死のシーンは?
最終回を迎えた大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。平家と源氏との競い合いは戦後世代の私にとって、縁の薄いものだったが、流れるストーリーを面白いと感じながら見る事ができた。
戦いの時代だから当たり前なのだろうが、簡単に都合の悪い人を除く「殺人」には時代や環境の差を理解する前提がなければ、ゆっくり見ることができない。中でも理解が難しいものが、最終回に2つ取り上げられていた。
1つは、後鳥羽上皇への反旗。天皇家を敵として戦う事は「正義」のある場所に迷いがあり、鎌倉は自分達側にあると考えることができたのだろう。「北条義時の首を出せ」は私利私欲を出さない彼を見て、正義は義時にある、従えば鎌倉はこれから京都の言いなりとなると考えることができた。2つは、義時の死は薬を渡さない姉の北条正子が導いた。まさに殺人。正子は隠岐の島に流された後鳥羽上皇の孫が天皇になる事を、阻止しようとする義時に対して「あなたが手を下さず、対応を子の泰時に委ねなさい」という。義時への愛があった。義時が死んでドラマは終わった。
この大河ドラマには死の場面が沢山あった。印象深いものであり止むを得ないものだろうなとどこかで考えていた。ウクライナへのロシアの侵攻による多くのウクライナの人の死が、死への感覚を麻痺させたのかもしれない。しかし義時の死の場面は、「死」はこのようであってはならないと改めて思い起こさせてくれた。