「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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 「羅城門跡」(らじょうもんあと)

2009年04月04日 00時05分09秒 | 古都逍遥「京都篇」
 『今昔物語集』や、芥川龍之介の小説『羅生門』で知られている羅生門は、平安京の中央を南北に貫く朱雀(すざく)大路の南門(正門)として、延暦13年(794)の平安遷都の際に建造された丹塗りの楼門で、北端の朱雀門と相対していた。天元3年(980)の暴風雨で倒壊し、その後平安京の衰退とともに荒廃し、次第に盗賊のすみかとなった。暴風雨で倒壊したが都度再建されたが、三度目の倒壊以降は再建されずその姿を消した。現在は児童公園(唐橋花園公園)の中に石碑が立っている。

 「羅城」とは、都市を取り囲む城壁のことをいい、羅城門を境にして、洛中と洛外が区別されていた。
 構造は、正面約32m(十丈六尺)、奥行約8m(二丈六尺)、高さ約21m(七十尺)、二重閣九間五戸、入母屋造、瓦屋根造で、木部は朱塗り、壁は白土塗り、屋根の棟の両端には、金色の鴟尾(しび)が乗っていたという。
 2階部分には、都を外敵から守る神、兜跋昆沙門天像(とばつびしゃもんてんぞう=国宝)が安置され、侵入者に睨みをきかせていたといわれている。中国 唐の時代の作といわれ、高さ約190㎝(六尺四寸)、頭上には宝冠と輪宝をいただき、小鬼を踏みつけている羅城門が崩壊したときに、東寺によって保護され、以後、東寺の宝物館に安置されている。

 羅城門を守護する東西に「東寺」と「西寺」が置かれていた。唐橋西寺公園の中に西寺跡がある。こんもりと土を盛った丘の上に石碑と礎石が残っているだけで、他に往時を偲ばせるものはない。

 東寺といえば、世界遺産の一つだが、西寺については知っている人は少ない。西寺は創建当初は東寺と並び壮麗さを誇ったが、徐々に勢力が衰え、天福元年(1233)に五重の塔が焼失し、その後再建されることなく姿を消す。現在、草むらに大きな礎石がごろごろと転がって、哀れすら感じる。

 羅城門跡の横に、矢取地蔵という目立たない地蔵がある。
 何気なく手書きの説明文を見ると、1100年前の天長元年に空海が神泉苑で雨乞いの祈祷を行い、見事3日3晩雨が降ったのだがライバルの守敏に妬まれ、矢を射られたという。そのときに身代わりに矢を受けたのがこの地蔵だという。何でも背中に傷があり、これがそのときの矢傷だという。
 羅城門跡から東へ7~8分ほど歩くと、東寺がある。

 所在地:京都市南区唐橋羅城門町。
 交通:近鉄東寺駅下車、徒歩約10分。車では、 名神高速京都南ICから約15分 。
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