出雲大社の神紋は、二重亀甲剣花菱が有名だけど
裏神紋として 二重亀甲に有 というのがある。
これを目にしたのは 出雲大社の大きな提灯の裏側。
但し、有の字だけだったと記憶する。
なぜ、有の字なのかと、疑問に思った。
俗に 神有月 神無月 による
有の字であると言われているが
此処も、もっと疑問。
その俗説が正しければ 裏神紋 二重亀甲に有は
10月にしか、効力?がない。
全国の神々が10月に出雲大社に集まって
縁結びなどを行う。
と、いうひと月の行事?をして
年がら年中 ずっと、の神紋に象徴するだろうか?
むしろ、昔(ここがどれくらいから昔からか判らない)から
二重亀甲に有は あったという。
その本当の意味が分からなくなって
神有月(神在月) 神無月 の 有と解釈しているだけではなかろうか?
そして、調べていくと
二重亀甲ー玄武ー北
と、なっているわけで
中国では 霊廟に玄武を祀った・・
と、いう話もでてきた。
つまり、 二重亀甲は、幽世を意味するのではなかろうか?
幽世に「在る」という、意味に取れて来る。
また、
剣花菱の中央は 鏡
剣花菱の花房は 勾玉
剣花菱の剣は 剣
鏡・勾玉・剣 ということは、
正当な天皇継承を表すが
これも、その存在は、継承権は、幽世の在るという
一種の封印にも見える。
有のほうに話を戻して
(神在月)を
漢文ふうに読むと、月の神が在る。
とも読める。(神は月に在り)
月読命は、どこに行ってしまったのか
まともな記述が見当たらない。
(個人的には、月読命は饒速日ではないかと思ったりしている)
あるいは、
素戔嗚をして、月読命なのかもしれないとも思う。
素戔嗚には海原の神という説もあるので
潮の満ち引き ー 月の差配
と、いうことで、素戔嗚・月読命は1セットwwか
表裏一体とも思える。
こう考えると
有の字は 月を抱いている訳で
ナは肩と腕
(こうなると、左右の字の中の 工と口は
どういうことだと思うが・・・ここでは追求しない)
一説に出雲大社は 素戔嗚を封印しているともいわれる。
この存在を鎮めるために
一族の者が祀る。
(大物主を祀るに 一族のおおたたねこを
探して祀らせたように)
これが、大国主命であるが、
大国主命は役職名の様なものだからややこしい。
ただ、国譲りの時に
大国主命は
「父(素戔嗚)がたてたような立派な社を」
と、要求?交換条件にしている。
だが、これも、正直疑わしい。
むしろ、
「父(素戔嗚)の魂を鎮めるためには、
大きな社でないと出来ません。」
とでもいったのではないかと思えてくる。
そして、大国主命が
幽冥主宰大神(かくりよしろしめすおおかみ)となるわけです。
素戔嗚の存在・魂は ちょっと祀ったくらいでは
鎮められないので、
大国主命を幽冥主宰大神にしたかのようですwww
そして、
鎮魂ということから
神魂神社(かもす神社)が浮かびます。
闇すーかもすー
- 会意形声。「門」+音符「音」。「日」+音符「音」。「音」は、「言」の「口」の部分に点を打ち、言葉を発するのに、いったん口に入れる意を表わす会意文字で、ものを口の中に隠すことも意味する。門を閉ざし、ものが隠れた状態、あるいは、姿が見えず音のみが聞こえる状態。「暗」と同義
*****かもす(闇す)という読みは出て来ません****
随分前に調べたときは有ったのですが・・・
意味としては、姿が見えず音のみが聞こえる状態というのが近い。
この音というのは、気配などのような、一種の周波数だと思います。
神の存在を闇す
醸すというと、
1 麹(こうじ)を発酵させて、酒・醤油などをつくる。醸造する。「酒を—・す」
-生み出す-という生命体・生命 の「息吹」の様な感じになって来るけれど
闇すは、何もないところ、「無」(息吹が無い?)から
気配?がでてくるというところで、土台が違う気がする。
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話戻して
神魂神社(かもす神社)が浮かびます。
闇すーかもすー
神の魂が闇(される)す。
こういう意味合いがあるのではないか?
と、思っていたわけです。
千木は確か 天千木
天意をうけた神が祀られているということか?と
当時調べたときは、伊弉冉・伊弉諾が祀られていたので
国生みなどを行ったので、これが天意だなと解釈して終わっていたのですが
今回も気になるので、改めてぐぐる ーウィキる、というべきか?ー
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神魂神社(かもすじんじゃ)は、島根県松江市大庭町にある神社である。旧社格は県社で、意宇六社の一社。本殿は現存する日本最古の大社造りで国宝。
祭神
現在は伊弉冊大神(イザナミ)を主祭神とし、伊弉諾大神(イザナギ)を配祀するとしているが、これは中世末期ごろからのもので、それ以前の祭神は不明である。時代が下って寛文年間ごろの新嘗会祝詞には、熊野大神・大己貴命などの神名が見えるが、現在では記録上わかる範囲内で、より古いほうの説に従っている。
歴史
社伝によれば、天穂日命がこの地に天降って創建したものと伝えられるが、『延喜式神名帳』、国史や『出雲国風土記』に当社は記載されておらず、文献における初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍下文であり、実際の創建は平安時代中期以降とみられている。
当社は出雲国府に近い古代出雲の中心地であり、社伝では、天穂日命の子孫が出雲国造として25代まで当社に奉仕したという。出雲国造家は現在は出雲大社の宮司家であるが、国造家の代替わりのときの「神火相続式」「古伝新嘗祭」は、明治初年までは当社に参向して行われていた。
神紋
二重亀甲に「有」の文字。
本殿は現存する最古の大社造建造物であり、昭和27年3月に国宝に指定された。昭和23年の修理の際に、柱から正平元年(1346年)の墨書が見つかったが、現在の社殿は天正11年(1583年)の再建と考えられている。室町時代の造営になる神魂神社本殿は、出雲大社より大社造りの古制をよく保存している。出雲大社と同様に入口は正面に向かって右に片寄ってあるが、神座は出雲大社とは反対に、殿内の中心に建つ心御柱(しんのみはしら)の左奥に横向きに置かれている。
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まさかの、
二重亀甲に「有」の文字。
そして、
出雲大社と同様に入口は正面に向かって右に片寄ってあるが、神座は出雲大社とは反対に、殿内の中心に建つ心御柱(しんのみはしら)の左奥に横向きに置かれている。
あと、
厳島神社の「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」
素戔嗚の三人娘ということであるのでしょう。
二重亀甲剣花菱
が、素戔嗚を暗示しているように感じます。
と、すると
出雲大社はやはり、素戔嗚を鎮魂(封じ?)していると考えられて
有の字は むしろ
素戔嗚が「在る」 有る ということではなかろうか?
素戔嗚を「祀らなければならないことをした」大和朝廷側という
事実を隠蔽するために、神有月 神無月 などという
スケープゴードを作り上げたのではなかろうかと
思ってしまうのです。
幾分・・いや、かなり 斜視ですが・・・。
終わります
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