ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】新春の嘉数へ、対空ミサイルが2基、陣取っていた普天間基地(20240104-①)

2024年01月10日 | 普天間基地を観る

2024年1月4日(木)晴れ

朝、宿から那覇軍港へ回る。1月1日の朝と変わらず。米軍艦艇で停泊しているのは高速輸送艦グアムだけだ。海保の巡視船は数隻。今日は嘉数と嘉手納に行くのだ。

 那覇バスターミナルから「90番バス」で嘉数に着いたのが8時50分頃。嘉数高台公園に上がる。

普天間基地の中でも高い位置に対空ミサイルのレーダー2基が設置されている(正面の白い建物の上段の両側)。回転していないようなのでおいてあるだけかもしれないが、要注意だ。9:05

駐機場。MV-22が17機。CH-53が10機、UH-1が4機、AH-1が3機見える。9:06

報道によれば、12月2日、ここ普天間基地内でUH-1とAH-1が路上走行中に接触し、重大事故をおこしたようだ。

概ね静かだ。

南西から飛んできたUC-12Wヒューロン。海兵隊の小型輸送機。170111番機。9:10

タッチアンドゴーを繰り返した。

今度はUC-35Dサイテーションだ。海兵隊の小型機。6766番機。9:17

9:31 またきた。

またまた。9:39

周回飛行だが、間隔が短い。

丸い展望台の北西側から。普天間基地と、左に北谷の海岸。10:19

高台の一番良いところを普天間基地に乗っ取られて79年目に入るのだ。戦争で奪った土地は、平和条約を結べば返還するのが国際法の基本だ。1952年の講和条約を米国は、沖縄を日本から切り離すことで、埒外にし、1972年の沖縄の返還以降も、何も変わっていない。

都合の良い国際法遵守と不都合な国際法(ハーグ陸戦条約など)無視の2重基準だ。日本政府は「辺野古が唯一」などとボケたことをいつまで言うつもりか!

北の空を飛ぶ米国空軍E-3空中警戒管制機。第961空挺航空管制飛行体所属だろう。10:13

嘉手納基地に下りるのか、あるいはタッチ・アンド・ゴーだろう。

展望台から下りていく海兵隊員。約30名が私服で上がってきた。10:19

どうもリクレーションなのか、よくわからないが、同じ方向に向かう。これだけの人数だとバスできているのだろう。

9時代にも約20名が上がってきた。女性も数名いた(2グループとも)。私はひとりだったので、警戒しながらも睨まない対応。

西の空から上空通過するF-35A戦闘機だろう。テイルサインはHL。どこからきているのだろうか。岩国ではない(岩国はF-35B)。10:22

またEー3空中警戒管制機。また嘉手納へのタッチアンドゴーでの周回飛行だろう。10:26

また南西から上空通過するF-35Aだろう。嘉手納に戻るのだろうか。10:32 

特に動きはないようだ。10:33

AH-1もUH-1も動かないようだ。

飛ばないので視角に凝ってみる。北北東側。2つのレーダーを正面に。10:38

左にずらしてみる。飛行場と宜野湾市市街地と北谷方面。普天間基地は約470ヘクタールだ。10:41

同じ位置から右側へ。右奥が沖縄国際大(黄色の建物など)。10:42

再度レーダー2本。左は、AN/TPS-80(地上/空中タスク(任務)指向レーダー)のようだ。様々な(ミサイル・航空機・砲弾など)攻撃に対応できる。レーダー、電源車、通信機器で1セット。2019年から海兵隊などが使用し始めている。

レーダーがあると言うことは、当然、応射する発射機がどこかに隠されているはずなのだ。10:53

私は11時頃、嘉数高台を辞して嘉手納に向かった。



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