風韻坊ブログ

アントロポゾフィーから子ども時代の原点へ。

アントロポゾフィー指導原理 (55)

2008-11-04 14:07:59 | アントロポゾフィー指導原理
55.
次に、純粋に霊的な存在期間が長きにわたって続くことになる。ここで人間の心性は、自分とカルマによって結ばれている他の人々の心性とともに、そして高次の位階(ヒエラルキア)の本性たちとともに、来るべき地上の人生の総体をカルマにもとづいて形成する。(訳・入間カイ)

55. Eine langdauernde, rein geistige Daseinsepoche folgt, in der die Menschenseele mit andern mit ihr karmisch verbundenen Menschenseelen und mit Wesenheiten der höheren Hierarchien das kommende Erdenleben im Sinne des Karma gestaltet. (Rudolf Steiner)


死後の第3段階に到って、
「純粋に霊的」な期間が始まります。
「霊的」というのは、
個人の心性を超えた、普遍的・客観的な次元を指しています。

死後、私たちの心は、
個人的な好き嫌いや共感・反感の次元から
普遍的な次元に到ったとき、
自分だけではなく、
自分と縁のある(カルマによって結ばれた)人びとの心性と
つながることができます。

そして、
「高次の位階(ヒエラルキア)」の本性たちとつながります。
ここで「本性」というのは、
「神々」とか「存在たち」と言い換えることもできます。
ただ、本性ということばを使うのは、
ちょうど神話のなかの「神々」が一人ひとり独特の個性をもっているように、
それぞれが固有の性格や働きをもっていることを示すためです。
しかし、その個性や性格は、
永遠なる個性であり、
「普遍的・客観的」な次元につながっているのです。

これから先の指導原理では、
この「ヒエラルキア」(高次の位階)の本性たちへの言及が多くなります。

あらかじめ注意していただきたいのは、
本来、アントロポゾフィーは一元論なので、
すべての存在は一つの「私」でもあるということです。

シュタイナーが「高次の霊的存在」として述べていることは、
私の「高次の自己」と言い換えることもできるわけです。

しかし、私という存在には、果てしない深みと広がりがあります。
自分自身の内面を見るだけでも、
そこにはさまざまな考えや感情、気分が渦巻いています。
そのなかから、自分でも意識していなかったような
意志や衝動が立ち上ってくることもあります。

アントロポゾフィーにおける「神々」や「霊的存在」は、
さまざまな「力の作用」や「働き」、
もしくは「エネルギー」とも言いかえられるものです。
ただ、それらのエネルギーには無数の異なった「性質」があり、
その性質は永遠なる個性に貫かれているので、
それをイメージでとらえると、
天使や大天使、あるいは神々といった
固有の個性をもった「本性」として見えてくるのです。

そして、私もあなたも、
ひとつの大いなる「私」につらなるエネルギーでもあります。
しかし、地上に生きる私たち一人ひとりは、同時に
神々と同じように
永遠なる個性、かけがえのない個性をもった本性でもあるのです。
この私のなかに
「普遍」と「個」が同時に存在することが
アントロポゾフィーの核心であり、
霊学の考察は、つねにこの核心から始まります。

そして、死後、
普遍的・客観的な次元に到ったとき、
人間として地上を生きてきた他の人々の心性、
そして、地上に生まれることはなくても
普遍的・客観的な次元で生き続けている神々、
もしくは「本性」たちとつながって、
次に地上に生まれるときの人生の
全体としての「かたち」を用意することになるのです。

ここでのポイントは、
一人ひとりの人生は、
自分ひとりだけが準備したものではなく、
他の人々、そして神々とともに
共同でデザインしたものである、ということだと思います。

それが「カルマ」を視野に入れた、
人生の見方ということになるわけです。

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1 コメント

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Unknown (kenshin)
2008-11-04 18:37:00
すごく明快な解説に感謝します。
一元論がよく判らなかったのですが、わかったような気がしております。
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