ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

気づくということ(20230321)

2023年03月21日 | 沖縄暮らし

おはようございます。2023年3月21日(火)名護市西海岸は曇。

 昨日は、「目の前をミサイルが行く嘉手納基地」(3月17日)を多くの方にご覧いただきました。ありがとうございました。私の予想以上の展開に、そのときの私は緊張。視界が狭く断続的なので、集中力に限界を感じました。お陰で後半の飛行機の動きの撮影はズボラに。

 有事即応訓練の一端を見ることができましたが、見えたのはごくごく一部。これまでにも自衛隊の警備訓練などを私は覗いてきましたが、知らないことだらけです。いずれにしてもいざ(戦時)となったら、基地から離れるしかありません。何よりも自分の命をまもること。助けられる人の命を守ること。

 話を戻しますが、私たちが軍事の動きを見たときに何だろうと考えていないと何もわからない。通り過ぎていくだけ。私たちが身を守るために、知らないととんでもないことになりかねないのです。また軍事力で「安全保障」という嘘を見抜くために、普段から気づきの技を磨いていきたい。機関銃だ、空対空ミサイル(サイドワインダー)だと、瞬間でわからなければ、絶対に撮れません。絶対に。機関銃はどちらを向いているのか? 先日は基地内に潜入した敵に向いていたのでしょうが、2001年9月11日の米国でのテロ事件の後は、厚木基地(神奈川県)でも岩国基地(山口県)でも、銃口は外を向いていました。住民の動きも監視する、ターゲットにしかねないのが軍事基地。「彼らの安全」と、「私たちの安全」は決定的に違うのです。その区別が際立つのが戦時下です。政権が言う「シームレスな対応」とは、平時と有事の垣根を外すことです。

 普段から気づく練習をしていないと、気づく前に結果が来てしまいます。2004年の昨日はイラク戦争が始まったときでしたが、1995年の昨日は地下鉄サリン事件が起きた日でした。私は丁度新宿駅に居て、霞ヶ関に向かう途中でした。新宿駅構内で異変に気づいたのです。おかしいと。公安刑事がうようよいて、ざわついていました。私は彼らに聞いたら、無論答えは返ってきませんでしたが、彼らは慌てておりました。これはヤバい事件が起きたのだと、引き返したのです。そのまま行っていたら、私も後遺症に苦しんだり、お陀仏だったかもしれません。

 こうした不愉快な気づきはできれば、気にせずに生きれる社会にしたいものです。楽しい気づきがいい。何気に今朝の新聞の芸能欄を見たら、26日沖縄県民謡合同連合会の旗揚げ公演、26日沖縄と東京合唱団共演、25日不来方高音学部の公演とそれぞれ3本がでていました。それぞれおもしろそう。生きる力を育める文化の力を大切にしたいものです。

 



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