はーぴー日記

イラストレーター&デザイナーはらだゆきこの日記です。

棄民の島の棄民の村

2012-09-13 22:29:43 | Weblog
「高江にも飛ばさせない!」9・9沖縄県民大会


9/9の沖縄県民大会。
10万人が集まった、成功した、という報道しかされていないけれど、
こういう映像もある。

「ANPO」という映画を見て、初めて「棄民」という言葉を知った。
捨てられて、自由に生きられるならよい。
捨てられても、捨てた親によって縛られ続ける子供は
どう生きて行ったらよいのだろうか。
捨てられた子供たちが繋がってゆくしかないと思う。

高江が沖縄の他の地域と繋がるためにはどうしたらよいのだろう。
「地元民」と「よそ者」たちが手を取り合わないかぎり、
基地問題の運動は広がらない。

「内地の人間に何がわかる」と言うウチナンチューと、
「もっと勉強して沖縄の問題が分かるようになってから…」
と理由をつけていつまでも動かないナイチャーが、
お互いを理解しあうのは、そんなに難しいことだろうか。
分断は自らの中にあるような気がする。

ーーーーーーーーーーーーー


写真:森住卓さんのfacebookより拝借

フィリアの日記より抜粋)

仲井真県知事不在の中、大会は始まりました。
誰でも言えそうな挨拶が続きました。
あたかも、「反対」と叫ぶだけでオスプレイが来ないかのような挨拶が続きました。
 驚いたのは、知事のメッセージが朗読され始めた時です。
会場全体から大きなブーイング、「そんなもの読むな」という怒号が響き続けたことです。
自らカチャーシーを踊って、「メッセージなんか聞くな!こっちを見ろ」と
全身で抗議したオジーもいました。
先頭に立つべき知事の不参加にこれだけの人が怒りを感じていたのだと驚きました。

 私は、高江の住民の会の人々と共に居ました。
時々、遠慮がちに「高江を助けて」と叫ぶ声。
すべてを無視して、高江に一言も触れずに進むプログラム。
高江住民の中に焦燥感・悲壮感が漂い始めました。
ついに最後から二番目のプログラムで住民たちは立ち上がり、
壇上の近くによって叫び始めました。
高江のヘリパッド建設を止めさせろ!というごくごく当たり前の叫びを!

プログラムは最後の一人。閉会の挨拶になりました。
国が高江の住民を訴えたスラップ訴訟の住民側の弁護士の、
加藤 裕弁護士です。

加藤弁護士は挨拶の最後に叫びました。
「宜野湾市の空にオスプレイはいらない。
 嘉手納の空にもオスプレイはいらない。
 そして、
 高江の空にもオスプレイはいらない!」

歓声が上がりました。涙を流して抱き合う人までいました。
たった一言。この言葉がなければ、
高江の住民は全く救われないまま帰ることになったでしょう。

さすがの加藤弁護士も、「高江のヘリパッド建設反対」とまでは叫んでくれなかった。
恐らく大会準備の中で、議論の末に高江には触れない等の決定がなされていたのでしょう。
しかしその中で、高江の住民と共に闘い続けた加藤弁護士は、
ギリギリの言葉で高江住民に応えてくれたのだと思います。
この不完全なたった一言にすら、歓喜の叫びをあげ涙する高江住民。
 
琉球朝日放送のヘリからの空撮によって判明した事実によると、
ヘリパッド建設資材はすでに1000トン弱も搬入されてしまっています。
大会後の強行は明らかです。
明日から、また高江の厳しい闘いが始まります。
皆さん、どうか繋がっていて下さい。
どうか、お願いします。

ーーーーーーーーーーーーー

デザインができること

2012-09-13 03:27:08 | Weblog
誰かが撮影した、自分が作ったプラカード写真や、
映像をこういう自分のサイトに載せるのは抵抗がある。
他人の評価の為にやってるわけではない、という気持ちが強いからだけど、
合意してないプロジェクトの阿部さんが、とても心のこもった言葉とともに、
写真のリンクを送ってくださった。

琉球新報
目取真さんのブログより
高江ヘリパッド控訴審の裁判所前で


森住卓さんの写真
※これは自分で発見した。

これらの写真を見て、高江に一度も行ったことのない私でもできることがあるのだ、と
気持ちを強くした。

赤で染まった、9/9の沖縄のオスプレイ反対県民大会の会場に、
緑や黄色の高江プラカードがあった。
(私は高江のプラカードをあえて、今回の大会テーマカラーの赤以外の色でつくった。
高江に触れられていない県民大会の抗議決議案への異議を込めたかった。)

デザインが連れて行けるのは、入口までであって、
本当に一歩前に踏み出す力は、その本人にしかない。
沖縄で、東京の国会包囲で、新聞で、映像で、もしひとりでも、
高江のプラカードを見つけて「なんだろう」と気になってくれたら、と思う。

先日、youtubeで、高江での集会や、東京の基地反対集会で、
オスプレイの実物大の布を広げている映像を見せてもらった。
これは「第五回ゆんたく高江」ではじめて行ったのだけど、
それが評判になって、そのとき使った布が高江に運ばれたり、
東京の集会で使っわれたり、
沖縄の人達が自分たちで同じものを作ったりもされているらしい。

広げるとわかる。
オスプレイがいかに巨大であるか。
もし事故が起これば、どれだけの人や土地が傷つくかを。

いま、基地と自分は無縁だと考えている人々が、
オスプレイをどうしたらリアルに感じられるか。
どんなことが人の心を動かすのか。

自分がこういう社会運動に関わるきっかけはデザインであったし、
社会運動というのは、デザインが機能する余地がたっぷりと残された分野
であると思っている。

デザインというか、問題の見せ方や表現方法というか。

まだオスプレイの実物大の布しか実現できてないけど、
アイデアは、まだたくさんある。
これからも、ゆんたくのみんなと、すこしずつやってみたい。