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はーぴー日記

イラストレーター&デザイナーはらだゆきこの日記です。

YAMAGATA, YAMAGATA

2013-01-13 04:55:20 | Weblog


Yamagata Tweaksterの日本編集盤『山形童子』収録曲の歌詞対訳より

『Pureless Politics 純粋無垢王貞治』

私は今までとても純真なふりをして来まして
私は今までとても純粋なふりをしました
私は今までとても純真なふりをして来まして
私は今までとても純粋なふりをしました
戦争を好みました
暴力をかばいまして

私は今までとても純真なふりをして来まして
私は今までとても純粋なふりをしました
私は今までとても純真なふりをして来まして
私は今までとても純粋なふりをしました
戦争をかばいまして
暴力を愛好しました

私は今までとても純真なふりをして来まして
私は今までとても純粋なふりをしました
私は今までとても純真なふりをして来まして
私は今までとても純粋なふりをしました
戦争を愛しまして
暴力に憧れました

私はこうやって生きていいのでしょうか?いけないのでしょうか?
(いけないのでしょうか?)
いいのでしょうか?いけないのでしょうか?
(いけないのでしょうか?)
みなさんー、私はこうやって生きてもいいのでしょうか?
いけないのでしょうか?

(現在の政治勢力と暴力と戦争が結託していることを批判する歌。
ハングルでは「政治」と王「貞治」は同じく「ジョンチ」と発音される。)

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『僕の崇高な自慰行為』
My Sublime Onanie

家に引きこもり
部屋に引きこもり
僕は胸が苦しい
息ができず息苦しい
いつも引きこもり
空腹にお酒を飲み
お餅がむせて
ウルウルした目の涙を拭いて
僕の崇高な 自慰行為 自慰行為
僕の崇高な 自慰行為 自慰行為

抑圧されてる僕達の力をあわせて、あわせて
懲らしめて、懲らしめて、懲らしめてやろう

(障害者差別撲滅闘争に連帯するライブをしたことに触発されて書いた曲。
障害者が崇高な自慰行為で性欲を解消することについての歌)

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『Chapssal Song もち米ソング』

『Chapssal Song もち米ソング』を路上で大合唱するひとたち


* 白ご飯 米のご飯 チャーハン
白ご飯 米のご飯 チャーハン
白ご飯 米のご飯 チャーハン
白ご飯 米のご飯 チャーハン
玄米 有機農 玄米
黒米 有機農 黒米
黒豆 枝豆
美味しくできたもち米ソング

もち米 もち米 もち米ソング
もち米 もち米 もち米ソング

* Repeat

もち米 もち米 もち米ソング
もち米 もち米 もち米ソング
もち米 もち米 もち米ソング
もち米 もち米 もち米ソング
I wanna more,
I wanna more,
I wanna more
sticky rice

みなさんは今お家で
どんな米を食べていますか?
みなさんは今お家で
どんな話をしていますか?

(『私の家族は生協で食材を買っています。
ある日、生協からパンフレットが届き、
パンフレットに記載されている黒米、玄米、黒豆、オーガニックなものが
突然パッと目に飛び込んできました。
米をテーマに歌ってみたかったので、もち米の歌が誕生しました。
もち米のようにお互いにもちもちとした(仲の良い)暮らしを
したいと願っています。』)

できない

2013-01-13 04:01:55 | Weblog
わたしはかっこよすぎることはできない。
頭がよさそうに見えるようなこともできない。
あんなことは自分にはできないな、と思われるようなこともできない。
そういうことは、美大とかで勉強して訓練した、
研ぎすまされた感性の持ち主の人たちがやってくれる。

あのくらいなら自分にもできそうだな、という
素人っぽいことしかできない。

できないっていうか、かっこよすぎて賢そうなものが
どうも恥ずかしいの。

美しさ

2013-01-11 06:46:03 | Weblog
山崎ナオコーラが以前、東京新聞のコラムで、
「私にはいろんな批判がくる。一番多いのは“ブスなのに、なぜ小説を書くのか”だ」
と書いていた。

新聞一面でこれを書いてしまうところが、ナオコーラらしいけれど、
「外見での差別」というのは、死ぬまで女が受けつづける受難かもしれない。
(それは男子とは比べ物にならない)

よりよい人生を目指して、ちょっとした美人はもっと上をめざし、
人並の人はちょっとした美人をめざし、
リカバリーできないと判断した人は諦めて、ますます上との差がつく
(もしくは「個性派」を目指す)。
外見に自信がある人ほど、他人を“美人の○○さん”と外見で紹介する。

とはいえ、どのレベルにいようが、女はその事実を受け入れて
どうありたいか自分で答えを出すしかない。

ナオコーラは、自分が美人ではないと判断したからこそ
モデルやアイドルを目指さず、作家になったのだろうが、
それでも外見のことを言われてしまうとは、一体どうしたらいいのだ。
(もちろん、この罵倒にはナオコーラの才能に対するやっかみが含まれているのだけど)

わたしは母親に
「あなたは器量がよくないのだから、もっと女らしい服を着るとか
化粧するとかしないと、男の人に選んでもらえないわよ」
と言われてきたが、好みの問題か、ぜんぜんそのようにできなかった。

むかし、一緒に住んでいた男の子に
「君は美人じゃないけど、とても優しい心を持ってるよね。」
と言われたこともあったが、前半が余計だった。

わたしは好きになったら、どんな人でもとびきりかっこよく見えるのだけど、
男子は違うみたい。

光のない世界なら、外見ではなく、
美しい行いこそが最上という世の中になるのだろうか? 
「街の灯」のように。

もし「街の灯」の立場が逆で、貧しくて冴えないが心優しい少女と、
盲目の花売りがチャップリン、というお話だったら、
どんなラストになるのだろう?とも、思う。




SAME LOVE

2013-01-05 05:52:56 | Weblog
MACKLEMORE & RYAN LEWIS - SAME LOVE feat. MARY LAMBERT (OFFICIAL VIDEO)




小学3年の頃、僕は

自分はゲイなんだと思った

絵が得意だったし、叔父さんもゲイだったし

いつも部屋を綺麗に片付けていたから

そのことをママに言った 頬を涙が流れた

でも、ママはこう言った

「ベン、あなた、幼稚園に入る前から女の子が好きだったじゃないの」

まいった。たしかにそうだ。ママは鋭いと思ったね

(学校では)ゲイのステレオタイプが山ほど頭に詰め込まれたから

計算して男らしく振る舞った

「ああ、リトル・リーグではなかなかだったぜ」って言ったり

同性を愛する人たちには特徴がある

という先入観

保守的な人々は、同性愛は個人の選択だという

そして治療や信仰によって同性愛は治るという

体質を人為的に組み換えようとする人もいるけど

それは神を演じることだ

冗談じゃないよ

勇気あるはずのアメリカはいまだに

自分の知らないことを恐れている

僕らは誰でも神の子で、神に愛されているのに

それが忘れられている

3500年前に書かれた旧約聖書の言葉を

勝手に解釈して

どうかしてるよ

私は変われない

変わろうとしたけど

変わりたかったけど

私の愛する人 愛する人

彼女は私のぬくもり

もしも自分がゲイだと

ヒップホップに憎まれる気がした

最近、YouTubeのコメント見たかい?

「これってゲイだよな」

なんてコメントが毎日書き込まれている

僕らは自分の言葉に麻痺してきているけど

ヒップホップという文化は黒人差別から生まれた

それなのにヒップホップは同性愛を受け入れない

掲示板で人を罵倒する時は

Faggot( カマ野郎)という言葉を使う

その言葉は憎しみに根ざしているのに

ヒップホップはそれを気にしない

人々は「ゲイ」を「障害」と同義として使う

それも宗教が戦争をしかけるのと同じ程度の憎しみだ

ジェンダーから肌の色へ

色素の違いによる差別のために

ストライキや座り込みで戦ったのと同じだ

人権をすべての人に

人に違いはない

生きるんだ!

自分自身として!

教会では

違うことを教えられた

礼拝で憎しみを説くなんて

そんな祈りが聖なるものであるはずない

憎しみを教える教会では

聖水だって汚れてしまうよ

同性愛を嫌う人々を不快にさせないように

人権のために戦わずに

沈黙を守り続けていたら

その権利は奪われてしまう

僕は彼らとは違うかもしれない

でもそれがどうしたっていうんだ

「すべての人が平等になるまで

誰も本当に自由ではない」

まったくその通りだ。同意するよ

PLAYボタンを押すんだ

Pauseじゃなくて

前進するんだ 進め!

目をベールで隠したままじゃ

僕らは大義に背くことになる

僕の叔父さんと愛する人との絆が

法によって守られる日がくるまで

子どもたちは心傷つくことなく

学校の廊下は歩けない

世界は憎しみに満ちている

ありのままの自分でいるよりは

死んだ方がましだと思う人もいる

同性婚が合法化されたところで

すべてを解決できるわけじゃない

でも、ここから出発すればいい

どんな法律も人を変えられない

人は自分自身で変わらなきゃ

それぞれが信じる善いものへと

僕らはみんな同じ

恐れを脱ぎ棄てれば

その下には同じ愛がある

立ち上がる時はきた

愛とは忍耐

愛とは優しさ

日曜の教会の涙じゃない

ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

新しい日

2013-01-03 02:52:52 | Weblog


あけましておめでとうございます。

今年はきれいな初日の出だった!

今年も国立の某ビルの屋上に忍び込んで、初日の出を眺めた。
去年より暖かい。人数は同じくらいいたかな。
物好きな、子供みたいな大人たちがどこからともなく集まって。

そのあとは近所の谷保天満宮でおまいりして、
見晴しのよいところで富士山など眺めていたらもう陽がのぼってあたたかく
なってきたのでそのへんをぶらぶらと散歩して、またかけこみ亭に
戻って残った年越し蕎麦をたべて家に帰ってきた。

実家は辞書で調べると「自分が生まれた家」らしいが、
それならば6才でその家とは離れたし、
親がいるところが実家というならそれもない。
ふるさとは自分の中にあるが、実体はない。
自分のような人は、案外たくさんいるのではないかな。

今日、ネットのプロバイダからの指示で、
メールの設定をいろいろいじっていたら、
3-4年分の送信メールと書きかけメールがすべて消えた。
ボーゼンとしたけど、受信メールが消えるよりは悲しくない。
(これってリカバリーできるのかな。知ってる方、個人メールで教えてください。)

消えたり、失ったり、増えたり、突然変異したりして、
ものごとも人生もすすんでゆくだろう。

去年は、素晴らしいことも、そうじゃないこともずいぶんつまった一年でした。
一番しんどいときに、釜山に行くことができて本当によかった。
あれがなかったら、まだ暗闇を探してはじっと見つめて
自分や他人を呪っていたかもしれない。
後半の旅にずいぶん救われた。

幸不幸はたんに「ものの見方」であると、誰かが言ってたけど、
旅は、ものの見方をがらりと変えてくれる。
いままで引きこもりの出無精だったけど、今年はもっと旅に出たいと思う。

アイスランドに行きたいなぁ。