2024年5月3日(金)曇
本日朝から那覇へ。訳ありで,予定を変更し、さてどうしよう。5月3日だし、普天間基地を覗いてみよう。国際通りから「90番バス」に乗りたかったが、昼時は動いてないようだ。やむなく「おもろまち」まで歩く。幸運にもやんばるバスが来た。「嘉数」までゴー!
嘉数で下りたが、あの水色の展望台が見えない。あれと思ううちに、「改築」だか、立て直す話しを思い出した。
嘉数高台公園に上がった。
暫し休憩。いつもの「中心」がないと、やむを得ず、色々と見て回る。
13:54 「弔魂」碑。ここ嘉数高台は、沖縄戦最初の激戦地だ。日本軍はここに軍事拠点を樹立し、沖縄の若者に爆弾を巻かせ、米軍戦車に突撃させた。特攻死。「散華」、否、無駄死を強いたのだ。1945年4月9日からのことだ。
誰の魂であれ、圧殺された魂を、それを認めてきた人が他人を弔うことなどできるのだろうか。戦争の積み重なりは、単純ではない。難しかろう。私はそう考える。
13:55 拝所。
右の奥が建設中の嘉数高台展望台。3月末にできあがるはずだったが、完成は5月半ばの予定とある。
京都の塔。13:57
京都から動員され、亡くなった人々を慰霊する碑。この碑文はまともだ。「玉砕」とか「大日本帝国」とかの文字はない。2000名余りがなくなったとある。人の命は人それぞれなのだ。
トーチカ跡。13:58
こんなコンクリートの塊の中から、迎撃していたようだ。
14:01 西側の海の上から飛んできたAH-1対地攻撃ヘリ。普天間基地に下りた。
普天間基地駐機場を見下ろす。MV-22オスプレイが11機か。奥の白はCMV-22(海軍オスプレイ)かと思ったが、光の当たり方によるようだ。奥の正面はUH-1ヘリ。AH-1も何機か居る。
真栄原2丁目、3丁目。右奥が沖縄国際大。左手は普天間基地。14:08
因みに普天間基地は米軍が沖縄占領後に造ったものだ。高台の一等地を奪って、79年が経つ。
15:01 春の新緑が冴える常緑樹。赤く紅葉する葉が混じる。
暇です。
北側、C-130系の機体が嘉手納基地に下りる。15:16
15:17 C-12だろう。
おっときたぞ! 15:37
P-8A海軍対潜哨戒機。15:37
離発着訓練だ。
青丘の塔。朝鮮人戦死者の碑。15:40
またきた! P-8対潜哨戒機。15:41
海軍機だ。展望台の上ならば、こうはならないが、樹影で塞がれた。15:41
普天間基地は海兵隊の航空基地だが、海軍・空軍機も使っている。
またきた。京都の塔を入れて。15:45
ここに慰霊されている人たちに、戦後はなかったかもしれない。監視カメラも付いており、どう思っているのだろうか?
15:48 彼らも沈黙だけでは、済まされないのじゃないか。
またきた!15:50
15:50 P-8は対潜哨戒機であり、ソナーを操ったり、電子戦、魚雷・爆雷などの操作など哨戒且つ対潜攻撃機だ。
北側に大きな客船が来ている。15:50
あいにく逆光でよくみえない。
P-8がタッチアンドゴー。15:54
近くの人家はうるさいぞ。日本は祝日だが、米国は平日。米国基準の日常が押しつけられている。
15:58 タッチ!
ゴー!15:59
急上昇!
彼らは何故タッチ・アンド・ゴーを日常的に繰り返すのか?
着陸時の失敗を回避するためか? それもあろうが、着陸時の攻撃を避けるためだ。軍用機の宿命だが、周辺住民にも遠慮なく押しつけられている。普天間基地周辺の危険性は、撤去させない限り、どこにいってもついてまわる。
16:04 C-12。これは小型機のプロペラ機だし、音源としては小。
P-8対潜哨戒機 16:07
飛び上がった。16:08
おわったみたいだ。タッチアンドゴー、7回36分間。16:22
ここでやっているのだ。
普天間基地撤去だ!それしかない!「辺野古が唯一」を認めるわけにいかない。
帰るとしよう。
ゲットウ。16:36
撮るのであれば、こっちだよ。
浦添の米国領事館。星条旗が垂れている。右奥(ぽっち)が前田高地。1945年の第2の激戦地となった。16:55
激烈な戦火を交わしたが、あれから、この二国は寵愛の仲。その狭間に置かれ続けている沖縄。
撮るということは、考えるということだ。