ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】【補正】普天間基地嘉数高台公園からP-8対潜哨戒機などを撮る(20240503)

2024年05月04日 | 普天間基地を観る

2024年5月3日(金)曇

本日朝から那覇へ。訳ありで,予定を変更し、さてどうしよう。5月3日だし、普天間基地を覗いてみよう。国際通りから「90番バス」に乗りたかったが、昼時は動いてないようだ。やむなく「おもろまち」まで歩く。幸運にもやんばるバスが来た。「嘉数」までゴー!

嘉数で下りたが、あの水色の展望台が見えない。あれと思ううちに、「改築」だか、立て直す話しを思い出した。

嘉数高台公園に上がった。

暫し休憩。いつもの「中心」がないと、やむを得ず、色々と見て回る。

13:54 「弔魂」碑。ここ嘉数高台は、沖縄戦最初の激戦地だ。日本軍はここに軍事拠点を樹立し、沖縄の若者に爆弾を巻かせ、米軍戦車に突撃させた。特攻死。「散華」、否、無駄死を強いたのだ。1945年4月9日からのことだ。

誰の魂であれ、圧殺された魂を、それを認めてきた人が他人を弔うことなどできるのだろうか。戦争の積み重なりは、単純ではない。難しかろう。私はそう考える。

13:55 拝所。

右の奥が建設中の嘉数高台展望台。3月末にできあがるはずだったが、完成は5月半ばの予定とある。

京都の塔。13:57

京都から動員され、亡くなった人々を慰霊する碑。この碑文はまともだ。「玉砕」とか「大日本帝国」とかの文字はない。2000名余りがなくなったとある。人の命は人それぞれなのだ。

トーチカ跡。13:58

こんなコンクリートの塊の中から、迎撃していたようだ。

14:01 西側の海の上から飛んできたAH-1対地攻撃ヘリ。普天間基地に下りた。

普天間基地駐機場を見下ろす。MV-22オスプレイが11機か。奥の白はCMV-22(海軍オスプレイ)かと思ったが、光の当たり方によるようだ。奥の正面はUH-1ヘリ。AH-1も何機か居る。

真栄原2丁目、3丁目。右奥が沖縄国際大。左手は普天間基地。14:08

因みに普天間基地は米軍が沖縄占領後に造ったものだ。高台の一等地を奪って、79年が経つ。

15:01 春の新緑が冴える常緑樹。赤く紅葉する葉が混じる。

暇です。

北側、C-130系の機体が嘉手納基地に下りる。15:16

15:17 C-12だろう。

おっときたぞ! 15:37

P-8A海軍対潜哨戒機。15:37

離発着訓練だ。

青丘の塔。朝鮮人戦死者の碑。15:40

またきた! P-8対潜哨戒機。15:41

海軍機だ。展望台の上ならば、こうはならないが、樹影で塞がれた。15:41

普天間基地は海兵隊の航空基地だが、海軍・空軍機も使っている。

またきた。京都の塔を入れて。15:45

ここに慰霊されている人たちに、戦後はなかったかもしれない。監視カメラも付いており、どう思っているのだろうか?

15:48 彼らも沈黙だけでは、済まされないのじゃないか。

またきた!15:50

15:50 P-8は対潜哨戒機であり、ソナーを操ったり、電子戦、魚雷・爆雷などの操作など哨戒且つ対潜攻撃機だ。

北側に大きな客船が来ている。15:50

あいにく逆光でよくみえない。

P-8がタッチアンドゴー。15:54

近くの人家はうるさいぞ。日本は祝日だが、米国は平日。米国基準の日常が押しつけられている。

15:58 タッチ!

ゴー!15:59

急上昇!

彼らは何故タッチ・アンド・ゴーを日常的に繰り返すのか?

着陸時の失敗を回避するためか? それもあろうが、着陸時の攻撃を避けるためだ。軍用機の宿命だが、周辺住民にも遠慮なく押しつけられている。普天間基地周辺の危険性は、撤去させない限り、どこにいってもついてまわる。

16:04 C-12。これは小型機のプロペラ機だし、音源としては小。

P-8対潜哨戒機 16:07

飛び上がった。16:08

おわったみたいだ。タッチアンドゴー、7回36分間。16:22

ここでやっているのだ。

普天間基地撤去だ!それしかない!「辺野古が唯一」を認めるわけにいかない。

帰るとしよう。

ゲットウ。16:36

撮るのであれば、こっちだよ。

浦添の米国領事館。星条旗が垂れている。右奥(ぽっち)が前田高地。1945年の第2の激戦地となった。16:55

激烈な戦火を交わしたが、あれから、この二国は寵愛の仲。その狭間に置かれ続けている沖縄。

撮るということは、考えるということだ。



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