僕は、正しい-間違ってる。正義-悪という二元論的な考え方って嫌いです。
多くの場合、簡単だから二元論的に考えてしまうでしょうが、なぜか違うと思う。
きっと、こんな考え方になったのは、自分が間違ってるとか悪と否定されたくないからだと思う。だから他人に対しても「間違ってる」「悪」とは言いません。僕が嫌なものは他の人も嫌に決まってます。
聖徳太子の憲法の中に「和をもって尊しとなす」という言葉があります。ある人は日本という国の根底にずっとこの言葉があると言っていました。
「和をもって尊しとなす」。僕なりに意味を考えるならば、様々な個性が協調し、否定されること無く、力を出し合える環境・国。そんなことなんじゃないかなぁと思ってます。
自分が否定されることは誰でも嫌ですもんね。だから僕は、人を否定しません。自分やその人を活かすことを考えます・考えられたらいいなぁと思います。褒められたり、自分の力が役にたったりすると誰でも嬉しいものですもんね。
理想論かもしれませんが、こんな考え方が実現できたらきっとハッピーだと思います。
そしてこの理想を大きく妨げているもの、それが善悪/正邪といった二元論だと考えてます。
多くの場合、簡単だから二元論的に考えてしまうでしょうが、なぜか違うと思う。
きっと、こんな考え方になったのは、自分が間違ってるとか悪と否定されたくないからだと思う。だから他人に対しても「間違ってる」「悪」とは言いません。僕が嫌なものは他の人も嫌に決まってます。
聖徳太子の憲法の中に「和をもって尊しとなす」という言葉があります。ある人は日本という国の根底にずっとこの言葉があると言っていました。
「和をもって尊しとなす」。僕なりに意味を考えるならば、様々な個性が協調し、否定されること無く、力を出し合える環境・国。そんなことなんじゃないかなぁと思ってます。
自分が否定されることは誰でも嫌ですもんね。だから僕は、人を否定しません。自分やその人を活かすことを考えます・考えられたらいいなぁと思います。褒められたり、自分の力が役にたったりすると誰でも嬉しいものですもんね。
理想論かもしれませんが、こんな考え方が実現できたらきっとハッピーだと思います。
そしてこの理想を大きく妨げているもの、それが善悪/正邪といった二元論だと考えてます。
矛盾という言葉も時と場合で、バランスという言葉に置き換わるのではないかと考えてます。つまり時と場合で、二元論にしたり和をもって尊しとなしたり。
きっと無意識でみんなそうしてると思います。僕もだし。
なんでこんなこと考えてるのかなぁとふと思ってみました。前の僕は、全てYes or Noで考えていたなぁと思います。そういう自分に対する戒めでしょう。
すべてYes or Noだけで考えてると相手を知らず知らずのうちに傷つけることがありますもんね。。。
「和を以って~」になろうとする自分
どっちもおいらのすごい根源なんです…
両方あるというのは矛盾なんでしょうけど。
突然ですが、全く記事に関係ないことをトラックバックさせていただきます。
この間は、応援のコメントをいただきありがとうございました。あれから辛い日々は続いているのですが、私も少しずつ前向きに考えるよう、努力しています。今日は、それをPRさせてもらうために、掟破りのトラックバックをします。
私のブログの友人として、許していただけると信じています。
これからも、よろしくお願いします。
TORIAEZ tatsuyaさんの考えに反論しようとしたら、僕のブログに書いている内容と矛盾してしまう!!
現実ってこんなものですね!!
俺もそう思う時…あります…
が俺自身は「イエス&ノー」の考えです…
また今後もいろいろ教えて下さい…