佐奈が周汰の家から出てくるのを見咎めた者がいたのを、朋世は知る由もない。亭主の留守をねらって、あの愛くるしい朋世への思いを果たそうと、狩に出なかった男が誰なのだろう。厄介な男の執念をお陸は半分うらやましく思いながら、そして、あれほど周汰が思いを込める朋世を狙う男をお陸のほとであがなってやってもよいと思っていた。つまるところ朋世を護ってやろうという事と自分を宥める男を得る一挙両得の縮図にお陸は男の正 . . . 本文を読む
無残にも、時は過ぎて行く。朋世が孕んだと判ると、周汰は手放しで喜んでいた。「今度はおなごのこがよいの」周汰は朋世を抱き寄せた。「草汰のように朋世ににているとよい」「周汰さん?」草汰が自分に似てないのではない。朋世に似ているのだと周汰は思っている。朋世に似ているから、尚更かわいい。切れ長の瞳も朱を受けたような形の良い唇も朋世そのものに見えた。男の子である草汰でさえあれほどに、愛くるしいのなら、朋世に . . . 本文を読む
草汰の背とあまり変わらぬ手桶を持って、草汰は山の湯を目指していた。やがて、山の湯に辿り着くと、草汰は湯を汲んだ。湯の中からやっと引き上げた手桶には草汰が思うほどに湯は入ってなかった。「うー、これだけかやあ」手桶を覗き込んでみたが、手桶半分にも満たない湯の重さに草汰はあきらめるしかなかった。坂道に、手桶を中途中途で地べたに下ろしては草汰は降りくだっていた。が、三つの子には過酷な労働でしかなかった。「 . . . 本文を読む
「このばかたれがああああ」周汰の大きな声が聞こえ、草汰が大きく泣き出した。親を死ぬほど心配させた草汰を見つけると周汰は怒り付けてしまった。「かあちゃが・・かあちゃが、ぽんぽが・・」男が立ち去った傍の手桶には山の湯がたっぷり入っておった。「判っておるよ。なあ。なれどな。とうちゃはおまえがおらんで、心配で心配で」「うん」しゃくりあげながら草汰は頷いた。「かあちゃもむこうの畑のほうをさがしておるに」「う . . . 本文を読む
二人に気が付いたのはやはり陸であった。逢引の場所に出かけるために森を通っただけである。童の声に重なる男の声があると判ると、陸は小道を外れて、木陰に隠れた。それが、ただの親子連れならば陸の胸もこんなに締め付けられる事はなかっただろう。だが、通り過ぎた童と男の関係はただ事ではない。『な・・なんで?』陸の脳裏には朋世の姿が浮かんだ。そろ、そろ六ヶ月になるのではないだろうか?あの男を見た日を逆にさかのぼっ . . . 本文を読む
陸は思い悩んでいた。「どうすればよい?」朋世に話せば、これこそ機会だとあの男は草汰を連れ戻そうとする朋世を連れ去ってゆく事になろう?だが、それをふせいでみるため・・・とは言え、かといって周汰に何もかもぶちまけてしまえばよいのか?朋世が周汰の側にいられなくなろう?朋世が哀れなわけでない。朋世を失くす周汰があまりに哀れである。あれほど手放しで朋世をかわゆいといいのけ。この陸の命一つもかすのようにしか思 . . . 本文を読む
「おじちゃん」草汰はおじちゃんの後について歩いていた。「うん」草汰の呼ぶ声に気が付くとおじちゃんは立ち止まって草汰の声のした後ろを振り向いた。「ああ。草汰か。あいにきてくれたんか?」「うん」草汰はおじちゃんが好きだった。おじちゃんが草汰を見るときの目が好きだった。とても、優しくて、とうちゃに似ていた。だから、好きだった。それに、おじちゃんが寂しそうなのが、どうしてもおじちゃんを気にならさせた。『お . . . 本文を読む
佐奈が考え付く事は、朋世の亭主に事実をぶちまける事ばかりであった。
草汰が佐奈のところにやってくると、佐奈は草汰を連れ歩いた。くたびれた草汰は、やがて身体を休めに木陰に入ると木にもたれ込んだまま鬱々と居眠りだしすっかり寝入ってしまった。その草汰を抱き上げると佐奈は村に向かって歩き始めていた。草汰が居なくなって捜し歩いていた周汰が、佐奈を見つけた。眠り込んだ草汰をそっと抱きとめる周汰に佐奈は口を開 . . . 本文を読む
相変わらず陸は見ていた。男が草汰をだかえ周汰にあった。あった途端。陸は朋世のもとに駆け出していた。「朋世。草汰のてて親がきよるぞ」「え?」「お前のうんだ子のてて親が・・・その腹の子のてて親が来て周汰におうている」「陸・・さん。なにをいうやら・・」朋世はとぼけた。確かに陸は朋世と周汰をどうにかしてやらねばならないと思っていたはずであった。が、口をついて出てきた言葉は陸自身を納得させた。「嘘をいわんで . . . 本文を読む
「朋世。よう、ねておる。ふとんをしいてやらぬかや?」「あ。はい」周汰に促されて朋世は奥の間に布団をしいてやった。草汰を寝かしつけると周汰は黙ったままだった。「・・・・」何を言えばよい?佐奈という男とあっていたのか?何を言われた?何をきかされた?そんなことなぞきけはしない。「朋世」「は、はい?」何かききたげな周汰の言葉がとまった。「いや・・なんでもない」「周汰さ・・ん?」朋世が認めない事実を、陸が認 . . . 本文を読む
佐奈は、立ち上がった。周汰のところに行くために。朋世を迎えるために。草汰をつれ行くために。足を踏み出そうとしたとき、佐奈の懐の中で高くはじける音が聞こえた。思い当たる物を懐からつかみ出すと、布袋の中の護り石を手のひらの上にさらけ出した。「え?」間違いなくはじける音は護り石が発した物である。手のひらの中の護り石には亀裂が入っていた。「ど、どういうことだ?」何かを知らせるために石ははじけようとしている . . . 本文を読む
戸口を開ける佐奈に草汰が気が付いた。「あ、おじちゃん」草汰の声に土間の向こうでわら縄を縫っていた周汰がふりむいた。「草汰・・むこうへいっておれ」「あ?う。うん」周汰の顔がいつもの顔でなかった。「とうちゃ?」おじちゃんのことに何か怒ってる。草汰が遅くまでおじちゃんについて歩いた事だったならそれはおじちゃんのせいではないのだけれど。「いいから。かあちゃのところへいっておいで」「おじちゃんは・・・」「草 . . . 本文を読む