ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

青い名護湾に目を背けながら(20230606)

2023年06月06日 | 沖縄暮らし

 こんにちわ。先ほど買い物に行ってきた。予定していた物が買えず、代替品を買った。それを元に自分で作りゃいい。何かは秘密。ともかく、帰り際、名護湾沿いの道を歩いた。名護漁港奥にアジサシの仲間、20羽ほどが舞っていた。沖縄はもう夏だと言うことだ。しかし、私はアジサシの仲間にも、青い海にも一瞥だけ。見始めたら、撮りに行こうと思うだろうから。忍、忍。

 今やるべき事は6月11日のテキスト造りなのだ。取りかかっている。だけれど、完成するかは分からない。暫定完成でもよし。最後は東京に行ってから、詰める。素材だけ入力しておけば、可なのだ。

 そもそも全体構成が未定。作成中。草案はできたので、大丈夫。しかし『安保3文書』は相変わらずの悪文だし、何よりも新しい概念が多数で、わかりゃしない。米国と共に(下で)、インド太平洋を巡り自由主義陣営の覇を確立するのだという意気込みだ。「専守防衛」を堅持すると言いながら、「軍事・軍事・軍事」なのだ。武力で押さえ込むのだという強迫観念ばかりが露呈している。それを「日本国民は気概をもて」と煽る文書。

 こうした発想はどこからでてくるのだろうか? 昔の明治維新がそうだった。日本は植民地にはならないのだ、だから植民地をもって、飛躍するが、『文明開化』の根っこにあった。今度の絶対権力は米国様だ。沖縄を踏みつける本音も変っていない。

 確かに再び戦乱の時代だろう。絶望的な時代なのだ。しかしだ。その戦乱に乗せられたら、アウトだ。核戦争になるか否かはおいておくが、無茶苦茶になることは必至だろう。戦う心、制覇する心を捨てない限り、まともな人間はいなくなる。この文書の中にジェンダー差別はダメだとあるが、私は信じられない。軍隊が性差別を払拭できるわけがない。建前と本音の乖離は、どこまでもだ。武力とは支配の為のブツであって、仁愛のためには役に立たない。

 もうひとついえば、米軍との共同軍を組むと言うが、旧日本軍の違いを克服できるのだろうか。悪しき精神主義は血迷わないのか。日本の軍人の中の精神衛生は大丈夫なのだろうか。戦争状態になるということは、まともな価値判断を失うことになる。

 私はハッキリ言って、日本の軍人にも殺すな、欲されるな、と言いたい。もう戦争することはあったりまえの前提で書かれている「安保3文書」であり、戦争を辞さずの宣言文なのだ。

 しかし若者たちはこうした時代を容認しているらしい。想像力がないというか、戦争ゲームで現を抜かしてきたからだろう。人権感覚の鈍さは、如何ともしがたい気がするが、自分だったらどう考えるのかを想定したことがないから、そうなるのだ。外国人に人権なしの入管法(改悪案)は、戦前の頭を払拭できていないから出てきたのだ。そして人権感覚を一掃せよとばかりに。差別が戦争を扇動し、戦争が差別を強化していく。

 本日の「命題」に復帰しよう。テキストを仕上げたい。



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