると、早く楽にしてあげたいという思いと、まだ逝かないでという思いが交錯する。

ただただいまは、ありがとうという思い。
そしてとてもいとおしい。



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