ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

「警官、接触時に警棒」だとさ(20220130)

2022年01月30日 | 沖縄島中南部

 昨日の続き。沖縄署の警官がバイクに乗っていた高校生を警棒で殴り、眼球破裂させた事件。私はこう書いた。

「警官がバイクの停車を求めたとき、すでに警棒を出していたのか、いなかったのか、いたとすれば、警棒をださなければ、止められない(逃走される)か、自身の身に危害を受ける相当な蓋然性を認識していたはずだ。だしていなかったとすれば、接触されて(バイクをぶつけられ)、警棒をだし、正面から顔面を叩けるのか、そして、警棒で叩く(突いたか)必要性があったのかが問われなければならない。

 どう考えてもストレートに警棒が相手高校生の顔面に当たらなければ、眼球破裂に至らないだろう。」

 本日2022年1月30日の沖縄タイムスはこう報じている。「警官、接触時に警棒」だと。この警官は付近で起きた暴走行為を警ら中にその高校生を発見し、停車を命じたのだろう。いわゆる職務質問だ。だがこの時、既に警棒を手にもっていたようだ。私の先の想定に言う「(警棒を)出していたとすれば、警棒をださなければ、止められない(逃走される)か、自身の身に危害を受ける相当な蓋然性を認識していたはずだ」と。しかし、蓋然性を認識する以前に、あらかじめ出していたようであり、叩いても逮捕する気満々だったのだろう。

 これを高校生から見たらどうだろうか。突然警棒をもった警官が現れ、「とまれ!」と叫ばれたら。凍り付くか、逃げる。それを想定していただろう警官は、ストレートに殴ったのではないか。その警官は、警察官職務執行法による原則を欠いていたといわざるをえまい。「バイクに乗っていた高校生=暴走行為」を連想しただけで、現認していないだろうからだ。「犯罪」が目の前で起きていたわけでも、起こる蓋然性を認めたわけでもない。ただ、「こいつだろう」との予断に満ちた「確信」をえたのだろう。逃げようとしたから、ぶちかました。その結果が高校生の右目失明にいたらしめた。過剰警備であり、警官の暴力だと断じざるをえない。

 なお「持ち手は調査中」だとある。そんなことは調査に値しない。警棒は利き手にもつものだ。その警官が右利きならば右手にもっていた。左利きならば左手にもってた。これだけのことだ。

 ここで思い出したことがある。私も深夜、自転車に乗っていて、警官から呼び止められたことが何度もある。約50年前の東京で。こちらは警職法を知っていたから、お手やらかに対応願ったが、しつこい警官がいた。深夜走っていることを「犯罪予備軍」だと考えているのだろう。人にはそれぞれの事情があり、余計な介入を無用だと跳ね返すのは、個人の当然の権利だ。

 いずれにしても、沖縄県警は、状況把握を厳正に行い、然るべき態度をあきらかにしなければなるまい。沖縄県議会でも調査を求めるべき事案だ。また国家賠償請求訴訟の道もあるから、高校生本人、ご家族も、当日のことを明確に思い出し、忘れぬうちに記録をつけておくことだ。混乱していて記憶が飛んでいる瞬間もあるだろう。不明の部分は無理に後付けせず、白紙でもいい。事実を記録しておくことだ。

 



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