研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

アビゲイル・アダムズ考(2・完)

2005-10-19 00:03:24 | Weblog
夫のジョンは、1800年の大統領選挙でトマス・ジェファソンに敗れた。この選挙は、非常に党派色むき出しの選挙戦で、もともと親友であった両者だが、以後14年間音信不通になる。アビゲイルはこれに心を痛め、ジェファソンに対して和解の可能性を探るが、ジェファソンからは、「私は、あなたのご主人がなさった党派的選挙戦をもう気にしていませんよ」という返信を受け、激怒して「汚い党派的戦略をとったのは、あなたのリパブリカンズだ」と書き送っている。私もそう思う。これは項を改めて論じたいが、ジェファソンってずるいのである。彼はちょっと歴史の神様すら欺くところがある怖い人である。

ところで、アダムズ家と家族ぐるみの付き合いをしていたワラン家の婦人でメルシー・オーティス・ワラン(Mercy Otis Warren)というこれまた恐るべき才媛がいた。実はアメリカ革命史を世界で最初に書いたのはこの女性である。それはHistory of American Revolution (1805)で、この中で彼女はアメリカ革命解釈の一つのパラダイムを提示した。それは、「アメリカ革命とは、専制政治から人類を救う継続的革命の魁であり、アメリカにおいてはジェファソンの勝利によって完成した」という史観である。別名the Jeffersonian interpretationと呼ばれる解釈である。この歴史観では、フェデラリスト政権期は革命の簒奪状態ということになる。これに対するフェデラリスツ側の正史は、ジョン・マーシャル(John Marshall:アダムズに任命された連邦最高裁長官で、ジェファソン以下の「ヴァージニア・ダイナスティ」の前に立ちはだかった保守系判事の魁)の、5巻にわたるThe Life of George Washington (1804-1807)に示される解釈で、これはthe Federalist interpretationと呼ばれる。この史観においては、「アメリカ革命とは、アメリカを救った革命であり、それはフェデラリスト政権によって完成した。これにたいする党派的反逆者がジェファソン以下のリパブリカンズである」ということになる。歴史の解釈を握るというのは、とても重要なことである。「いいたい奴には、言わせておけ」というのが日本人の態度だが、これがどれほど国益を損なうか分からない。さすがに中国は歴史解釈を握ることの重要性を知っているので、今は死に物狂いである。

この歴史観の対立をめぐり、ワランとアビゲイルは対立する。史観をめぐり女二人が対立する。なかなか壮観である。ちなみに、ワランはしばしばズボンを履いていたとか。まさに、初代「フェミニスト」の双璧の片方であろうか。しかし、ボストン美術館にあるワランの肖像画は、青いドレスを着た上品な婦人であった。彼女自身の歴史を占めるのは、圧倒的に名門の貴婦人である。ただ、フランスの貴婦人と違うのは、淫乱ではなかったということであろうか。プロテスタント世界の名門の貴婦人である。

思うに、彼女たちは、「才女」だったのではないか。世界史には、「才女」というのは大昔からいた。それは紫式部からナイチンゲールに至るまで一貫していて、要するに高級貴族の娘で異様な秀才である。彼女らのアイデンティティは、「貴族」である。例えば、ナイチンゲールは、普通選挙法には一貫して反対だった。男女以前に下賤の連中に政治的判断などできるはずがないと考えていた。彼女は、統計学と実務の鬼で政府高官や将軍たちを過労死するほどこき使い、科学的に医療現場での死亡率を下げていった。しかし彼女は、女が医師になることには一貫して反対だった。女は医者に向かないと心から信じていた。女権運動家を「下品」の一言で切って捨てた。まさに、貴族である。フェミニストとは型が根本的に違う。また紫式部の『源氏物語』については論じるまでもないだろう。フェミニストの世界観とは別次元の世界の話である。しかし決して女女していなかった証拠が『紫式部日記』で、これは一度読んだほうがいい。その瞑想的・哲学的記述内容に驚嘆するだろう。『源氏物語』は、時代が違いすぎて感性の点で難解すぎるが、『紫式部日記』は今日の人間が読んでも堂々たる読み応えである。なぜこんな天才が可能だったのだろう。

私はアビゲイルを「フェミニスト」ではなく「才女」の系列に置くべきであると思う。確かに、最初に挙げたアビゲイルの手紙は、ナイチンゲール辺りから見れば「下品」ではあろう。しかし、アメリカの風土は、日本やヨーロッパとは違う。貴族階級がないのである。だから、おのずから、雰囲気は異なるが、あの手紙はアビゲイルの全人生をみたとき、明らかに「冗談」と解すべきである。ジョン・アダムズたちの矛盾した「人間の平等」に茶々を入れたのである。「すべての人間は平等につくられ云々」と論じながら、一方で黒人奴隷を所有し、女は「夫の許可のもとに自由」などと本気で主張する紳士たちを小ばかにしているのである。だからと言って、アビゲイル自身、下賤の女が自分の同志だとは断じて考えていなかった。「人間一般」が存在するとき、男女の違いは深刻となる。しかし、人間一般などこの時代には存在していない。あるのは階級であった。彼女には、男よりも下賤の連中の方が、よっぽど遠い存在だったであろう。

私は、フェミニズムは民主主義社会の産物だと思っている。階級社会では、男女平等は念頭に上らないのだと思う。階級社会で問題なのは階級間格差だからである。これから日本社会も階級社会になるのだろう。おそらく、フェミニズムは消滅していくだろう。私は、階級社会が嫌いなので、実は書物で読む「ウーマン・リブ」がとても懐かしいのである。あのころは、みんなが平等だったような気がする。今は、階級間格差の前に、男女の格差がかすんで見える。寒々しい気分になる。

4 コメント

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挨拶 (M.N.生)
2005-10-19 17:44:23
 はじめまして.「やじゅんの世界ブログ」を見てたらこのブログに気がつき拝見しました.私の一番の興味世界の話題「アメリカ史」なんで、これからいつも拝見いたします.今ちょうど、ロン.チャナウのアレキサンダー・ハミルトンを読んでおりましたので、この話題が気になりました.これから時々お邪魔しますが、宜しく.

追記)私自身は、フェデラリスト史観に引かれるんですが、アメリカを創った彼らは結局民主主義に裏切られた存在と思います.詳しくは、又.
Unknown (オッカム)
2005-10-19 20:54:29
はじめまして。



すごいゴッツイの読んでますね。あれ、註とかいれて800ページくらいありますよね。非常に面白くきれいな文体の本ですが、あれは趣味では読めないですよね。M.N.生さんが、「何者」か気になっちゃいました(笑)。まさか、業界の人ですか?(笑)。



おっしゃるとおり、当時は民主主義って悪い意味でしたよね。だから彼らは、「共和制」って言葉にこだわったわけで。で、ジェファソンという、個人としては民主主義の世界にいなかったはずの人が、歴史的には民主主義の象徴として勝利してしまったんですね。ジェファソンって、本当に正体のわからない人だと思います。
私の正体 (M.N.生)
2005-10-20 12:01:21
 M.N.生です.ご心配なく.業界の者ではありません(笑).ただ、ひょんなことからアメリカ学会に入ったらと誘われましたが、結局入っておりません.

 ジェファーソンは矛盾の固まりみたいな人ですね.奴隷にかしづかれて自由と自営農民の帝国を夢見てた人ですから.
Unknown (オッカム)
2005-10-20 15:33:01
そうでしたか(笑)。

もし、アメリカ学会に入ったら、妙におどおどしている地方出身の研究者を探してみてください。一発で私だと分かります。



ジェファソンはねえ、不思議な人ですよね。後に大統領を引退して、アダムズと和解した後も、「当時は自由を愛する側とそうではない側に別れ、私は前者をあなた(アダムズ)は後者の代表となりました」と平気でアダムズ相手に回想しているんですよね。それに対するアダムズの返信が、M.N.生さんの言ったことだったんですが。



主観的には本気でそう思っていたのか、それとも後世の歴史を意識して、歴史を支配しようと思ったのか、彼の場合よくわかりません。『青年ルター』を書いた心理学者のエリクソンがジェファソンを題材に心理分析を試みていますね。五十嵐武士先生が訳しておられますけど、それを読むと、たんなる反省心なき人なのではなく、なにかもっととてつもないところに心があった人のようですね。