ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

男女格差120位に校則による拘束が関連しているのではないか(20210411)

2021年04月11日 | 考え直すために

 私は気になる情報を度々目に留めるのだが、うっかりしていると、いつの記事だったか分からなくなってしまう。2021年4月2日の沖縄タイムスの記事にあった。社説「男女格差120位ー女性活躍はどうなった」がこう報告している。スイスのシンクタンク世界経済フォーラムが「男女格差報告」を明らかにしたが、日本は世界156カ国中120位だそうだ。所謂先進7か国中ダントツのビリ。政治・経済・教育・健康の4分野からの指数化であり、順位付けだ。そんなものだから、厳密に何位だからどうだとは言えないにしろ、120位はお粗末すぎる。

 同社説では「政治の世界が男性中心のままで変わらず、女性に活動を諦めさせるようなら社会にとってマイナスである。/性暴力や貧困、非正規雇用などに女性が直面する問題は深刻化している。政策を論じる場に女性がもっと増え、多様な意見が出れば解決への大きな力となりうるはずだ(後略)」としている。

 この日の記事で私があれっと思ったのは「理不尽校則批判の声」だ。連載記事のまとめのような記事だが、読むのも恥ずかしくなるような次元の低い校則に呆れかえる。肌着の色は白。ワンポイントもダメ。肌着検査もやっている。冬にタイツや膝掛けも禁止。眉毛の手入れも禁止、髪の毛に自毛証明を出せ、バリカンで刈られたなど。「髪の毛や肌の色はアイデンティティ。人権意識の低さに驚いた」と親から指摘されている。

 こうみてみると女性徒をターゲットにした校則が多いようだ。何事にも一律に当たる硬直した頭(「校則」を運用する教員のガリガリさ)。変わっていないね。教育労働者が自らの労働を問わねば、かわらない。

 こうした拘束は人間をダメにしていく。右へならえするしかなくなり、他人にも自己にも無関心にさせていく。人権と想像力の根が根絶やしにされる。こうした学校を是とする限り、男女格差120位の汚名の挽回は不可能だろう。この格差は制度の問題もあるが、人間の心が育まれなければ、如何ともしがたいからだ。

 また、同日の「論壇」欄にも関連した投稿が載っていた。沖縄子どもを守る会のAさん(女性)の投稿だ。「学校現場の息苦しさ 人権意識の向上 教育に求む」と。怒髪天をつく怒りが充満した文だ。「(前略)教育に求められているのは、人権意識の向上だ。イジメが社会問題になってから40年近く、抜本的な改革をなさなければ、子どもたちの命は守れない。学力推進室ではなく、人権向上推進の取り組みを求める」と言い切っている。

 私も小学生当時いじめられた体験をもつ。息子も同様だったが、断固たる対策をとった。母親の機転もあり、軟着陸した。前後して1980年代のイジメの告発に関心を抱きながら歩んできた。息子は中学高校と私立にしたこともあり、校則がどうのとか一切無くなり、まっすぐに育った。感謝している。

 問題は複雑に絡み合っている。校則の記事に「学校は社会の縮図。社会が求めている像が変わらないと、学校も変わらない」のは一理ある。だからこそ、女性が社会に政治に進出し、言うべきことを言う。男も「女・子どもの問題」だと捉えずに、この社会を変えていかねばなるまい。子どもを人質にする国家を許してはならないのだ。



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