三日の開けるのを待つ間
白峰のため息が何度つかれたか、八代神は
『また、いうておる』
そのため息に飽きれている。
ため息を傍で聞かされるのでは八代神も敵わぬが、
かといってひのえが傍にて護りおれば、
いやでもそのため息の数も増えようというものである。
『はあーま、それを見ているわしもため息をついておるのも、どうだかのう』
ひのえ達への心配ばかりでなく
八代神にため息までうつしてくれた白峰が
家を並びて出てくるひのえと白銅に気がつくと知らぬ気を装おう為と、
ひのえの護りに入っているのを隠したくあったのか、
慌てて、社に戻っていったのを八代神はくすくすと笑っておったが、
その顔が真顔になった。
八代神の傍らにいた黒龍は
この前から思念で政勝とかのとを追いながら護りに入っていたのである。
が、その黒龍もうとうとと微かにまどろんでいたのである。
と、言っても黒龍の全神経が二人の事に集中していたのであるから、
眠っているのは身体だけである。
その黒龍ががばりと起き上がりだしたのである。
が、黒龍は如何したと尋ねる八代神に構う所ではないらしく
地上を覗き込み
「政勝!ならぬ!!!」
大きな声で叫んだのである。
八代神が不審に思って地上を覗きこめば
政勝と一穂があろう事か森羅山に入り込んでいたのである。
政勝を見てみればこれといった妙な様子にも見えないのであるが、
黒龍が何を咎めたのかを八代神は聞いてみる事にして、
黒龍の傍ににじり寄って行った。
黒龍も今の罵声で何らか解決がついたのか、
どっかりと腰を落としこんで軽く目を瞑り
政勝の思念をまたも追い始めていた。
松の内というても、正月の三が日を明けの日として
四日の朝から政勝は登城し始めたのであるが
この寒さの中でも、子どもは風の子というぐらいであるから
一穂は政勝をみるとやれ馬にのろう、弓の稽古にいこう
雉が駄目なら兎を射ちに行こうと矢のような催促で外へ行こうというのである。
それを何とかこうとか宥めていたのであるが
これといった用事もすぐに無くなってしまい、
政勝もよい言い分けも思い付かなかったのである。
長浜という所は不破の関や伊吹山の麓あたりのことを考えてみても
本来は大雪が積もってもおかしくない所なのであるが、
琵琶湖の近さが地の利になるのか、
雪が積もってもすぐに溶け出してしまうのである。
それをよい事に一穂は外歩きを強請るのである。
政勝にとっては頼もしくもあれば、
難行を強いられているような気分にもなるようで、
その事は政勝にも自覚があるらしく
『わしも歳かの?』
寒さにちじこまる老い猫のように軽く身震いをすると
「では、行きましょうか」
一穂のあとに随ったのである。
一穂の方も待ち焦がれていたとみえて、
そうそうに馬の仕度を自分で整えだして、
ちゃっかり弓矢も設えている有り様に政勝が
「弓もですか?」
尋ねると
「当り前だろう」
政勝ににべもない返事を返して来たかと思えば
「ああ。早う。早う。いこう」
目を輝かせて言う。
この前の雉射ちで惜しい所を掠めたのが却って興を覚えさせたのであろう。
馬屋から馬を引き出す手綱の曳きにも一穂の心の弾むのが伝わるか
黒毛もとうとうと一穂について引き出されてゆくと、早くも一穂は馬上の人になって
「ゆくぞ」
と、急くのである。
余りの性急さに政勝の方がよいほど遅れを取ってしまい、
先に走り出した一穂を追うように葦毛を走らせて付いて行ったのである。
僅かの間に一端に黒毛を扱うようになった一穂を
『ははあ。流石、伊勢まで馬を走らせたという殿の血筋。いやいや、御見事』
流暢な手綱捌きに関心している場合では無かった。
「か、一穂様?どちらにいかせられる?」
一穂の向かう方は森羅山なのではないかと思い当たった政勝は
一穂を呼ばおうて止めたのである。
「森羅山は行けませぬ。衣居山にしましょう?」
澄明にきかされていた事を、
白銅に言われた事を、
今更に思い起こしていたのである。
澄明に黒き影が付いておるようだと言われた一穂も
政勝が見る限りやはりいつもの一穂と何処も何も変わりなく、
要らぬ心配のしすぎよと政勝も一安心すると
今の今まで政勝の念頭から離れ去っていたのである。
「構わぬ。早う、行って政勝。手本を見せよ」
一穂が馬上から応答してくるが、政勝が追い付いて来るのを待つのも歯痒く、
手綱を引き絞る事もなく黒毛を走り込ませていた。
政勝が一穂を乗せた黒毛に追いついた時には、
黒毛のその背に既に一穂はおらず
一穂は政勝の制止も聞かずにさっさと森羅山の中に湧け入っていたのである。
むくろじゅの枝に繋がれた黒毛の背にはあれほど
強請った筈の弓矢の道具がそのままに設えてあるを見ると、、
流石に政勝も一穂の様子が只事ではないと、
真っ青になって一穂をおって森羅山に入り込んで行った。
解けやらぬ雪を横切るような小さな足跡を追うて行くしかないのであるが、
政勝では潜り切れないような木々の蔀の中を潜り抜けており
とうとう政勝も一穂の足跡を見失ってしまっていた。
『まさか?あの社を目指している?』
いやな予感に政勝は従うしかない。
東北の椎の木を目当てに政勝は一穂の名前を呼びながら歩んで行った。
政勝が目指した場所に歩んで行けば、そこにはやはり歴然と社があるのである。
『何を思われたのやら?ここにおらるるのか?』
政勝は境内を突っ切ると社の前に立った。
この間、閉め切ったはずの扉が微かに開いており
その扉の前には一穂のものと思われる小さな足跡が濡れたっていた。
扉を開け政勝は中に入る。
と、そこにいた一穂の姿に安堵すると
「一穂さま?」
と、呼んだ。
「政勝。あれを見や」
一穂に言われて政勝は一穂の指差す物を見た。
「ああ・・?ああ。う?うむ」
そこには一穂が火を燈したのであろうか、蝋燭の炎が一織り揺らめいていた。
が、その蝋燭の蜀台になっていたのが
いつか一穂が恐れおののいた髑髏であった。
その一穂も今は恐れもみせず、その炎と蜀台を見詰めていたのである。
驚愕に似た思いを抱いて代わる代わるに政勝は一穂と髑髏を見詰めていた。
が、ふうと政勝の気が沈み込んで行く錯角を覚えた。
政勝は途切れるような意識の中で
一穂を懸念し一穂のまだあどけない顔をみつめ
「か・・ず・ほ・・さ・・ま」
仕える筋の幼き主の身を案じていた。
政勝の呼ぶ声に一穂が微かに首を捩り政勝に瞳を向けた。
その数穂の瞳の中に映る蝋燭の炎に
『何・・を・・・思いやる?』
思った政勝の思念がそこで途切れたのである。
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