どこかで、和の考えは
すでにスサノオからあったということをかいた。
以前書いたように、
日本はいろんな精神を当たり前のように会得し
生活にとけこんでいた。
どこかで、それが、くずれだしたか?
たとえば、聖徳太子が
和をもって尊しと、明文化(意識化)しないと
わけがわからなくなってしまっていたから、
あえて、文字にしていたと思える。
今回、どこかの文書をとってきてはりつけたのにも、いくつか、
認識があやふただったことを思ったから。
西郷隆盛の西南の役について
司馬遼太郎は
最初は決起をとめたという。
だが、もうわきだしてしまった血がおさまらないとわかったとき
あえて、自分が陣頭指揮、担ぎ出されることを選んだ。
このあたりは、
すでに、古代史の中の国譲りのときに
大国主命によっていわれている。
「私がさからったら、多くの国津神(地方豪族)もさからって、決起するだろう
だから、それを沈めるためにも、私は幽界にいってそれをおさめよう」
このあたりのところは、実際には相応の戦いがあった。
事代主にきいたというのは、
どうすべきかということを子(根)にたずねたわけで
彼は「国をゆずりましょう」といったわけです。
そして、事代主は逆拍手をうって、こものなかに身をかくした。
ところが、たけのみなかたは
独り逸れてしまい 多くの納得できないものや
たけのみなかたにがいうのならというものやらを先導してしまった。
そのふたつの出来事から
大国主命は
事代主の出来事で自分の身の振り方と
従わなかったら、どうなるかがわかり、
国を譲り、自分はカクレタ(死んだ)
たけみかずちたちの霊などなどを
いさめるため・・鎮めるため・・幽界にいく
「汝の言う事はもっともなことで有る。更に条件を告げる。汝が治める現世の事は、私の御孫が治める。
汝は幽神(かくれがみ)を治めよ。
また、汝の住むべき天之日隅宮(あめのひすみのみや)は今から作る。
天之日隅宮・・・天の日【魂・御霊】住む身や(人間の体)
それは、千尋の綱で百八十(ひゃくやそ)に結び(=しっかり結び)。
御霊の緒は天に結ばれている。
また、その宮の作り方は、柱は高く太くし、
心は高く太くし
板は厚く広くし、
胸板は厚く広くする。(心が広い、胸が厚い)
心が広くなるように、厚い心をもてるように
心の居場所である胸を厚く、広くする。
豊かな田で作った物を供えよう。
豊かな田 で、つくったもの 実り
努力した結果・・・実り
そこで作る作物が実り茂る事を祈ろう。
がんばって勢だして、(今で言う、)創造してほしい。
悪しき心で 作ったものはよからぬことになるもの。
良き実りあるものになるようになってほしい。
また、海に行って遊ぶ時の為に、高い橋と浮き橋と天鳥船を供えよう。
天之安河に打ち橋を作ろう。
うみ 宇の身になってあそぶときには、 宇にこれるように ・・
生まれて、あ、そぶ(滅びる)ときには
海に行く【清める】・・清めて我をなくすときには ・・・。
また、百八十の白い盾を作り供えよう。
思いつかない・・・
108の煩悩と72の徳?とで、己をきたえられるようにしてあげよう。
汝の祀りを司るのは天穂日命(あめのほひのみこと)である
貴方が自分を統制するようにつかさどるのは、あめのほひのみことである。
あめのほひのみこと・・・ 天の実ったさま ひのみこと・・・御霊のいのちである
いのち、 血の意・・・思いの意」
と、なると、幽界というのは、幽霊の世界ばかりでなく
現在の現実も 幽界ということに解釈できる。
そして、大本神喩もことさらに地獄などない。人が作るものである。
と、いうわけだから
人間の中に天があるのなら
星(祖先などがいる場所)もあるし
地(現在の世界)もあるし
空というのが、腹の中といっていいかもしれない。
海原ともいうし・・・海も在る。
海があるから、「産み出すことも可能」
宇宙が自分の体の中にある。
もっと、いってしまえば
地球を含む銀河があるといえる。
のの字のような、銀河。
空海は
空と海をのみこんだビジョンをみて
空海となづけたそうだ。
自分の出来事が
地球に影響されるのは
当然といってしまえば当然のことなのだと思える。
人間の体もアストラル体とか、いろいろ、あるようで、
ここらは、
オーラとかで、だいぶ解明されてきているようだけど
御霊がひらいているというのは、
あるいは、もうひとつの外側の体への出入り口?が開いているという意味合いかもしれない。
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