コーヒータイム(余談)
まず、6月18日(月)朝8時の地震では、
大阪で被災された方々にお見舞い申し上げます。
揺れている最中は、阪神淡路大震災の時の
記憶が蘇った人も多かったのではないかと
思います。
塀が倒れて小学生の女の子が亡くなったのは、
本当に痛ましいです。重ねてお見舞い申し上げます。
これから建設する塀に関しては、やはり地震による
倒壊で人が負傷したり、道路を塞いで緊急車両が
通れなくなったりする事態を避けるために、
コンクリート部分の背は低くし、その上に
軽い材質のフェンスを設けるという形にするよう、
建築基準が厳しくなっているそうです。
さて、今回、阪神淡路大震災や東日本大震災の
時には遙かに及びませんが、交通インフラ・
通信インフラ・生活インフラに支障が出た
地域が有ったようです。
私も東日本大震災は経験しました。
地震当日、ちょうど浜松出張から新幹線で
東京駅に戻って来て、在来線に乗り換えようと
していた時、大きな揺れが起こりました。
交通機関は軒並み止まりましたので、
私はそこから隣駅の神田まで歩いて移動。
ルノアール(喫茶店)に入ったらWifiが
使える状態でしたので、出張に持ち歩いていた
ノートパソコンで会社に無事を報告。
会社も特に大きな被害は無かったとの事で、
取り敢えず一安心。
さて、それからですが、取り敢えず
帰らなくてはなりません。会社と自宅は
同じ方角なので、どちらに行くにしても、
歩いて移動するしかありません。
しかし、神田から会社までは約20km、
自宅までは約30kmあります。
ギリギリ都内ですが、同じ方角に、
当時友人が住んでいたので、
そこに泊めて貰えないかと思い、
電話してみました。友人宅ならば約13kmです。
地震の直後は、携帯電話はほとんど繋がりません。
固定電話もなかなか繋がらない状態でした。
しかし私はPHSも持っていました。PHSは繋がります。
PHSで家族には連絡済みです。
とは言え、友人の携帯電話の方が繋がりません。
同じ方角なので、意を決して歩き出しました。
わかりやすい太い道なので、歩いて帰路に向かう
人達が、まるで長い行列のように、遙か先まで
繋がっている状態でした。
車道の車も遙か先まで繋がっていますが、
ほとんど動けず、歩道を歩く人の方が
遙かに速い状況でした。
私は途中で夕飯を食べて腹ごしらえし、
公民館(時間外開放されていました)や
カフェ等で4~5回休憩を入れながら
歩いて行くと、そろそろ友人が家に帰って来て
いるだろうと思われる時間になったため、
固定電話の方にPHSで電話すると、
繋がりました。助かりました。
東日本大震災は3月11日でしたが、私はその当時、
3月いっぱいでPHSを解約するつもりでいたのですが、
非常時の繋がりやすさはお金に代えられないと思い、
一番安い料金プランで、解約せずに今も持っています。
ところが、2020年でPHSサービスは終了するとの
通知が届きました。
企業向けの通信専用線としては残るようですが、
通話サービスは全面終了するそうです。
(現在、法人ユーザーでも、コードレスの
内線電話として、工場内での通話手段に
使っている所も有るはずですが、
それもできなくなります。)
これから東日本大震災クラスの地震が起きた時、
携帯電話や固定電話だけで、どの程度繋がるのか、
非常に不安なところではあります。
東日本大震災を教訓に、対策は強化してあると
思いますが、下手をするとそれ以上の大地震になり、
通信インフラの被害がより甚大になる可能性も
充分にあります。
確かにPHS事業はユーザーが少なく、儲かりません。
ユーザーが少ないからこそ、非常時に通話が集中せず、
回線に余裕があるので、繋がりやすいわけですが、
こういうのはお金に代えられないものですから、
国や自治体がバックアップしてくれても
良いような気がします。
まず、6月18日(月)朝8時の地震では、
大阪で被災された方々にお見舞い申し上げます。
揺れている最中は、阪神淡路大震災の時の
記憶が蘇った人も多かったのではないかと
思います。
塀が倒れて小学生の女の子が亡くなったのは、
本当に痛ましいです。重ねてお見舞い申し上げます。
これから建設する塀に関しては、やはり地震による
倒壊で人が負傷したり、道路を塞いで緊急車両が
通れなくなったりする事態を避けるために、
コンクリート部分の背は低くし、その上に
軽い材質のフェンスを設けるという形にするよう、
建築基準が厳しくなっているそうです。
さて、今回、阪神淡路大震災や東日本大震災の
時には遙かに及びませんが、交通インフラ・
通信インフラ・生活インフラに支障が出た
地域が有ったようです。
私も東日本大震災は経験しました。
地震当日、ちょうど浜松出張から新幹線で
東京駅に戻って来て、在来線に乗り換えようと
していた時、大きな揺れが起こりました。
交通機関は軒並み止まりましたので、
私はそこから隣駅の神田まで歩いて移動。
ルノアール(喫茶店)に入ったらWifiが
使える状態でしたので、出張に持ち歩いていた
ノートパソコンで会社に無事を報告。
会社も特に大きな被害は無かったとの事で、
取り敢えず一安心。
さて、それからですが、取り敢えず
帰らなくてはなりません。会社と自宅は
同じ方角なので、どちらに行くにしても、
歩いて移動するしかありません。
しかし、神田から会社までは約20km、
自宅までは約30kmあります。
ギリギリ都内ですが、同じ方角に、
当時友人が住んでいたので、
そこに泊めて貰えないかと思い、
電話してみました。友人宅ならば約13kmです。
地震の直後は、携帯電話はほとんど繋がりません。
固定電話もなかなか繋がらない状態でした。
しかし私はPHSも持っていました。PHSは繋がります。
PHSで家族には連絡済みです。
とは言え、友人の携帯電話の方が繋がりません。
同じ方角なので、意を決して歩き出しました。
わかりやすい太い道なので、歩いて帰路に向かう
人達が、まるで長い行列のように、遙か先まで
繋がっている状態でした。
車道の車も遙か先まで繋がっていますが、
ほとんど動けず、歩道を歩く人の方が
遙かに速い状況でした。
私は途中で夕飯を食べて腹ごしらえし、
公民館(時間外開放されていました)や
カフェ等で4~5回休憩を入れながら
歩いて行くと、そろそろ友人が家に帰って来て
いるだろうと思われる時間になったため、
固定電話の方にPHSで電話すると、
繋がりました。助かりました。
東日本大震災は3月11日でしたが、私はその当時、
3月いっぱいでPHSを解約するつもりでいたのですが、
非常時の繋がりやすさはお金に代えられないと思い、
一番安い料金プランで、解約せずに今も持っています。
ところが、2020年でPHSサービスは終了するとの
通知が届きました。
企業向けの通信専用線としては残るようですが、
通話サービスは全面終了するそうです。
(現在、法人ユーザーでも、コードレスの
内線電話として、工場内での通話手段に
使っている所も有るはずですが、
それもできなくなります。)
これから東日本大震災クラスの地震が起きた時、
携帯電話や固定電話だけで、どの程度繋がるのか、
非常に不安なところではあります。
東日本大震災を教訓に、対策は強化してあると
思いますが、下手をするとそれ以上の大地震になり、
通信インフラの被害がより甚大になる可能性も
充分にあります。
確かにPHS事業はユーザーが少なく、儲かりません。
ユーザーが少ないからこそ、非常時に通話が集中せず、
回線に余裕があるので、繋がりやすいわけですが、
こういうのはお金に代えられないものですから、
国や自治体がバックアップしてくれても
良いような気がします。