明日、特定秘密保護法が施行される。
その後、14日に総選挙が行われるという恐怖。
今、心ある人たちは恐怖と戦っていると思う。
なぜ私たちは、原発を推進する人たちを選んでしまったのか、
なぜ私たちは、戦争への道を着々と敷いている人たちを選んでしまったのか、
そして2014年12月14日には、
原発、秘密保護法、集団的自衛権をめぐって見せた彼らの言動を知ったうえで、
私たちはなおも彼らを私たちは選びつづけるのか?
昨日(14.12.08)の朝日新聞の歌壇俳壇のコラムに、
関悦史さんという俳人が、戦前の渡辺白泉の二つの句を紹介していた。
一つは、太平洋戦争が始まる3年前に発表されたー
「銃後という不思議な町を丘で見た」
関さんは、この「不思議な町」が奇妙に静かなのは、
「人々が戦時に適応して顔を失っているから」と書いている。
迫害を恐れて黙ったり、あるいは戦争を歓迎したり、
あるいはどうとも思わず事態をやり過ごしていく人々。
私が恐怖を感じたのは、その翌年に書かれたという次の句だー
「戦争が廊下の奥に立っていた」
関さんはこのように書く。
「気づいたときには戦争は、暮らしにも内面にも立ち混じっている。
いや、国民の側が招き入れている。」
その翌年には、京大俳句事件が起こり、
白泉を含め、ただ俳句をつくっていた人々が
治安維持法違反の嫌疑で検挙されたという。
そして、その翌年、太平洋戦争が始まる。
そのように戦争の近づく気配を感じとっていた人たちが、
あの当時も、そして今もいるのだ。
けれど、その恐怖のなかで、自分たちの無力も感じている。
これだけ恐れ、嫌がり、抗っているのに、
なぜ自分もその一部であるはずの国民は破滅の方向に進んでしまうのか?
シュタイナーという人も、同じ恐怖を感じていたと思う。
ドイツでは、やはり「国民に選ばれて」ナチス政権が誕生したが、
それに先駆けて、彼は第一次世界大戦の直後に社会運動を展開した。
そのなかから、ヴァルドルフ(シュタイナー学校)も生まれたのである。
ナチスが政権をとった1933年には、シュタイナーはもう他界していたが、
生前、彼はヒットラーについて、
「この男が政権をとったら、私たちの活動は無に帰するだろう」と言ったとされる。
ただ、シュタイナーが選んだ道は、ナチスに警鐘を鳴らすことよりも、
人々の精神の自律を促すことだった。
その基本は知ること、考えることである。
そこから、彼のなかで教育が社会形成の中心の柱であったことがうかがえる。
そして、この危機感は、シュタイナーだけではなく、
当時の多くの文化人にも共有されていた。
トーマス・マンやヘルマン・ヘッセがシュタイナーの社会運動に共鳴したことは知られているが、
私はとくにトーマス・マンが当初、激しく民主主義に敵対したことを思うのである。
『非政治的人間の考察』という本のなかで、
マンは、民主主義によって、人間のなかの無秩序で低次の衝動が、
そのまま社会に蔓延することを恐れた。
そして、そのように感じるドイツの人々にとって、
第一次世界大戦における敗北は、
アメリカ、フランス、イギリス流の民主主義が、
中部ヨーロッパに流れ込むことを意味した。
しかし、マンは、ちょうどシュタイナー学校が設立された1919年頃だったと思うが、
ワイマール共和国について、自分の政治姿勢の変化を表明する。
彼は、ドイツの詩人ノヴァーリスの「人間性」という言葉を引きつつ、
ドイツの役割は、民主主義を否定することではなく、
民主主義に「内面性」を付与することだと気づいた、というのである。
シュタイナーは、1923年、長い逡巡の末に「アントロポゾフィー協会」を新しく設立し、
自分自身がその代表に就いた。
それまでは、彼は、自分の役割は精神運動を導くことであり、
組織に関わることは、精神運動を損なうことになるという姿勢を貫いていた。
なぜなら、精神運動は個人の内面にかかわることであり、
組織は公共社会にかかわることであり、それぞれまったく別の原理だからだ。
けれど(日本では関東大震災が起こった3ヶ月後)、
1923年クリスマスに、彼はあえて自分の精神活動を地上の組織と結びつける決意をするのである。
そして、このように宣言した。
「私たちの課題は、もっとも深い秘教性と、最大の公共性を結びつけることです。」
これは、トーマス・マンが見ていた時代の要請、
つまり内面性と民主主義をつなぐことにほかならない。
それは別の言い方をすれば、
いかに「多数決の論理」のなかに「個人の意志」を働かせるかということだ。
シュタイナーの社会運動のエッセンスは、このことに尽きると思う。
(このテーマはたとえば『歴史徴候学』などの連続講演のなかで、具体的に論じられている。)
多数決を思うとき、
個人の意志はいかにも無力に感じられる。
しかし、それでも多数の意志は、個人の意志から成っている。
私は、言い方を改めようと思う。
私たちが選び続けているのは、政権ではない。
私たちは今もなお、民主主義という理想を選び続けているのだ。
そして、アントロポゾフィーにできるのは、
民主主義を否定することではなく、
ひたすらに個人を尊重し、その意志を支えることだ。
それは個人にしかできない。
シュタイナーは、現代においては、もはや社会的組織には一切の秘密はあってはならない、と言い切った。
それが「最大の公共性」ということだ。
もはや秘密結社は現代人の意識にはふさわしくない。
自分はすべてを公開する、これまで秘密の教えとされてきたこともすべて公開する。
しかし、それと並行して、個人の秘密は尊重されねばならない。そして、一人ひとりの個人が自分の内面を深める作業を強めていかなければならない。
それが、もっとも深い秘教性を最大の公共性に結びつけるということだ。
今日においては、
あなたは修行していて優れているから、特別にあなただけにこの秘密の教えを授けましょう、ということはありえないのだ。
だれでも、望むなら、個人情報を除き、社会に関わるどんな情報にもアクセスできる。
しかし、その情報をどのように扱うかは、個々人の内面に委ねられる。
教育の課題は、
人々の考え方を特定の方向へ導いたり、形成したりすることではなく、
子どものなかに、個人と社会、人間と世界とのつながりの感覚を育てることだ。
社会への責任感を育てることだ。
一人ひとりが、自分の情報の扱いかたが、そのまま社会形成に直結しているということを感じられなければならない。
国民が、あるいは大衆が、一つの方向へ操られてしまうとすれば、
それは一人ひとりの個人が個人たりえていないからだ。
それが「顔を失う」ということだろう。
個人が個人であるためには、知ることが、情報が必要である。
情報にもとづいて考えることが必要だ。
秘密保護法の精神は、
国家の名のもとに
個人の「知ること」を制限することであり、
それはシュタイナーの言葉でいえば、「精神生活の自由」を損なうことだ。
しかし、それは実は、
民主主義から「内面性」を奪うことなのだ。
内面性を奪われた国民は、個人の抑圧へと向かう。
なぜなら、個人こそが内面性の源だから。
私たちの共通の敵は「個人の不在」である。
私たちの戦い方は、いたるところに「個」を目覚めさせていくことでしかない。
それが日本国憲法にあるように、
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」ということだろう。
自民党の憲法改正案の精神は、
現行の第13条「すべて国民は、個人として尊重される」を
「すべて国民は、人として尊重される」として、
わざわざ「個」という言葉を外したところに端的に現れている。
この精神、すなわち「個」を抹消しようとする精神は、
そのまま特定秘密保護法につながっている。
それが行き着く先は、戦争である。
なぜなら、「個人の不在」の究極は、
個人が国家の名において個人を殺すことだから。
だから、戦争と死刑は一つの同じ本質の二つの現れである。
戦争においても、死刑においても、
国家の名において、生命が奪われ、
殺す側も、殺される側も、個人であることを否定される。
それはあえて宗教的な言い方をすれば、
カルマ(運命)を否定することでもある。
個人が個人に殺される限り、どんなに悲惨な運命であっても、
その当事者たちは「人間」であり続けることができる。
来世を信ずるなら、個人として来世で贖罪や和解に向けて努力することができる。
けれど、国家の名のもとになされた犯罪は、
個人から責任能力を奪うのだ。自分が殺したのに、その責任は国家にある。
あるいは、自分に対して行われた犯罪を国家に対して訴えても、
国家には顔がない。
そのようにして死んでいった無数の人々に対して、
地上を生きる私たちにできることは、
ひたすら個人であること、
そして群衆にみえたもの、一塊の「兵隊」や「慰安婦」や「難民」といった言葉で括られるもののなかに、
一人ひとりの個人の名前、個人の顔を見ていくことである。
そして、その作業を通して、「人間の顔をもった社会」を実現していくことだろう。
アントロポゾフィーとは、
自分に向かって「私は私だ」と言い、
出会った人に向かって「あなたはあなたですよね」と言い、
そして、「あなたも私も、どちらもかけがえのない私ですよね」と言っていくことだ。
たったそれだけのこと、当たり前のことだ。
だから、アントロポゾフィーなんて言わなくてもいい。
(シュタイナーも、自分は「アントロポゾフィー」という名称を毎日でも変えたいくらいだと言っていた。それでも、当時の彼にとっては「神の叡智」から「人間の叡智」への移行が重要だったから、人智を意味するアントロポゾフィーという言葉を使っていただけのことである。)
だから、私にとって、
日本国憲法はアントロポゾフィー(人智)の結晶であり、
「国民の不断の努力」はアントロポゾフィーの活動そのものである。
私には、渡辺白泉が「戦争が廊下の奥に立っていた」と言ったとき、
彼は「個の不在」が直に見えたのではないかと思えるのだ。
それに対して、シュタイナーという人は、
「個の実在」というものをアントロポゾフィーという名前で呼んだのだと思う。
個の不在ではなく、
個の実在による民主主義であれば、
国民を守る国家という家を建設できるのかもしれない。
私は今は、選挙までの数日間、
自分のなかで、また自分が接する人々とのかかわりのなかで、
自分にできるかぎり「個の実在」を呼び覚ます作業を続けたいと思う。
それが「国民の不断の努力」に連なることを願いつつ。
その後、14日に総選挙が行われるという恐怖。
今、心ある人たちは恐怖と戦っていると思う。
なぜ私たちは、原発を推進する人たちを選んでしまったのか、
なぜ私たちは、戦争への道を着々と敷いている人たちを選んでしまったのか、
そして2014年12月14日には、
原発、秘密保護法、集団的自衛権をめぐって見せた彼らの言動を知ったうえで、
私たちはなおも彼らを私たちは選びつづけるのか?
昨日(14.12.08)の朝日新聞の歌壇俳壇のコラムに、
関悦史さんという俳人が、戦前の渡辺白泉の二つの句を紹介していた。
一つは、太平洋戦争が始まる3年前に発表されたー
「銃後という不思議な町を丘で見た」
関さんは、この「不思議な町」が奇妙に静かなのは、
「人々が戦時に適応して顔を失っているから」と書いている。
迫害を恐れて黙ったり、あるいは戦争を歓迎したり、
あるいはどうとも思わず事態をやり過ごしていく人々。
私が恐怖を感じたのは、その翌年に書かれたという次の句だー
「戦争が廊下の奥に立っていた」
関さんはこのように書く。
「気づいたときには戦争は、暮らしにも内面にも立ち混じっている。
いや、国民の側が招き入れている。」
その翌年には、京大俳句事件が起こり、
白泉を含め、ただ俳句をつくっていた人々が
治安維持法違反の嫌疑で検挙されたという。
そして、その翌年、太平洋戦争が始まる。
そのように戦争の近づく気配を感じとっていた人たちが、
あの当時も、そして今もいるのだ。
けれど、その恐怖のなかで、自分たちの無力も感じている。
これだけ恐れ、嫌がり、抗っているのに、
なぜ自分もその一部であるはずの国民は破滅の方向に進んでしまうのか?
シュタイナーという人も、同じ恐怖を感じていたと思う。
ドイツでは、やはり「国民に選ばれて」ナチス政権が誕生したが、
それに先駆けて、彼は第一次世界大戦の直後に社会運動を展開した。
そのなかから、ヴァルドルフ(シュタイナー学校)も生まれたのである。
ナチスが政権をとった1933年には、シュタイナーはもう他界していたが、
生前、彼はヒットラーについて、
「この男が政権をとったら、私たちの活動は無に帰するだろう」と言ったとされる。
ただ、シュタイナーが選んだ道は、ナチスに警鐘を鳴らすことよりも、
人々の精神の自律を促すことだった。
その基本は知ること、考えることである。
そこから、彼のなかで教育が社会形成の中心の柱であったことがうかがえる。
そして、この危機感は、シュタイナーだけではなく、
当時の多くの文化人にも共有されていた。
トーマス・マンやヘルマン・ヘッセがシュタイナーの社会運動に共鳴したことは知られているが、
私はとくにトーマス・マンが当初、激しく民主主義に敵対したことを思うのである。
『非政治的人間の考察』という本のなかで、
マンは、民主主義によって、人間のなかの無秩序で低次の衝動が、
そのまま社会に蔓延することを恐れた。
そして、そのように感じるドイツの人々にとって、
第一次世界大戦における敗北は、
アメリカ、フランス、イギリス流の民主主義が、
中部ヨーロッパに流れ込むことを意味した。
しかし、マンは、ちょうどシュタイナー学校が設立された1919年頃だったと思うが、
ワイマール共和国について、自分の政治姿勢の変化を表明する。
彼は、ドイツの詩人ノヴァーリスの「人間性」という言葉を引きつつ、
ドイツの役割は、民主主義を否定することではなく、
民主主義に「内面性」を付与することだと気づいた、というのである。
シュタイナーは、1923年、長い逡巡の末に「アントロポゾフィー協会」を新しく設立し、
自分自身がその代表に就いた。
それまでは、彼は、自分の役割は精神運動を導くことであり、
組織に関わることは、精神運動を損なうことになるという姿勢を貫いていた。
なぜなら、精神運動は個人の内面にかかわることであり、
組織は公共社会にかかわることであり、それぞれまったく別の原理だからだ。
けれど(日本では関東大震災が起こった3ヶ月後)、
1923年クリスマスに、彼はあえて自分の精神活動を地上の組織と結びつける決意をするのである。
そして、このように宣言した。
「私たちの課題は、もっとも深い秘教性と、最大の公共性を結びつけることです。」
これは、トーマス・マンが見ていた時代の要請、
つまり内面性と民主主義をつなぐことにほかならない。
それは別の言い方をすれば、
いかに「多数決の論理」のなかに「個人の意志」を働かせるかということだ。
シュタイナーの社会運動のエッセンスは、このことに尽きると思う。
(このテーマはたとえば『歴史徴候学』などの連続講演のなかで、具体的に論じられている。)
多数決を思うとき、
個人の意志はいかにも無力に感じられる。
しかし、それでも多数の意志は、個人の意志から成っている。
私は、言い方を改めようと思う。
私たちが選び続けているのは、政権ではない。
私たちは今もなお、民主主義という理想を選び続けているのだ。
そして、アントロポゾフィーにできるのは、
民主主義を否定することではなく、
ひたすらに個人を尊重し、その意志を支えることだ。
それは個人にしかできない。
シュタイナーは、現代においては、もはや社会的組織には一切の秘密はあってはならない、と言い切った。
それが「最大の公共性」ということだ。
もはや秘密結社は現代人の意識にはふさわしくない。
自分はすべてを公開する、これまで秘密の教えとされてきたこともすべて公開する。
しかし、それと並行して、個人の秘密は尊重されねばならない。そして、一人ひとりの個人が自分の内面を深める作業を強めていかなければならない。
それが、もっとも深い秘教性を最大の公共性に結びつけるということだ。
今日においては、
あなたは修行していて優れているから、特別にあなただけにこの秘密の教えを授けましょう、ということはありえないのだ。
だれでも、望むなら、個人情報を除き、社会に関わるどんな情報にもアクセスできる。
しかし、その情報をどのように扱うかは、個々人の内面に委ねられる。
教育の課題は、
人々の考え方を特定の方向へ導いたり、形成したりすることではなく、
子どものなかに、個人と社会、人間と世界とのつながりの感覚を育てることだ。
社会への責任感を育てることだ。
一人ひとりが、自分の情報の扱いかたが、そのまま社会形成に直結しているということを感じられなければならない。
国民が、あるいは大衆が、一つの方向へ操られてしまうとすれば、
それは一人ひとりの個人が個人たりえていないからだ。
それが「顔を失う」ということだろう。
個人が個人であるためには、知ることが、情報が必要である。
情報にもとづいて考えることが必要だ。
秘密保護法の精神は、
国家の名のもとに
個人の「知ること」を制限することであり、
それはシュタイナーの言葉でいえば、「精神生活の自由」を損なうことだ。
しかし、それは実は、
民主主義から「内面性」を奪うことなのだ。
内面性を奪われた国民は、個人の抑圧へと向かう。
なぜなら、個人こそが内面性の源だから。
私たちの共通の敵は「個人の不在」である。
私たちの戦い方は、いたるところに「個」を目覚めさせていくことでしかない。
それが日本国憲法にあるように、
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」ということだろう。
自民党の憲法改正案の精神は、
現行の第13条「すべて国民は、個人として尊重される」を
「すべて国民は、人として尊重される」として、
わざわざ「個」という言葉を外したところに端的に現れている。
この精神、すなわち「個」を抹消しようとする精神は、
そのまま特定秘密保護法につながっている。
それが行き着く先は、戦争である。
なぜなら、「個人の不在」の究極は、
個人が国家の名において個人を殺すことだから。
だから、戦争と死刑は一つの同じ本質の二つの現れである。
戦争においても、死刑においても、
国家の名において、生命が奪われ、
殺す側も、殺される側も、個人であることを否定される。
それはあえて宗教的な言い方をすれば、
カルマ(運命)を否定することでもある。
個人が個人に殺される限り、どんなに悲惨な運命であっても、
その当事者たちは「人間」であり続けることができる。
来世を信ずるなら、個人として来世で贖罪や和解に向けて努力することができる。
けれど、国家の名のもとになされた犯罪は、
個人から責任能力を奪うのだ。自分が殺したのに、その責任は国家にある。
あるいは、自分に対して行われた犯罪を国家に対して訴えても、
国家には顔がない。
そのようにして死んでいった無数の人々に対して、
地上を生きる私たちにできることは、
ひたすら個人であること、
そして群衆にみえたもの、一塊の「兵隊」や「慰安婦」や「難民」といった言葉で括られるもののなかに、
一人ひとりの個人の名前、個人の顔を見ていくことである。
そして、その作業を通して、「人間の顔をもった社会」を実現していくことだろう。
アントロポゾフィーとは、
自分に向かって「私は私だ」と言い、
出会った人に向かって「あなたはあなたですよね」と言い、
そして、「あなたも私も、どちらもかけがえのない私ですよね」と言っていくことだ。
たったそれだけのこと、当たり前のことだ。
だから、アントロポゾフィーなんて言わなくてもいい。
(シュタイナーも、自分は「アントロポゾフィー」という名称を毎日でも変えたいくらいだと言っていた。それでも、当時の彼にとっては「神の叡智」から「人間の叡智」への移行が重要だったから、人智を意味するアントロポゾフィーという言葉を使っていただけのことである。)
だから、私にとって、
日本国憲法はアントロポゾフィー(人智)の結晶であり、
「国民の不断の努力」はアントロポゾフィーの活動そのものである。
私には、渡辺白泉が「戦争が廊下の奥に立っていた」と言ったとき、
彼は「個の不在」が直に見えたのではないかと思えるのだ。
それに対して、シュタイナーという人は、
「個の実在」というものをアントロポゾフィーという名前で呼んだのだと思う。
個の不在ではなく、
個の実在による民主主義であれば、
国民を守る国家という家を建設できるのかもしれない。
私は今は、選挙までの数日間、
自分のなかで、また自分が接する人々とのかかわりのなかで、
自分にできるかぎり「個の実在」を呼び覚ます作業を続けたいと思う。
それが「国民の不断の努力」に連なることを願いつつ。