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 玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■○肉○食

2016年06月13日 | 
以前、中学だったかの国語の試験に、「○肉○食」とあって、「○」を補い四字熟語を完成させよ、という設問があり、その複数の回答に、「焼肉定食」というのがあったと聞いたことがある。
もちろん正解は「弱肉強食」である。そもそも「焼肉定食」は四字熟語ではない。

だけど、ま、それほどまでに「焼肉」という食文化は普通に普及しているということだ。
(か)さんや(お)さんやダランを含め、我々の世代の子供の頃は、そもそも「外食」という行為は、一年に数回程度しかない特別のものだった。少なくとも普段の日常のなかにそういうサイクルはなかった。
つまり、母親や主婦たちは、ほぼ年中欠かさず食事の用意をしていたのだ。だから、年に一度か二度のたまの旅行の上膳据膳が何より贅沢だったというのも聞いたことがある。
たぶん、70年代半ばまでは確実にそうだったとおもう。


Websiteより。

で、おそらく70年代後半から俗にいう「ニューファミリー」やサラリーマン核家族といった人々が大衆消費社会に影響するようになると、もっと自由な食生活のスタイルが生まれるようになったのだとおもわれる。
いわゆる「団塊の世代」たちである。60年代に学生だった世代、「ヤング」と言われて闊歩した世代の走りでもある。
そうね、その世代は800万人近くいるというから、いまでもそうだが、彼らの動向や志向性は消費市場を大きく左右するようになる。それが顕著になってきたのが、80年代であろう。

彼らは、子供を連れて、週に一回は「外食」するようになる。で、この頃モテハヤされるようになったのがいわゆる「ファミレス」である。ファミリー以前の我々も深夜の時間なら少しは行かせてもらったが・・・。
最初は洋食中心だったファミレス文化は、その後、「焼肉」や「回転寿し」とジャンルを広げ、週一ペース、家族四人で食べても、ま、なんとかなるくらいの料金設定で、「新しい家族」のライフスタイルをつくったともいえるかもしれない。
その子供たちが、若くして大トロやカルビの味を覚えてしまったから始末がわるい(けして本物とは言いがたい面もあるが)。
寿司屋で「大将、ウニ、サビ抜きで」とか頼んでいるガキをみると、大外刈りにかけたくなる。


日本最初のファミレスといわれるチェーン店の看板(スカイラークHPより)。


先日、事務所の若いスタッフがいつもよく働いてくれるので、たまには飲みに行くか、ということになった。そうなれば当然、僕が支払うことになる。いいようなそうでもないような慣習であるが、ま、これもしょうがない。
で、こちらは「飲みに行く」気でいたら、どうも最近の若者はそういう感覚がないらしく、「食事」をご馳走してもらえる、という風に認識した、らしい。たしかに、そういうものかもしれないが、ちと、なよなよしい限りだ。

で、何がいい? と訊くと、間髪入れず、「焼肉っ!」、と即答。そうか、やっぱり君たちも子供の頃刷り込まれているんだな。
僕らの子供の頃も焼肉屋に近いものもあるにはあったが、それはどちらかというと「ホルモン焼き」の店で、そう、あまり堅気っぽくない人、風体のよろしくない人たちが行く店だった。だから子供の頃、焼肉を家族で食べた、という経験はほぼない。



ただ、おごる立場からすると、いいこともある。
よく焼肉屋でお父さんが子供に「先にごはんを食べなさい」と言うそうだ。ごはんでお腹を満たせば安く済むからだろうが、実際、彼らにとっても、焼肉とごはんは条件反射に近いらしい。

で、まず、キムチとナムルとサンチェ、タン塩、カルビを一通り頼んだあと、こちらはゆっくりとビールでも飲みながらチビチビ、とかおもっているところに、「すみません、ごはん頼んでいいですか?」ときた。ガッツリいきたいのだ。
「もちろんいいよ、どうぞどうぞ」(しめしめ、思う壷だ、とはおもったが・・・)。

おもえば僕もそうだった。海の幸が豊富だった場所で育ったせいか、若い頃、刺身があるとどうしてもごはんが食べたくなってしまう。刺身で酒が飲めるようになるまでには随分時間がかかったものだ。


左がカルビで、右が上カルビ。
いままでカルビは安い方がうまい、と勝手におもっていたが、久々に上を食べてみてわかった。
失礼、やっぱり、上には上の理由がある。


だけど、そうおもったのもつかの間、彼ら、食べる食べる。結局、ごはんがあろうがなかろうが、あるいは、ごはんがあるせいで、逆に焼肉がすすむようだ。追加のついでに、結局、韓国焼酎まで飲む始末。
おまけに会計に行ったら、ええ?そんなにいった?・・・しかもカードが使えない。「ウチは現金だけなんですよね~」。しまった、そうだ、中華と韓国料理は現金商売だ。彼ら、現金しか信用していないのだ。

でも僕はウッチャンよりはプライドがあるので(わからない人はごめんなさい)、なんとか現金で払った。ら、
「領収書いりますか?」・・・「う、うん、はい、じゃ、一応」。
「宛名と但し書きはどうなさいますか?」・・・「う、うん、じゃ、マスゾエ様で。但しがきは日韓文化交流費と書いてもらえますか」・・・(すいやせん、ウソつきやした)。

たしかにまあ、プロジェクト打上げ、というなら経費にしてもおかしくはないが、うちの経理はそんなに甘くない。そう簡単に収支報告書には記載させてくれはしない。
「誰と食べたんですか?・・・身内スタッフだけじゃないですよね」と訊かれれば、「うん、まあ、例の出版の件で、昔から懇意にしている出版社社長と・・・」、「名前は?」、「いやそれは相手に迷惑がかかるといけないので・・・」となる。
ああ、やっぱダメダメ。そうして小心者の僕は、この領収書を捨てもせず、まだ机に引き出しにしまったままだ・・・まあいいか、いずれ確定申告だ。

ダランも、学生に誘われれば飲み会には行かざるを得ないだろうし、研究費にすることもできないし、家計圧迫も辛いから、結局ガムランで稼いだお金から出すことにある。
だんだん上役になるのはいいが、そこにはそれなりの苦労は絶えない。年齢ごとの悩みもある。
でも、金は天下の回りもの、そうやって、みんな歳を重ねていく善良な小市民なのだ。

それにまして、某都知事は大した男よのう。(は/237)


■今日の問題

2016年05月06日 | 
このGW、みんなは諏訪に行ったようだけど、どうだったろうか・・・?
今年も一人亡くなったようだけど。勇壮だね。今度、柱のシンボリズムについて考えてみようか・・・。

ともあれ、世間では、安保関連法案も通過し、昨年からわかっていたことだが夏にはダブル選挙になりそうだ。
憲法記念の日ということもあって、TVや新聞なんかでもさんざんやっていたが、このまま改憲になったら日本の骨格が崩れてしまいかねない。とくに人権や言論の自由は危うい局面に立たされている。やり過ごせない状況でもある。
一方アメリカでは、とりあえずクルーズはいなくなってよかったが、トランプが共和党の指名を獲得するかもしれないという局面。「理解と経験のある大人のクリントン」は人気が伸びないし、ここはおもいきってサンダースこそがんばってほしいものだが、4割といわれる浮動票の行方はいかに。


そんな折り、ではあるが、それでもお昼になればお腹がすく。
今日は久々にラーメンを食べた。月に1~2度くらいは食べるけれど、今日は事務所近くの屋台風名物店で、さんざん迷った挙げ句、なんと「ラーメンライス」にしてみた。小ライスだけど。
そう、でも、小ライスを付けるかどうか、そこが悩みどころ。我が身の「問題」なのだ。


今日のラーメンライス。


ラーメンはいまや国民食。海外でも人気だし、中国人や欧米人も、多くの外国人から日本で食べたいものの上位にランキングされている。
おもえば随分個性的な種類や店も増えたものだ。それぞれしのぎを削っているんだろうけれど、僕の場合、いまでもときどき食べたくなるのは、この「桂花ラーメン」かなぁ。なにせ最初はそのスープの色に驚いたものだ。いつだかダランも言っていたけど、我々にとって初めて食べた九州の味「とんこつラーメン」だったのだ。




定番のターローメン。学生の頃は金欠なので、これを食べるのは勇気が必要だった。
キャベツが絶妙。



で、昨今の中国人がラーメン屋やいわゆる日本流中華料理店に来て一番驚くのは、なんといっても「餃子定食」だそうだ。
つまり、中国では餃子は主食、昨今の春節には餃子だけを食べるという人も多い。なのに、日本人はその餃子をおかずにライスを食べる、ということがそもそも理解できないらしい。
そうね、「焼きそばパン」や「ナポリタンパン」もあるし、なかには「おにぎりパン」というのものまである始末。もしかしたら日本人は、世界のなかでも炭水化物や穀物系を一緒に食べるのには違和感がない民族かもしれない・・・。
かみさんは、パンやそばはともかく、ご飯と他の主食だけは絶対一緒には食べたくないそうだ。ニッポン人だねえ。


でもまあ、世間ではそのなかに「ラーメンライス」もあるわけである。そう、考えてみたら、これも両方主食というか、炭水化物系だ。
でも、僕は、記憶にある限り、あるときからそうは考えないようになった。
それはいまでもよく覚えているが、高校の近くにあった中華屋での出来事だった。
運動部で大食漢の友人がいて、彼はいつもその店で「ラーメン超大盛!」と頼んでいたら、ついにその店には、「ジャンボラーメン」という器サイズも巨大化したメニューができてしまったというくらいの常連。その友人はほぼ毎日といっていいほど通っていたのだ。

で、ある日その友人と一緒にその店に入ったときがあって、友人は即「ジャンボラーメン!」と頼み、僕は僕で「大盛ラーメン・・・かなぁ」とか頼んでいたら、店主のおやじさんが、たまには「ラーメンライス」にでもしたらどうだ? ライス大盛にしてあげてもいいよ、と言ってきた。
じゃ、ってんで、大盛のラーメンライスにするか単に大盛ラーメンにするか迷っていたら、店主がもう作るから早く決めろ、と急かすので、ちょっと訊いてみた。
そうはいうけど、どうせ大盛ラーメンは食べるわけだから、もう作ればいいじゃない。ラーメンライスのラーメンと、ラーメンはいったい違うのか?
即答、それは全然違う、のだ、ということだった。
ええ?? ラーメンはラーメンでしょ。どこが違うの?
で実際、それは違うものだった。
どう違うのかというと、店主の説明では、ラーメンライスは、ラーメンがおかずでご飯が主食。だから、ラーメンライスのラーメンは麺も少し柔らかくするし、スープも少し濃い味にするし、油も増やす、ということだった。
なるほど・・・、ラーメンライスのラーメンはご飯のおかず、だったのか・・・。と、そのとき初めて教えられた。


先日広島で食べた尾道ラーメン。醤油ベースのライトテイストだった。
ご当地ラーメンは健在だ。



ま、勝手な推測だけれど、「ラーメンライス」は、たぶん、60年代頃、定食屋系の中華料理店あたりで、お腹を空かせた学生なんかのために作られたメニューではないだろうか、とおもう。安くてボリュームたっぷり。それなりの大食いでも手っ取り早くお腹いっぱいになる。
もしかしたら常連の学生の要望で自動的、自然発生的に生まれたものかもしれない。だからきっと、いまでも多くのお腹をすかせた学生連中の空腹を満たしているメニューに違いないのだ。
いや~、やっぱりこれも立派なニッポンのヴァナキュラーな食文化だ。ダラン風にいうなら「B級グルメ」だ。

だから、ニッポン人の場合、餃子定食の餃子はおかず、ラーメンライスのラーメンもおかず、なのだ。もともとは外来種だからそういうちぐはぐはことが成立するんだろうね。
先日神戸でみんなで食べた関西名物「そばめし」も、きっとそばがおかずというか具の役目を果たしているんではないだろうか。
ニッポン人の主食はやっぱり米、だね。メインディッシュという考え方がそもそも違う文化の産物なのだ。


そういえば浜松も、そろそろ春キャベツの餃子が出ていることだろう。あれ、美味。いまでは年季の入ったダランの焼き加減も絶妙だし、何個でも食べられるライトテイストがいいのだ。ピリ辛のつけ汁も絶妙だし。
でも、我々はそれをライスと一緒には食べない。いまの我々にとって餃子はもはや主食でもおかずでもなく、つまみ、なのだ。
年代が変われば存在の意味も変わるということだろうか。ライスはいつのまにかビールに代わってしまったのだ。それだけ年をとったのか、それとも単なる酒飲みか。いずれにしても、いい身分だ。


これが浜松餃子の定番スタイルとディスプレイ。


世間のポリティカル・イシューは別に、問題は今日の雨とラーメンにライスを付けるかどうかを悩む我が身。やっぱりこれを平和というんだろうか・・・。もしそれが平和なら、そうあってほしいものだ。(は/228)


なんだかな・・・今日は妙に疲れた。詰まらない話で、どうもすみません。



■バリカタ

2016年03月24日 | 
「バリカタ」、といってもバリ島とは関係ない。「博多らーめん」のギョーカイ用語のこと。
ギョーカイだからといって、「カタバリ」などと言ってしまったら、バリのカエルになってしまうのでご用心(わからない人はすみません)。

いや、要するに、たまたま昼時に渋谷にいたので、ダランご推薦という博多ラーメンの店に行ってみたというお話。
替玉2玉まで無料の文字がダランの目を引いたらしい。社会的地位にかかわらず、相変わらずセコイ。
でも、店内は活気があって、ラーメンもおいしかったですよ。


ダランがたまに行くという渋谷の店。

いまどきはご存知の向きも多いとおもうが、「博多ラーメン」の特徴は、白いとんこつスープとストレートの極細面、高菜と紅ショウガの無料トッピング、そして何といっても「替玉」制度だろう。
替玉とは、ラーメンの麺だけ食べ、スープは残しておいて、そこにもう一玉の茹麺を追加して入れることをいう。要は「おかわり麺」のこと。
普通、替玉は100円程度で追加できるが、この店は、それが二玉まで無料ということだ。ということで、ダランはいつも替玉するそうだ。一玉だけ、らしいが。


「替玉」は自分で入れる。らーめん紹介Siteより。

これ、店によっては、スープも追加できるところもあって、つまり、追スープをしてくれるところもあったりする。まあ、お腹がすいていれば少しの追加料金で何杯分でも食べられるというわけである。
「通」は、スープの残し方や替玉を頼むタイミング、紅ショウガは替玉から、などさまざまな流儀があると聞いたことがある。で、何気なくそっと見ていると、たしかにそれ風のことをみんなやっている。
こういう暗黙のルールは、何度も通わないとなかなか堂に入ったことにはならないね。ダランの流儀はいかに。


こうした本格的博多ラーメンを初めて食べたのはいつだったかもう忘れてしまったけれど、たしか80年代の福岡だったとおもう。
当時はバブルという時代でもあり、明け方まで中州で飲んで、タクシー飛ばして名物「長浜ラーメン」を食べに行く、というコースが定番だった。もちろんそこでもビールは飲む・・・、バカなことやってたね。

当時でさえ、その博多ラーメンの発祥には、中州説とか久留米説とか諸説あったが、有名なのは、戦後、満州引き揚げ組の津田茂という人がはじめた屋台説である。いろいろ研究を重ねた末に生まれた「白湯豚骨スープ」が評判を呼び、「赤のれん」という店を開いたそうで、この店は博多でも老舗として知られている。
津田は頑固だったそうだが、唯一のれん分けを許されたという店が六本木にある。これが東京で初めての「豚骨らーめん」の店、だという。僕もたまに行く。


六本木の「赤のれん」のらーめん。
僕はいつも高菜をトッピングするが、この店はこうやって別の皿で出てくる。


そこへいくと、「長浜」の場合は、いわゆる近くの卸売市場の関係者が通う屋台ラーメン群がその起源であることがわかっている。いまでは、同じ博多ラーメンでも、「長浜」といえば独自の地位を認められているといえよう。渋谷や新宿にも店があるね。粗野な感じが屋台の雰囲気を出している。
ラーメンというのは、どうして屋台がうまく感じるのかわからないけど、そもそも吹きさらしのところに暖かいスープと麺が美味しくさせるのかもしれないね。
とくに博多ラーメン系は、麺も軽妙だし、味付けもシンプルなのでスルッといく。だから、そう、いわゆるシメにはちょうどいいのかもしれない。

で、もうひとつの特徴は、麺のゆで加減を細かく指定できるところだろう。
普通の店なら、せいぜい柔らかめと普通と固めくらいが相場だが、博多のとんこつ系は、独特の呼び方があって、最低でも5段階、いままで見たなかで一番細かかったのは、8段階に分かれていた。六本木近くの店だけど。
それは、以下の通り。

 ・ばりやわ(超柔らかめ)・・・一応、メニューにはあるが頼んだ人を見たことがない。
 ・やわめん(柔らかめ)・・・「「やおめん」と表記している店もある。これもほぼ頼む人はいない。
 ・普通・・・初心者向け?
 ・カタメン(硬め)・・・無難にいくならこれかな。なぜか柔らか系はひらがなで、硬系はカタカナなのが面白い。
 ・バリカタ(硬めより硬め)・・・馴れてくればこれくらい?
 ・ハリガネ(バリよりさらに硬め)・・・これで10秒くらいの湯通しの世界だという。
 ・粉オトシ(針金よりもっと硬め)・・・たぶん5秒程度の茹で時間だ。
 ・湯気通シ(説明不用)・・・たぶんもう茹でたつもりだけの状態だろう。これも頼んだ人を見たことがないけれど、一応メニューに挙げておくだけのものだろうか。というか「生麺」、ということでしょ、そもそも大丈夫なのか。


ネットにあった類似例。らーめん紹介Siteより。

要するに、ここではいかに硬茹でを食べるかが「通」の証のようなもの、のようだ。
だからって、本当に美味しいかどうかは実験したことがないので不明。
落語のネタじゃないけど、きっと一度は柔らかめを食べてみたかった、という「通」も本当はいるのではないだろうか・・・と部外者としてはついおもってしまう。
でもまあ、麺が細いということもあって、替玉を注文してから出てくるまでがあっという間でテンポが損なわれないという流れが絶妙なのだ。

そうやって、食べ物にはそれぞれ歴史や流儀がある。それを「食文化」と呼ぶには大げさかもしれないけど、ダランはきっとその流儀、「替玉」のお得感と、単に「バリカタ」のバリに引っかかったんとちゃうか?
ま、いずれにしてもそろそろ健康を考えて、ラーメンはほどほどにしましょうね。とくに、「替玉」は控えましょう。(は/220)



おまけ。ちなみに吉祥寺にはこんな名前の店もある。入ったことないけど。
我々だとすぐ反応してしまうけれど、けっして中でバリスを踊る男性がいるわけではない。
念のため申し上げておきますが、「バリ男」の「バリ」は「バリ島」の「バリ」ではない。あしからず。



■バリとパリ

2015年12月24日 | 
昨日はいけなかったけど、渋谷で海月さんたちのイベントがあったらしい。準Tunjukの小腸姉妹が料理担当ということで、ぜひ行きたかったが、あいにく先約があり断念。会はどうだったんだろう・・・? きっと盛況だったことだろう。



それにしても、カタカナで書くと、バリとパリはよく似ている。西洋と東洋というにあらず、歴史的哲学も思考方法も真反対のような場所なのに、最近老眼も入っているので、文字が小さいと違いがよくわからないくらいだ。
それにしても、このエンブレム、割れ門にエッフェル塔という斬新なデザイン。凱旋門にエッフェル塔を乗せた初期の通天閣にも引けを取らない発想だ。
で、まあ、先日の話なら、モディアノがこだわっているのはパリ。バリではない、パリだ。で、我々がこだわっているのは、もちろん、パリではなくバリだ。内心パリも嫌いじゃないけど・・・。みんなそれぞれにこだわりと愛着があるのだ。

それで想い出したが、以前、AMさんの出版記念会のためにブックカバーをつくったことがあって、そのなかのコピーにこんなものをつくったことがあった。

  ときどき、バリとパリを間違える人がいるけど、
  エッフェル塔があるのがパリ、アグン山があるのがバリ。
  シャンソンを歌うのがパリで、キドゥンを歌うのがバリ。
  オペラ座があるのがパリで、アートセンターがあるのがバリ。
  フランス人形がパリで、ワヤンクリッがバリ。
  元子さんが好きなのがパリで、皆川さんが行くのがバリ。
  パリスがパリでバリスがバリ。
  業界じゃ、リーパーとリーバーほど違うわけ。
  ついでに言っておくと、バリにあるのがプリで、富山の氷見で上がるのがブリ。
  キイチゴがベリーで浦賀に来たのがペリー。
  何の話だったっけ????

なんだかよくわからないオチだけど。


ところで、ここのところ長らく続いていた「中華月間」も先日見事無事達成しました。おもえば、先月末の香港から始まった約1ヶ月の半分は中華生活だった。長かった。
でも、おもえばどれも美味しかったです。浜松の油淋鶏もよかったしね。
で、最後は、先日の都内の高級中華。シメとしては、ごちそうさま、でした、という感じ。やっぱり日本の中華が一番うまい気がする。
どうせだからということで、コースで用意されていたチャーハンをキャンセルし、今期の個人的慣例にならい特別に麻婆豆腐を作ってもらったら、これがまた激辛仕様。でも今年食べたなかでは間違いなく絶品でした。
ということで、今年の中華を一言に凝縮すると、ともかく「麻婆豆腐」な中華なのでした。


この店の看板メニュー、フカヒレの姿煮。う~ん、濃厚。
この際、尿酸値とか余計なことは気にしてはいけない。



特注の麻婆豆腐。激辛でした。でも旨いからしょうがない。

帰りにお土産で、DEMELのケーキセットをいただいた。
DEMELですよ、とか言われて、ハァ~、ありがとうございます、と不覚にもよくわからない返事をして帰ってから、かみさんに、DEMELって何だっけ? って訊いたら、え~?DEMELだよ、ほら、ザッハトルテの、とか言われてもまだわからない。
ああ、そうか・・・ふ~ん、そんなに有名なのか??? でも何だっけ・・・ケーキとか知らないからなぁ。ま、いいか、とやりすごしていたら、ちょうどTVでウイーン特集をやっていて、そこに本店のDEMELが紹介されていた。
あっ、ここ行った。ザッハトルテ食べた。ああそういうことか・・・この店の支店が東京にあるわけね、情けない話、そのときやっと合点がいった。
そういえば、もの凄いボリュームの生クリームが乗ってたっけ。
たしか、市内にはもう一軒ザッハトルテの老舗があって、双方とも発祥を言い合っていたような気がするけど・・・そこから先は忘れてしまった。普段甘いものはあまり食べないので、関心が赴かないのだね、きっと。

でも、う~ん、今晩はチーズフォンデュだというし、パリとバリと中華とウィーンとスイス・・・日本人の食生活も変わったものだ。ま、今日くらいはしょうがないか。(は/187)

■小さな幸せと小さなストレス

2015年11月19日 | 
先日、羽田空港で蕎麦を食べたとき、久々に缶に入った唐辛子が置いてあった。
これ、昔から感じていたんだけれど、さて、唐辛子でもかけようかとこの手の缶を持って、蓋を回すときに限って、穴の開いている方とは逆に回してしまう。
途中まで回して、逆だったことに気がつき、う~ん、戻ろうか、でももう半分回しただろうか・・・と悩み、一瞬手が止まったりする。
で、結局、回し始めた方向に回すわけだが、あ~、今日も逆に回してしまったと、理由もなく落ち込んでしまうのだ。なんか損をした感じがする。大した労力じゃないんだけどね。
みなさんにもそういう経験はないだろうか・・・、あ、そう、僕だけですね、すみません。



で、今回、久々だったので、回す前に、よく考えてみた。
穴がどちらにあるかなんて見た目ではわからない。だけど、これはきっと、使い終わったあとに、回して締めるときの動作が問題なのだ・・・。
多くの人は右利きだから、蓋を上にして、きっと右に回す。て~ことは、その逆をやれば、すぐ穴にたどり着くのではないか・・・。
果たして、それは当たっていた。
おお、正解。なんだかちょっと得した気がする。
コンビニで買物して、支払いの一円がちょうど持っていた枚数と一致したときとか、電車の乗り換えなんかで、ホームに着いた瞬間などにちょうど電車が来たりなどの喜びとなんか似ている・・・?? なんか変?





全然違う話だけど、たまに買う駅ビルの焼き鳥の包み方がいつも小さなストレスということもある。
これは、包む側の行為と食べる側の行為が一致していないためにおこる問題とおもわれる。


買って来たものを開けると、こういう風に包まれている。


でも、僕は、こうして食べたいのだ。右利きだし。


これは、きっと、パッキンしているときに、店員が、こうやって入れるからだろう。


じゃ、別にこう置いて食べればいいんだけど、
なんか、日本人としては横置きの方がしっくりくるんだけどな・・・。



ま、日常というのは、詰まらない些細な出来事の積み重ねだ。
こんなこと、話したことないけど、みんなそれぞれあるんだろうか・・・。
仕事も忘れ、ついついバカなことに神経そそぐのもどうかとおもうけど、気になることは気になるのだ。
僕がもし焼き鳥屋を始めたら、きっとここは改善しよう。お客様第一だ。

ああ、もう12時を回ってしまった。今日も詰まらない話で、どうも、すみません、でした。ま、こんなこともときどきあるわけです。(は/180)

■アンブロジアーナ食堂

2015年11月02日 | 
先週の10月末で、ミラノ博が終了した。4月末からだったから、ちょうど半年ということになる。
知り合いが出展協力していたせいで、何度か誘われたが、まあ、わざわざミラノくんだりまでランチを食べに行くほど優雅な身分じゃないし、日本館の内容なんかみていると、もっともらしいことは掲げているけれど、到底それに追いついている雰囲気でもなかったり、きっと肩すかしだろうとおもっていた。


日本館の外観。建築は北川原さん。

おそらく博覧会というのは、19世紀から20世紀前半までがそのピークであったろう。70年大阪万博の「人類の進歩と調和」までがギリギリだった。
つまり、それ以降は、一定の役割を終え、意味もないのに無理矢理やっているということだ。
19世紀当初は、世界にはまだまだ未知なる地域や文化があったし、見たこともない文物や輝かしい未来を創造させる目を見張るような新しい技術や価値観に満ちていた。そう、近代はそこから始まったという人もたくさんいる。
1851年ロンドンの水晶宮だって、1889年のエッフェル塔だってそのときできたものだ。
ちょうど、百貨店が誕生するのもこの頃だ。未だ見ぬ文物のショーケースは、無限の可能性をもっていた時代の話である。
だけれども、20世紀の後半にもなると、技術の展示も未知なる文化もあれほど大規模に考えなくても先に広まっていったし、集まって集合展示する意味がないのである。せいぜい地域振興くらいの話で持ち回っている感じだ。2005年の「愛・地球博」やそれ以降の博覧会も、エコや地球環境をテーマにするしかないわりに、資源は使うは終わった後はゴミの山というのがつねだった。


1851年のロンドン博で世界を驚かせた鉄とガラスの建築。通称「水晶宮」。
近代を語るのに、ここから始める先生も多い。


そういう意味では、昔の資料なんかをみると、良識ある文化人にはすこぶる評判がよくなかったが、それでも大阪万博時の日本は大騒ぎだった。
おこぼれで、僕なんかは、NHKで毎週やっていた各国の文化紹介番組などは欠かさず観ていたし、いまからおもえば、スタジオ録画なんかだと不自然もいいところだが、当時としては子供たちの見聞を広める役には立っていた気もする。
そう、いまでこそ、バリとかいっているが、そういうものを考える土壌は、大阪万博と「素晴らしき世界旅行」と「兼高かおる世界の旅」だった気がする。一般人には情報少なかったしね。




ともあれ、そのミラノ博で唯一興味をもったのは、NHKで放映していた「アンブロジアーナ食堂」というドキュメンタリーだった。
イタリアを代表するシェフ、マッシモ・ボットゥーラの呼びかけで始まったこの食堂は、下町地区のアンブロジアーナの教会関係の空き家を使って、万博会場で余った食材を使い、世界の一流シェフが日替わりで、ホームレスや恵まれない子供たちに無償で食事を提供するという企画である。普段は金持ちが大金をはたいても呼べないシェフたちも、もちろんボランティアだ。
これには、教会もミラノ市長も全面的に協力を申し出た。


左がマッシモ、右が成澤。

そう、余った食材を使うわけだから、当日になってみないとどんな食材が持ち込まれるかもわからない。だから、予め何を作るとかも決めておくことはできない。そういうルールのなかで、いかに最大限のクリエイティビティを発揮し、食べてくれる人を幸せにできるのか、がテーマだった。
アラン・デュカスから成澤由浩まで、6名のシェフは、それぞれに知恵と経験と技を結集する。
子供たちは、最初はワイワイ騒いでいたけれど、味がわかるのか、次第にきちんとした態度をするようになる。日々のパンさえありつけるかどうかというホームレスたちは、ここではお客さんとして扱ってくれたと涙する。この味はきっと忘れないだろう。

この世に無駄な食材などない。工夫さえすれば、どんなものからでも食べた人を幸福にする美味しいものが生まれるのだ。それを産み出すのが、シェフの天命というものだ。
ここまでできるのは、並大抵の腕と努力が必要だろう。この企画では、シェフたちそのものも楽しんでいるように見えた。

相変わらず、世界では12億人が1日1ドル以下で暮らし、8億人は飢餓に喘いでいても、日本では、約3割の食べ残しと、1日5万トンの食材を破棄しているそうだ。
日本館は、「いただきます、ごちそうさま、もったいない、おすそわけの日本精神」をテーマにしていたが、はたしてそうなっているのだろうか。
人間は食べずには生きられない。だから殺生もする。相互依存の関係だ。
それに、人間らしい食とは、本当は飢えを満たすだけでなく、どんな食材でもその置かれた状況次第では、人々の絆と幸福にもつながる可能性ももっている。
万博会場を離れた下町の外れの場所で、ここにはこんな人たちもいる。シェフたちの姿はそういう未来を信じているように写っていた。(は/176)




ああ、明日からまた上海だ。来週は札幌とまたロードだ。
次はいつになるかわかりませんので、あしからず・・・。
また次回まで、ごきげんよう。

■昔ながらの新宿

2015年09月04日 | 
今日は午前中に打合せがあって新宿に行った。
考えてみたら、午前中の新宿なんて久しぶりだ。若い頃は「早朝の新宿」はよく知っていたけど(つまり朝までいたということ)。
ま、だいたいは歌舞伎町のジャズバーかゴールデン街のしょぼいバー辺りにいて、12時を過ぎる頃には二丁目のレガエバー「69」で適当に過ごし、2時か3時を回った頃には近くの「ニューサザエ」にちょっと寄る(ニューサザエはまだあるらしい)。いまからおもえば、LGBTのたまり場だ。
で、朝日が昇る直前頃に、名前を忘れてしまったが、南新宿のバラック風の店で名物の豚足を食べて締める、というコースだった。この豚足がまたとろとろでうまいのだ。ついまたビールを飲んでしまう。
締めが豚足というのも沖縄じゃあるまいし、いまから考えるとなんでそうなんだろうとおもったりするけど。

そっちに行かないときは、大久保のブラジリアンか、木造二階にある靴を脱ぐ店(これも名前を忘れた)で、目玉焼きで締めるというのも結構やった。
この店の目玉焼きは白コショーが山のようにかかっている超逸品だった。だから僕はいまでも目玉焼きだけは白コショーじゃないといけないのは、このせいだ。
半分は付き合いだったりもしたけれど、みんな同じようなコースを辿るので、新しい店なんか開拓すると、また行ったりする。そうやって、バイト代は露と消え、また財政再建に時間がかかったりするのだ。
でも最近は、ノーマルにもっぱら夜ばっかり。あまり深入りはしない。


喫茶「らんぶる」。午前中なのでほとんど人がいない。

で、今日は、打合せがこの「らんぶる」という喫茶店だった。この店も古い。昔、一度だけ来たことがあった。
だいたい新宿で打合せといえば、「談話室滝沢」か「ルノアール」と相場が決まっていたが、どちらも時代とともに価格が上がり、昔ながらの料金はここくらい、なのだそうだ。そこを指定してきた人が言っていた。
それにしても、ま、たぶん一度も改装なんかしていないんだろうな、こういう店、確かに昔はあったけど、いまとなっては空間が骨董だ。


それで調子が狂ったというわけではないけれど、打合せが終わってちょうどお昼どきだったので、たまには新宿で食べてみよう。
新宿でランチといえば、高野や中村屋は別として、よく行ったのは、「開花ラーメン」とか「つな八」とか・・・。
で、ふと紀ノ国屋書店の前を通ったせいかどうかわからないけど、なんだか吸い寄せられるようになんと「Mon Snack」に入ってしまった。これも午前中のレトロ潮流のせいだ、きっと。
ここも古い。昭和39年。オリンピックの年にできたカレーの専門店だ。でも、しゃばしゃばの独特のカレーはテッパンだ。今回は、がんばって唐揚げカレー。若い頃なら、一番安いポークカレーにせいぜい生卵、それがここの流儀だ。
この赤と緑の漬け物がまたいい。ご飯をシンメトリーに置いてみたら、トリコロールのようでもあり、ラスタのようでもある。なんだかだんだん呪術的な何かに見えてきた。そうやってつい遊んでしまうのが悪いくせだ。








京王が、「新宿カレー」というのを出していて、これはダランの好物のひとつだ。通販で取り寄せているのを僕は知っている。
でもまあ、新宿といえば、日本で最初のインドカレーも中村屋だし、銀座辺りと双璧な場所だ。きっと、いろんな店から生まれた若者の独自なカレー文化があったとおもわれる。
60年代の新宿は若者の街。「書を捨てよ、町へ出よ」な人たちがたくさんいて、新しい文化や未来もあった町だったろう。
そんな時代の生き残りが、この店なのだ。紀ノ国屋地下ということもあり、いろんな文化人や演劇関係者のサインが溢れている。きっといまでもみんな密かに通っているに違いない。
地下の片隅で、往年の新宿を守り続けている人たちもいるのだ。(は/151)


■東西冷製

2015年08月06日 | 
暑い。今日あたりは発表では36度なので、やはり実質40度は越えているだろう。いま、ちょっと外へ出てみたけれど、まるでサウナのようだ。服を着た状態のサウナなんて考えただけでゾッとする。

そういうときは食欲も出ないけれど、たいがい辛いものを食べるか、冷たいものを食べるか、ということになる。
外に出るのも勇気がいるので、事務所で自炊。
昨日のランチが「そうめん」だった。スーパーで買った「揖保の糸」に、青じそと茗荷の刻みが薬味。それに奴と茄子の煮浸しと漬け物。5分でできるランチだ。
一見シンプルだけど、これで意外とカロリーがある。たぶん700キロカロリーくらいはあるだろう。そう、豆腐とかそうめんは案外カロリーあるんです。




で、今日のランチは、じゃ、洋風で、ということで「冷製カッペリーニ」にしてみた。
カッペリーニに、トマトとオリーブオイルと塩とバジルと隠し味の昆布だし。サイドにカニサラダ。締めて400円。これも5分でできる。
ま、どちらもそれなりにうまくいった。やはり毎日中華は辛いし、昔の日本人は全部日本食だったから、それならそれでいいとして、困ったことに、いまどきは、西のものを食べたり、東のものを食べたりしないと飽きてしまうようになってしまった。
やはり、東西は、「冷戦」よりも「冷製」の方がいいね。




ダランに頼まれた浜松のチラシも納品になったし、今日はこれから出張だけど明晩には帰る。そして明後日から夏休み・・・、といっても、10日と11日は出張ですが。
で、あとは、さあ、14日の横浜ワヤンだ。まだまだ暑いだろうけど、がんばろう。
だから、ブログは17日までお休みだ。

しかし、この暑さ、いつまでつづくんだろう。「冷静」にものが考えられなくなったきた。(は/136)

■多聞の時間

2015年06月29日 | 

多聞名物そば豆腐とB

美も富も関係なく、我にかえってみると、最近は妙な疲労が蓄積していて困ったもんだ。
でも、そこをおして、昨日、久々に深大寺のそばや「多聞」に行ったみた。
なんとか晴れていたし、行ってよかった。午後遅めだったので、並ばずに入れた。ここは屋外席が気持ちいいのだ。
ここは、ダランも(か)さんも行ったことがある店。最近は浮気してその近くの「湧水」という店に行くことが多かったけど、たまには食べたくなる店のひとつでもある。




多聞とは、たぶん多聞天のことだろうか・・・。
多聞天といえば、別名毘沙門天。持国、増長、広目とともに仏教四天王のひとつ、北を守る仏神だ。ちなみに、方位でいえば、東が持国、南が増長、西が広目と決まっている。
毘沙門天となると、なぜか七福神にも加えられているけど、これも元を正せば、きっと例のインドでヒンドゥが広まってきてできた化身のひとつだろう。
仏像などでよく見るときは、中国の戦士のような鎧をつけて、邪鬼を踏みつけているのが通例だ。東大寺金堂とか興福寺の四天王像がそれだね。つまり、南都から平安にかけての仏教で扱われることが多いのだ。
深大寺も天台宗の寺院だからであろう、そういう意味ではまさにそれだ。深大寺は、武蔵野にあって、浅草寺と並ぶ江戸では最古の寺のひとつなのだ・・・。

なんてことを密かに巡らしつつ、要はそば。かみさんが好きな「多聞そば」もあるけれど、その前に名物「野草てんぷら」でビール、というのが僕の定番だ。
で、その後、「深大寺そば」。このそばは並で普通の店の大盛りくらいあるけれど、そこをさらに中盛りで頼む。だから通常の店の三倍はある。多いとはわかっていても、ここに来るとついついこれを頼んでしまう。わるい癖である。
みなさんもお近くにお出かけの際は、ぜひ一度。


名物「野草てんぷら」。これがいつも実にいい感じ。


多聞の深大寺そば中盛り。大盛りは普通の人が見たらびっくりする。でも、ざるを裏返してパラパラくらいしかないそばやよりこっちだろう。


案の定、お腹いっぱいになり、隣の植物園をしばし散歩する。
季節柄、いろんな草花が咲いていたけれど、かみさんが教えてくれた「アなんとか」という花がきれいだった。でもやっぱり長過ぎて覚えられない。ま、そのうち覚えるでしょう。




帰り道、かみさんにはいつも運転してもらってわるいな、とおもう。
どんなに疲れていても、たまには日曜の時間も必要だ。こういうときは仕事のことも、日常のことも、何も考えないことにしている。それだからきっと何かを守護する時間になる。これも多聞の時間なのだ。(は/117)

■篤蔵とエスコフィエ

2015年06月15日 | 
昨日、TBSの「天皇の料理番」という番組を観ていたら、主人公の秋山篤蔵が、なんとパリのリッツで働いていて、エスコフィエがグランシェフだった。

「天皇の料理番」は高校生の頃、堺正章主演でドラマ化されたことがった。受験勉強(あまりしなかったけど)の合間に観たりしていたが、ま、そのリメイクということらしいのと、主題歌が威風堂々だったので観る気になった。
当時の放映は半年クールだった気がする。TVドラマも子供の頃は大河ドラマのように1年という単位が多かったが、それがだんだん短くなって、いまでは3ヶ月、といっても前後は特番なので、だいたい10回程度の放映スケジュールが定番になっている。なので、気がつくと終わっていた、なんとこともよくある。
視聴者が飽きやすいのと、スポンサーがあまりバクチをしなくなったためだろうか・・・。その分、高い視聴率を取った番組は、その後、セカンドシーズンやサードシーズンができて、飽きられるまでつづく。これは海外の手法だろうか、「24」や最近もやっていた「ダウントン・アビー」などもその口だ。
関係ないけど、それに比べたら韓流はすごいね。

ともあれ、このお話の主人公、秋山篤蔵は実在の人物である。もちろんフィクションや演出はあるだろうけれど、実話というのは説得力がある。実際にパリにも行ったし、日本にフランス料理を広めた人物でもある。
その篤蔵が最後に師事したのが、オーギュスト・エスコフィエだったのだ。
エスコフィエは、セザール・リッツとともにフランス料理の近代化とホテルのレストランやサービスやオペレーション・システムというものを確立した人物である。
なぜ、そんなことを知っているかというと、仕事の関係で、単純にいろいろホテル史をかじったからだけど、まあ、まず基本のひとつ。おそらくホテルマンで彼の名前を知らない人はいないだろう。
簡単にいうなら、近代のホテルというのは、欧米の共和制民主化によって生まれた都市の社交場兼迎賓館というべき場所。フランスなんかでは、もう王侯貴族はいないわけだから、資本家と裕福な市民が、ルイ王朝の様式や贅を模倣してつくったというべきかもしれない。
一般にそれは「グランドホテル」というスタイルを差し、世界中に波及した。日本にもそういう名前、結構あるね。ちょっとリアリティないけど。
そう、だから、レストランとか高級ホテルというのは、フランス革命以降、職にあぶれたシェフや執事たちの働き場でもあったのだ。

 
セザール・リッツとオーギュスト・エスコフィエ


そこに革命的成果を出したのが、リッツとエスコフィエのコンビである。
リッツは、スイスのあまり裕福ではない家の10人以上いる兄弟の末っ子として生まれた。当日の末っ子というのは、遺産相続なんて期待できない。もう勝手にどこにでも行け、という扱いである。
だから、彼は靴磨きや売春宿なんかでも働いたし、ヨーロッパ各地をまわって、手当たり次第に修行したという。才覚のある人というのは、そういうのを全部無駄にしない。人は何を喜び、何を求めるのか・・・、きっとそういう時代に学んだのだ。
とくに、南仏で伝染病が流行るとホテルというものは経営がおかしくなるという経験をして以降、ともかく衛生面を徹底的にする方法をつくりだした。これがよかったらしい。ヨーロッパといえども、当時は衛生的ではなかったということを物語っている。ホテルは安心できる場所でなければならないのだ。

で、ま、エスコフィエと運命的な出会いをしてからは、さまざまなホテルの近代化を成し遂げて行く。
たとえば、浴室の設置(当時、風呂は部屋にはなかったのだ)、専用電話の設置(最新鋭の装置ということ)、カスタムメイドのデザイン(インテリアや家具だけでなく、コースターにまでロゴを入れるのはこのときから)、ダイレクトメールや顧客管理システム(だから上客は名前で呼ばれる)、販促イベントの実施(ホテルイベントの原型)など・・・、で、あとは有名人の宿泊強化。
パリのリッツには、ココシャネルが住んでいたし、ヘミングウェイやプルースト、サルトルやチャップリンも常連だったし、近年では、ダイアナ妃が最後に食事したのもリッツだった。
映画なら、ヘップバーンの「昼下がりの情事」やショーン・コネリーの「ロシアより愛をこめて」などで記憶している人も多い。以来、誰が泊まったかはホテルの大切な物語になった。
いま、常識的にいわれている「お客様は常に正しい」とか「私たちはお客様に満足を売っている」などのホテルマンの常套句は、彼によって生まれた概念なのである。全部19世紀後半の話である。
ま、帝国ホテルとか、そういう種類の一流と呼ばれたいホテルが目指すある種のひな形なのだ。
ちなみに、ヌサドゥワにあるリッツカールトンは、彼らとは関係ないアメリカ企業ですが。

一方、エスコフィエもいろんなことを近代化した。
たとえば、コース料理の創出。
当時のレストランというのは、一度に全部出してしまう形式で、これではだんだん冷めてしまって味がキープできないし、順番通りワインを楽しむこともままならなければ、サプライズもやりにくい。
日本でも、茶の湯の懐石が、スペースもなかったということもあるだろうけれど、暖かいものは暖かいうちに、ということで、順番に出す方法を生み出したのと似ている。それまではだいたいが本膳料理。つまり、銘々膳に一挙に食事を並べる方式だ。いまでも温泉旅館や地方の宴会などではこれが主流だね。
他にも、ホテル内の料理人を部門化したことなどが有名である。つまり、このときにパティシエとかパン職人とかソムリエとか、いろいろ分化専門化したのである。
これは、ホテルとしては実に効率的なのだ。たしかに縦割主義や癒着等の功罪はあるにしても、モチベーションや専門性は高まるであろうし、管理も統一できるというものだ。
そして何よりの功績は、料理のレシピ本「料理の手引き」という本をまとめたことである。約5,000種類のフランス料理のレシピが入っているという。
1903年に出版されているので、篤蔵がパリに行った頃にはすでに出ていた、ということになる。日本で手に入ればねえ・・・、などとかみさんと話しながら観ていた。

ただし、このふたり、必ずしも良い人だったかどうかはわからない。山っけもあるし、投資家とのやり取りの記録を読むと、苦労人でもあったかもしれないけれど、そののし上がり方は十分商売人でもあった。
「真心」が通用するかどうかはわからない。



カトリーヌ・ド・メディチの肖像

フランス料理ももともとはイタリアからやってきたものである。メディチ家のカトリーヌ・ド・メディチがフランス王アンリ二世と結婚したときに、スプーンやフォークやマナーという概念、ついでにアイスクリームなんかを持ち込んだといわれている。
以降、宮廷を中心として発達したフランス料理は「オートキュイジーヌ」と呼ばれ、ヨーロッパ各地の晩餐料理になっていった。いわゆる正式な高級料理という意味だ。
それを改良、発展させ、ホテル・レストランとしての様式を確立したのが、エスコフィエであったのだ。
だから、篤蔵が行った頃のエスコフィエといえば、天下一のシェフという地位にいたわけだ。
で、それが長らく料理の王道として発達していったが、それから半世紀ほど経って流行り始めた「ヌーヴェル・キュイジーヌ」(新しい料理)は、皮肉にも、エスコフィエのつくりだしたものへのアンチから生まれたのである。
もうゴテゴテの料理や皿は出さない、ときに絵画のように美しく、素材重視のスモール・ポーションがいい、というわけなのだ。これが世界にウケた。
いまではさらにそれが発展して、スペインのエル・ブジや各地のアラン・デュカスの店やNYのブーレやロブションなど先端的料理になっていったけれど、そこに絶対的影響を与えたのが、実は日本料理なのであった。彼らは毎年日本に来ている。


エル・ブジの厨房

だからいまのフランス料理は、日本料理なしでは語れないし、フランスなどから多くの料理人が日本に勉強に来ているのだ。ShoyuやShitakeやKombu、UMAMIを知らない料理人はいない。
日本料理はいまでは世界遺産。巡り巡って、そんな時代になったのだ。

エスコフィエや篤蔵が生きていたら、どうおもうだろう・・・?(は/110)


秋山篤蔵