江戸から東京人

グルメ・旅行・散歩など

水道橋から御茶ノ水へ 2/2

2014年11月30日 | 散歩

御茶ノ水 そら町ビル











聖橋


湯島聖堂


お茶ノ水駅そばに大きなビルが建ちました。確かもと日立の会社があったところです。でも残念なことにレストランが2軒だけで、ショッピングセンターも何もありません。お茶ノ水にはこれといったレストランもシティホテルもありませんので、せめてこのビルにはそういったものが入っていたらお茶ノ水も随分と変わったと思います。
この土地には狂歌で有名な太田蜀山人が、亡くなるまでの10年間ほど住んでいたそうです。

湯島聖堂を過ぎて右に折れると、江戸の総鎮守の"神田明神"がドーンと鎮座しています。








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水道橋から御茶ノ水へ 1/2

2014年11月28日 | 散歩

何て読むかわかりますか?


これが坂の名前の由来の木です


姫リンゴも熟しています


御茶ノ水駅に隣接する「漱石」も通った井上眼科

水道橋を渡って左に折れた登り坂が難しい字を書く"さいかち坂"
です。この皀角の木が多くあったので皀角坂(さいかちざか)という名がついたそうです。かなりきつい勾配の坂です。東京には無数の坂が存在します。















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駒込~白山界隈

2014年11月26日 | 散歩

駒込大和郷  都内屈指の高級住宅街


理化学研究所跡


理化学研究所跡


理化学研究所跡


小春日和の暖かさにニャンコも日向ぼっこ


天然寺


駒込やっちゃ場跡

秋晴れの小春日和の日、久しぶりに散歩をしました。

いつも歩いている駒込から白山界隈です。もうこの辺りは目をつぶっていても何処へ行くかわかる場所です。

春夏秋冬いろいろに景色が変わりますから、その季節季節の楽しみ方があります。東京は今年は暖かいせいか紅葉が遅いようです。

リケジョの捏造論文で話題になった"理化学研究所"は以前この地にありました。本郷通りを少し歩くと『八百屋お七』で有名な「吉祥寺」です。

中央沿線の吉祥寺の名前はこのお寺の檀家さんたちが移り住んだことが始まりだそうです。

江戸三大市場の一つ「駒込土物店」の跡が本郷通りに残っています。その当時近隣の農家が採りたての野菜を持ち寄り商ったことが始まりだそうです。

東京にも江戸の昔の史跡や物語がたくさん残っています。






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会津若松にて  4/4

2014年11月24日 | 旅行

"北前船"で財を成した豪商の跡 現在は旅籠と料理屋を併設






七日町駅 無人駅ですがコーヒーショッフ゜と物産品を商っています












"七日町あいばせ内にある十割そば"腰がありあごが疲れます



別のお店で 天ぷらは油っこくて食べられませんでした


会津名産"みしらず柿"焼酎で渋をぬいたおなじみの柿



"くいしんぼう"としては不本意な所もありましたが、会津若松の町は何処へ行っても"人のぬくもり"が感じられる土地です。小さいときから「什の掟」という道徳観を教えられているせいなのでしょう、旅行している限り、ここには悪い人はいないという確信すら感じられるほど、皆さんが優しくて親切で、嫌な思いなど全くせずに過ごせました。

よく外国からの観光客が、「日本人は親切でやさしい」と感じているのと同じ感慨なのだと思います。

日本国内にあって、外国人観光客の抱く日本人観と同様の感慨を感じる会津若松は『会津人の人柄の良さ』に根ざした素晴らしさを発見する旅でもあります。また会津へは近いうちに訪ねたいと思わずにはいられない旅でした。


ミニ知識
よく会津人は頑固だと言われますが、その根底には「什の掟」の最後に記される「ならぬことはならぬものです」といった精神的支柱があるのかもしれません。つまり、理屈ではなく「ダメなものはダメ」、という教えに基づく厳しい考え方です。会津藩では次代を担う青少年の教育にことのほか熱心でした。学問好きの藩祖保科正之の影響が大きかったのでしょう。家老田中玄宰の進言で5代藩主松平容頌の寛政2年(1805)には藩校日新館ができました。「什の掟」は日新館入学前の藩士の子弟が毎日午後に仲間の家に集まり、遊びの前に話し合う自治的な定めです。現代では通用しない内容もありますが、その考え方や掟の価値は再び注目されています。河東町には忠実に復元した會津藩校日新館があり、当時の少年たちの勉強ぶりを知ることができます。また、鶴ヶ城の西の藩校跡地に当時の天文台跡が残っています。






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会津若松にて  3/4

2014年11月22日 | 旅行




野口英世"青春広場"これも会陽医院と同じ通りにあります

ミニ知識
野口英世の青春に思いをはせる
ノーベル賞候補にもなった世界的な細菌学者、野口英世。朝日新聞のbeランキング「印象深い偉人の伝記」では堂々のトップになり、「明治の偉人」でも勝海舟、夏目漱石に次いで3位に入っています。そんな野口英世の多感な青春時代を歩けるのが「野口英世青春通り」。レンガ敷きの素敵な道路です。大町四ツ角の南にある洋館風の喫茶店は、幼年期にやけどを負った左手の手術を受け、医学を志すために青春時代の3年半を書生として過ごした旧會陽医院です。2階が資料を展示した野口英世青春館になっています。近くには洗礼を受けた教会跡や初恋の女性、山内ヨネの旧宅、散髪に通った理髪店跡の店蔵などがあり、ふらりと逍遥していると明治時代にタイムスリップしたような気分になります。



七日町通り


新撰組記念館 新撰組も会津で戦いました














この日は古い建物が多く残る"七日町通り"まで歩きました。雨なのでとても歩きにくいですが、ここは江戸時代から明治時代に建てられた、古い建物がたくさんあり会津若松の歴史を物語る通りです。

歩いているだけで"ホッ"とする場所です。この古い建物と会津人の人柄のよさが相乗効果をもたらして、日本人のふるさとにいる心地がします。


ミニ知識
なぜか懐かしい気分になれる、七日町通り
会津若松市街地の中心、大町四ツ角から西に延びる七日町通りは観光客はもちろん、全国の商店街からも注目を集めています。一時衰退した商店街が再生したのは、明治から昭和初期の繁栄を極めた時代に建てられた蔵や洋館、木造商家が奇跡的に残っていたから。大正浪漫ただよう町並みはホッとした気分にさせてくれます。通りには手打そば、田楽、イタリアン、フレンチ、日本料理などバラエティに富んだ飲食店やスイーツ店、会津伝統の漆器、絵ろうそくの店、造り酒屋などが軒を連ねています。また周辺のお寺や神社を巡る「幸せ回廊」もお勧めです。初めて訪れたのに懐かしい気分になれるまち歩きです。








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会津若松にて  2/4

2014年11月20日 | 旅行

夜空に浮かび上がる"鶴ヶ城"








帰りがけ雨が強いので タクシーの運転手さんが案内したラーメン屋さん


残念ながらこれ以上最悪なくらい不味かったです


いよいよ鶴ヶ城のライトアップのハイライトを見学に・・・

でも相変わらずの雨続きです。しかもザンザン降りです。


ミニ知識
会津若松市のシンボルである鶴ヶ城は室町時代の初め、今から約630年前の至徳元年(1384)に葦名直盛が東黒川館として造営したのが始まりとされています。お城といっても当時は天守閣はなく、館程度でした。その後、伊達政宗をはさんで蒲生氏郷が豊臣秀吉の命令で会津を治め、七層の天守閣を築きました。黒壁で織田信長の居城、安土城のようだったともいわれています。江戸時代に入り、地震で被害を受けて再建した天守閣は現在と同じ五層でした。幕末の戊辰戦争では西軍の猛攻に耐え難攻不落の名城と称えられましたが、明治政府の命令で取り壊され、現在の天守閣は昭和40年(1965)に再建されたものです。内部は郷土博物館になっています。五層からは会津若松市街地や会津盆地、磐梯山が一望できます。

大地震に耐えた天守閣の石垣
城に石垣は付きものですが、築き方が時代によって違います。鶴ヶ城の石垣を年代的に見ると、一番古いのが天守閣の石垣で、蒲生氏郷が築いたものです。専門的には「野面(のづら)積み」という石の積み方で、自然石を組み合わせて積み上げます。傾斜が緩やかで、裾野が広いのが特徴です。さて、今から約400年前の慶長16年(1611年)8月21日、会津盆地の西縁を震源とするマグニチュード6.9、震度6以上と推定される大地震が発生しました。民家2万戸が倒壊し、多数の死者も出る大惨事でした。七層の天守閣も傾きましたが、天守閣の石垣は持ちこたえたそうです。実際に見てみると、こんな粗い積み方で大丈夫だったのだろうかと思いますが、当時の築城スペシャリストの技には驚嘆してしまいます。


会津は千家茶道復興のメッカ
鶴ヶ城の本丸内に麟閣という茶室があります。千利休の子、少庵が建てたといわれています。現在の建物は復元したものですが、室内の床柱は当時のものだそうです。それではなぜ会津に少庵がいて、千家再興の地と言われているのでしょうか。千利休が豊臣秀吉から切腹を命ぜられた後、少庵の命を助けて保護し、会津に一時避難させたのが当時会津の領主だった蒲生氏郷でした。許されて京都に戻った少庵は再び茶道に励み、その後、子孫は表千家、裏千家、武者小路千家と3つに分かれ、連綿として今に続いています。もし、氏郷が少庵を助けなければ、今の千家茶道はなかったかもしれません。







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会津若松にて  1/4

2014年11月18日 | 旅行



野口英世が小さいときの火傷で癒着した左の指をここで手術して治した会陽医院跡です。その後英世はここに住み込みました


会津名物"わっぱめし"が美味しい「田季野」





やはり名物の十割そばが付きます



鶴ヶ城のライトアップを見に会津若松へ旅立ちました。途中まではとてもよいお天気でしたが、列車が会津若松へ近づくにつれて雨模様のお天気に変わりました。

でも着いた時には若松の街なかは太陽も照り、いい感じでした。夕方"わっぱめし"を頂きに田季野へ行きました。"わっぱめし"すごく美味しいですよ。


ミニ知識
郷土料理と会津の食文化に浸る
水がよく、酒が美味しく、四季が美しい土地には美味しい料理という方程式があります。会津はその方程式通りの地方です。流通が発達していなかった昔は、山国会津の貴重なタンパク源は川魚か、海のものだったら保存の効く干物か塩漬けが主でした。海から遠く離れた山国会津の地形が独特の郷土料理を生んだと言えます。代表的なものはニシンの山椒漬、棒タラ煮、冠婚葬祭には欠かせない「こづゆ」、いろいろな食材に味噌タレをつけて焼いた田楽、ご飯と具材を蒸したわっぱ飯などです。手打そばも欠かせません。会津では昔から家庭で行事が行われると必ずと言っていいくらいにそばが出されました。市内にも「そば通」を唸らせる多くの人気店があります。地元の食材をふんだんに使っている会津の食文化を地酒とともにぜひ味わってみてください。

頬ほんのりと酒蔵巡り
会津若松の市街地を歩くと、造り酒屋さんの門や入口に酒林と称される杉玉が下がっているのをよく見かけます。酒林は熟成の目安となる測りのようなものです。仕込み時期の12月頃に吊るした青々とした酒林が、ひと夏が過ぎ、熟成して飲み頃になると枯れて茶色になります。市内には9つの蔵元があり、酒蔵の見学や利き酒ができるところもあります。酒どころ会津は昼間から頬を赤らめていても後ろ指をさされることはなく、むしろ羨ましがられるといううれしい土地柄です。ただ、飲みすぎにはご注意を・・・。







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大山 すし一力

2014年11月16日 | グルメ












月に2、3度訪ねる東上線大山という所、駅そばのお寿司屋さんの一力のランチを食べました。

信じられない値段750円で、ちらしとにぎりのどちらかが食べられます。このところなんだか安いところばかりですが、安くて美味しいところなら問題なく行くことが出来ます。

もちろん期待はしていませんでしたが、そこは江戸前すし屋さん、さすがにしっかりとしたクオリティでした。ネタもまあまあでしたし、サービスもとてもよくカウンターの中のお二人がとても感じよく応対して頂きました。今度は機会があれば夜に行ってみたいお寿司屋さんでした。




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神田小川町 とんかつ六九 

2014年11月14日 | グルメ



















またまたとんかつですが、ここはもっと安いとんかつです。ロースかつ定食、な なんと690円です。すごく不味いかと思っていましたが、かなり柔らかく普通のとんかつ屋さんのものとそれほど変わりませんでした。

しかも、ご飯と味噌汁は食べ放題です。とにかく安いとんかつ屋さんです。





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とんかつ 北千住 島田

2014年11月11日 | グルメ




















鮎の子の しら魚送る 別れかな 芭蕉



久しぶりに北千住へ行きました。北千住は新旧のものが同居しているとても江戸っぽい街です。江戸時代には五街道の四宿のうち、品川、板橋、新宿、千住とありますが一番の人口があったそうです。

芭蕉も「奥の細道」の旅の初めをこの地に選びました。江戸の三大市場であった神田、駒込、千住と市場があったのでも知られています。

本町小学校の前に小さな"とんかつ屋"さんがあります。ご主人一人でやっているお店です。とても安いとんかつ屋さんです。





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今までで一番おいしかったお寿司

2014年11月01日 | 旅行・グルメ
















かつて一番おいしかったお寿司は、何といっても能登半島・七尾のお寿司です。

写真のとおり9巻とウニで計10巻ですが、ネタといい寿司飯といい銀座の一流店や築地のすべてのお寿司屋など足元にも及びません。

今はまだ能登半島までは遠いですが、来年の春には北陸新幹線が開業になるのでぐっと行きやすくなります。







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