江戸から東京人

グルメ・旅行・散歩など

来る年

2014年12月29日 | 散歩



上野東照宮のあたりもすっかり冬支度に変わっていました。紅葉が済むと一気に冬の帳に包まれてしまう自然の移り変わりです。

今年は何かいいことがあったかしら?と考えましたが、いつもの年とあまり変わらずに過ごしてきてしまいました。特別に変化がないことが、いいのかもしれません。

でも、来年は何かいいことがあることを、つい祈ってしまいます。人間て、やっぱり欲張りなんですかねえ。








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スズメ

2014年12月27日 | 散歩



暖かい昼下がり、散歩をしているとスズメに出会いました。都心ではめっきり少なくなったスズメです。今は世界的に絶滅危惧種の一つになってしまったそうです。

そう言われれば、幼稚園の時から比べると見る機会や、鳴き声を聞く機会がほんのわずかになったのは確かです。特に夏の猛暑や、冬の寒さで死んでしまうそうです。それと餌場が激減したのも減少の理由だそうです。

以前のように、チュンチュンという鳴き声で朝起きることができるとうれしいのですが・・・






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世界文化遺産の意味するところ

2014年12月22日 | 日記



日本の富士山が、今年ユネスコの世界文化遺産に認定されました。自然の造形物が、文化遺産として認められたということは富士山が日本の文化の一翼を担っていることが認められたということです。

これは、日本人の精神文化が認められたということを意味します。日本人には、とりわけ自然を愛でる心が世界でも優れていますから、日本料理の自然を取り入れる心と技量、日本家屋の自然を生かした作り方、日本庭園の自然を借景として取り入れる方式、水もないのに波や波紋を表した"枯山水"の境地。さらに和歌や俳句の自然を称える作品群、

例えば芭蕉の、
しずかさや 岩にしみいる 蝉の音   古池や かわず とびこむ みずの音
太田道灌の
七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞかなしき
山岡子規の
かき食えば 鐘がなるなり 法隆寺

こうした自然だけを詠んだ詩歌などは、西洋や中国にはありません。そちらのものはすべて人間が主役です。日本人は自然の中に"神"を崇め、山や海や川や土や植物や動物に"神"を見出しています。ですから日本はキリストやイスラムやユダヤなどの一神教と違い、太古の昔から"八百万の神"の世界観を持っています。

こうした日本独特の世界観は、今のグローバリズム(金儲け至上主義の格差社会化)という世界共通の価値観を押し付ける一神教的世界観とは、本質からして相反するものです。日本はそれに向かって突き進んできた結果、現在の著しい格差社会を作り出してしまいました。

昨今、そうした結果に反省する意見が一部の人たちから出始めています。日本の価値観を世界標準にして行こうという意見です。しかし、いくら今、日本文化が見直されているからといって世界では、それを受け入れようという人はまだほんの少数です。それよりも我々日本人一人ひとりが、本来に立ち返って"日本文化"を取り戻してゆくことが必要な時ではないかと思います。来年は、ぜひそうした一人でも多くの日本人が生まれることを願いたいです。










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もうすぐクリスマスですね

2014年12月20日 | 散歩






急に寒さが厳しくなりました。

もうすぐクリスマスです。うれしいプレゼントがもらえるようにお祈りします。

さて何のプレゼントがもらえるでしょうね?










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アイスクリームとフローズンヨーグルト

2014年12月18日 | グルメ




バークレイ


ヨーグルトのお店


フローズンヨーグルト

アイスクリームの種類はたくさんありますが、すっごく美味しーい、と思うものはなかなかありません。先日京都の吉兆で出された手作りのアイスクリームはとても美味しかったです。

それとカリフォルニアに行ったとき、バークレイのカリフォルニア大学近くで食べた"フローズンヨーグルト"は稀に見る美味しさでした。

日本でも美味しいアイスクリームは作れると思いますので、ぜひとも頑張って販売してほしいと思います。







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飛鳥山

2014年12月16日 | 散歩


















幼稚園の時に一度来たことがありましたが、その後来ることがなかったのですが久しぶりに車で訪ねてみました。以前よりもきれいに整備されていて、階段を上らなくても急な勾配をモノレールのような乗り物が無料で運行していました。

中には立派な博物館や明治の偉人渋沢栄一の記念館などが建っていました。

【ミニ知識】
江戸享保期に行楽地として整備され、明治6年(1873年)には上野公園などと共に日本最初の公園に指定されました。園内に残る渋沢栄一の旧邸は国の重要文化財に指定されています。

この地を桜の名所に仕立て上げたのは、八代将軍徳川吉宗でした。約300年前、吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、江戸っ子たちの行楽の地とするため、飛鳥山を桜の名所にしたのです。こうして江戸の新しいお花見の名所として誕生した飛鳥山は、当時、桜の名所地では禁止されていた「酒宴」や「仮装」が容認されていたため、江戸っ子たちは様々な趣向を凝らして楽しみました。
 飛鳥山は、明治6年、太政官布達によって、上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定され、平成の現在も「憩いと出会い」の場として親しまれています。






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錦秋の京都  4/4

2014年12月14日 | 旅行

青蓮院の東山にある将軍塚


青蓮院の東山にある将軍塚


青蓮院の東山にある将軍塚 この舞台から京都が一望できる


高台寺


高台寺


高台寺


清水寺のライトアップ


清水寺のライトアップ


清水寺のライトアップ



ホテルのイルミネーション


ホテルの部屋から


京都の秋も雨で終わりました。この雨で葉っぱは落ちてしまうでしょう。清水、八坂、祇園界隈は中国人観光客でごった返しています。日本人観光客も欧米観光客の姿もこれら中国人観光客の多さに隠れてしまい、全く目立たないくらいです。
日本が世界から見直されて、観光客が増えるのは喜ばしいことですが、マナーの悪い大陸からの中国人は、京都でもすごく嫌われていました。こうした観光客ばかり増えても、少しも嬉しくないと、観光に携わる人たちが異口同音にこぼしていました。

政府も観光に力を入れるのはいいのですが、大陸からの嫌われ者の入国は、もっと厳しくしてほしいと今回の京都では痛感しました。







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錦秋の京都  3/4

2014年12月12日 | 旅行・グルメ
























祇園にある"吉兆"の会席料理です。ご飯は写っていませんが、鶏と色々なキノコの炊き込みご飯でした。

ひとつひとつのお料理が、ひと手間余計に掛けられていて、やはりお味は最高でした。







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錦秋の京都  2/4

2014年12月10日 | 旅行









南禅寺にも祇園にも、この界隈には中国語が飛び交っています。今回は、あまり欧米の観光客は見当たりませんでした。









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錦秋の京都  1/4

2014年12月08日 | 旅行

南禅寺


南禅寺


名月庵 田ごと


名月庵 田ごと


名月庵 田ごと


名月庵 田ごと


名月庵 田ごと



秋たけなわの京都の写真です。すごい人波です。混んでいるところは好きではないのですが、南禅寺は京都中心から近いので、紅葉の時には行くことが多いです。

年々暖かいせいか、まだ紅葉が綺麗にしていない木が目立ちますが、さすが11月下旬に入るとあちこちが染まりつくしてきます。










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染井墓地

2014年12月06日 | 散歩


















駒込にある染井墓地です。江戸時代この界隈には植木屋が多くあったそうです。その人たちが、山桜やエドヒガン桜を掛け合わせて作ったのが、現在主流のソメイヨシノと言われています。

ここにはたくさんのソメイヨシノが植えられていて、春になるとお花見の名所になります。墓地の中には猫が多く、犬を連れて散歩する人たちも大勢います。春夏秋冬いつでも緑に覆われ、都心にありながら空が広々ととして気持ちのいい場所です。

ミニ知識
明治政府は神仏分離政策を薦めていたため神式の葬儀が増えたものの、既存の墓地の多くは寺院の所有であり埋葬する場所が確保できなかった。また、キリスト教会も墓地を持っていなかった。このため寺院の所有でない墓地を造る必要にせまられていた。1872年に明治政府によって播州林田藩建部邸跡地に神葬墓地として開設される。1874年に東京府の管理下に置かれ宗教によらない公共墓地となる。1889年には東京市に移管され、1935年に染井霊園に改称された。






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伝通院

2014年12月04日 | 散歩















徳川家康の生母・於大の方の墓所として名の知れたお寺です。このお寺の近くに永井荷風の生家跡があり、樋口一葉が勉学のために通った"萩の舎"がありました。すぐ裏には幸田露伴が住み、現在も子孫の方のお住まいがありますし、夏目漱石も作品の中にこのお寺を登場させています。

江戸時代の終わりには、テロや殺人が横行していた京都取締り役の京都守護職として、のちの新撰組の面々もこの地に集合させられました。京都までの道中に付き添った幕臣の一人に山岡鉄舟がいました。鉄舟もこの寺の近くに住んでいたそうです。

徳川幕府の菩提寺として権勢を誇っていたのも、幕府を倒した長州・薩摩・士佐藩の明治政府の意向で、広大だった土地も建物も取り壊されて現在の大きさになってしまったそうです。それでも十分大きいですが・・・。


ミニ知識
寺は江戸幕府から寺領約600石を与えられて、多くの堂塔や学寮を有して威容を誇り、最高位紫衣を認められ、増上寺に次ぐ徳川将軍家の菩提所次席となった。増上寺・上野の寛永寺と並んで江戸の三霊山と称された。境内には徳川氏ゆかりの女性や子供(男児)が多く埋葬されており、将軍家の帰依が厚かったとされている。






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松花堂弁当

2014年12月02日 | グルメ










松花堂弁当の発祥の地、京都のはずれの八幡市までタクシーに乗り行きました。随分と遠いところでした。江戸時代のはじめ松花堂昭乗というお坊さんが暮らしていた場所に、吉兆が松花堂弁当のお店を出しています。

何だか途中で随分と遠いところへ、と後悔しました。たかがお弁当を食べるために、往復高額のタクシーに乗って来たことが馬鹿馬鹿しく思えてきたのです。お弁当代よりもタクシー代の方が何倍もかかるのにと。

それとお弁当自体大したものでもなく、お味も"吉兆"にしてはごく平凡なものでがっかりしました。



ミニ知識
「松花堂」の名は、江戸時代初期の石清水八幡宮(京都府八幡市)の社僧であった松花堂昭乗(1584年(天正12年) - 1639年(寛永16年))に因むものである。昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していた。

その入れ物が松花堂弁当に発展したのは、それから数百年たってからである(昭和の始め(1933年(昭和8年))頃とされている)。メリヤス業で成功した裕福な大商家である貴志彌右衛門の大阪(桜宮)邸内の茶室「松花堂」で茶事が催された折、貴志彌右衛門が後年日本屈指の名料亭「吉兆」の創始者となる湯木貞一に、この器で茶懐石の弁当をつくるようにと命じたのがはじまりである。






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