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 玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■「バスキ」の背景

2016年08月20日 | ワヤンよもやま話
台風を微妙に避けて北海道を往復した。気温は3℃近くあったけど、やぱり湿度は低く、過ごしやすかったです。
今回の展示も素晴らしかったです。たくさんの方に来ていただき、感謝。詳細はまた後日。


では、話しを戻して、「ドラゴン」と「龍」の関係について(結構しつこいね)。
でもま、そのルーツは、有名な古代メソポタミアの「ティアマト」神話とされている。だいたいにして、農業の発祥もそうだし、文字や文様や神話の発祥も、あるいは鉄器やビールや車輪などさまざまな発明に近いものの発祥はメソポタミア周辺であることが多い。こういうイメージもそうなのかもしれない。


ユーフラテス川。雄大だ。

龍らしきものに関してなら、最も古いのは、古代シュメール文明のなかに洪水伝説のなかに龍とも蛇ともつかないシンボルが登場することなどが挙げられる。紀元前4千年前の話である。それが古代バビロニアに伝承され、「エヌマ・エリシュ」という天地創造神話になったことがわかっている。
英雄「マルドゥク」は、水の神「ティアマト」を退治し、ティアマトから天と地をつくったという神話である。「ティアマト」とは「洪水を起こす龍」であった。だから神話上、それは英雄によって「退治」されるべきものだったのだ。

おそらく当時、洪水は最大の災害であったろう。紀元前2600年頃成立した叙事詩「ギルガメシュ」にもある「洪水伝説」は、その後、ゾロアスター経、ユダヤ教の「方舟伝説」にもつながっている。
聖書の創世記に伝承されるこれらの物語によって、「龍」は、次第に神の敵である悪魔的?存在になっていったと考えられる。


左がティアマト、右が勇者「マルドゥク」とされている。


一方、「蛇」は、そもそもエジプトがそうであったが、王権ともからんできたし、エジプト出身のモーゼも含め、信仰に対象であった。しかし、ユダヤ教からキリスト教が分離した際、蛇は邪悪な象徴とされ、だからこそ、アダムとイヴを騙した存在になった。
この時点で、キリスト教圏では、蛇も龍も悪者になったのだ。

ただし、キリスト教圏で唯一、蛇信仰を受け継いだのは異端とされた「グノーシス派」だった。
グノーシス派は、簡単にいえば、「知恵」の宗派である。普通はよく悪と善、物質と霊魂の二元論で知られるが、実はそう単純な話しでもない。けれど、要は、生身のキリスト伝説は認めず、霊魂としての神、神秘的な霊力の知恵が人々を救うと考える一派ということはできるだろう。
彼らはその蛇を「知恵」の象徴とし、ダランも好きな「ウロボロス」をシンボリックに多用したことでも知られている。
要するに、「グノーシス派」にしても「カバラ」にしても、神秘主義や異端とされた考え方の一派は、すべからくアジア的?多元主義なのである。「唯一絶対」を主張する人たちからはまず理解されないのだろう。


ウロボロス。

・・・こんな話しをダラダラやっていると、また長くなるので端折るが、後にそれらの話しが古代ギリシャの英雄譚になり、ここで初めて「ドラコーン=ドラゴン」に変容する。それがゲルマンの北上によって、北欧伝説につながったのである。


やっと話しが戻ってきた。話しを少し整理しよう。
まず、「龍」の類は中国黄河文明とメソポタミア文明にシンボライズされた幻獣であった。そして共通して「水の神」であった。それぞれの大河は、屈強で強大な影響力をもった幻獣に成長し、一方は王権の象徴となり、一方は退治される悪になった。
時代的には、メソポタミアの方が古いだろうし、いろんな技術も先行していただろうが、かといって、中国は中国でやはりルーツの蛇信仰のようなものはあっただろうから、それらがどう伝播したかは古すぎてわかっていない。
けれど、たぶん、ティアマトのようなイメージは、どこかで伝播し、中国にも伝わっていたのではないかとはおもわれる。
このことは、いずれもっとシルクロードや中央アジアから資料が出ないと正確には判明しないだろう。

ただ、どちらにしても、それらの発祥はおそらく「農耕」と深い関係がある。つまり、定住農耕する際にもっとも大切なものは「水」であり、「水」を治めるものが天下を治めるからだ。「治水」とはよくいったものだ。
バリだって、世界遺産に指定された背景には、その水利システムとしての「スバック」があった。

要するに違いはなにかというと、「水」というその「自然」とどう向き合うかというところに、「砂漠の民」と「森林の民」の差がついた、としかおもえない。
つまり、自然を制御の対象とするか、自然の有り様を天命と考えるか、の違いである。コントロールするなら、敵対し灌漑するしかない。これを英雄が龍を退治して世を治める神話にしたのだろう。
だが、天命と考えるなら、人間も自然の一部であり、天を味方につけたものが世を治めるとした方が馴染みやすい、ということになる。


日本やインドも含め、その他の地域では、「龍」以前に、おおむね「蛇」信仰が水の神と結びついていた。
ナーガも雌のナーギとともに雌雄となるし、中国にさえ秦の農業の神、蛇身の伏義(ふくぎ)と女媧(じょか)の伝説もある。そういう雌雄の蛇の存在は、豊饒のシンボルであり、得体の知れない不思議な神々しさがある。
同時に蛇はどこでも男根や渦巻きであり生命力を表す存在、畏怖と恐怖の対象であったのである。


伏義と女媧。

そこに次第に「龍」が伝播し、「蛇」は同一視されたり、共存したりした。これが世界の象徴体系になっていった、というのが状況であろうか・・・。ともかく共通するのは、「水」である。
おぼろげに、「龍」と「ドラゴン」と「蛇」の民族的世界地図が見えてきただろうか・・・?


海の上のナーガに乗るウィシュヌ。よくある構図だ。

いずれにしても、「ナーガ」の元は「蛇」である。
が、中国文明も影響するバリでも、ヒンドゥ文化をベースに、多少「龍」のイメージをダブらせながら、超越的に世界を飛翔する不思議な幻獣になったのだろう。
だから、大河の行き着く先、大海を撹拌し、世界を創造するのは、龍神バスキの登場が不可欠だったということだ。
これが「バスキ」の背景にあった、のではないだろうか。(は/253)


「ムナラ・ギリ(乳海撹拌)図」(バリ)。


なんか、大河ドラマになってしまって、すいやせん。
全部ウソです。いやホントです。いやまだ大筋は仮説です。


■蛇の国

2016年08月16日 | ワヤンよもやま話

傅抱石作。河伯図。

おそらく、中国の影響を受けたアジアの大半の川の源神は「龍」であろう。そもそも黄河の神、かの「河伯」は龍である。
なので、皇帝や王権と龍が結びついた最大要因も、川や水を支配する龍というイメージに起因するのが定説なのである。同時に、だからこそ「龍」は雨を司る天を飛翔する存在でなければならなかったと考えるべきである。

「千と千尋の神隠し」で、千尋を助ける空飛ぶ龍は「ハク」だったのも、風呂に入りに来る川の神も龍の化身だったのは、それらのイメージと神話を踏襲しているからであろう。要するに彼らは「川の神」である。
それが、日本の場合の多くが「蛇」にとってかわる。


千とハク龍。©スタジオジブリ
千もハクも湯婆婆に名前を取られたので、支配されることになった。
実名敬避俗。「一言主」以来、日本では、本名を明かすことは支配されることと同じだった。



実は、日本もインドと一緒で、縄文以来の「蛇」信仰の国であった。
縄文時代の名前の由来となった縄の文様の意味は、絡まり合う雌雄の蛇の象徴だというのが最近の通説である。古来、装飾とは単なる「飾り」ではなく、呪術的な意味の編み目なのである。豊饒の祈願や生への希求がある。
他にも、頭上にマムシらしきものを戴いた土偶もたくさんある。


ご近所、武蔵野三鷹遺跡、井の頭池遺跡群より発掘の縄文後期の土器。
縄で跡をつけた文様になっている。



(か)さんの別荘近く、茅野の藤内遺跡発掘の土偶「巳を戴く神子」。
後ろ頭に蛇(マムシ)らしきものをいただく。



正月を代表する注連縄も鏡餅も蛇の象徴である。
注連縄は、縄文と同じで、民俗学上は「雌雄の蛇の交尾」の形象化とされているし、鏡餅は「カカ(蛇)」がトグロを巻く蛇の形象で、上から見ると「蛇の目」になっている。




以上、Websiteより。

三種の神器である「草薙剣=天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)」は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尻尾から取り出されたものだし、天照のご神体、八咫鏡(ヤタノカガミ)も「カカミ(蛇身)」であり、まぶたのない蛇の目の象徴ともされた。
要するに、剣(男根)→鏡(蛇)→勾玉(子孫)という繁栄の循環を表しているという説がある。「千代に八千代に」だ。そう、日本は昔から「三」と調和とその循環の国なのである。「トリ・ヒタ・カルナ」だ。
そしてこれらは天皇の証でもあり、普段は「御船代」といわれる神輿の保管されている。見ると目がつぶれるというので、見たいとはおもわないが、船の代理品に保管されているというのもミソである。


もちろんレプリカです。目は潰れません。

それと、そもそも神武天皇は、蛇神から生まれたとされている。日本もまた龍ではないが、王権は「蛇」から生まれたのである。
また、吉野裕子によれば、「禊(みそぎ)」も、本来、蛇の脱皮から来ているという。身を削ぐということである。つまり、儀式にも蛇はシンボライズされてきたのである。
さらに蛇は、男根=豊饒、雨乞い、生命力の象徴にもなったし、山をご神体としているところは、実は大切な水源を守る「蛇」を暗喩しているとされている。
ここでもやはり蛇は「水」との深い関係が位置づけられているのである。




龍神が水源を守る奈良大神神社と三輪山。出典book.geocities.jp

で、ここが日本ぽいというか、「蛇」は畏敬の対象であり、同時に嫌悪される対象でもあり、その両義性から「禁忌」の存在にもなったのだろう、ということである。
神の類するものは、すべからく「和魂」と「荒魂」がある。恐ろしくもあり、忝きもある。
本居宣長なら「神とは畏きもの」。貴きもあり賎しきもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪しきもある、ということである。
「もののけ姫」のカミが、命を吸い取ることもあり、命を与えることもある両義的存在だというのもそれらが踏襲されている。

一方、日本の龍は、中国から輸入されたシンボルであったが、その伝説とともに寺社や十二支など広く普及したせいもあって、かなりポピュラーではある。
そして、そのイメージは千年近く経ってもなお、中国でつくられたイメージからあまり変化がない。つまり、国風化されていないのである。
ということは、「蛇」と「龍」は、「水」を介在して民俗的に共存しているシンボリズムだろうか。
概ね、「蛇」は神道系、「龍」は仏教系の棲み分けになる。が、そこはまあ、曖昧にするのも日本の特技だ。「寛容」と「融和」。「龍」であって「蛇」であるものたちもたくさんいる。化身も変身もあるのである。

ともあれ、遠く離れて日本とインドとエジプトと米大陸や先住民族文化には「蛇」信仰の風土が根強く残っている。
そこは、龍になれきらなかった蛇。または、龍と共存する蛇の国々なのである。(は/252)


明日からまた札幌だ・・・。
なので、この続きは、ラた、マいしゅう。


■龍か蛇か

2016年08月15日 | ワヤンよもやま話
何年か前に沖縄を中心にベストセラーになった「テンペスト」という本があった。シェイクスピアではない。池上永一の小説である。
池上は那覇出身の作家で、読んだことがあるのはこの「テンペスト」と「シャングリ・ラ」くらいだが、どちらも長々編、伝奇的で幻想に満ちた世界観のある作品だった。


(首里城公園HPより)
首里城正殿。右が和式の内殿で、左(北)が中国式の執務殿となっている。
和と漢を両立して、万国津梁を図ろうとした琉球の様式である。


未来の炭素文明社会を描いた「シャングリ・ラ」を最初に読んだときは、いったいなんだこの驚異的世界は!という独特の描写に驚いたものである。科学と民俗と融合したSF的創造がすごかった。
それに対し、この「テンペスト」は、様々な公私の障壁を乗り越え、中国(清)と日本(薩摩)に挟まれた島国琉球を救う官僚「孫寧温(そんねいおん)」の奇想天外、超人的活躍を描いた伝奇風小説である。
最大の障壁とは、「寧温」が女性である、ということ。当時、国を左右する官僚は男性でなければならなかったため、寧温は、中国の宦官という触れ込みで見事「科試(こうし)」に合格するのであるが・・・。ま~、いろいろあるので、興味のある方は、本をどうぞ(映画やドラマはあまりお薦めできませんが)。



当時の尚氏首里城は、表の王宮殿と裏の御内原(ウーチバラ)の二層構造になっていて、男子禁制の御内原には、王家の守護オナリ神である聞得大君(きこえのおおきみ)、つまり「ノロ」の頂点がいて、宗教上の霊験を司っていた。
寧温は、昼は官僚、夜は御内原の世界を生きる超越者?なのである。

その寧温の本名は「真鶴(まづる)」という。長くなったが、その真鶴が生まれたときの描写がすごいのだ。
首里城に暗雲立ちこめ、雷鳴の鳴り響くなか現れたのは、出ました、「龍」であった。その龍は、そのままいまにも生まれようとする真鶴の生家へ飛ぶ。そう、真鶴は、龍の申し子だったのである。
「テンペスト」という題名は、寧温の波瀾万丈の人生よりも、ここにイメージのポイントがあったのではないかと、いまはおもう。


ちなみに、首里城瑞泉門手前にある「龍樋」。やっぱり吐水口には龍がいる。(首里城公園HPより)


こういうストーリーは、古代から中国、韓国では当り前だった。王権を担う者、覇権を持つ者、超越的な能力を持つ者の誕生には必ず「龍」がいた。
そして、覇権者の出自神話では、ほぼ必ず龍と高母の間に生まれたのが、皇帝や王族の祖なのである。だから、「龍」というのは、王権を保証する存在であり、神秘の力の源とされてきた。

いまの紫禁城も、太極=北極星(紫微星)に向かう直線上に構成され、王宮や玉座や儀式は「天」と密接な配置がなされている。つまり、天命をうけて天下を治まるのが「天子」だからである。それを保証するのが龍なのである。
だから、龍は天を舞わなければならない存在であり、玉座もそうだし、黄色い王衣にも必ず龍が刺繍されている。


北京の紫禁城空撮。南から真北を見た写真。後ろに山がなければならない。


乾隆帝の朝服図。


韓流ドラマ「トンイ」の王様スクチョンも龍を羽織っている。いい人だった。


その龍は、いつしか鹿の角と蛇の外形を持ち、魚鱗のある外皮とワニの腹、鋭い眼光と長い髭と鉤爪の四本脚で雲間にトグロを巻きながら天に飛翔する混成獣となっていった。
そのイメージは、主に鎌倉時代に禅宗とともに日本に伝わり、いまでも多くの寺や神社にも描かれたり彫られたりしたものが残っている。ただし、翼はないし、火は吐かない。
ちなみに、五爪の龍がもっとも神聖なものとされていて、弱点は喉元(やっぱりこれも喉元だ)の逆鱗だという。そこにちょっと触れただけで猛烈に暴れだす、「逆鱗に触れる」とはこのことだ。


狩野探幽筆。妙心寺法殿天井の雲龍図。別名「八方にらみの龍」ともいう。
なぜ「円」なのかというと、それは中国の世界観で「天円地方」、
つまり天は丸く、大地は方形という意味からである。



いまのアジアでは、中国で熟成された「龍(ロン)」とインドで確立した「ナーガ」が代表的それ的存在である。日本の龍はロン系であり、ナーガはおかげさまでワヤンではレギュラーのようにいつも登場する。
じゃ、どちらが古いか、といわれると、それはやや微妙である。
中国では、甲骨文にも青銅器にもすでに龍を示す文様や記載があって、どうやら秦から前漢の時代にはいまのイメージが確立していたらしい。ということは、少なくとも紀元前3世紀以上にはなる。
一方のインドでは、そう簡単ではない。つまり「龍」がいたのではなく、あくまでその対は「蛇」だったのである。

インドにおける「蛇」の歴史はかなり古い。
インダス文明ですでに守護神らしい蛇は確認されているので、おそらく紀元前2000年以上前には土着的な「蛇」信仰があったとされている。
しかし、その「蛇」は、インドに侵攻してきたアーリア人の神インドラによって抹殺されてしまう(バラモン時代)が、簡単にしてしまうと、それは新たに勃興した仏教によって土着信仰は習合され、「蛇」は守護神の地位に復活するのである。

この「蛇」とはおそらくコブラのことである。
アーリア人からすればコブラは猛毒で駆逐の対象だったろうが、土着の信仰では、むしろ畏怖の存在、敬って災いのないようにすることから守護の考えが出てきたのだろう。
結局、6~7世紀前後に仏教(密教)からヒンドゥ教になっても、そのイメージは踏襲されたわけである。
つまり、それが「ナーガ」の原型である。
だから、「乳海撹拌」のウィシュヌも、シワ(シヴァ)も蛇(ナーガ)と近しいわけである。


シヴァ神。つねに蛇が巻き付いている。

ではなぜ、ナーガは龍と同一視されるかというと、それは、玄奘三蔵など天竺留学した仏僧たちがそれを同定したからである。
ナーガは龍王と訳され、中国に伝えられた。八大龍王として仏法の守護神となったのである。今年の演目「ムナラ・ギリ」に登場する「バスキ」もそのうちの一龍王とされている。
その際、ナーガは、中国にすでに概念化されていた「龍」と同一化され、龍王になった、というのが概ねの見解である。


長谷川等伯筆。龍雲図。

で、同一視されたその背景にあるもの、それらに共通するものというのが、一言でいうと「水」との親和性である。「龍は水から生ず」である。
中国の龍に雲が付き物なのも、いわば、「水」との関係から来ている。つまりは、「雨」(恵み)と「洪水」(災害)を司っているのである。だから、龍は雨乞いの対象にされたし、空海も龍を呼ぶ雨乞いの密教勧請をやった。
「ナーガ」ももともとの土着がすでにそういう性質をもっていたのに加え、仏教では龍王である以上、やっぱり雨乞いの対象であったのである。そういうところが龍と同定された最大要因なのである。だから、インドで釈迦が洪水にあった際、それを助けたのも「ナーガ」とされたのである。

なんでこんなこと長々書いているのかだんだんわからなくなってきたが、ま、ワヤンのキャラクターというに及ばず、「龍」のシンボリズムは、洋の東西をまたいで、たくさんの示唆をもっていると昔からおもっていたということ。
それは、文化伝播の一筋の道、象徴体系のひとつ、なのである。(は/251)



ちなみに、これはオマケ。
先日、今治の消防署に行った際に見つけたもの。
「竜吐水」とあるが、要するに江戸時代の消防ポンプである。
水鉄砲をさらに工夫改良し、水槽と結合させたもので、
放水する様が竜が水を吐くように見えたことから名付けられたそうだ。
こんなところにも、やっぱり水を司る龍がいる。



■ドラゴンのクエスト

2016年08月05日 | ワヤンよもやま話
いよいよ今年の五輪も始まろうとしている。なんだか問題山積みのようだけど、日本も含め、あんまり政治や商売とばかり結びつかず考えられないものだろうか。五輪に群がる人々をみているとこっちが辛くなる。

ともかく、今回は初の南米開催という記念すべき大会だ。要するに最南の地、ということだね。
では、最北はどこかというと、それは94年のノルウエー・リレハンメル大会だ。開会式では、ラップランドの伝統文化も織り込み、幻想的な演出だったのが印象的だった。


IOC公式サイトより。

それと、閉会式も実に北欧らしく、印象に残るものだったのをよく覚えている。おどろおどろしい樹木の下、怪しげな音とともに雪の地面から立ち現れた黒い魔物たちが舞踊る不穏な世界観。そこに舞い降りる天使たちと神々しい光の対比。
魔物たちことを「トロール」という。ムーミントロールのトロール。つまり妖精でもあり妖怪でもある伝説の存在だ。普通は地下世界に住み、光や聖なる鐘の音などに追い払われる存在だが、実は彼ら、地下の黄金を守るドラゴンの使者でもあるのだ。
「となりのトトロ」も実は「トロール」なのではないかと密かに疑っている。


北欧の森の妖精。妖精は、自然そのものでもある。ある種のアニミズム的考え方だ。(Websiteより)


そう、ドラゴンは、一般的にキリスト教圏では、アンチキリスト的存在、神に対峙する「悪」の象徴でもある。
だが、ノルウエーや北欧諸国では、そうとも言い切れない習合と融合がある。たとえば、世界遺産としても名高い「ウルネスの木造教会」などでも、ドラゴンはその守護として屋根にシンボル化されているし、そもそも北欧的世界観では、ドラゴンが大地のベースを支えている存在なのである。
インドなら、ウィシュヌの亀のような存在とも重なるイメージかね。
そして、教会内部には、決まって「シグルスのドラゴン退治」神話が描かれたり彫られたりしている。シグルスとはジークフリートのことである。ああ、またワーグナーだ。北欧からドイツ圏はつながっているのだ。


建築では有名な世界遺産のひとつ。「ウルネスの木造教会」。


その先端には「ドラゴン」がいる。


実は、北欧諸国がキリスト教に教化されたのは、いまから千年ちょっと前くらいから11世紀くらいにかけて、つまり平安時代くらいの話しなのである。いまでは、南欧からの伝播とヴァイキングたちによるイギリスからの伝播が重なったものとされている。
なので、いかにキリスト教世界の善悪や宇宙観が入ってきたとはいえ、それ以前に移住してきた北欧ゲルマンやゴートの神話的宇宙観、先住民文化である「スオミ」の自然崇拝の世界観を無視することはできず、それらが微妙に融合しているのである。
この辺、実は、縄文の自然崇拝や生命信仰などともつながり、渡来人と融和していく過程でおきた日本文化の生成プロセスと似ていなくもない。けど、これを言い出すと長くなるので、それはまたどこかで。

で、まあ、逆に、北欧的成熟や融合もあって、キリスト教圏の神話構造にも変化があった部分もある。
たとえば、セントルチア祭のような光信仰や、日本人も馴染みのサンタ・クロース伝説、というか、北欧では広く「ユール」と呼ばれているが、そもそもキリストの誕生日であるクリスマスが12月25日というのも、実は彼らの影響が最大なのである。
これは、つまり「冬至」という意味である。


これはスウェーデンのものですが。(Websiteより)

北欧では、緯度が高すぎて「白夜」になる地域もある通り、太陽の光に対する土着的信仰があって、「光」こそ命と善なるもの、聖なるものの源であるという考え方が定着していた。
もし、生命の源が光であるならば、それこそそれは自然の摂理の裡にある。ならば、「冬至」とは、もっとも生命力が小さくなるときであり、逆に新しい命の始まりのときでもある、ということになる。
だから、王権の交代神話は「冬至」なのであり、イエスが生まれたのも「冬至」でなければならなかったのだ。
実はこれ、キリスト教だけの話しではないが、おおむね世界の神話や王権交代の神話や伝説もそれにならったかたちになっている。人間とは不思議な共通感性をもっているものだといつもおもう。


やや小難しい話しになってしまったが、この神話は北欧の神々のルーツ「オーディオン」にまで遡ることができる。巨人に黄金を要求された神々たちは小人のもっていた黄金を巨人に差し出すが、それは実はその過程ですでに「呪われた黄金」であったという設定である。
そのなかには、三つの指輪があった。つまり、これが「ニーベルングの指環」である。その指輪によって「欲望」に支配された巨人の兄「ファベニール」は「ドラゴン」となり、地下世界で黄金を守ることに必死な魔物と化すのである。
それを退治したのが、勇者「ジークフリート」というわけだ。
これは、ワーグナーの楽劇にも応用されたが、北欧好きのイギリス人だったJ・R・Rトールキンの「指輪物語」にも影響したし、実は、RPGの「ドラゴン・クエスト」の原型にもなった物語なのである。
こうした「ドラゴン退治」伝説は、新約の黙示録にもあるヨハネ騎士団や王権の正当性をいう場合の神話的根拠にもされたり、おおむね、王権を保証するベーシックな「物語の型」になっていったのである。


「ドラクエ」の画面。僕はIIIまでは、やりました。ハマりました。


そうこうしているうちに、「ドラゴン」のイメージは習合していき、いまにあるような複合イメージの幻獣になっていった。馬と牛と蛇とワニ、ウロコと牙と鋭い爪と翼をもって火を吐く悪の象徴、退治潭は勇気と自己犠牲と神への忠誠の象徴にされていったのである。
そして、いつも弱点は、口と喉と腹、ということになっている。
もしかしたら、ワヤンの演目でもある「スプラバ・ドゥータ」のニワタカワチャの弱点が「口の喉元」というのは、これと無関係ではないのではないか?とか勘ぐってしまいたくなるくらい共通だ。


ロンドンにある銅像。典型的なイメージだろう。(Websiteより)


ついでに、バルセロナにあるグエル邸の門。設計はかのアントニオ・ガウディ。
本物を観たときは、感動しました。


ともあれ、キリスト教における「ドラゴン」伝説は、たとえば財宝のある墓守だったドラゴンを退治するという「ベーオウルフ」神話などの有名な「型」があるように、なぜイギリスやアイルランドに多いのか、というのは理由がある。
それは、「ドラゴン」伝説とイメージをもってきたのは「ヴァイキング」だったからなのである。彼らは、北からやって来ては、アイルランドやスコットランドこそ中心に攻め入ったからである。
そう考えると、「北欧のドラゴン」経由で、キリスト教圏に「ドラゴン」伝説が流布した、ということいなる。


では、とかく同一視されてきた「ドラゴン」と「龍」はどういう関係になるのだろうか。
もし同じルーツだというなら、なぜ、中国や韓国や沖縄、もっというなら日本などの東洋では「王権の象徴」となる「龍」が、西洋では「退治される悪」になっていったのか。
そして、今年のワヤンの演目「ムナラ・ギリ−乳海撹拌」では、中立ながら世界創世の関係する存在になったのか。そのルーツはいかに・・・。

今日はめでたく250話目なので、ワヤン関係のネタにしてみよう、そうだ、バスキと龍とドラゴンにしようかな、とおもって書き始めたら、おもわぬ方向に筆、じゃなくてキーボードが走ってしまい、こんなことになってしまった。すみません。
でも、これ以上いくと、たいへん話しが長くなりそうなので、このつづきは次回、ということで。
実は、ドラゴンと龍は、つながっている、のです。


ま、それにしても、最近は出張が多すぎてブログが進まない。まるで最近のイチローのようだ。今週はヒットが出るだろうか・・・?
ともあれ、明日は横浜でワヤンだし、夏休みにもなるし、例によって出張もあるし・・・次回はたぶん2週間後くらいだろうか。

ともあれ、みなさん、それまで暑いので、どうぞ、ご自愛のほど。
また〜。(は/250)


■なぜ、ワヤンに色をつけるのか

2016年02月04日 | ワヤンよもやま話
昨日は節分だった。なんとか12時前には家に帰り、毎年の豆まき。「福は内」。一年は早い。
そのとき、「豆」と「種」はどういう定義の違いがあるんだろう、と、ふとおもい口に出したところ。かみさんが「決まっているでしょ、全体は種、そのうち、豆科の種子が豆」と即答。
ああそうか、単純な結論だった。じゃ、クルミは?とかおもったけど、訊くのをやめた。面倒だから。今年はマメに生きることにしたいものです。




今年も神戸はうまくいってよかった。たくさん来てくださったし、楽しかったです。
で、今回がとくにそうというわけではないけれど、ワヤンの公演後、観に来られたお客さんからよく質問されることのひとつに、「影絵なのに、なぜ色がつけてあるんですか?」というものがある。
これは簡単これで、実は難問だ。それに、考えようによっては、実はそこにワヤンの本分?かもしれない謎も含まれている。
今回は、ブログもちょうど200話目という区切りでもあるので、バリネタとして、その話にしてみようか。


実は、先日の浜松でのワヤン人形展の最後にも、そういうタイトルのコーナーがあった。
ダランの解説キャプションでは、一般的(学術的)には、以下の三つの理由が定番として挙げられていた。

 1)ジャワなどでは、観客は裏側(ダラン側)から観る習慣が一般的なため。
 2)バリでは、ワヤン・ルマという昼間に行うワヤンがなどがあり、影絵ではなく、紐だけ左右に張って、観客側からも人形が見えるという上演も一般的に行われているため。
 3)人形そのものが崇高なものとされるため、畏敬の念から工芸的に美しく仕上げるため。

ところが、その裏に、もうひとつの理由があるのではないかとダランは説明する。
僕も最初からこれが隠れた本筋だと同感しているのだが、それは、ダラン自身が人形と向き合うため、というものである。




人形とは、一種の「形代(カタシロ)」でもある。それを媒介して、時空を超えた「存在」が憑依するものだからである。
実際、ワヤンの上演でも、まずダランが箱を叩き、人形を目覚めさせ、まずカヨナン(森羅万象の人形)と向き合って人知れずマントラを唱える。
そしてクリル(スクリーン)の上をそのカヨナンが上・中・下を左右に動き回り、世界を撹拌し、それをクリルの中央に屹立させるという行為を行う。
つまりこうした一連の動作は、ある種の「世界定め」である。
天地人の世界が創造され、中央に世界樹としてのカヨナンが立つことによって、小さなクリルのなかに「広大で長大な物語の時空間」「人形たちの世界と宇宙」が突如として再現され、立ち現れるのである。
そこに、時空を超えて命を再生させられた(つまり生き返って来た)その物語の主役たち(実は彼らはその回には登場しない脇役たちの代表でもあるとおもうが)の人形が居並び、その世界が再構築されるのである。

一旦そこまでいけば、人形たちは、生きたキャラクターとしてうごめき出す。
だから、ダランの人形たちがウパチャラ(命を吹き込む儀礼)を済ませたものかどうかは敢えて聞いたりはしないが(怖いので)、本来なら、それを済ませた人形たちなら、あっという間に、力強いパワーが集まってくるのである。
その際、ダランは、人形たちのつくり出す古代の時空間と物語世界を媒介するイタコ?でもあるし、逆に、ダランという霊能者が、人形たちの命を通して、神々や悪霊たちと向き合うという二つの存在形式をパラレルに介在させてもいるのである。

つまり、究極的には、ワヤンとは、ダランなり人形たちが、「向こうの世界」と向き合う時間と空間のことなのだ。だからそのとき、観客はむしろ関係ない。そこに存在しているのは、ダランと人形たちと向こうの世界だけだ。
儀礼としてのワヤンとはおそらくそういう形式だろう。むしろ観客は後付けなこと。そうしたダランと人形たちの物語をスクリーンの外から少しだけ見入る存在、それらのやり取りを垣間みる傍観者なのだ。
後に、ワヤンは観客も共有するようになって、道化や笑い、物語や教訓として教育にもなっていったのだろう。

「こちらの世界」と「向こうの世界」とは、此岸と彼岸でもいいし、善と悪でもいいし、見える世界と見えない世界でもいい。
多くの古代人たちにとって、そうした向こうの世界との調和こそ、平安の要だったに違いない。だからバリ島でも伝統的に、それを司るダランは民間の霊能者として尊重されてきたし、韓国や沖縄などの母系社会系なら巫女に相当するような非物質的世界との交信と調和を担ってきたのだ。


そういう風に考えると、ダランがワヤンを行うには、ダランと人形たちの一体化が不可欠となる。そのために、ダランは人形たちの声をよく聴き、人形たちに感情移入していく。人間と同じように、人形にはそれぞれの歴史や個性があって、それがカタチや色に反映されている。それを入口に、ダランは感情移入をし、人形たちと同化するのだ。
そう、だから、人形には「色」があるのである。色は個性であってペルソナでもあるのだ。ダランにとっては、人形と向き合うインターフェイスが「色」でもあるのではないだろうか。
そして、グンデルの伴奏は、「音」によってそれを囃子たて、補足する。音やお香の匂い、色やカタチは、すべてそれらを補完しあって「場」をつくっていくのだ。



さらにそこには「クリル」という存在が加わり、二重に対比的世界をかたちづくっていく。
夢の世界に色がないように、ある種の虚構には色がない。仏教でも「色(しき)」とは物質や肉体のことを差すフィジカルな視覚的世界のことだ。だから「空(くう)」の説明は「色即是空 空即是色」から始まる。「受想行識亦復如是」だ。
だが逆に、スクリーンの反対側には影だけあって色がない。それはそのまま「向こう側」という意味もあれば、「虚構」や「非現実」の物語世界という意味もある。色のあるその世界と色のない影の世界、その二局の対比と同時両立がワヤンのつくり出す世界でもあるのだ。
そうなると、中国やタイなど他の国の影絵には色があるのに、なぜ、バリ島では、色がないのか、という問題も残る。これにはまた民俗学的な深い理由がある。それはまたいずれ。


最近、NHKで「ちかえもん」としてコメディになっている近松門左衛門は、浄瑠璃や歌舞伎の世界をつくる小屋宇宙と現世のことを「虚実皮膜の間」と言い放った。
つまり、小屋は、「物語」という世界と時空、そのノンフィクションとフィクションの間を分けているちょっとした薄い皮膜のようなものでしかないと言っているのだ。
まさにそれが「クリル」ではないか。クリルの向こうとこちらで対峙している二つの世界は、実はダランしか往き来することができない。ワヤンの間中、汗をかきながら、その世界と格闘しているのはダラン自身なのだ。その外にいる人たちはけっして誰もそれを覗き観ることができない。

ワヤン終了後、ダランがボーッとしているのは、単に疲れているからではない。向こうの世界から現実の世界をまたぐのに時間がかかるのだ。だからすぐに声をかけてはいけない。少し待ってあげよう。
そして、現実世界に戻って来たダランは、ゆっくりと立ち上がり、クリルを後にしながら、必ず一人振り返る。
単に一枚の布になってしまったクリルを見つめ、ついさっきまで向き合っていた向こうの世界とはいったい何だったのか・・・と回想しているようにもみえる。

我々はこれまでにいったい幾つのそうした神人交感のツールを失ってきたのだろう。もしかしたら人類にとってそれは本当は一大事なのかもしれない。
でも、少なくともあと20年は大丈夫です。まだ我々がいますから。(は/200)


■「もっと勉強しなさいね~」

2016年01月12日 | ワヤンよもやま話
うちのかみさんは、「具志堅さん」の「もっと勉強しなさきゃだめさ~」という言葉(ちょっと違ったかなあ?)が大好きだという。まるで自分のことを言われているようで、ちょっとドキッとしたりもするそうで、ある意味、内省でもあり、教訓でもある、らしい。
この具志堅さんというキャラクターは、実は演目のなかで、もっともダランの言いたいことをはっきりと言っているのではないだろうか、とおもうことがある。
ストーリーから少し外れていることもあって「自由な発言者」、ということもあるだろうけれど、それ以前に、ダランの体内と脳裏から瞬時に湧き出る思想性が背景にある感じがしてくる。そういう意味では「ダランの分身」だともいえるかもしれない(出た得意の分身だ)。
だから「生きた言葉」に聞こえるのかもしれないし、実は演目の隠れたテーマを言い当てているともいえるのかもしれないね。


ともあれ、まあ、たしかに、人生日々勉強である。いや、それは学校の勉強とは違う。もっと大切なことだったり、もっと自分に必要なことだったり、もっと世界を広げるためのものでもあるだろう。そして、人によっては、ボケないための人間の人間たる知恵のひとつでもあるだろうか・・・。

それはいわゆる「お勉強のできる人」になれ、ということではない。
以前、TEDでやっていたのをかみさんに観せられたが、いまの学校教育というのは、簡単にいえば、19世紀にできた将来、大学教授になるのが到達点である勉強メソッドで、もっと豊かに生きていったり、人のためになって助け合ったり、危機を乗り切ったり、他にあるかもしれない才能を伸ばすための教育ではないという。だから、体育や美術や音楽や家庭科は二の次なのだ。
ここでは、ケン・ロビンソンという気鋭の教育者の名調子で、そうした教育と創造性の課題を提起している。
たとえば、紹介されている小学生は、母親が学習障害を心配して医者に診せにいったら、待ち合いで踊っているのを見て才能を見いだしたという。その子はその後、世界的バレエの学校に進み、いまでは著名な振付家になって、世界中のたくさんの人に感動を与えつづけているそうだ。
そう、出来がいいとか悪いとかは何の基準なんだろうか、ということ。間違っていたのは、学校の勉強プログラムだったのだ。


ケン・ロビンソン「学校教育は創造性を殺してしまっている」より


もっといえば、日本の教育体系は、官僚になるためのプログラムというか、いまの時代には「科挙」のようなものはないけれど、個人としてではなく、社会や会社の有能な人材になるための試練のような感じですらある。
だからこれに通った人間は、従順であったり、ただただ問題の処理能力が高かったり、独自性や創造性というより、没個性のコマを育成するのに似ている。
これを画一化といって、創造性を伸ばそう、そうだ、ゆとり教育だ、といっても、結局はやっていることが同じなので、ただ覚えることを簡単にしたり、休みを増やしたりしただけで、いまからおもえば何の意味もない政策だった。

相変わらず人と違うことをすれば、「変わってる」とか「バカじゃないの」といわれておしまいだ。「バカ」と見なされると、いつだって無意味に阻害されることになる。
早く、バカボンのパパのような人が現れて価値を逆転させて、「それでいいのだ!」と言ってほしいものだ。そうすれば、世界的振付家になる才能も潰さずに済むかもしれない。
勉強とは何か、バカとは何か、そのボーダーこそ問題だ。そこにはもっと深い人間の知恵や才能が隠れているのかもしれない。

いま、来年のシラバスの校正を練りながら、ふと、そんなことが頭をよぎった・・・。
いまでは、大学卒もインフレーションの時代、無事卒業したからといって就職できるわけではない。そこに、どういう視点と動機を見いだせることができるか、幼稚園でも小学校でも大学でも、学び舎で学ぶ時間は、それぞれの課題のなかで、いまや創造的可能性の芽をどう見いだせるかということの「勉強」にかかっている、のかもしれない。

我々だって、ワヤンを勉強し始めて、いったい何年経つだろうか・・・、いったい何を「勉強」してきたのだろうか、いったいワヤンの何がわかったというのだろう・・・。
「もっと勉強しなさいね~」、はい、その通りです。(は/193)


(C)赤塚不二夫

■水の惑星

2016年01月08日 | ワヤンよもやま話


最近、仕事でたまたま浄水器を調べていたら、浄水器の水というのは、実は氷にしない方がいいそうだ。理由は腐りやすいから。そうね、水道水は少々雑菌があっても塩素が防御してくれるからね・・・。
そもそも、名水は湧き水である。ということは、山などに降った雨が長い時間をかけて地下で濾過され地上に戻って来たということだ。ミネラル豊富な土砂が水を濾過するというのも不思議だが、地下では雑菌が入らないのは、菌というものは地下数センチしか存在しないからだ。案外浅い地下の話なのだ。


この地球は「水の惑星」でもある。水とはご存知の通り、もっとも比熱の高いマテリアルである。つまり最も熱しにくく冷めにくい。
だから、地表の70%を占めているという水があるせいで、地球は平均気温15度程度でキープされている。もちろん空気層の影響も多分にあるけれど、もし水がなければ、砂漠などを連想すればわかる通り、昼は灼熱、夜が極寒、季節の変化も激しいことになる。


(NASA)


我が独学の師であるライアル・ワトソンは「地球は水に祝福されている」という。
彗星から飛来した生命の種が、その海で誕生したことも重要だろう。
前にも言ったけど、我々の体液や羊水は海水の複製だし、血中組織に含まれる科学物質の濃度は原始の海に含まれていた物質濃度をぴたりと一致するそうだ。
だから我々も吉永小百合だろうと麿赤児だろうと70%強は水でできている。


いつだかのなんだかの日、かみさんからこの本をもらった。
ワトソン博士は、いつも何かあったときの発想の頼みの綱だ。いつもなにか発見がある。
だからいまでもときどき読み返したりするわけです。



で、地球上で、真水の量というのはどれくらいかご存知だろうか?
全部の水に対して、約2.5%程度ということらしい。そのうち、我々が使える地上で手に入る真水となってしまうと、かみさんに言わせると、お風呂をいっぱいにして、両手ですくえる程度、ということだ。多くは雲や地下水になって保存されている。
そのうえ、地上の真水は、動物たちの飲み水にもなるし、農業も含めた産業用水にも使用される。だから純粋に我々が使える水というのは、風呂でいうなら、親指の第一関節くらいの分量になるそうだ。さらにきれいな水となるともっと少なくなる。

日本はもともときれいな水に恵まれていたので、水はタダだとおもってきた。80年代にペットボトルの水やお茶が発売されたとき、こんなものを買う人がいるんだろうか、とおもったものだが、いつしかそれが普通になっていった。
だけど、ヨーロッパの一部やアフリカでは、飲める真水が少ない国も多かった。だから、コーヒーや紅茶が普及したのにもそれなりの理由があるということだ。
近頃なら、一見きれいな水でも、いろんな人工的な汚染水もある。怖いね。
そんなこともあり、東京都の浄水場では、金魚が飼われていて、汚染のチェック役にされているという。何もなければ安穏だが、ある意味ではつねに小さな命を賭して飼われているわけだ。


つぶらな瞳、だね。


そうやって、真水は貴重な「生命の水」になった。不死の薬にはならなくても、生きることにとってなくてはならないものでもある。人々はそれとどうやって付き合ってきたか。
今年のワヤンはただ者ではない。「ムナラ・ギリ」は、人類史上のそういう秘められた根本課題を投げかけているともいえる・・・?

今日飲む水を改めて眺めてみよう。水のありがたみは、もっと知らなければならないだろう。当り前に飲めることが、実は「驚異」なのだ。(は/192)

■初水の日

2016年01月06日 | ワヤンよもやま話

元旦の空。雲一つない青空とはこのことだ。
毎年、正月はこういう天気だったりするのも不思議。



元旦に家から見た富士山。なんだかいつもよりめでたい気がするのも不思議。
富士山はおぼろげも悪くないね。



昨日、事務所のテラスから見た空。
同じく雲一つなかったが、真ん中辺に小さく飛行機が飛んでいる。不思議だ。




新年おめでとうございます。
なんて言いながら、明日でもう松の内も終わり、世間もせわしなくなる。明日はもう七草だ。ま、関西ではいまでも15日くらいまでは松の内らしいが、いまは小正月もあまり実感がない。
世間も不穏だし、「めでたい」とばかりはいっていられない。節目くらいは襟を正したいものだが・・・。

大林説以来、日本の正月は、稲作文化の道と深い関わりがあるとされている。だから歳神様は、豊饒の神ということになる。
おそらくはそれが、八百万の神と祖霊信仰と習合し、日本式の正月になっていったのだろう。



ともあれ、ひとつの注目は、大林先生も取り上げた正月の「水」である。水は命や豊饒のキーファクターでもある。
たとえば日本では、元旦の「あさが来る」(実は夜明け前)と、本来は湧き水が正しいのだろうが、封印していた井戸の水を汲み、歳神に供えたり、人々が口や身体を浄めたり、お茶を点てて飲むという習慣があった。これを普通「若水(わかみず)」というが、「初水」ともいう。
そんなこと、いまでは、一部の神事やお茶の家元とか冷泉家くらいしかしないだろうが、それを伝統的儀式化したものが、東大寺二月堂の修二会、つまり「お水取り」であることは言うまでもない。

ともかく日本では、真新しいもの、清浄なもの、清らかなもの、こそが「ハレ」、生命の最も満ちたものという考え方があって、だから伊勢は式年遷宮するし、ケガレたものはミソギをしてハレ化するのだ。
ミソギは身削ぐ、つまり蛇の脱皮から来ている再生の象徴だが、そのために清水を使うところがミソだ。


「お水取り」の絵になる場面。
火の粉をかぶると一年健康だとかいうけど、これにも実は理由がある。



で、つまり若水のの「水」は、「清水」、つまり「聖水」でもある。
縄文以来、豊饒と子孫繁栄は最大の願いであり、一方では「死と再生」のサイクル、その力を左右するとされてきたのが、「月」であり「蛇」であり「龍」であるのである。それらは、満ち欠けしたり、脱皮したり、死と再生のシンボルとなった。
そして、もう一方で願望されたのがその先にある「不死」の伝説である。つまりは永遠の生命。
その両方に深く関わっている根源が、つまり「水」なのである。だから、月も蛇も龍も命や雨乞いや「水」に関係する象徴体系になった。

東アジアでも、韓国なら、早朝に汲んだ井戸水には龍が命のタネを残すという。つまりそれを汲んで食せば龍神の命を分けてもらうことになる。
中国でも、とくに稲作の盛んな南方では水は信仰され、若水に近い儀礼もあって、お香をたき、紙幣を燃やして水を崇めると福を呼ぶそうだ。福とはつまり健康で長生き、という意味だ。
インドでも水源は神聖な場所にされてきた。


「九龍図」(南宋時代)。


ここまで来れば何を言いたいかおわかりだろう。
そう、「若水」とは乳海は撹拌しなくても「アムルタ」なのだ。「命の水」こそ信仰された。そしてそこには当然のごとく龍も絡んでくる。
その話はちょっと長くなるので、新年そうそうそれではまた怒られてしまいそうだし、またそのうち気が向いたら。ともかく、そこにはとっても長大な歴史と深い象徴世界があるわけです・・・。

でも、まあ、そんなこんな今年も始まってしまった。果たして今年はどんな年になりますことか・・・。とりあえず「ムナラ・ギリ」、今年もよろしくお願いします。(は/191)

■深刻な盆栽

2015年12月28日 | ワヤンよもやま話
今回の新国立競技場の件は、個人的には断然B案だったけど、やっぱり別の案になってしまった。暗黙の出来レースじゃないといいけど。途端に興味もなくなってしまった。もともとあんまりないけど。
それにまだいろいろもめそうだな。これでまた流用疑惑にでも発展したら目も当てられない。ある人がこの件は新国立じゃなくて「深刻立」だといっていた。うまいことをいう。
なんだか、和の伝統的空間を再生などと言われても、白けてしまう。日本人らしいとは何か。いつも曖昧な議論で終わってしまうが、きっと明確な答えが出ないところが日本人なんだろうか・・・。


ところで、日本とか伝統といえば、だいぶ回りくどいけど、先日の浜松のワヤンの展覧会でユニークなのがあった。
ワヤンと日本?とおもうかもしれないけれど、ワヤンの展覧会の入口にまず最初に展示されていたのは、カヨナン(グヌンガン)。やっぱりワヤンといえばそうよね。まずはそこからだ。
で、東京から観に来ていた常連のIさんが、そのうちのひとつを差して、「これって、どう観ても盆栽だよね」と言っていたのがそれだ。例のワヤンガンブのカヨナンのことだ。
なんて不遜なことを言うんだ、とおもいながらも、内心、僕もそうおもっていたのだ。盆栽っぽい。


ダラン撮影。



「盆栽」は、いまではBONSAI。世界でも定番になりつつある趣味の園芸だ。多くの外国人は日本の伝統文化だとおもっている。
でも、盆栽というのは、ロルフ・スタンの「盆栽の宇宙誌」という名著もあるけれど、もともとは中国発祥の自然模型趣味だ。その後、東南アジアにも広まったし、日本にも東伝した。
日本では聖徳太子の時代から伝わっているので、以降、ニッポン伝統の技で文化だとおもっている人も多いけれど、実は「盆栽」という言葉自体も江戸も後半に入ってから生まれたもので、かつては「盆石」とか「盆山」とか「鉢木」などいろんな言い方があったが、もともとは唐物趣味の一貫なのだ。
それが明治の近代思想のなかの自然観とともに、現代に通じる愛玩的鑑賞の対象になっていったというのが実際の筋だ。
そこにジオラマとしてのアジアと自然美としての日本の違いがある。それがBONSAIになったのはごく最近だ。




まあ、この辺、僕のような門外漢がとやかくいう話ではないが、立派な盆栽というのは、どれもデフォルメされた幹や枝振りなどがまるで光琳の紅白梅図のように派手やかで力に満ちていたりする。
これは自然では有り得ない形だったりするし、自然の力を応用した人間による「人為の自然の景」だともいえる。
それに、そこには、かつて韓国のイ・オリョンが指摘した「縮み志向の日本人」が凝縮しているともいえる。たしかにまあ、日本の美意識の中には、小ささを善とする伝統はある。




尾形光琳「紅白梅図屏風」(MOA美術館蔵)

たとえば、韓国には拡大を尊敬する文化はあっても、縮小というのはネガティブらしく、文化的志向性のなかにはそういう言葉はないそうだ。
ところが日本のものづくりは、そもそもが「細工物」といい、それに輪をかけて小さいことにこだわることを「小細工を成す」というのが目を引いたそうだ。なるほど、それならたくさんありそうだ。
ま、そんな調子で、生け花も床の間も小間も根付けも一寸法師も俳句も弁当箱も(いまの季節ならおせちのお重も)、すべてが万事、小さきものへの感情移入と美意識のなせる技だというわけだ。80年代はそうした指摘が新鮮だった。
イ・オリョンはそれを6つのカテゴライズして説明ていた。それが必ずしも伝統や美意識とすべて直結しているともおもえないけれど、小さきことに情熱を注ぎ、しのぎを削ってきたことは否めないかな。
案外、そのなかに大宇宙を想像したりしてるんだけどね。
だから、「盆栽」=日本の伝統美意識、といえるかどうかは微妙だけれど、少なくとも何らかの琴線に触れたことは確かだろうし、「自然」を応用した造形ではある。本当はこの「かたち」のつくり方が文化の違いでもあるんだけれど。

で、このワヤン・ガンブのカヨナンがもし「盆栽」に見えるなら、それは、このカヨナン自身がデフォルメされた自然に見えるからなのだろう。あまりバリにはないタイプの人形というには写実的で、絵画というにはワヤン的なのだ。
で、それはきっとインドネシア的なデフォルメではなく、たまたまどこか日本の伝統から読みやすい自然のかたちになっていたのではないだろうか。広大なカヨナン世界を小さな樹木に見せているせいかもしれない。

だから、日本の伝統というなら、現代のものにだってそれはいろんなかたちで生きているんではないかということ。なにもことさら伝統をそれらしく貼付けることはない。
読み取れる「かたち」こそ大切だし、イ・オリョンだって、トランジスタもウォークマンも折り畳み傘もカップヌードルも「縮み志向」の産物だといっていたではないか。
どうでなら、大きくみえる新国立も、もっと工夫や細工もいろいろできるんじゃないだろうか。たとえば、椅子を4分の3くらいのサイズにして8万人入れるとか?「光塾」のように?・・・冗談だけど。
でも、そうおもえば、光塾も広大な国立競技場サイズにおもえてきた。国立劇場の盆栽化が光塾?? ああそうか、我々はすでに国立競技場でワヤンをやっていたのか・・・。


いや、ともかくワヤンの展覧会は面白かった。これだけのワヤン人形を持っている人は日本にはいない。研究活動も同じ。芸能者としての上演も同じ。
日本のワヤン、ワヤンの日本、伝統の技法と現代の日本とそれを一手に引き受けているのが、我がダランなのだ。それで十分日本的だし、伝統的だ。
まあ、そういうことに悩むバリ関係の芸能者も多いけど、我々はそれにただついていく身。伝統も日本もない。あとはなるようにしかならないのだ。
ん?何だっけ?伝統?盆栽?
ま、そこんとこ、あれこれあまり「深刻」に考えない方がいいかもね。(は/189)

■ヨーガとアジアンデザインの深い関係

2015年02月25日 | ワヤンよもやま話
        

たとえば、ワヤン人形の要、アチンティアや、バリの崇高な神サンヒャン・ウィディなどのことについて、以前からいくつか疑問があった。

ひとつは、バリの研究者や留学経験者などバリの文化に詳しい人は、なぜかその神のことを語りたがらない。聞いてもはぐらかす人が多い。不立文字の禁句、禁色。なにかきっと人に言えない秘密があるはず、と密かに勘ぐっている。
確かに神々しい。どこか底知れない見えない"なにか"を秘めている。これはきっと、名もなき多くの芸能者と工芸者と民衆の連綿と続く深い歴史と文化の地層のなかで積み上げられてきた形と概念なのだ。あるいは信仰なのだ。

そしてもうひとつは、なぜ幼児系でしかも片足をくの字の曲げているのか・・・。
ただし、このことについては、昨年のあるとき、独自に説を見い出した。それは幼児が人になる前に神の使いであること。
バリでもある一定期間、子供は人間界の存在として認められない。日本でもそういう風習はあった。
大人は現実世界に生きているが、童と翁は相互に神に近い存在としてパラレルワールドに存在していて、重要なときに奇跡を起こしたりする。要するにあっちの世界に近い存在なのだ。だから妖怪には子供と老人が多い(怨霊は別)。
そしてそのかたちはヨガから来ている、かもしれないこと。


で、そのヨガは、おそらく2~3世紀頃、スートラとしてまとめられたとおもわれるので、その後広くアジア各地のかたちに影響を与えたであろうことは推察がつく。それが神格化のかたちと結びつき、ある種の造形的な型になって浸透しているところが興味深い。
かつて旅の芸人には蛭子のような奇異な存在がいた。かたちの異様はそのまま向こうの世界の霊威を含んでいるわけである。


これ、ある清涼飲料の中刷広告の一部。ダランと「か」さんとどこかの地下鉄に乗っていたときに撮った。


でまあ、ついでに言ってはいけないことを言ってしまうなら、赤塚先生のおそ松君に出てくる「イヤミのシェー」を連想してしまうのは私だけだろうか。
逆に言えば、天才赤塚先生は、知ってか知らずかのうちに、このアジアのかたちのパワーの一端に到達していた、という可能性は拭えない。だからヒットした。
かつて、古の時代のどこかで、アジアの舞踊や仕草も同じようなことではなかったのだろうか・・・。

かたちというのは、カタ・チだ。「型」に「血」が通って初めて生きた「形」になる。デザインの基本である。
そうしたかたちの神秘というのは、伝統に淘汰されたものだけでなく、精神的に深いところでも、サブカルチャーの軽妙に浮遊するところでも、実は接する者に、同様のパワーの潮流を秘めている、のかもしれない・・・なんちゃって。(は)



イヤミのシェー。


ゴジラもシェー。


ガメラもシェー。


昭和の当時は日本中シェー、だったのだ。
いろいろ不遜なことを言ってすみません、ざんす。