研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

UtilityとPracticalの間(1)

2005-09-14 23:10:14 | Weblog
ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham 1748-1832)の功利主義(Utilitarianism)は、18世紀の文脈でいうと、有用性(utility)という観点から社会システムを再構成する試みであった。それは、同時代的には攻撃的な性格をもち、形而上学やスコラ哲学といった権威を掘り崩すものであった。ベンサム自身、抽象的・観念的・神秘的概念への不信感を強くもち、そのようなものに基づく法制度を非難していた。その上で、その法や制度は人間の幸福の総量を増加させるか、それとも減じさせるかという観点から、提言を行っていった。こうした彼の考え方は、産業革命期のイギリスを超え、歴史もことなり、文化的にも後進的であったロシアにまで広がり、かのエカテリーナ2世に絶大な感銘を与え、なんと彼女自身が翻訳の筆をとり配布したほどであった。

ところが、このベンサムの功利主義が、実は19世紀アメリカにおいては、まったく受け入れられなかったという事実は非常に面白いのではないだろうか。多くの人々は意外に感じるかもしれない。なぜなら、アメリカはプラグマティズムの国であり、まさに近代的普遍性を体現し押し付ける存在であると考えられているのだから。しかし、このベンサム思想を受け入れなかったというところにアメリカの政治言説を支配する特徴の一端を読み取ることができると思われるのである。それは、practicalとutilityとの間の北米大陸とヨーロッパ大陸との間のちがいでもあった。

ダニエル・T・ロジャース(Daniel T. Rodgers)のContested Truths: Keywords in American Politics since Independence (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1998)という非常に難しいが、とてつもなく面白い本がある。この中に、ベンサムの思想がアメリカでどのように受け入れられたかが描かれている。ひとことで言えば、「19世紀アメリカにおいては非難と軽蔑をもって迎えられた」。例えば、Southern Review(1831)に記された功利主義についての記述では、「嫌悪を感じさせる哲学。信仰心と感受性を消し去る。用心深さと狡猾な計算を善性より上に置くことを勧めている。物質主義。便宜主義。権利概念の否定」とある。もちろん、アメリカにおいても関心をもつ人々はいた。例えば、アレクザンダー・ハミルトンを決闘で射殺したアーロン・バー。彼は、わざわざイギリスに渡りベンサムに会いに出かけているが、ベンサムその人によほど悪い印象をもったのか以後彼を口にしなくなった。また、ジョン・クインジー・アダムズも一瞬興味をもったが、すぐに失せている。また、トマス・クーパーのような学者は、奴隷制を功利主義から正当化しようとウイリアムズ・メアリー大学はじめ南部の諸大学で努力したが、結局学派形成には至らなかった。どうやら、当の南部奴隷農場のプランターたちから拒絶されたようなのである。チャールズ・エリオットは、内心では功利主義に共感は感じても、それを公にするのは、とても恥ずかしいと感じていた。この時期の知識人による文書にはベンサムの思想は頻繁に登場するが、それはあくまでも偽悪的な表現なのである。実は、ジョン・アダムズの書簡にも、ベンサムの功利主義は登場する。しかしそれば、英国政府を批判しつづけた後、最後にあえて「下品」な表現をしてみせてそれまでの格調高い調子を和らげる、彼なりのユーモアであった。いわば、「こんな英国政府のやり方では、ベンサムみたいな奴にまで否定されちまうぜ」という感じである。