研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

一票の格差についての別論(1)

2005-09-13 03:56:42 | Weblog
アメリカ合衆国の連邦議会は上下両院による二院制である。下院(House of Representative)は、各州の人口に応じて議席数が比例配分されており、上院(Senate)は、各州等しく2名の議席が与えられている。下院の議席数は、厳密な人口調査にもとづき常時議席数が調整されているので、一票の格差というものは極力抑え込まれている。それに対して、上院は人口に関係なく2名ときまっており、そのため各州間の一票の格差はかなり大きいまま放置されている。

こうした非常に対照的な代表のありかたが並存しているのは、アメリカ建国期における連邦形成(連邦憲法作成)時における妥協の結果であるとされている。独立戦争に勝利し、イギリスという共通の敵を失ったアメリカ諸邦では、戦争後も各邦の連合を維持・強化し一つの国家となるべきか、それとも独立戦争前のように各邦がそれぞれで自治を行う伝統に戻るべきかが議論の焦点になっていた。連合を維持・強化すべきと考えたのが、いわゆるフェデラリスツ(党派としてのフェデラリストの起源は、第一議会におけるハミルトンの財政案賛成者が名乗ったのが始まりである)、各邦の自治の伝統に立ち戻るべきと考えたのが、いわゆるアンティ・フェデラリスツ(この「アンティ」という呼び名は、フェデラリスツが論敵つけた戦略上のレッテルである)である。ただし、この両者の間には幾層もの強調点の違いが存在しており、1787年にフィラデルフィアに参集した憲法作成者たちも、この両者の間で揺れていた。最終的に合衆国憲法に賛成した人々は、強調点の違いこそあれ、対外的な必要性や内政的安定という観点から、アメリカ諸邦は連合すべきであるという観点に立っていた。しかし、ここで問題になったのは、「民主的であるとはどういうことか」そして、「大州の利益に対する小州の利益をいかに守るか」ということであった。民主的であるためには、より多数者の主張を尊重しなければならない。しかしなら、そうすると結局、大州の主張のみが常に採用されることになり、小州は独自の利益をいつも放棄することになるだろう。そもそも人民の自由という観点にたったとき、単純に多数者の利益のみが優先されることが、はたして民主的といえるのだろうか。それぞれの州の人々の利益が尊重されてこその民主制なのではないのか。こうした、議論の妥協点として、二つある議院のうち、一方は人口比で、他方は各州平等にという結論が出来上がった。多数決の論理と、各州の対等性を二院制によって並存させたのである。『ザ・フェデラリスト』において、ハミルトンは、「下院とは、合衆国が国民を一元的に支配する仕組みであり、上院とは各州が対等に自立していることを保証する仕組みである」と述べている。

ただし、ここには民主制に対するこの時代特有の考え方も反映されている。それは、両院の名称の違いにより明らかである。「上院」の英語名はSenate、すなわち「元老院」である。独立時は13州だから26名しかいない。任期も下院より長く、この当時は民衆による直接選挙ではなく、各州の議会の代表者から選ばれていた(上院が、民衆の直接選挙で選ばれるようになったのは、1913年の憲法修正17条が通過してからである)。『ザ・フェデラリスト』におけるマディソンの言葉を用いるならば、「少数であるがゆえに優れている」議院として、まさに建国期の第一人者たちによる議会であった。

とはいえ、連邦憲法作成期においては、国家の一元支配に対する危惧をもつ人々に対して、各州の自立性と対等性を保証するという側面があったことは確かである。ところが、この上院が、アメリカ合衆国の拡張と統合を推進する存在になったということは歴史のパラドックスであろう。それには、上院に参集した建国期の第一人者たちが、その名望をもって各州の地域利益を抑制し、連邦強化に貢献したという側面もあるが、それ以上に、上院という代表制がもつ「一票の格差」が実は大きかったのである。