誰かが撮影した、自分が作ったプラカード写真や、
映像をこういう自分のサイトに載せるのは抵抗がある。
他人の評価の為にやってるわけではない、という気持ちが強いからだけど、
合意してないプロジェクトの阿部さんが、とても心のこもった言葉とともに、
写真のリンクを送ってくださった。
琉球新報
目取真さんのブログより
高江ヘリパッド控訴審の裁判所前で
森住卓さんの写真
※これは自分で発見した。
これらの写真を見て、高江に一度も行ったことのない私でもできることがあるのだ、と
気持ちを強くした。
赤で染まった、9/9の沖縄のオスプレイ反対県民大会の会場に、
緑や黄色の高江プラカードがあった。
(私は高江のプラカードをあえて、今回の大会テーマカラーの赤以外の色でつくった。
高江に触れられていない県民大会の抗議決議案への異議を込めたかった。)
デザインが連れて行けるのは、入口までであって、
本当に一歩前に踏み出す力は、その本人にしかない。
沖縄で、東京の国会包囲で、新聞で、映像で、もしひとりでも、
高江のプラカードを見つけて「なんだろう」と気になってくれたら、と思う。
先日、youtubeで、高江での集会や、東京の基地反対集会で、
オスプレイの実物大の布を広げている映像を見せてもらった。
これは「第五回ゆんたく高江」ではじめて行ったのだけど、
それが評判になって、そのとき使った布が高江に運ばれたり、
東京の集会で使っわれたり、
沖縄の人達が自分たちで同じものを作ったりもされているらしい。
広げるとわかる。
オスプレイがいかに巨大であるか。
もし事故が起これば、どれだけの人や土地が傷つくかを。
いま、基地と自分は無縁だと考えている人々が、
オスプレイをどうしたらリアルに感じられるか。
どんなことが人の心を動かすのか。
自分がこういう社会運動に関わるきっかけはデザインであったし、
社会運動というのは、デザインが機能する余地がたっぷりと残された分野
であると思っている。
デザインというか、問題の見せ方や表現方法というか。
まだオスプレイの実物大の布しか実現できてないけど、
アイデアは、まだたくさんある。
これからも、ゆんたくのみんなと、すこしずつやってみたい。
映像をこういう自分のサイトに載せるのは抵抗がある。
他人の評価の為にやってるわけではない、という気持ちが強いからだけど、
合意してないプロジェクトの阿部さんが、とても心のこもった言葉とともに、
写真のリンクを送ってくださった。
琉球新報
目取真さんのブログより
高江ヘリパッド控訴審の裁判所前で
森住卓さんの写真
※これは自分で発見した。
これらの写真を見て、高江に一度も行ったことのない私でもできることがあるのだ、と
気持ちを強くした。
赤で染まった、9/9の沖縄のオスプレイ反対県民大会の会場に、
緑や黄色の高江プラカードがあった。
(私は高江のプラカードをあえて、今回の大会テーマカラーの赤以外の色でつくった。
高江に触れられていない県民大会の抗議決議案への異議を込めたかった。)
デザインが連れて行けるのは、入口までであって、
本当に一歩前に踏み出す力は、その本人にしかない。
沖縄で、東京の国会包囲で、新聞で、映像で、もしひとりでも、
高江のプラカードを見つけて「なんだろう」と気になってくれたら、と思う。
先日、youtubeで、高江での集会や、東京の基地反対集会で、
オスプレイの実物大の布を広げている映像を見せてもらった。
これは「第五回ゆんたく高江」ではじめて行ったのだけど、
それが評判になって、そのとき使った布が高江に運ばれたり、
東京の集会で使っわれたり、
沖縄の人達が自分たちで同じものを作ったりもされているらしい。
広げるとわかる。
オスプレイがいかに巨大であるか。
もし事故が起これば、どれだけの人や土地が傷つくかを。
いま、基地と自分は無縁だと考えている人々が、
オスプレイをどうしたらリアルに感じられるか。
どんなことが人の心を動かすのか。
自分がこういう社会運動に関わるきっかけはデザインであったし、
社会運動というのは、デザインが機能する余地がたっぷりと残された分野
であると思っている。
デザインというか、問題の見せ方や表現方法というか。
まだオスプレイの実物大の布しか実現できてないけど、
アイデアは、まだたくさんある。
これからも、ゆんたくのみんなと、すこしずつやってみたい。