江戸から東京人

グルメ・旅行・散歩など

会津鶴ヶ城

2020年01月30日 | 旅行


何度も訪れている会津の鶴ヶ城です。戊辰戦争で薩長などのテロリスト達に、散々痛めつけられた会津藩に残る貴重な遺産です。現在では「明治維新」は単なるクーデターとか、明治維新の歴史は捏造されているとかいうことが白日の下に語られるようになりましたが、長い間悪いのは会津で正しいのが薩長だということが言われてきました。

しかし、色々調べてみると会津には同情したくなる面が沢山あり、「明治維新」て何だったのか疑問に感じています。その結果、薩長の下級武士などが、権力や爵位や大富豪になっただけではないかと感じられます。

会津に行くと、そんなことがひしひしと伝わる空気が溢れています。会津の人たちは物静かで、親切で暖かくて優しい人たちばかりなのがこういう結果を生んだのかと思われます。今の日本も、中国に優しすぎた結果が、長い不況とモラルの低下が激しい社会になってしまいました。世界一腹黒い中国には、世界に通用する憲法と軍事力を強化しないと、日本はいづれチベットやウイグルになってしまいます。

すべての面で、世界の本当の敵は中国です。地球を汚染し、世界中に金をばらまいて政治家や役人を篭絡し、情報や技術を盗み軍拡に使用し、細菌などをばらまいて各国にパンデミック(爆発感染)な状況を作り出している支那人というのは、大昔から変わらぬ種族です。日本になど入国させるべきではないのです。

墓参り

2020年01月28日 | Tokyo


祖父の命日にお墓参りに行ってきました。祖父は寒い雪の日に逝ってしまいました。どういう訳か、祖父が何かしようとすると決まって雨が降りました。旅行へ行くときも、講演をするときもいつも雨でした。


生粋の江戸っ子で気っ風のいい性格でした。お墓参りをすると、生前の祖父が思い出されます。お酒が大好きでしたが、だらしない飲み方は一度も目にしませんでした。飲む時間は晩酌だけで、居酒屋などに立ち寄ることはありませんでした。知り合いと飲むときも小綺麗な料理屋さんか料亭が専らでした。祖父のお酒飲みにも流儀があったようで、それを律義に突き通す江戸っ子でした。



帰りにはいつも立ち寄るとんかつ屋さんで、柔らかいとんかつを頂きました。



怪談「乳房榎」の舞台を歩く

2020年01月26日 | Tokyo


よく通りかかる学習院下の南蔵院というお寺でしたが、実はこのお寺、落語の始祖三遊亭円朝作の「怪談 乳房榎」の大事な舞台の一つなのです。

私は三遊亭円生の録音でしか聴いていませんが、なかなか長い怪談話です。


あらすじ

江戸の絵師・菱川重信は元武士。妻・おきせと真与太郎という赤ん坊と暮らしていました。そこに弟子入りしたのが磯貝浪江という浪人です。実は美人で評判のおせきに横恋慕していての弟子入りでした。あるとき重信は南蔵院から本堂の天井画を依頼されましたので、爺やの正介を伴って南蔵院に泊り込みで描くことになります。


         南蔵院

その留守中、浪江は横恋慕していたおきせに言い寄って、息子を殺すと脅して想いを遂げてしまうのでした。それが幾度と続き、おきせも浪江に好意をいだくようになっていくのでした。しかし、天井画の仕事が終わり重信が戻ってくれば、2人の仲は終わってしまいます。

ある日、浪江は師匠重信のところへ陣中見舞いに行きます。天井画の雄龍は描き上げていて、あとは雌龍の片腕を描き上げれば完成と言うところでした。浪江は爺やの正介を連れだして脅迫し、重信殺しを手伝えと迫ります。寺に戻った正介は、お疲れでしょうから息抜きに落合の蛍見物にでもと、重信を誘いだしました。

大きな蛍が飛び交う中、浪江は酒に弱い重信に酒を飲ませ、寺への帰り道、重信を襲い命を奪います。寺に逃げ戻った正介は、「先生が狼藉者に」と住職に知らせますが、本堂では重信が普段通り絵を描いているといわれます。不思議に思って覗いてみると、ちょうど最後の雌龍の片腕を描き上げ落款を押しているところでした。
(ここまでが私が聴いた円生師匠の噺でした)

おきせは浪江と再婚し、やがて浪江の子を身ごもりました。浪江は正介に次は重信の子、真与太郎を殺すようにそそのかされ、やむなく大滝に真与太郎を投げ込んでしまいます。すると滝壺から、真与太郎を抱いた重信の亡霊が現れ、正介を睨みつけます。
「この真与太郎を養育し、敵を討って、無念をはらさせろ」

正介は重信の亡霊の言葉を聞いて自らの不義理を謝罪して、真与太郎を連れて逃げて板橋の赤塚村は松月院の門番に落ち着きます。松月院の境内には、乳房の形をしたコブのある榎がありました。そのコブからしたたる甘い雫は、乳房の病を治し、乳のでない母親も乳が出るようになると言い伝えがありました。正介は榎の雫を乳代わりにして真与太郎を育てました。

その頃、おきせは浪江の子を産んだものの、乳が出ず、その幼子は死んでしまいます。その頃からおきせは、重信の亡霊のたたりで乳房にはれ物が出来て苦しむようになり、ついには狂い死にしてしまいます。浪江は、正介と真与太郎が生きていることを知り、亡き者にしようと松月院に現れますが、五歳になった真与太郎は、正介と重信の亡霊に助けられて浪江を討ち、その無念を晴らすのでした。


乳房榎があるという板橋赤塚の「松月院」はとても大きくてきれいなお寺でした。榎の木は境内にはなく少しはなれた交番の隣りにありました。







更に境内には幕末の西洋砲術家の高島秋帆の塚もありました。
幕末には、砲術家として名高い高島秋帆が1841年に近隣の徳丸ケ原(現在の高島平付近。高島平の名は高島秋帆にちなんで昭和40年に付けられました)で西洋式の砲術訓練を行った際に本陣がこの松月院に置かれていました。この訓練は当時の大名などを驚かせ、高島秋帆に名声を与えたものでしたが、極端な蘭学嫌いな町奉行鳥居 耀蔵(とりい ようぞう)の讒言によって長い間禁固刑にされました。まるで「天国と地獄」のような人生です。



このように落語の噺一つとっても、当時の江戸の各処の名物などを散りばめ一つの噺として完成させています。

飴屋さん

2020年01月24日 | Tokyo


珍しく手作りの飴屋さんがありました。とても美味しそうなので、きな粉飴を買いました。柔らかくてあまり甘くもなく、自然の味で好感が持てます。今は何にしても甘味料や防腐剤やらと、自然でないものが使われる世の中ですが、こうした自然のものを使っている食べ物は珍しくなりました。すべての食べ物がこの飴のように自然のものに回帰すればガンなどの病気などが減るかもしれません。とても美味しい飴なので知り合いにも分けてあげました。

ストレッチに通う

2020年01月22日 | Tokyo


今ストレッチに通っています。暮れに母と北千住の"海鮮丼"を食べに行ったときに、たまたま通りがかったお店に母が興味を持ち、試してみましょうよと言ったので全く興味はなかったのですが、お試しコースを受けてみました。それがとても合ったのか、身体が何となく軽くなったように感じて、それから数回通っています。遠いので通うのに時間がかかりますが、ひと月分の料金を先払いしてあるので週に二回づつ通っています。

北千住は好きな街なので少し遠いことさえ我慢すれば、楽しい所です。ストレッチのトレーナーさんたちもとても親切で、よく指導してくれます。料金が結構しますので、この先続けるかどうかわかりませんが、今のところ頑張っています。


青い空

2020年01月20日 | Tokyo


空がとても綺麗でした。冬でも雲が多い日が続きますが、時々は雲もなく綺麗な青空が見える日もあります。

最近地球温暖化はCO2が原因ではないという人たちがいますが、間違いなく温暖化などの地球汚染はシナの経済発展が始まった30年ほど前から始まっています。よくネットには出た北京などの大気汚染は何が原因なのですかと、そういう人たちに問いたいです。

これだけ世界中を汚染や陰謀に陥れて嘘ばかり吹聴しているシナ人に鉄槌を食わせなければならないのに、トヨタやパナソニックはじめとする日本の経済界は更にシナに進出してお金儲けをする気でいます。こんなのは日本人ではないですね。

新春

2020年01月18日 | Tokyo


初釜の集まりなのでしょうか、それとも何かの新年会なのでしょうか和装の方々が通っていました。こんな光景に出くわすのも、新年ならではのことかもしれません。やはり和装は素晴らしいと思います。先日は外国人の男性が和服を着て下駄を履いて歩いていました。なかなか良いものです。でも和装は下半身がスースーして寒いですけど。

勢揃い

2020年01月14日 | 季節


かもめが柵の上に勢ぞろいしていました。こうした風景が見れるのも、今の寒い季節だからでしょうか。


かもめは冬鳥だということですので、日本には冬の時期しかいないようです。しかも写真のかもめはユリカモメらしいです。ユリカモメは目の後ろに黒い点があるのが特徴らしいです。

どうもかもめとユリカモメ、ウミネコの違いがよくはわかりませんが、調べてみるとここに写っているのはユリカモメらしいです。都内でも冬によく見られるのはかもめかユリカモメということです。夏にはこの二種類は日本にはいないそうです。渡り鳥って大変ですね。

暴走犬

2020年01月12日 | 散歩


銀行へ行ったとき、大きなオートバイで降りてきた人を見たらなんと犬を抱いていました。犬を抱っこ紐の中に入れて運転しているそうです。大丈夫ですかと聞くと、この中からは絶対に飛び出しませんよ、と言っていました。風を切るのとファッションで、犬にもサングラスをしているそうですが、これも嫌がらないそうです。

暮れですから、クレグレも気を付けてくださいと別れました。


寒い時期に咲いている花 

2020年01月10日 | Tokyo


師走に咲いている花の続きです。寒い中けな気に美しい花を咲かせている植物も結構あります。どこでも見かけられる"サザンカ"もその一つです。たくさんの花をつけて一生懸命存在をアピールしています。ごくありふれた光景ですが、この時期には貴重な存在です。まだ当分見られそうです。




海鮮丼

2020年01月08日 | グルメ






母と北千住の海鮮丼のおいしいお店に行きました。11時に家を出てタクシーで行きましたが、着いたのが12時20分ごろでしたが、6人ほどの人が待っていました。待ちたくはなかったのですが、遠いので戻るわけにも行かずに待ちました。20分ほどすると店内に入ることが出来ましたが、お店は満員です。

海鮮丼やお刺身ご膳のお客さんが殆どです。やはり海鮮丼がおいしいと評判のお店なので、それを注文しました。その前に生牡蠣を注文、美味しいですが身が痩せていました。海鮮丼は、二段重ねにお刺身がたくさん入っていましたが、正直あまり美味しくはありませんでした。

以前、姉妹店の古いお店のほうで、ランチに海鮮丼を頼んだことがありましたが。以前はとても美味しかったのに、作り置きでひどく不味くなっていたので、以来遠ざかっていました。新しく出来たお店はどうかと思って来て見ましたが、がっかりでした。ランチは夜と違って品質が落ちるようです。

初詣

2020年01月06日 | Tokyo
初詣に諏訪神社に行きました。子供のころ境内の大銀杏のギンナンを拾ったことなどを思い出しながらお参りしました。結構たくさんの人が参拝していました。





そしてすぐ側の「富士見坂」を降りて不忍通りへでて、根津権現にも行こうと思いましたが、人の波が多く諦めました。



暖かくて空の青い日が続いていい新年の始まりでした。


お正月の都心

2020年01月04日 | Tokyo








お正月の丸の内です。人もまばら、車はもっとまばらで清々としています。こんな東京だといいのですが、いつもは車の洪水ですし、人もたくさんいます。皇居の二重橋近くにはテロなどを警戒してか、機動隊がたくさんいました。



チャイナの工作にもこのくらいの警戒をしてほしいものです。日本は既にチャイナに半分を占領されているといわれています。確かに沖縄も北海道も、政治家もマスコミも役人達も侵略されてしまっています。日本人の半分以上も、これだけたくさんの中国人が日本国内に存在しているのにチャイナには無関心です。

今年はオリンピックがあります。何か起きなければ幸いですが、この隙をついてくるのがチャイナの策略です。折角素晴らしい天気と青空の下を散歩していながら、日本の行く末を考えなければならないのは悔しいですが、もうそこまで危険水域に日本は入っているということです。



初めて目にしたもの

2020年01月02日 | 日記
元旦に母の所へ行きました。お雑煮やおせち料理を頂いたときに、母の腕に見慣れないものを見つけました。


きらきらと輝いている金のブレスレットです。かなり重そうです。どうしたのかしら、と尋ねるとかなり以前に父がスペインに行った時のお土産よ、という返事でした。へえー、初めて見たわというと、そうでしょこれすごく重くて普段には出来ないの、はずして持ってみるとかなりの重さです。

「へえー、こんなものも買って来てくれたのね、ママは宝石が好きだから指輪もアクセサリーもたくさん貰ったでしょ。」
「そうね、指輪が一番多いかしら。ダイヤをはじめエメラルドやルビーのものが多いかしらね。お正月なのでこれ初めて着けてみたのよ」
「やはり西洋人的な感じね。日本人にはあまり・・・」

「そうでしょ、だからそのままにしておいたのよ」とたわいもない話で元旦を過ごしました。