JR相野駅周辺は 武庫川に流れる水系と加古川に流れる水系が田んぼの中で交錯しています。
河川争奪(かせんそうだつ)1
相野川と武庫川の場合
相野は三田市西北部にあり、丹波焼きで有名な立杭にぬける途中にあります。
相野地区は、三田市で一番ふるい旧石器が出土した場所でもあり、古くからヒトが生活していた場所です。
三田の地は古くは、現在の立杭にまけないほど窯業(ようぎょう)の産地で、須恵器(すえき)を生産していました。三田の地名にも「末(すえ)」が残っています。この相野にも8から9世紀の古窯跡がのこっています。
相野川の流域には、大きな段丘が形成されています。
今の相野川の流量ではできない量の土砂が堆積しています。
いまその段丘面は田や畑になっています。長坂段丘面と呼んでいます。
これらの段丘は、昔(古武庫川)が今の相野川の方に流れていたためにできたものです。相野川はそのころなくて、武庫川だったのです。
藍本と相野の間に、武庫川と相野川との谷中分水界があります。以前はここを武庫川が流れていたのです。
土地の隆起や土砂の堆積などにより武庫川は東に流れを変え、本庄の方に流れ始めました。こうして、武庫川と相野川は分かれたのです。
その後、古武庫川がつくった段丘面を相野川がけずり始めました。
川底から、5から25mの高い段丘面を開析した谷の地形をうまくつかって昔の人たちは須恵器を焼いたようです。
また、このあたりの岩石は有馬層群とよばれる白亜紀の火山の噴火でできた溶岩や火山灰でできています。この岩石は、風化すると、大変焼き物に適した土に変わります。そんなところも、焼き物の産地になった理由でしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます