天気予報どおり、きのうの成人式はどしゃ降りの雨でしたね。振袖の女子は特に大変だったでしょうね。
来賓として、泉佐野市の成人式に参列させていただきました。「成人祭」という名称を「成人式」に変えて「おごそかに」という趣旨には特に異論はありませんが、開式早々「国歌斉唱」で、壇上の来賓・主催者ご一同がいっせいに会場の新成人のみなさんにお尻を向けて舞台後方の日の丸に向いて立っておられる様は、異様としか言えませんでした。
誰のため、何のための行事なのでしょうか。主人公はだれ?
せっかくこのような場にお招きいただく機会をいただいていますので、参加させていただいてお祝いの気持ちを表したい想いがあります。
一方で、「国旗・国歌」を強制する条例ができてしまってどんどんおかしな方向へ実態が傾いていく中で、目立った行動で混乱を起こすことを避けるという選択も限界にきているように感じます。
「現実を受け入れて流される」ことは決して世の中をよくしないということは、歴史が物語っています。
おめでたい成人の日に重い気分で帰ってきましたが、おとついの晩作って冷やしていた「かぼちゃのチーズケーキ」がよい具合に固まっていましたので、おいしく食べました。
ケーキ作りなんて、ほんとに久しぶりにやりました。またしばらく出来ないでしょう(笑)
来賓として、泉佐野市の成人式に参列させていただきました。「成人祭」という名称を「成人式」に変えて「おごそかに」という趣旨には特に異論はありませんが、開式早々「国歌斉唱」で、壇上の来賓・主催者ご一同がいっせいに会場の新成人のみなさんにお尻を向けて舞台後方の日の丸に向いて立っておられる様は、異様としか言えませんでした。
誰のため、何のための行事なのでしょうか。主人公はだれ?
せっかくこのような場にお招きいただく機会をいただいていますので、参加させていただいてお祝いの気持ちを表したい想いがあります。
一方で、「国旗・国歌」を強制する条例ができてしまってどんどんおかしな方向へ実態が傾いていく中で、目立った行動で混乱を起こすことを避けるという選択も限界にきているように感じます。
「現実を受け入れて流される」ことは決して世の中をよくしないということは、歴史が物語っています。
おめでたい成人の日に重い気分で帰ってきましたが、おとついの晩作って冷やしていた「かぼちゃのチーズケーキ」がよい具合に固まっていましたので、おいしく食べました。
ケーキ作りなんて、ほんとに久しぶりにやりました。またしばらく出来ないでしょう(笑)
>何故に「日本において・・・」ことが、「異様」に感じられたのでしょうか?
かかっていたのが「君が代」だからです。
>式典進行において改善の余地はある、それを提案すべき
「国歌斉唱」自体が不要と考えます。
>国旗国歌法の改正をめざして・・・
制定時にはわが党の国会議員が反対して奮闘しましたが、現在具体的な活動はできておらず、おっしゃるとおりだと思います。
では、何故に「日本において国際的な慣習に従う」ことが、山下市議には「異様」に感じられたのでしょうか?
新成人のみなさんに尻を向けるのが問題とされるのならば、来賓・主催の檀上の立ち位置を変えるとか、檀上に登場する前に国歌斉唱を行うとか、式典進行において改善の余地はあると思いますし、それを提案すべきでしょう。
もし、「君が代」が日本国歌にふさわしくないと考えるならば、いわゆる国旗国歌法の改正をめざして政治活動を行うべきでしょう。
日本の場合、「君が代」自体が持つ歴史的な側面を認識してそれと向き合って行くことが必要だと思うのです。自国の国歌を誇りを持って歌えるようになるといいと思いますが、それも本人次第で、誰かに強制されて歌うものではないのでは?
外国へ行けばそこの慣習に従うのが基本だと思います。
お答えになっているかどうか自信はありませんが、今の私の想いをのべさせていただきました。
よろしければまたご意見お寄せください。
では、どうふるまうのが国際てぎな儀礼慣習、現代的な礼儀作法に則っているとお考えですか?
例えば、山下市議が海外に招かれ、檀上に着席した際に、その国の国歌が演奏されたら、どうふるまいますか?
オーケストラなどでは国歌を演奏する際に、チェロやハーブのなどの起立して演奏できない楽器の奏者を除いては起立して演奏するそうですね。もちろん聴衆のほうも。