棲家を覗き込む波陀羅に気がついたのは
新羅の方だった。
「こんな、遅うになんじゃ?誰じゃ?」
新羅はかがり火から木を持ち込むと
その灯りで波陀羅を照らし出しながら歩み寄ってきた。
「新羅!波陀羅じゃ・・・」
そう名乗られると新羅も思い出すものがある。
微かな記憶がある。
昔、軍治山にそのような名の女鬼がおったような気がする。
何処に行ったかその行方を暗ましてから
皆も忘れ果てていた事であった。
「何・・かな?」
その女鬼がこちらを知っておるのも、
ここに新羅を尋ねて来る事も新羅には訝しげな事である。
「我を討ってくれ!」
「な、何を言出すに」
「我が、お前の良人を、邪鬼を殺した本人じゃ」
「えっ」
邪鬼丸の非業の死を超え新羅も新たに良人を得ている。
「今更・・・」
「えっ」
「どう言う理由があったかは知らぬ。
が、もう、二十年も経って今更憎しみに身を窶しとうはない。
新羅もこの春には婆になるに。その手を汚しとうない」
「あっ・・あ・・・う、うわああああああああ」
波陀羅の号泣がこだまする。
「邪鬼丸の事じゃ。お前の心をどんなに苦しめたか。
判らぬでもない。新羅も、あれがした事が返って来たにすぎん、
そう・・思っておった」
「あ・・ああ・・あ、ああああ」
邪淫の果ての、この後悔が波陀羅の胸を苦しめる。
その罪を負わされるかのように
波陀羅が己の子と思う一樹も比佐乃も、
今や邪淫の果てに落ちている。
「波陀羅。もう、忘れてくれぬか?
我も、もう忘れ果てて生きてきたに」
「許すと言うのか?」
「許すも何も、我も邪鬼の事はすんだ事になってしもうておる。
邪鬼の事でお前を許さぬというなら、我も許されぬわ」
「し・・・幸せでおるのじゃな?」
「そういう事かもしれん」
「・・・・・・」
波陀羅はじっと立ち尽くしていた。
その姿を家の中に入りかけた新羅が振り返った。
「殺したいほど、憎めるほど我は・・・
お前ほど邪鬼を思うておらなんだ。
そう言うたら、我をひどい女子じゃと思うか?」
「・・・・・・・」
新羅は最後にそう言うと、そのまま中に入っていった。
(それを愛と言うか?それを愛と言うてくれるか?
我は邪淫に溺れ、己の心を見失うていたのか?)
時既に遠く、己の失くし去ったものが何であったのか。
初めて波陀羅は気がついたのだった。
陽道と織絵の不思議な死に
親戚の矢祖平助は、陰陽師である藤原永常を呼んだ。
永常はその死体を見るとその正体に気が付いていた。
陽道の身体の中で息絶えた鬼がいる。
一方の織絵の身体の中は裳抜けでしかなく
それも、随分前に織絵の魂が脱け出ていた筈である。
同じ様に織絵の身体の中にも
鬼が巣食っていたのは明らかであった。
鬼同士、どういう諍を起こしたのか判らぬが
長年に渡り二人の身体を乗っ取っていたのは、間違いない。
その上、子まで成しているのである。
不思議な気持ちのまま永常は二人の子を透かして見た。
鬼の子であるのか?
そう思ったに過ぎなかった。
が、永常の心配は只の心配だけに納まらなかった。
是なら、余程・・・鬼の子であった方がよほど幸せやもしれぬ。
苦渋に満ちた思いで永常は目を伏せるしかなかった。
「鬼の祟りでしょう」
平助にそう答えると永常は去っていった。
永常の覚書の中に書き記された物がある。
【兄妹で邪宗の韻を唱えあい睦み合う二人の背を取り巻くものが、腐臭を放つ様であった。
その魂に刻み付けられたものが並の事では掻き消えぬ
地獄への引導であると判ると某は何も言えずに帰った。
あれは地獄に堕ちて、
もはや二度と這い上がって来れぬと判ると
二人の邪淫の果てを見ぬ振りをしてやるしかなかった。
あれらの幸せはマントラを唱えて睦みあうこの現世にしかない。
それが、判ると某は黙って帰るしかなかった】
―――波陀羅の苦渋を知る者は、永常だけであった。―――
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