伊予の河野氏の紋と、記憶している。距離的にかかわりがあるとは思えないが、海路を手繰りたくも成る。村上水軍という存在がでてくるだけの航海術や造船術があったともかんがえると、瀬戸内海から日本海まで抜けたかも?
画像では、判別しにくいが、注連縄の下、六角形の銅版がみえる。その中に三の紋があった。
これが、後で行く神社の舟神事の船にも発見される。このことからしても、三の紋は「舟」をこぐ者に関連があると思える。
また、鳥居の解説にもあるが、この美穂崎は北陸からひいてきた?
国引き神話がある国だから、あちこちから、ひいてきたに違いないだろうと、苦笑するものの、北陸・・・。
突然現れた継体天王。その出地は北陸。かなり発達した文明?文化?持っていたという北陸の民族の中から彗星の如く現れた?
一方、もうひとつの日御崎は朝鮮半島・・・。
スサノオが韃靼王国人だったという渡来説や高句麗あたりの王であったとか?
こういう説を思うと、国引きというのは、大人物の何らかの恩恵を差している気がしてくる。
継体天王の時代か、定かでは無いが、北陸の治水は九頭竜川に象徴される。
スサノオが風土のもつ、色んな障害/川の氾濫とか・・・/を治めたということを、ヤマタノオロチで、象徴するなら、北陸の文化圏はひとつ上行く九頭竜であったと解すと、この国引きの話から、何らかの文化?の交流点が出雲だったのではないかと思える。
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