それから・・・。
この話の続きを書くのは、俺にとって、惨めなことでしかない。
だけど、
俺の心の底に、倖という女性は、今も住み続けている。
だから、
表面上の結びつきなど、どうでもいい事で、
それは、くしくも、
また、
倖の生き様そのまま。
それをなぞらえることで、
俺の倖への証にしたいと決めている。
あの日の朝。
俺は倖を手に入れた安心感と
倖との交渉に、満足しきって、
快い眠りに落ちていた。
俺の携帯に病院からの連絡が入った事も、
倖がそれを受けて
病院に行った事も気が付かず
俺は眠りをむさぼり続けていた。
やがて、
目覚めた俺はまず、倖の存在を確かめた。
隣に眠っているはずの倖がいなくて、
俺は狭いワンルームの部屋の中を見渡した。
トイレ?
それとも、シャワー?
倖の気配をさぐりながら、俺は携帯に手を伸ばした。
時間を確かめるためと
病院からの連絡がはいっていないかどうか?
時間は9時を過ぎていた。
連絡・・があった。
着信履歴の中?
つまり・・・。
倖が先に連絡を受けて?
部屋の中に居ない倖はつまり・・・・。
病院に行った?
そういう事になる。
悠貴がどういう結果になったのか?
倖が俺を起さずに一人で出向いたという事は、
思わしくないという事か?
それとも、
逆に後遺症もなく回復して?
俺・・・が必要でなくなった?
不安に結びつく想像だけが、
俺を捕らえ、
暗鬼を振り払うためにも、
悠貴の容態を確かめるためにも、
そして、
最悪のことがあったら・・・。
倖が1人で・・居る。
俺は慌てて、病院にかけつけた。
ささえてやるはずの俺を残して
病院に行った倖の心の底に
俺は気が付くべきだったかもしれない。
病院の廊下。
悠貴の個室は滅菌室。
面会を断られた倖が悠貴の両親を待っていた。
「倖?」
俺を見つけた倖は小さく頭を下げた。
「洋人・・・ありがとう・・」
「悠貴・・・回復したって?」
「うん。・・・今、サッキ、10分だけ、って、ご両親が
滅菌処理して、面会してる。
あたしは、肉親じゃないから、
もっと、回復してから・・・」
「悠貴・・は?」
倖の顔が少しこわばった。
「下半身不随・・・でも、意識もちゃんと、ハッキリしてるし
手も自由に使えるし・・・」
「う・・ん」
悠貴の仕事は回路図設計と、回路プラグラミング。
上半身が健康なら、キャドをつかうこともできる。
悠貴の生活は成り立つ。
個人経営の設計事務所でもつくれば、
悠貴の腕なら、くっていくことはできる。
「あたしと、結婚したら、設計事務所つくって、
独立するって、いってたから・・
夢は実現できる」
「え・・・・?」
それは?
倖の言う実現できるというのは?
悠貴の後遺症が設計に支障がなかったから?
と、いう意味?
だけ?
倖と結婚するという夢も実現できるという事?
それは?
倖が・・・悠貴を選ぶという事なのか?
俺の戸惑いを見透かして
倖はゆっくりと頷いた。
「あたし・・・よく分かった。
悠貴じゃなきゃ・・・ダメだって事」
俺はまさかの倖の宣言に
なにもかもが、徒労に終った事を知った。
そこに、ちょうど、悠貴の両親が部屋から出てきた。
倖は俺に
「後で・・・ゆっくり・・はなしたいわ」
それだけ、耳打ちすると
悠貴の両親の傍らに歩んでいった。
倖を車に乗せて病院から戻ると
倖はもう、自分のアパートに俺を招かなかった。
駐車場に車を止めると
倖は
「ちょっと、歩こう」
と、俺の車を先にでた。
しかたがなく、倖の言うとおり俺も車を降り
倖の足の向くままに従った。
小さな公園に差し掛かると隅にいくつかベンチが置いてあった。
「そこ・・にすわろう」
倖がベンチを指差した。
倖が喋り出すより先に俺が口火を切った。
「悠貴と一緒になるつもりなのか?」
倖はしばらく俺を見つめていたが、
その首が深く頷かれた。
「な・・?なんで?
俺・・のことは?」
昨日・・・正確には、ほんの3,4時間前までの倖は俺の物に喘ぐ女でしかなかった。
あのセックスはいったい、なんだったんだ?
なじりたくなる言葉があまりにも、男らしくなくて、
俺は口をつぐむしかなかった。
「ん・・・
洋人との事・・・
感謝してる・・・」
感謝?
「それ、どういう意味?
俺・・悠貴のかわりでしかなかったってこと?
俺じゃ物足りない?」
俺のセックスじゃ、満足できない?
俺・・・。
それなりにセックスには自信があったし、
事実、倖を何度も到達させた。
俺のセックスへの自信とプライドが粉々にくだけていきそうな惨めさを
ぬりかえたのは、
倖だった。
「ううん。洋人は最高に素敵だったよ。
それは、洋人が、一番判ってることじゃない・・」
「じゃ・・なんで・・俺を・・」
選ばない?
なんで、悠貴を捨てない?
事実を言い換えれば
俺を捨てる。
悠貴を選ぶ。
捨てられるだけの男でしかない自分がいっそう
みっともなく、俺は言葉を継ぎ足すことが出来なかった。
セックスひとつさえできなくなるうえ、介護をしながら生活しなきゃならない
一種やっかいものでしかない悠貴と
一晩に何度も倖をとろけさせた俺とが、
天秤にのせられて、
まさかの敗退?
考えられる原因は悠貴のほうが、巧みだった?
だけど、その悠貴の巧みさは倖に2度と降りてこない。
「洋人・・言ってたじゃない。心だけじゃ生きていけないだろう・・って」
「ああ・・確かに言った」
「でもね・・・裏返して言えば・・セックスだけで生きていけるわけじゃないってことでもあるのよね」
「・・・」
そのセックスは倖と悠貴の間にはもう成り立たず
心だけで生きていくしかない。
一方の俺とは、
「セックスだけ?」
俺に求めたのはそれだけ?
俺は初めから当て馬?
代理?
「洋人・・のことは好きよ。
じゃ、なけりゃ、あんなことできない・・・」
倖の言葉が真実なら
「じゃあ、なんで・・俺を選ばない?」
倖は恥ずかしそうに声を潜めた。
「あたし・・セックス・・好きよ。
洋人もあんなあたしを見てよく判ったと思うけど
それでも、
あたし・・・。
悠貴が手術室に入ったときから、
覚悟はきめていたの」
「覚悟?」
何の覚悟?
「たとえ悠貴が植物人間になったとしても、
一緒になろうって。
子供は体外受精でも、なんでも、つくることができるだろうし、
悠貴の子供をこの世に生み出すことができるのは私しかいないし・・」
「じゃあ・・」
なんで?
なんで・・・
俺に抱かれた?
なんで、俺を受け入れた?
「最初から・・・・
もう、2度とセックスはないって思ってた。
あんな深い快感をもうあたしはあたしの人生で2度と味わうことが出来ないって
そう思ってた」
「・・・・・」
「だけど・・・洋人があたしを求めてくれた・・・。
あたしの中で悠貴への裏切りと
自分の女が
変わりばんこに顔を出して
あたしは・・・「女」の自分をえらんだ」
それはつまり、俺を選んだという事でなく
倖の欲情に引きずられただけ?
その欲情をあおったのは俺で
2人の結びつきは間違いで
間違いを引きずり出したのは俺のせいでしかない?
「あたし・・ね。
悠貴との間にもうセックスがないと思ったとき
それでいいと思った。
だから、洋人のこと、嬉しかった。
あたし・・・・。
あれが、最後のセックス・・・
もう、2度と誰の手に抱かれることもない」
「あ・・・」
「だから・・・洋人・・ごめん。
そして・・・ありがとう」
あれは、倖にとって俺とのラグタイムでなく、
倖にはあの時こそが、自分の最後の「女」を吹っ切る作業だったんだ。
俺は倖の凄絶な覚悟も知らず
ただ、倖を手に入れたいとそれだけしかなかった。
倖の思いを知らされた今、倖の生き様と覚悟と自分の敗退を素直に認めるしかなかった。
「じゃあ・・もう・・」
誰にも抱かれることのない倖。
せめても、最後の伽の相手に俺をえらんだのは、
倖のいう通り
倖も俺のことは好きだという証明かもしれない。
「もう・・2度と・・あの可愛い倖を・・みることはない?」
「洋人・・残酷なこと、平気で聞くんだね
洋人とも、無論、悠貴との間にも「可愛い倖」は二度と現れない。
あたしの底に・・「可愛い倖」を埋めて、
一生・・・灰になるまで、封印していく・・のよ」
俺は・・・倖を諦めた。
いくら、身体を結んでみても、
倖と俺の立つ場所が違いすぎていた。
半身不随になってしまう悠貴との生活を選んだ倖。
この先の苦労を考えても
どんなにか、辛いだろう。
俺に見せた「可愛い倖」を、封印してまでも、
悠貴を選ぶという倖を
振り向かせることは不可能だとも悟っていた。
悠貴の性分だから、
倖の覚悟をうけいれるまで、
説得の時間も要するだろう。
男なら・・・。
悠貴なら・・・。
倖を不幸にしたくはない。
と、思うだろう。
きっと、悠貴は俺を呼びつける。
「倖を・・」
どうにか、諦めさせてくれないかと・・・。
俺は倖のなにもかもを知らない顔をして、
倖の幸せは人の傍らに居ることだと、告げるだろう。
そして、
その人は他でもない・・・
悠貴以外に居ない。
俺は悲しくも断言できる自分をあざ笑う。
倖にとって
俺は人にもなれない・・
男にもなれない自分でしかなかったから。
悠貴は倖の覚悟にほだされ、
いつか・・・・。
人工授精だろうが
なんだろうが、
かけがえのない命を育む。
男ひとりを、
かけがえのない存在にかえてしまうのが、倖という女性。
性なんて、ちょろい結びつきよりも、深い
自然の摂理は
お互いの因子をこの世に生み出すことでしかなく、
性の本来のめどうは此処にある。
欲望という心をすてきって、
倖は究極の存在価値になる。
俺はせめても、
倖への思いを通すためにも、
安易な交際をたちきった。
倖を払拭させることの出来る
素晴らしい女性にであえるその日まで・・・・。
倖への思いを心の底に埋めたまま・・・・・。
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