矢来の雨がふってきそうだと空をあおいで、懐の銭をぐっと押さえて確かめる。
急ごうと走り出しながら、男の胸に大きな安堵がうかんでくる。
これで、お里も安心だ。
女将にいわれたように、男は死んでしまおうと思っていた。
そうすりゃあ、なにもかも、かたがつく。
その考えが甘いものだなんて思いもしないほど、なにもかもに嫌気がさしていた。
逃げ出してしまえる理由がほしかったんだと思う。
だが、親方への誤解が解けた今、男にはやっていかなきゃならない事がいっぱいできた。
文棚をこしらえる。
それから、大橋屋のご隠居にすこしずつでも、金をかえしていく。
それから・・お里・・。
嫁入りしたくなんかしてやれそうもないが、お里は手のいい針子だって、大店からあつらえものがくるようになってきてる。
まあ、それで、ちょいと、小銭をためれりゃあ、恩の字だ。
とにかくは、修造との縁をきっちまうのが先だ。
懐の銭をもう一度ぐうとおさえなおして、男は道を急いだ。
もちつけない銭をもつと、暗鬼が生じる。
男は町並を抜ける道よりも大池の淵の小道、
人っ気のない道をえらんだ。
こっちなら誰もとおりゃしない。
薄暗くなってきた空をあおいで、男はもう一度、懐の銭をおさえなおした。
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