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 玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■恩返しという名の庭から

2015年10月16日 | 旅のおはなし
大阪二日目の会場は、いわゆる「お不動さん」だった。「報恩院」というから、口語訳すれば「恩返しの寺院」ということになる。
見たところ、近畿何十何ヶ所の巡礼にも指定されているらしいし、横で観察していると、たびたび巡礼らしき人がやってきては納経をお願いしていた。みなさん何のご恩を返しているんだろう・・・、恩を返すとは、ま、人々の生きるつながりというか、「因果」なことでもある。でも、ここはそういう人々の生活に息づいている場所ではありそうだ。



まあ、お不動さんということは、不動明王だから、基本は真言宗だ。前日のワヤンが浄土真宗だったから、ま、宗派もいろいろ、会場もいろいろ、人生もいろいろだ。
真言宗は習合文化の最先端でもある。からか、はわからないけど、面白かったのは、このお不動さんの「庭」は、まあ、たくさんの神仏で賑わっているというか、それらが回遊式に配置されていて、ある種独特の小世界がつくられている。
実はこれ、日本の寺院や「庭」宇宙の常套手段でもあるが、ここには、お地蔵さんなどの菩薩系、秋葉さんなどの大権現系、五輪塔に、なんとチベット密教系のマニ車まである。それぞれの宇宙が配置されている。



それと、この庭には、もう枯れているのかわからないけれど、一本の立派な樟の木が象徴的に立っていた。見るからに樹齢が古そうだ。
まったくの推測だが、菩提樹じゃないけれど、たぶん、この木の下にこのお不動さんは生まれたのだ。だから神社ならこれはご神木のような霊験あらたかな場(=庭)なんだろう。
いまでは周りは高い建物で囲まれてしまったが、ここはそっとそういう場所を守ってもいるのかもね。一度、結界を潜ってしまえば、そういう気配がある小さな「庭」宇宙が構成されているわけだ。
で、その樟の木を守るようにいるのが、この不動明王と対の脇侍たちなのだ。




密教では明王は五王、つまり、降三世、軍荼利、金剛夜叉、大威徳、と不動明王だね。
明王は基本的に炎に包まれて怒りの形相をしている憤怒尊である。なかには歌舞伎じゃないけれど「日月眼」のにらみをきかせていたり、よくもまあこんなに怖い顔をしているのかともおもうが、簡単にいえば、その意味は、すべての煩悩を焼き付くし、憤怒の形相を見ても動揺しない心の平安をもたらす智慧の尊者、ということに昔からなっている。
これも、インドで最終形態を迎えた密教の必然性というか、ヒンドゥとの習合のかたちなのだ。だからむしろワヤンともなんとなく無縁ではない。

またさらに、不動明王はシヴァの化身とされているから、まあ、荒ぶる神ということだろうか。とくに激しい存在だ。日本でいえばスサノオのようなものだろうか。
ヴィシュヌは帝釈天ということになっているし、必ずしも一定もルールで決まっているというより、まあ、臨機応変、イメージの振り分け配置がされているといった方があっているかもしれない。
ま、この辺がややこしいけど。

ワヤンにもそういうスチュエーションはよくある話だ。今回の演目からして、スタソーマは仏陀の化身というか生れ変わりとダランが説明していたね。
この場合の仏陀=釈迦だろうけれど、密教では、釈迦も大日如来も同じ如来=ブッダ(悟った者)だ。不動明王はときたまその脇侍になったりもしているから、さらにややこしい、ね、この世界。
まるでチェスと将棋の違いというか、アジアというのは、成(化身)ったり生まれ変わったり、生き返ったり、複雑なルールと事情が絡んでくるわけだ。






そうこうしていると、簡単な当時リハも終わり、お昼を前に、向かい合わせの高津神社に行ってみたら、ちょうどお祭りのようなものをやっていたので、みんなで覗いてみた。
祭りといっても、神社の祭礼とか縁日とかではないらしい。だから出店もテキ屋系ではなく、ある種のソーシャルネットワークのようなかたちで集まったとおぼしき価値観共有型の集合体だった。
たとえばこんな感じ。


トマトジャムで食べる米粉ニョッキだそうだ。
ある意味ミスマッチだったようで、あまり売れそうもなかったせいか、
途中から名称が「米粉のだんご」に変更になっていた。中身は同じなのに・・・印象の問題?



韓国式ごま粥。無添加だったので、黒ごまペーストをこれはかみさんの土産に買ってみた。

途中からなんだか「美人売り子シリーズ」になってしまった。


「とん超」? 聞いたことがない。
昆布だしに大豆、餅米、うるち米、天然塩。
これこそかみさん向けだったが、賞味期限=当日、ということで断念。
どんな味なんだろう・・・気になる。



大阪らしく「たこせん」はいいとして、「そばナゲット」に、なぜかアイヌの木彫り・・・。
スタッフは若くて爽やかだけど・・・わからない。



なぜかジャマイカ料理?・・・「アルタイフード」か?・・・わからない。


ダランがどうしてもその場を離れがたかったというカレーの店。
チャパティか米を選べるらしい。
ダランは、たぶん、このインディカ米に反応したのだ、きっと。アジアだなぁ。



「梅之橋」という名称を見逃さなかった。
先を歩くのは、ここにもいた、昨夜の例の怪しいおっちゃんたちだ。



神社とお不動さん、対比的なふたつの庭を挟んで、マハバラタのワヤンの本番になった。複雑だけど、それが日本というものだ。

それにしても、この日のダランは新キャラが炸裂し、笑いという点ではこれ以上はなかった。なんといっても、リハ時点ではオラン・ロンボクだった人形が、本番でいきなりオラン・オキナワになってしまった上、もうそれは超暴走状態なのだ。
珍しく僕も笑いをこらえるのに必死だった。でも、こういうアドリブこそがライヴ感だね。
ダランは、ワヤンはお笑いではないというけれど、きちんと物語の筋と主題を通せば、お笑い部分もたくさんあっていいではないだろうか、楽しいに越したことはないし、みんなあんなに楽しそうに笑っていたことだし。彼らきっとまたワヤンを観に来てくれるだろう。
ま、いずれにしろ、これは観た者でないとわからないだろう。写真なくてすみません。なにせ、上演中は手が離せなかったので。
興味ある人は、次回、名古屋や年末の光塾にぜひいらしてくださいませ。


そうそう、ギータ・クンチャナのみなさん、演奏も臨機応変についてきていて、素晴らしかったです。
再来年またやるっていうから、いまから楽しみです。また呼んでくださいね、きっと行きますから。
今回は、ご苦労さまでした。そして素敵な時間をありがとう。
また、大阪メニューの打上げ、ご馳走さまでした。この「恩返し」はまたいずれ・・・、う~ん、そうやってできていくんだね、人のつながりというものは。
これも「報恩院」のなせるわざ?

みなさんに、これからもたくさんのいいことがありますように。
2015大阪編、おしまい。(は/170)



■「よるが来た」

2015年10月16日 | 旅のおはなし
大阪ワヤン公演は、というわけで、初日も無事終わり(メインがあっさりし過ぎ?でも公演はよかったです)、「よるが来た」。
東京からも、マイスターMさん、(に)さんとO嬢(といってもサドではありません)、皆勤賞のIさんなどたくさん来ていた。ご苦労さま、ありがとう。

軽くプチ打ち上げの後、ダラン、(か)さん、名古屋からのかっちゃんと四人でなんば駅周辺で一杯、という話になり、散策。
結果、えらくシャレたエリアに到達した。駅から一本入った、ちょうど千日前から道具街を下った辺りの裏道界隈。ごく最近こうなったらしいが、ともかく若者たちでごった返している。
吉祥寺でいえば、ちょうど駅前の「ハモニカ横町」のような感じといえばわかるだろうか。若者たちの小さな店がところ狭しで並び、立ち飲み屋もたくさんあるし、基本的にはオープンエアだ。それはそれでなかなかエキサイティングだった。


立ち飲みや和洋いろんな個性ある店が細い道に集まっている。


オマールエビの量り売り?こういう専門店もある。


で、ま、どうしたもんかと少し散策し、ほとんどの店が満席という事情もあったけれど、奥の方のこの焼きとん屋に入ってみた。というより店の中には入っていない。店の前の立ち飲みコーナーを四人で占拠したかたちだ。
事情もよくわからないので、言われるままにお薦めの串を4本ほど頼む。が、それがまあ、実に旨かった。聞けば、店主はフレンチのシェフだそうだ。アレンジも一風変わっていて、店の雰囲気の割に、かなりクオリティが高いのだ。さすが大阪、まずいもんは出さない。
とまあ、明日もあるというのに、四人の「おっちゃんたち」の夜は、結局そうやって更けていく。まあそれはどこへいってもお決まりのコースなのだ。


怪しいおっちゃんたち。
半分影になっている(か)さんは、ビル・エバンスのジャケ写のようでもあり、
他の人に言わせると、必殺仕事人、的、だそうだ。
なるほど、裏家業はなんだろう・・・。



その店のつくね。濃厚だけどうまい。焼酎によく合う感じだ。
これを見たダランは、「カロリー・・・」と一言。
う~、こういうのは、カロリーを考えない方が身のためだ。
ま、年齢に比例して、ほどほどに。



で、そこを出てから、腹ごなしに少し遠回りしてホテルに戻ることにした。
そうやって歩いていると、案外不思議なものに出会ったりする。やっぱり大阪、「なんば」はディープだった。(は/169)


イールがLEDで七色に光っている・・・いかにもヤンキーが乗りそうな車。びっくりポン、だ。


これもどうも量り売りの店らしいが、いったいどこからが店で、どこで食べるのか、
そもそもどこから入ったらいいのだ・・・?



立ち食いの寿司屋なのに、ホルモン?
もしかして、生のホルモンの握り?
どんなメニューなんだろう・・・謎、だ。


そのままでいいのに。


最後はこれ。いい年した不思議なおっちゃんたち。
その弾け方、びっくりポン、だ。



全然公演情報なくてすみません。それは(か)さんの投稿見てください。


■鶴と亀

2015年10月14日 | 旅のおはなし
鶴は千年、亀は万年というけれど、実際には、鶴は30年くらい、亀でも50~100年くらいがいいところだ。
だけど、鶴や亀には昔から長寿の象徴というか、あまたある吉祥文のなかでも特に縁起のよい文様としても尊ばれてきた。

亀は、今年の光塾公演で明かされる「乳海撹拌」の主要キャラクターのひとつで、ヴィシュヌが化身するのが亀だ。古代インドで考えられていた世界創世構造のひとつの型になっているが、世界の中心、須弥山を支えているのが亀ということになっている。
それが中国でも形象化され、亀に蛇が絡んだ幻獣「玄武」となって、北方の守護に配置されていたりして、アジアではとくに重要な聖獣のひとつである。
どうも、今年はこの亀に縁がありそうだ。詳しくはまた「乳海撹拌」のときに。「乳海撹拌」・・・それにしてもチラシ用の図像がなかなか見つからない。どうしよう。


釧路市丹頂鶴公園より。

一方、鶴は、聖獣というよりやっぱり吉祥の性質が強いかな・・・、なかでもつがいの強さが象徴化されている気がするけれど。
そういえば20年ほど前に、釧路の丹頂鶴センターに仕事でお伺いした際、当時「鶴になった男」としてNHK特集が放映されて以来すっかり有名人になったセンター長の高橋さんにいろいろ説明してもらったことがあった。
この人、傷ついた鶴などを保護したり、卵をふ化させたりして丹頂鶴を守っている人でもあるが、ほぼそうやって一緒に暮らしているせいで、ほぼすべての鶴が高橋さんをお父さんか仲間だとおもっている。
実際、僕が呼んでも反応しなかった鶴が、高橋さんが呼ぶと隠れていた茂みからすっと頭を出し、こちらに駆け寄ってくるのだ。飛べない鶴には、子供に自転車を教えるように、一緒に飛ぶ練習をする。見事飛べた鶴は、自然に返すのだそうだ。立派だね。
で、そこで教えてもらった話。鶴は、一度つがいを決めると一生仲睦まじく添い遂げるそうだが、もし一方が死んだら、すぐにその死骸を片付けないと、その死骸が朽ちて土に帰るまで、その場を離れようとしないそうだ。
ま、鳥は、オシドリなどもいるけれど、そういう生き物なのだ。その性質と見た目の美しさが、幸福の鳥として、丹頂鶴などは日本の象徴のようにもなったのだろう。

浦島太郎という昔話があるが、日本書紀にも類例がある通り、その歴史は謎が多く、実際の成立年代は実はわかっていない。
でもまあ、もっともポピュラーなバージョンは、室町時代の「お伽草紙」にある話だろう。ただし、その結末は案外知られていない。
これも学生時代に読んだ話だが、玉手箱を開けた太郎は、老人になった後、実は「鶴」になって仙人の地「蓬莱山」に行くのだ。で、実は乙姫も、最後は亀となって蓬莱山に行き、二人はめでたく仲良く暮らしたとさ、がエンディングなのだ。ある意味、これ以上めでたいことはない。
なぜ、多くのストーリーでここがカットされたかはわかっていない。唐突だからか、甘い汁をすった人間に報いが来る方がしっくりいったのかはわからない。
ただ、ここで重要なのは、亀ももともとは蓬莱山の使い、鶴が飛んでいくのも蓬莱山、という点だ。そこには遠く、神仙思想やタオイズムが横たわっているではないか。
浦島太郎には、亀だけがシンボルなわけではなく、本当は、鶴と亀が一緒になる、というところが味噌だとおもうけれど・・・。


たとえば、千歳飴。千歳というくらいだから、長寿の願いだろうか。
鶴と亀のコンビは、日本画の重要な画題でもあるし、こういうところにもポピュラーにある。



話が長くなったが、リハの後、みんなとは別れ、ダランと二人、どうせ新世界にいるんだから、やっぱりここは「串カツ」でしょう、ということで、串カツエリアに向かったのだが、一番の有名店がこの長蛇の列なので、そこはダランの勧めで、この「鶴亀屋」に行ったというだけの話。
店ののれんを潜りながら、そんな連想をしていた。すみません、枕が長くなって。
ちなみに、木津さんと澤田先生の「ツルカメ」とは関係ありません。


これが通天閣の目の前にある一番有名な店、らしい。入るのに時間がかかりそう。


「鶴亀屋」が左に見える。これは通天閣を南側から見た図だ。


店内はこんな感じ。どこか吉祥寺の「いせや」に似てる雰囲気がある。
道理で、ダランが好きなはずだ。



ま、こんな感じです。


でもまあ、キャベル食べまくりましたね。それに、ダランとは久々に二人でゆっくり話をした。そうね、二人ってのも最近あんまりなかったかも。
ま、積もる話もあれば、バリ関係の仮説もあるし、親兄弟にも言えない超民俗学的リアリティの話もある。詳細はナイショ。
そんなわけで、大阪初日、新世界の串カツは、哲学的な味がした。
明日はいよいろ大阪初日。さて、どうなりますか。こういう期待感と柔らかい緊張感もワヤンの醍醐味か。
ま、鶴でも亀でもいいけど、みんな長生きしましょうね。「串カツ」はほどほどに。(は/168)

■From the new world

2015年10月14日 | 旅のおはなし
といっても、ドヴォルザークではない。大阪はミナミ、ディープOsakaとして知られる「新世界」のこと。
ちょうど少し前に、TVで放映していた話の受け売りだけれど、「新世界」のもともとの発祥は、内国博覧会だったそうね。内国博は、明治期の輸出等を当て込んだ国内産業振興のための国策博覧会だけれど、東京なら会場は上野が定番だ。
で、その跡地にできたのが、通天閣とルナパーク、つまり、遊園地というか、いまならテーマパークのようなものだろう。これを「新世界」と呼んだことが起こりということらしい。実際には遊郭等も隣接していたらしいから、東京なら、ま、浅草と吉原が一緒になったような場所ということになる。
いまでは動物園もあるわけだから、そうか、上野と浅草と吉原を一緒にして凝縮した感じか・・・なんとなくイメージできるだろうか。




確かにね、明治の上野は一大遊楽地。すでに上野動物園だってあったし、内国博覧会だって、分離派建築展だって行われたし、市民の一大イベント地区でもあったわけだ。
その後は、芸大ができたり、美術館や文化会館といった施設も集まり、次第に芸術の森になっていったけれど、ま、いまでも演芸場や老舗なんかもたくさんあったり、桜の季節なんかは大賑わいだ。アメ横なら戦後有数の闇市以来のプライス破壊エリア。無数に格安の居酒屋もある。
新世界にもアメ横にありそうな店がたくさんある。靴の片方だけ売っている店などあるというから驚きだ。きっと値切り交渉もできることだろう。

一方、浅草は、いまでこそ江戸情緒が人気で、たくさんの観光客が来ているが、当時はれっきとした大正モダンの地でもあって、モダン都市東京の代表格にひとつでもあった。たとえば、通称「浅草十二階」と呼ばれた「凌雲閣」は、日本初の高層建築だ。地上十二階からの眺めを「近代のまなざし」だったという評論家もいる。
ま、いずれ、庶民の娯楽と歓楽の中心地というべきかもしれないが、いまにつづく洋食から和食の老舗、伝統の職人からやはり演芸場や歌舞伎小屋まである。
新世界と共通しているのは、午前中から酔っぱらっている人がいても普通だ、ということだろうか・・・。


浅草、凌雲閣。通称「十二階」。日本最初の高層建築だ。

その通天閣は、第二次大戦のときに壊されたので、いまは二代目という話だが、ここはパリを模してつくられたそうなので、通天閣を中心に道も放射状だ。それに初代通天閣のデザインがすごくって、凱旋門にエッフェル塔を乗せたかたち、というから驚きだ。いったいどういうデザインコンセプトなんだか・・・。


初代通天閣。ある意味、かなりキッチュで、いまとなってはかえって何とも面白い。


ともあれ、大阪は、大阪駅周辺の「キタ」と心斎橋から難波近辺までの「ミナミ」が代表的なエリアだ。
いままで仕事などで行くときは、工場などのある東大阪とか、ビジネスエリアのキタが多かったが、二度ほど、自由時間でミナミに行ったことがあって、なんとなくだけれど、地理感覚はあったが、この辺の地下鉄を降りたのは初めてだった。
大阪方面から御堂筋線で「動物園前」で乗り換えて「恵美須町」が降車駅。ここに、今回のワヤンの主催「ギータ・クンチャナ」のスタジオがある。


エビスは蛭子だから、ある意味フリークでもある。
動物とフリークと天下茶屋に囲まれたエリアが新世界というのも、なんともイマジネーティヴだ。


恵美須町の駅の案内板。
なんとも無造作な感じ、と、なぜか駅長室が二つもある。
よほど駅長に用のある人が多いんだろうか・・・?


ダランと話していて、Gita Kencanaの意味って・・・、ダラン曰く「gitaは音楽とか・・・」、と答えたところで、邪魔が入って話が終わってしまった。
いや、あのとき僕が聞きたかったのは、gitaは、もしかしてバガバッドギーターのギーターと同じ語源?ということだった。
なら、gitaは、音楽や音というより、詩歌や韻文に近い。ま、古代なので、いずれも詩=歌ではある(つまり節とともに声に出して表現すること)が、なにより、バガバッドギーターの意味を含んでいるなら、もろ「マハバラタ」ではないか、ということだ。
まあそういう意味で、彼女たち、実に奥行きのある名称を選んだものだ。


ギータ・クンチャナのスタジオのドア。

僕が到着した時間には、もうみんな準備を始めていた様子だった。
本来なら、
 は「ごめんください」
 ギ「どなたですか?」
 は「クテンコンの(は)と申します」
 ギ「お入りください」
 は「ありがとう」
となるはずだったのに、慌てていてそれを言うのを忘れてしまった。
このネタ、わからない人は、吉本新喜劇をご確認ください。


ともかく、リハが始まるとみんな真剣。とはいえ、誰かが冗談をいうとすぐに和む性格の良い人たちばかりだ。誰かが何かいうと、それには応えないといけない血に入った習性だ。
これから、大阪ワヤンならではの仕込みがつくられていく。
どうしても前ノリして、リハに参加したかったのは、ひとつは頼まれたクテンコンとしての使命感と、もうひとつはこの一体感を共有してみたかったということ。だんだん一人一人の個性もわかってきた。
これも二年に一度の楽しみだ。(は/167)


みなさん、ご苦労さま。それぞれの演奏、素敵でした。
そして、呼んでくれて、ありがとうございました。


■大津の夕べ

2015年06月24日 | 旅のおはなし
ということで、大津の打合せと宿泊は、豪華なホテルでした。
その部屋からの眺め。ちょうど、琵琶湖の先に夕陽が沈むところ。右側が比叡山だろうか・・・。美しい日本の風景だ。




支配人が気を利かせて用意してくれた部屋が、なんとスイートルーム。到底ひとりじゃ持て余す広さだけど、なんとも居住まいが悪い。ま、こんな感じ。
この他に、ベッドルームとドレスルームとバスルームとトイレ×2と前室がある。窓からは琵琶湖が一望というロケーション。




ま、打合せも無事終わり、ざっと館内を案内してもらったところ、2階のエステがあって、なかなか高級感もあって落着いた雰囲気だったけど、聞いたところでは、これ、偶然、大学の同級生のデザインでした。奇遇。こんなところにそんなものがあるなんて。




夜は、当然、近江牛の鉄板焼き。ポイヤックのワインとともに。
どうも、いつも気づくのが遅く、撮影のときは残りものになってしまう・・・。



ついでに、これは先日神戸でいただいた神戸牛の鉄板焼き。




たぶん、両方ともなかりお高いとおもわれるが・・・。
それにしても、これらどこが違うんだろう。たしかに両方とも美味しかったけど、実は違いがよくわからない。
ま、サシのたっぷり入った牛肉というのはどれも、それくらい高レベルということもあるけれど、どうも判別つきにくい(なんてのは贅沢だろうか?)。

関西の牛の世界というのは、それはそれで実はかなり複雑な歴史と経緯があし、闇の歴史もある。
でも、関西では、普通、肉といえば牛だ。カツもトンカツといわない限りは牛カツだし、カレーも中華まんも全部牛だ。
だから発達したんだろうけど、これら、よくいう黒毛和牛というヤツは、松坂牛も神戸牛も飛騨牛も米沢牛も宮崎牛も全部、名前は忘れたけど、たった一頭の但馬牛から繁殖したものである。
なかでも神戸牛は定義が厳しいらしく、兵庫生まれ、兵庫育ちの但馬牛のうち、牛自身の体重から霜降度合や肉質等級が厳密な基準以上のみがそれを許されるらしい。
神戸で食べたときも、誰々の生産したどういう等級の肉であるかなど、いちいちもったいぶって説明された。

バリはヒンドゥなのに、なぜか牛も少々食べるようだが、日本はそもそも歴史的に牛を食べていなかったとおもっている人が多いが、あれは奈良時代に仏教の影響で、食肉が禁止されたためで、それより以前の縄文、弥生とも、当然食べていたわけです。
しかも、いま流行のジビエかとおもいきや、定住農耕の始まった弥生時代には家畜化されていたという説もある。
その後も、明治になるまで、隠語で語られるほどに少しは食べられつづけていたということになる。
いずれにしても、観る動物もいれば、食べられる動物もいる。ま、業が深い話しだ。(は/115)

■祇園と美人茶屋

2015年06月16日 | 旅のおはなし
で、まあ、日本の料理や文化といえば、ひとつは京都。というわけではないけれど、ちょうど、5月末の暑~い日、京都と大津に行った。
京都は約一年ぶりだろうか・・・、大津はなんと初めて(サービスエリアは行ったけど泊まったことはない)。初滋賀県である。これでまだ足を踏み入れていない県は、徳島と高知と熊本と鹿児島の4県になった。最後はどこだろう。

京都は祇園に用があって行ったけど、どんなに暑くても、水が流れていたり、樹木があると気持ちがいい。古い町並みは狭い敷地にうまくできている。周辺は外国人だらけ。さすが京都というか、白川沿いの風情ある町は人気がある。


とうとうと流れる白川沿いには、いまでは高級なレストランが並ぶ。



 




祇園では猫までだるそうに寝そべっていたけど、観光客はおかまいなし。猫はなすすべなし。


祇園とは、祇園祭りの祭主である八坂神社がかつては祇園社という名称であったことから来ていると聞いた。ただし、有名な山鉾は町衆がやるので、厳密には別なんだそうだ。ダランは何度か行ったらしいけど、僕はまだ観ていない。今年も観れそうにない。
でも、高山や九州の日田の祇園山鉾は観た。全部ルーツは一緒だし、とくに日田の山車は必見である。いずれも夏越しの儀礼の一種である。この山車や夏越しについては長くなるのでまた今度。

ともあれ、そう、祇園は祇園精舎の祇園である。祇園精舎は仏陀が説法した北インドの僧院、平家物語の一節は有名なので、みんな子供の頃暗記させられたとおもう。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す、おごれるものも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし、たけきものも遂には滅びね、ひとへに風の前の塵に同じ・・・というあれ。教訓だね。

とはいうものの、祇園は一転して、元々は花街、東西は八坂神社から鴨川沿いの南座までのエリアから南北に行った辺り一帯。茶屋と料亭もあるけれど、花街だから置屋もあるし、色街でもある。だいたい歌舞伎小屋がある辺りは、江戸なら悪所、昔からそういう場所なのだ。
そんなことも時代とともに変遷し、外国人向けの店を見つけた。名前もすごい。「美人茶屋」。
看板も全部英語で書かれていて、Welcom to Kyabakura / Charg System / Vistor \9,000(60min) / Estention Charge 30min \4,000
さらに看板には、BEAUTIFUL LADIES HOSTESS LOUNGE / SAMURAI GEISYA NINJYA FUJIYAMA SAKEのベタな文字が並ぶ・・・。いまどきこんなの、とおもうけど、なかなかシャープにデザインされてもいる。その辺はさずが京都だ。






で、夕方は、鴨川沿いと先斗町を久々に歩いてみたけど、すでに鴨川沿いに張り出した川床には、たくさんの人がビールなんか飲んでいて、気持ち良さそうだ。やっぱり水があるのはいい。
そうこうしているうちに、三条大橋に出た。そうだ、ここが東海道五十三次の終着点。前の日は、ちょうどその一つ前の宿、例の大津の宿だった。大津絵は売ってませんでしたが。
最後は木屋町通のおばんざいやさんで夕食にしてみました。水茄子やお豆腐の料理が涼やかだった。ホントに食には四季が大切ですね。そうやって、おばんざいやはほぼだいたい美味しいのです。
夕方の打ち水とか、鴨川の夕涼みとか、ま、夏の京都は暑いけど、それはそれでいろいろ納涼には文化が生きています。
これからまた京都通いをしなくては。(は/111)




三条大橋。これをともかくまっすぐ行けば東京に着くわけだ。

■「たきにく」と「がんす」-広島B級珍しもの

2015年03月02日 | 旅のおはなし
広島のB級グルメといえば、言わずと知れた「広島風お好み焼き」。
まあ、たくさん店があるし、お薦めを訊くと百人十色だ。
有名店の名前を出すと必ず言われるのは、「ああ、あそこは観光客相手だから、もっと安くてうまい店があるよ。ホントのお好み焼きというのはああいうもんじゃない」的なこと。
なんか、バリに似ている。本当のバリはあんなもんじゃない、的な。
きっと、それぞれの思い入れがあるのだ。




実際、広島の人も、週に一度くらいはお好み焼きを食べるという。子供の頃から食べているから当然ソウル・フードだ。(そういえば、韓国に行って「ソウル・フード」ってなに?と訊いていたヤツがいたけれど、スペルが違うだろ。)
だいたいにして、東京に比べるとラーメン屋も少ないし、そば屋も少ない。そのかわり、お好み焼き屋は朝まで営業してたりする。シメに食べる人も多いのだ。いまどきの那覇なら焼きてびちかステーキだ。ライフスタイルの違いこそ、風土だね。
で、みんな、子供の頃は家で食べ、大人になってからは店で食べる。鉄板の厚さが違うので、店の味は家では絶対再現できないのだそうだ。ま、2cmくらいの厚さがあるそうだから、それはそうかもね。
で、キモはこれ。ソース。
定番はもちろん「おたふくソース」だけれど、最近では「カープソース」というのも多くなってきて、店先に「カープソース使用」などと貼り出しているところもある。
素人の僕にはどちらがいいんだかわからない。どこの「もみじ饅頭」がご贔屓か、と似ているかもしれない。
結局大差ないのではないかと密かにおもっているが・・・広島の人には言えない。言われたままに食べるのが一番だ。


ところで、最近、連れて行ってもらった「たきにく」という料理を出す店がある。「たきにく」とはたぶん「炊き肉」だろう。野菜から出る水分と香辛料でモツを煮込む料理である。出汁が出てきてユニークだ。
広島でも密かに人気らしく、東京あたりから出店のオファーがあるらしい。たしかに珍しいし、安くて庶民的だけど野菜もたくさん入っていて結構旨い。
最後は、ごはんとたまごを入れておじや風にするが、これがまたイケる。
これこそ、ここでなければ食べられない味だ。


最初は鉄鍋にたんまり野菜とたんまり唐辛子系香辛料の山。


これが、煮込む(炊く)とこうなる。数種類のホルモンからいい出汁が出る。


最後はこれ。ごはんとたまごと出汁の相性はグンバツだ。


広島には、他にも有名なものとしては「がんす」というものもある。
これも庶民の食卓に昔から乗っていたもので、スーパーにも売っている。魚のすり身をパン粉でフライにしたとおもえばいい。ま、揚げ蒲鉾かな・・・?
店や商品によって厚さもバラバラで、ちょうどハムカツの厚さが店によって違うのと似ているかも。オーブンで焼くとビールにもよく合う。
「がんす」というのは、広島弁で「そうです」とか「そうであります」というような意味らしい。
僕らの世代では、怪物君の狼男のセリフだ。狼男は広島人だったのか・・・?
狼男の口癖は「そうでガンス」だったが、いまからおもえば、それは同義反復ではないか。「チゲ鍋」といっているのと一緒だ・・・。




ともあれ、今回の広島出張も無事終了。しばらく広島は行く予定がない。
でも、今週末は富山、来週は札幌。月末は上海・・・相変わらず「道路」なきロードがつづく。(は)



広島といえばカキ。で、想像通りの商品開発。食べたことないけど・・・。


カープカツとは、ダジャレだ。
最近は「カープ女子」というのが流行っているらしいので、それ用のサイズも出ている。



カープは熱かった。こんな店にもこれだ。
ま、20億蹴って地元広島に来たんだから男気だね。なかなかそういう選手もいない。
黒田フィーバーの経済効果は52億だそうだけど・・・。
カープは独特な雰囲気がある。そのうち応援しよう。



最後に作家のAAさん。広島の人形作家が1日で作ってくれたそう。似てる。
AAさん、遠路、展覧会、ありがとうございました。

■紀州梅はいかが?

2015年02月19日 | 旅のおはなし


そんなこんなで来た南紀白浜。白砂青松、穏やかな海岸、温泉、磯料理とクエ。冬も冬でそれなりに清々しい。
温泉は、有馬、道後とともに三大古湯のひとつ。1300年前から記録にあるという。
だけど、いまは人気なのは、「アドベンチャーワールド」とこの「とれとれ市場」だそうだ。
アドベンチャーワールドは、パンダの飼育で有名で、なぜかここだけボンボン子供が産まれる。もともと才能のあるパンダなのか飼育環境がいいのかわからない。でも、ポンポン産まれる。
そもそもパンダの受精タイミングは年間3日しかないというからすごい確率だ。とうてい成せる技ではない。きっとすごい体位か、体温測定でもしているに違いない。もしかしてこれも「鬼」?

でも、パンダはパンダ。どこで生まれようと、産まれた瞬間から国籍は中国。レンタル料は一年8千万円、だそうだ。先日産まれた双子なら締めて1億6千万円也。ディスカウントはない。
二十歳になったら国籍は本人に選ばせよう!



ところで、そういえば、生物学や進化論では有名な話だけれど、「個体発生と系統発生」という本を書いたスティーヴン・ジェイ・グールドという進化論の雄が「パンダの親指」という問題提起をしたことがある。これもまたBOOK OFFで108円で売っている。
本のなかでは「パンダの親指」は短い導入のエッセイだけれど、問題力はある意味凄まじい。

パンダは普通笹を食べる草食だとおもわれているが、実際は、雑食で、昆虫だってなんだって食べる。昨年も山に食べるものがなくなって、民家に押し入り家畜を食べた事件もあった。
で、パンダは、笹を食べるとき、人間と同じように親指と他の指の間に笹を挟んで上手に食べている。これを「拇指対向」というけれど、普通、ほ乳類でも霊長類以外は、指は全部同じ方向を向いている。
簡単にいうと、鉄棒をつかむときなど、全部の指を上からつかむのが動物。霊長類は親指は順手なら下からつかむように挟むということである。だから人間は発達したし、器用に物をつかめるのだ。
また、パンダは「熊猫」と書くが、実は「猫」ではない。クマ科の動物だ。クマならクマらしくすればいいが、見た目が目に隈があるようにも見えるし、殴られた痕のようにも見えるし、どうもその辺が個人的に気に入らない。どこがカワイイんだろう・・・?
バリには熊はいたっけ?・・・小玉川は熊だらけだったけど。

で、そう、クマ科の動物は拇指対向しないのに、なぜパンダだけがするのか、ということで調べてみると、実はパンダには指が6本見つかった。
ええ???とおもうかもしれないが、実は、親指だとおもっていたのは指ではなく、「撓側種子骨」といって、異常に肥大化した手首の骨(人間なら親指の付け根の一部)だったのである。
で、何が問題かというと、クマなのでクマとしての手の使い方がまずあって、それで進化してしまったので、いまさら親指という働き方をつくる方向には進化しない、でも親指的働きが必要ということで撓側種子骨が発達したということ。つまり進化は「歴史」を裏切らない、逆行しないという見方が実はこのとき初めてなされたのである。
そんなに大したこと?とおもうかもしれないが、実はたいへんなことなのだ。
グールドはこれを「パンダの原理」と呼んで、以降、ああそれ、パンダの原理ね、とみんな言うようになった・・・。
もっと詳細を知りたい人はまた今度。


ま、これから何度か来るだろうし、いずれ、那智滝か熊野古道にも行けるチャンスをうかがいつつ、今回は、とりあえず「とれとれ市場」。道の駅も兼ねている。
まあ、クジラからクエ、アワビやサザエ、鮮魚のほか、加工品も豊富。全部見るなら半日かかりそうだ。



で、名物「紀州梅」のコーナーにこんなのがあった。
じぇじぇじぇ。
一年分が365個なら、これ、3,650個入っているんだろうか・・・?
十年物の梅干しは食べられるのだろうか・・・?
10人家族なら1年分しかないんじゃないだろうか・・・?
100人家族なら1月持たないではないか・・・?
1000人家族なら3日半か・・・?
送料別とはセコくないか・・・?
北海道のダチョウの卵とこの梅で何人分の梅入り出汁巻玉子か梅肉入りオムレツができるだろうか・・・?
周りには確かに梅畑はたくさんあったし、もしかしてダランの家系のルーツはこの辺だったりして・・・?

そんな疑問を巡らしながら、しげしげ見ていると、店の人が試食させてくれた。
うまい。やっぱり日本人は梅干しですね・・・紀州が一番、などとごまかしながら、結局、金山寺味噌を買って帰ったのでした。冷やかしはほどほどに。(は)

■ファーストクラスのLCC

2015年02月19日 | 旅のおはなし


いつだか航空会社に欧州までのファーストクラスの料金を訊いた際(もちろん僕が乗るわけではないけれど)、180万円ですということだった。
一応「ディスカウントプライスはありますか?・・・何日前迄ならいくらとか・・・」と訊いたら、「あの~、ファーストクラスに乗られる方でそういうことをおっしゃる方はいらっしゃらないので・・・」。
しまった。そりゃそうだ。庶民だった・・・と悟らされた。

アジアの人は、サービスというのはサービスなんだからそれは「ただ」。ダーターだ、とかおもいがちだが、欧米の人はともかくサービスというものに対してお金を払う概念と習慣がある。よいサービス、グレードの高いサービスに対しては惜しまないし、お金がないならサービスのないところに行けばいい。そういう文化の下にあるのだ。
ファーストクラスというのも、列車や船、当然飛行機にもある。扱いも違うし、すべてのグレードが違う。彼らは特別扱いされたいわけではなく、それが当り前なのだ。

20世紀後半にもなると、社会に中間層が増えた話はしたけれど、そういう人たちはリベラルだし、ステータスのための無駄はしない。お金はあるけれど、スタイルだってフリーだ。ジーパンで高級ホテルにも行く。
そういう小金持な人たちのために、ヴァージンのリチャード・ブランソンは、飛行機のファーストクラスを撤廃し、全部ちょっと広いビジネスクラスにした。80年代はこれが新しかった。
いま、格差社会とデフレ社会のなかで、そういう中間的ゾーンは減り、飛行機はLCCと高級路線に二極化しつつある。それはそれでいい。需要があるなら、選択すればいいし、都合に合わせればいい。

ホテルも同様である。
で、カプセルホテルにも革命があった。それがこのファーストキャビン。
実態はカプセルホテルだけれど、カプセルホテルのファーストクラスだ?・・・2段じゃないし。セコい、けど、ま、うまいところを突いているともいえる。デザインもある程度しっかりしている。
イメージは、飛行機のファーストクラス。
確かに飛行機のファーストクラスは、フルフラットシートとプライバシーが売りのひとつだけど、実際の占有面積は1畳程度。こちらの方が広い。人間、起きて半畳、寝て一畳。ほぼこれで足りる。
違いは、サービスはLCCということだ。一応、風呂もあるし、ラウンジもあるし、飲物の自販機やコンピュータやマッサージチェアもある。けど全部有料。TVは無料だけど、飛行機のようにヘッドフォンを着けて観る。
しょうがないので、コンビニでビールとつまみを買ってひとり飲み。久々にニュースをリアルタイムで観た。
う~ん、でもちょっと収容所(入ったことないけど)気分かな、面白い体験だったけど。個室は無窓室なので「か」さんは絶対無理。

で、ま、翌日が早かったので、羽田空港にあるこのホテルに初めて泊まってみた、という次第。
1泊5,000円也。あとでわかったけど、僕が申し込んだのはビジネスクラスコースだった。あと千円だせばファーストクラスコース、室内面積が倍になったのに、ケチったからこうなった。初めてなのでむしろこの方がよかったけどね。
これが高いか安いか、いっそマイルで払えればもっといいのに。
こういうセコい話は、ダランとは妙に馬が合う。(は)



これがネットで予約したときのイメージ。


実際泊まった部屋。ベッドの上を這うしかない。


エントランスとフロント。右へ行くと男子、左へ行くと女子で、ここで分かれる。


廊下はこんな感じ。右のドアからカプセルエリアに入る。


風呂の洗面室。案外清潔。だけど余分な贅沢品は一切ない。


共用のラウンジ。閉所が苦手な人は、平気になるまでここで飲んでいても許される。


男子エリアのプラン。全室無窓。黒と白が基調のデザイン。昼も夜もわからない。

■ミドリムシふたたび

2015年02月04日 | 旅のおはなし


先日の札幌のお昼に例のスープカレーを食べた。う~ん、やっぱりうまい、かも。
札幌のスープカレーの頼み方はだいたいどこも同じで、以下の通り。

 1)スープを選ぶ(だいたい2種類くらい用意があって、インド系かココナッツ系か、とか、あっさりかこってりか、とか)
 2)基本の具を選ぶ(トッピングもあり、納豆が際物、らしい)
 3)辛さを選ぶ(だいたい1~5くらいまであるが、3以上は有料が多い、けどそれほど辛くはない)
 4)ライスの量を選ぶ

今回は、こってりの野菜にチキンとキャベツをトッピング、辛さは2、ライスは普通にしてみた。
定石通り、スプーンにごはんを入れ、それをカレーに浸して食べる。
やばい、だんだんやみつきになりそうだ。


    

そんな昼食の後、同行した人の勧めでこの店に。でも入口にこののぼりが。「ミドリムシ入荷しました」・・・。
大丈夫か、この自然食品。
だけど、超オススメは、この「黒千石」というレア豆らしい。なんでも、絶滅したかとおもわれていたが、あるおばあさんが密かに種を持っていて、ある人がそこから種を復活させたらしい。
高血圧、中性脂肪には滅法効くらしい。早速、徳用パックと、ついでに黒千石のフロランタンを購入。なんとあのうるさいうちのかみさんも食べられる。いい土産になった。
で、案外おいしかったです。効用と成果は半年後。

ところでミドリムシ。結構はびこっていた。やばい、どんどん商品化が進んでいる・・・。そのうち地球もミドリムシの惑星になるに違いない。

       



そういえば、「ハテナ」という生物をご存知だろうか。今世紀になってから、筑波大の先生が、和歌山の砂丘で偶然発見した新種の単細胞「植物」だそうだ。正式名称は「ハテナ・アレニコラ」というらしいが、アレニコラとは砂の中という意味らしいので、問題は「ハテナ」だ。
答えは簡単。
新種だし、存在形式の意味がわからないので「はてな?」である。

それで想い出すのは、上方古典落語の「はてなの茶碗」。昨年もJALの機内放送でやっていたけど。
ある目利きの古物商が、穴がないのに水が漏れる不思議な茶碗を殿様に見せたところ、それが噂になり、天子様がご高覧遊ばされて箱書きまでなされたので、ついにその雑器に千両の値がついた。穴がないのに水が漏れる、摩訶不思議、「はてなの茶碗」という名前になった。
じゃ、ってんで、それを手放した男が欲をかいて、あれが千両なら、これは一万両だろうと言って水の漏れる大きな亀鉢を抱えて重そうに持って来るというオチである。
「ハテナ」とはそれと同じだ。

じゃ、この生物、何が「はてな?」かというと、他の単細胞植物と同様に細胞分裂して増えるわけだけど、その際、片方にのみ葉緑体が残り、片方は無色でそれが継承されないのだ。
簡単にいえば、片方は「植物」、もう片方は「動物」になる。出た。こいつらもか。ここにもまたややこしい存在がいたものだ。
で、これは不思議ということで、「はてな?」となったらしい。

             

そもそも動物はなんらかの命をいただいて生命維持と動力の糧にする構造だけれど、植物はスタソーマのように「殺生」しないし、同じ場所から動かないから植物。水と太陽からデンプンを作り出し、酸素を放出する。人類を含めた動物たちの希望の星だ。
それはまた、かみさんのようなベジタリアンのプリンシパルであり、根本原理でもある。

で、動物と化した片割れはその後どうするかというと、結局、他の単細胞藻類を捕食して、ちゃっかりその葉緑体を取り込んで再び「植物化」する。トランスジェンダーどころでない。植物回帰する。彼らはその繰り返しで、種を増やしていくそうである・・・。
へえ、ま、殺生はともかく、せっかく食文化を楽しめる動物の仲間になったというのにそれは残念だ。一度、スープカレーを食べさせてあげたい。(は)