なんだかしばらくぶりですね。随分空いてしまった。すみません。ま、今年はいろいろある年ですね。
唐突ですが、朝の通勤電車は、座れるときもあれば座れないときもある。
今朝の話し。
たまたま満席に近かったので、車両の後方にある優先席の前に立ってつり革につかまって本を読んでいた。
そのとき、4名掛けの優先席は、僕の前の1名が、まあ、お年寄りかな?という感じの女性で、あとの2名は、50代くらいのサラリーマン風男性と30前後の女性、そして1名分が空いていた。
だから座ろうとおもえば座れたのだが、座席がうまるくらいの混みようの電車でそれはしない。
よく、そういうところに座っている若者が、「空いてるからいいじゃん。おじいちゃんとか来たらちゃんと譲っし」とか言っているのを聞いたことがある。
でもね、キミ、違うんだよ。
お年寄りや身体の不自由な人の多くは謙虚で(そうじゃない人もいるけど)、もし優先席に誰か座っていたら、その前には立たないんだそうだ。なんだか譲れ、と言っているようで申し訳ないということだ。美しい伝統的精神だね。
だけど、もし、席が空いていたら、向こうからやってきて座ることもできる。だから、満員に近い場合は、できるだけ優先席は空けておいた方がみんなのためだ、ということになる。
井の頭線の優先席のピクト。
いつだかダランともそんな話をしたこともある。僕らはいったいいつになったら「優先席」に座れることが許される身分になるんだろう。年齢で決まるものでもないだろうし、その境界線は誰にもわからない。
ともあれ、今朝は、僕と同じように、僕の隣とその隣には40代前後の男女のサラリーマン風がつり革につかまって立っていた。
そうこうしていると、発車間際、若い男性がやってきて、僕らを押し分けてその空いている一席にドンと座って脚を組んだ。
で、案の定、おもむろにスマホを取り出して、イヤホンをつないだとおもったら何やらスマホをいじり始めた。
丸首のTシャツ風なものにラフな縦縞のスーツ、ディップで固めた髪、足先の尖った革靴。最近よくいるベンチャー系か外資系の若者だろうか・・・。
それに、厳密にいうなら、そう、ここはケータイ禁止だ。
でもま、ことさらここで公衆道徳を説くつもりはない。人生いろいろ、人それぞれだ。もしかしたらそれなりの事情もあるのかもしれない。
だけれども、問題はその後だった。
次の駅で、まあ80歳近いだろうご婦人が乗ってきて、偶然彼の近くに立ったのだ。
そのとき、彼は、ケータイの手を休めて、チラッとだけご婦人を見たが、そのままケータイに戻ってしまった。
それを見かねたのか、向かいの優先席に座っていた60前後とおもわれる女性が立ち上がり、どうぞお座りくださいといい出した。
いえいえ、そんな申し訳ない、いえ、いいんです、大丈夫ですから、どうぞ。え、そうですか?・・・じゃ、すみません、ありがとうございます、的な譲り合いのあと、ご婦人は、無事座ったのでした。
終点で降りる際、ご婦人は何度もその女性にお礼を言っていた。
よくある光景といえばそうだが、なかなかね。
こんなのもあるし、ピクトのデザインはいろいろ認められているらしい。
最近よく見かけるのが、このマタニティシール。
バッジやキーホルダーのようなものをつけている女性もたくさんいる。
最近は英語の翻訳っぽい言い方で「優先席」というらしいけど、少し前は「シルバーシート」と呼んでいたっけ。直訳すれば「銀座」だ。
でも、それでは外国人に理解できない。和製英語だからね。それに、見方やイメージとしてはお年寄りに席を譲りましょう的な、ある意味儒教的な道徳も入っている言葉ともとられかねない。
ともあれ、いまではどこも立派に"Priority Seat"「優先席」という。ここには、お年寄りだけでなく、身体の不自由な人、怪我をしている人とか、妊婦とか、社会的に弱者にカテゴライズされる人々も優先されるのが共通理解だ。
ちなみに香港の地下鉄では「優先座」と表記してあったけど。
普通はこれ。
で、ときどきおもうのは、じゃ、「とっても疲れている人」というのは、このカテゴリーには入らないんだろうか・・・などとついアマノジャクなことを考えてしまう。この話、誰かにしたような気もするけど・・・。
僕もときには徹夜などして、もう、1分でも寝たいときとか、限りなく疲れていて、ともかくわずかでも休みたい、というときもないわけではない。年齢に比例して、そういう状況にも落ち入りやすくなってきたことだし。
だから、そういうピクトグラムを考えてみた。
今回、僕の考案した「非常に疲れた人」のピクト。
「非常に疲れた人」が入るとこんな感じ。
いつか、追加されるときが来るだろうか・・・。
これ、どう?
世の中には座る側にも譲られる側にも、一見してわからないそれぞれの事情というものがあるものだ。
朝のちょっとした情景にもついついそんな空想を巡らせてしまうこともある。(は/274)
唐突ですが、朝の通勤電車は、座れるときもあれば座れないときもある。
今朝の話し。
たまたま満席に近かったので、車両の後方にある優先席の前に立ってつり革につかまって本を読んでいた。
そのとき、4名掛けの優先席は、僕の前の1名が、まあ、お年寄りかな?という感じの女性で、あとの2名は、50代くらいのサラリーマン風男性と30前後の女性、そして1名分が空いていた。
だから座ろうとおもえば座れたのだが、座席がうまるくらいの混みようの電車でそれはしない。
よく、そういうところに座っている若者が、「空いてるからいいじゃん。おじいちゃんとか来たらちゃんと譲っし」とか言っているのを聞いたことがある。
でもね、キミ、違うんだよ。
お年寄りや身体の不自由な人の多くは謙虚で(そうじゃない人もいるけど)、もし優先席に誰か座っていたら、その前には立たないんだそうだ。なんだか譲れ、と言っているようで申し訳ないということだ。美しい伝統的精神だね。
だけど、もし、席が空いていたら、向こうからやってきて座ることもできる。だから、満員に近い場合は、できるだけ優先席は空けておいた方がみんなのためだ、ということになる。
井の頭線の優先席のピクト。
いつだかダランともそんな話をしたこともある。僕らはいったいいつになったら「優先席」に座れることが許される身分になるんだろう。年齢で決まるものでもないだろうし、その境界線は誰にもわからない。
ともあれ、今朝は、僕と同じように、僕の隣とその隣には40代前後の男女のサラリーマン風がつり革につかまって立っていた。
そうこうしていると、発車間際、若い男性がやってきて、僕らを押し分けてその空いている一席にドンと座って脚を組んだ。
で、案の定、おもむろにスマホを取り出して、イヤホンをつないだとおもったら何やらスマホをいじり始めた。
丸首のTシャツ風なものにラフな縦縞のスーツ、ディップで固めた髪、足先の尖った革靴。最近よくいるベンチャー系か外資系の若者だろうか・・・。
それに、厳密にいうなら、そう、ここはケータイ禁止だ。
でもま、ことさらここで公衆道徳を説くつもりはない。人生いろいろ、人それぞれだ。もしかしたらそれなりの事情もあるのかもしれない。
だけれども、問題はその後だった。
次の駅で、まあ80歳近いだろうご婦人が乗ってきて、偶然彼の近くに立ったのだ。
そのとき、彼は、ケータイの手を休めて、チラッとだけご婦人を見たが、そのままケータイに戻ってしまった。
それを見かねたのか、向かいの優先席に座っていた60前後とおもわれる女性が立ち上がり、どうぞお座りくださいといい出した。
いえいえ、そんな申し訳ない、いえ、いいんです、大丈夫ですから、どうぞ。え、そうですか?・・・じゃ、すみません、ありがとうございます、的な譲り合いのあと、ご婦人は、無事座ったのでした。
終点で降りる際、ご婦人は何度もその女性にお礼を言っていた。
よくある光景といえばそうだが、なかなかね。
こんなのもあるし、ピクトのデザインはいろいろ認められているらしい。
最近よく見かけるのが、このマタニティシール。
バッジやキーホルダーのようなものをつけている女性もたくさんいる。
最近は英語の翻訳っぽい言い方で「優先席」というらしいけど、少し前は「シルバーシート」と呼んでいたっけ。直訳すれば「銀座」だ。
でも、それでは外国人に理解できない。和製英語だからね。それに、見方やイメージとしてはお年寄りに席を譲りましょう的な、ある意味儒教的な道徳も入っている言葉ともとられかねない。
ともあれ、いまではどこも立派に"Priority Seat"「優先席」という。ここには、お年寄りだけでなく、身体の不自由な人、怪我をしている人とか、妊婦とか、社会的に弱者にカテゴライズされる人々も優先されるのが共通理解だ。
ちなみに香港の地下鉄では「優先座」と表記してあったけど。
普通はこれ。
で、ときどきおもうのは、じゃ、「とっても疲れている人」というのは、このカテゴリーには入らないんだろうか・・・などとついアマノジャクなことを考えてしまう。この話、誰かにしたような気もするけど・・・。
僕もときには徹夜などして、もう、1分でも寝たいときとか、限りなく疲れていて、ともかくわずかでも休みたい、というときもないわけではない。年齢に比例して、そういう状況にも落ち入りやすくなってきたことだし。
だから、そういうピクトグラムを考えてみた。
今回、僕の考案した「非常に疲れた人」のピクト。
「非常に疲れた人」が入るとこんな感じ。
いつか、追加されるときが来るだろうか・・・。
これ、どう?
世の中には座る側にも譲られる側にも、一見してわからないそれぞれの事情というものがあるものだ。
朝のちょっとした情景にもついついそんな空想を巡らせてしまうこともある。(は/274)