コーヒータイム(与太話)
以前の与太話で、2000年頃に発売されたリコーのデジカメが、
時代を先取りしていたにもかかわらず、受け入れる環境の方が
未整備だったため、売れなかったという話をしました。
似たような製品は他にもあります。ダイナウェアのDivaです。
ダイナウェアは、ダイナキャドというCADソフトが有名でした。
DOS上で動くバージョンは私も使っていました。
1980年代の半ば、CADは非常に高価で、ワークステーションで
動く製品が主流でした。パソコンで動く製品も有りましたが、
それでもかなりの性能を要求されました。
当時のパソコンOSであるDOSは、画面の解像度が固定です。
しかしCADには高い解像度が要求されたため、
標準のパソコンでは表示しきれません。
そこで、ハードウェア的に解像度の高いパソコンを使うか、
グラフィックボードと専用のドライバをセットアップして
使うしかありませんでした。
しかし、通常のDOSで動くCADも有りました。
その一つがダイナキャドです。
すみません。懐かしくて、つい話が脇にそれましたが、
そんなダイナウェアが、和製Windowsとも呼べる製品を
作っていた事をご存知でしょうか?
パソコンがDOSで動いていた時代は、文字を表示する位置も
固定でした。そのため、今のように、好きな場所にアイコンを
ドラッグして持って行く事もできませんでした。
また、今では当然のようにできている、マルチタスク、
すなわち複数の作業を同時にこなす、という事が
できなかったのです。
パソコンは、起動させるとハードディスクからファイルを
呼び出し、メモリに常駐させ、作業をしますが、
当時主流のOSだったDOSは、このメモリ領域の上限が
かなり低かったのです。
ハードディスクを物置、メモリを作業場に例えますと、
物置がいくら広くても、作業場が狭いと、一度にできる
仕事は限られます。
例えば、材木を切断する作業と、カンナがけする作業を、
一度に出来ないのです。材木を切断する作業が終わったら、
切断機を一旦物置に戻し、今度はカンナを物置から
引っ張り出して来て、カンナがけしなくてはなりません。
パソコンで言えば、ワープロソフトと表計算ソフトを
同時に起動する事ができなかったのです。
当時のワープロソフトと言えば一太郎、
表計算ソフトと言えばLotus1-2-3でしたが、
一太郎で文章を書いていて、途中でLotus1-2-3を
使いたい場合は、作業中でも一太郎を一旦は
ファイル保存して終了させてからでないと、
Lotus1-2-3を起動できなかったのです。
よって、表計算ソフトで作った表やグラフを、
ワープロ文書に貼り付けるという、
今では当たり前のようにできている機能も、
至難の業でした。
そんな時代に、グラフィックインターフェースで動く、
Windows3.0や3.1が普及し始めました。
この頃のWindowsは、厳密に言えばOSではなく、
DOS上で動くメニューソフトの進化版でした。
マウスでアイコンをクリックすると、
そのソフトが起動する仕組みでしたが、
所詮はDOS上で動くアプリケーションの
一種だったため、複数のソフトを同時に立ち上げると
フリーズしたり、印刷中はパソコンの動作が遅くなる
というネックがありました。
そんな時代に、やはりDOS上で動くとは言え、
Windowsのようなグラフィックインターフェースで
アプリケーションを動かせるという日本の製品、
それがダイナウェアのDivaでした。
少ないメモリ領域を有効かつ高速に活用できるように、
極めて高い技術が採用されていました。
当時、日本ではパソコンと言えばNEC製でした。
世界で普及しているパソコンとはハードウェアの
互換性が無い、98シリーズという製品が
圧倒的なシェアを持っていました。
そのPC98の上位機種として、PC100というのが有り、
それの標準OSとして、Divaは搭載されました。
海外生まれのWindowsを使わなくても、
日本純正のOSで、Windowsと同じ事ができたのです。
しかし、問題は価格でした。要求されるハードウェアの
性能が厳しく、フル装備させると75万円くらいに
なりました。
一方、Windows3.1では、海外製のパソコンでも
日本語が扱えるようになりましたので、
生産量が日本国内とはケタ違いに多い、
世界共通仕様のハードウェアで組み立てられた
安いパソコンで、日本語のアプリケーションソフトが
普通に動くようになったのです。
これで、日本のパソコン市場は一気にWindows路線に
舵を切りました。
当のNECも、98シリーズのハードウェアでも
Windowsが動くようにして、ユーザーの
NEC離れを食い止めるよう方向転換しました。
もしDivaがそのまま売られ続け、その内に
ハードウェアの高性能化と低価格化が
追い付いて来たら、Windowsとシェアを争う
OSになっていた可能性もあります。
ただ、マイクロソフトは営業戦略が巧みでしたから、
Lotus1-2-3のように、駆逐されていたかも知れません。
以前の与太話で、2000年頃に発売されたリコーのデジカメが、
時代を先取りしていたにもかかわらず、受け入れる環境の方が
未整備だったため、売れなかったという話をしました。
似たような製品は他にもあります。ダイナウェアのDivaです。
ダイナウェアは、ダイナキャドというCADソフトが有名でした。
DOS上で動くバージョンは私も使っていました。
1980年代の半ば、CADは非常に高価で、ワークステーションで
動く製品が主流でした。パソコンで動く製品も有りましたが、
それでもかなりの性能を要求されました。
当時のパソコンOSであるDOSは、画面の解像度が固定です。
しかしCADには高い解像度が要求されたため、
標準のパソコンでは表示しきれません。
そこで、ハードウェア的に解像度の高いパソコンを使うか、
グラフィックボードと専用のドライバをセットアップして
使うしかありませんでした。
しかし、通常のDOSで動くCADも有りました。
その一つがダイナキャドです。
すみません。懐かしくて、つい話が脇にそれましたが、
そんなダイナウェアが、和製Windowsとも呼べる製品を
作っていた事をご存知でしょうか?
パソコンがDOSで動いていた時代は、文字を表示する位置も
固定でした。そのため、今のように、好きな場所にアイコンを
ドラッグして持って行く事もできませんでした。
また、今では当然のようにできている、マルチタスク、
すなわち複数の作業を同時にこなす、という事が
できなかったのです。
パソコンは、起動させるとハードディスクからファイルを
呼び出し、メモリに常駐させ、作業をしますが、
当時主流のOSだったDOSは、このメモリ領域の上限が
かなり低かったのです。
ハードディスクを物置、メモリを作業場に例えますと、
物置がいくら広くても、作業場が狭いと、一度にできる
仕事は限られます。
例えば、材木を切断する作業と、カンナがけする作業を、
一度に出来ないのです。材木を切断する作業が終わったら、
切断機を一旦物置に戻し、今度はカンナを物置から
引っ張り出して来て、カンナがけしなくてはなりません。
パソコンで言えば、ワープロソフトと表計算ソフトを
同時に起動する事ができなかったのです。
当時のワープロソフトと言えば一太郎、
表計算ソフトと言えばLotus1-2-3でしたが、
一太郎で文章を書いていて、途中でLotus1-2-3を
使いたい場合は、作業中でも一太郎を一旦は
ファイル保存して終了させてからでないと、
Lotus1-2-3を起動できなかったのです。
よって、表計算ソフトで作った表やグラフを、
ワープロ文書に貼り付けるという、
今では当たり前のようにできている機能も、
至難の業でした。
そんな時代に、グラフィックインターフェースで動く、
Windows3.0や3.1が普及し始めました。
この頃のWindowsは、厳密に言えばOSではなく、
DOS上で動くメニューソフトの進化版でした。
マウスでアイコンをクリックすると、
そのソフトが起動する仕組みでしたが、
所詮はDOS上で動くアプリケーションの
一種だったため、複数のソフトを同時に立ち上げると
フリーズしたり、印刷中はパソコンの動作が遅くなる
というネックがありました。
そんな時代に、やはりDOS上で動くとは言え、
Windowsのようなグラフィックインターフェースで
アプリケーションを動かせるという日本の製品、
それがダイナウェアのDivaでした。
少ないメモリ領域を有効かつ高速に活用できるように、
極めて高い技術が採用されていました。
当時、日本ではパソコンと言えばNEC製でした。
世界で普及しているパソコンとはハードウェアの
互換性が無い、98シリーズという製品が
圧倒的なシェアを持っていました。
そのPC98の上位機種として、PC100というのが有り、
それの標準OSとして、Divaは搭載されました。
海外生まれのWindowsを使わなくても、
日本純正のOSで、Windowsと同じ事ができたのです。
しかし、問題は価格でした。要求されるハードウェアの
性能が厳しく、フル装備させると75万円くらいに
なりました。
一方、Windows3.1では、海外製のパソコンでも
日本語が扱えるようになりましたので、
生産量が日本国内とはケタ違いに多い、
世界共通仕様のハードウェアで組み立てられた
安いパソコンで、日本語のアプリケーションソフトが
普通に動くようになったのです。
これで、日本のパソコン市場は一気にWindows路線に
舵を切りました。
当のNECも、98シリーズのハードウェアでも
Windowsが動くようにして、ユーザーの
NEC離れを食い止めるよう方向転換しました。
もしDivaがそのまま売られ続け、その内に
ハードウェアの高性能化と低価格化が
追い付いて来たら、Windowsとシェアを争う
OSになっていた可能性もあります。
ただ、マイクロソフトは営業戦略が巧みでしたから、
Lotus1-2-3のように、駆逐されていたかも知れません。
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