玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■優先席考

2016年11月18日 | 日常のお話
なんだかしばらくぶりですね。随分空いてしまった。すみません。ま、今年はいろいろある年ですね。

唐突ですが、朝の通勤電車は、座れるときもあれば座れないときもある。
今朝の話し。
たまたま満席に近かったので、車両の後方にある優先席の前に立ってつり革につかまって本を読んでいた。
そのとき、4名掛けの優先席は、僕の前の1名が、まあ、お年寄りかな?という感じの女性で、あとの2名は、50代くらいのサラリーマン風男性と30前後の女性、そして1名分が空いていた。
だから座ろうとおもえば座れたのだが、座席がうまるくらいの混みようの電車でそれはしない。

よく、そういうところに座っている若者が、「空いてるからいいじゃん。おじいちゃんとか来たらちゃんと譲っし」とか言っているのを聞いたことがある。
でもね、キミ、違うんだよ。
お年寄りや身体の不自由な人の多くは謙虚で(そうじゃない人もいるけど)、もし優先席に誰か座っていたら、その前には立たないんだそうだ。なんだか譲れ、と言っているようで申し訳ないということだ。美しい伝統的精神だね。
だけど、もし、席が空いていたら、向こうからやってきて座ることもできる。だから、満員に近い場合は、できるだけ優先席は空けておいた方がみんなのためだ、ということになる。


井の頭線の優先席のピクト。

いつだかダランともそんな話をしたこともある。僕らはいったいいつになったら「優先席」に座れることが許される身分になるんだろう。年齢で決まるものでもないだろうし、その境界線は誰にもわからない。
ともあれ、今朝は、僕と同じように、僕の隣とその隣には40代前後の男女のサラリーマン風がつり革につかまって立っていた。


そうこうしていると、発車間際、若い男性がやってきて、僕らを押し分けてその空いている一席にドンと座って脚を組んだ。
で、案の定、おもむろにスマホを取り出して、イヤホンをつないだとおもったら何やらスマホをいじり始めた。
丸首のTシャツ風なものにラフな縦縞のスーツ、ディップで固めた髪、足先の尖った革靴。最近よくいるベンチャー系か外資系の若者だろうか・・・。
それに、厳密にいうなら、そう、ここはケータイ禁止だ。
でもま、ことさらここで公衆道徳を説くつもりはない。人生いろいろ、人それぞれだ。もしかしたらそれなりの事情もあるのかもしれない。

だけれども、問題はその後だった。
次の駅で、まあ80歳近いだろうご婦人が乗ってきて、偶然彼の近くに立ったのだ。
そのとき、彼は、ケータイの手を休めて、チラッとだけご婦人を見たが、そのままケータイに戻ってしまった。
それを見かねたのか、向かいの優先席に座っていた60前後とおもわれる女性が立ち上がり、どうぞお座りくださいといい出した。
いえいえ、そんな申し訳ない、いえ、いいんです、大丈夫ですから、どうぞ。え、そうですか?・・・じゃ、すみません、ありがとうございます、的な譲り合いのあと、ご婦人は、無事座ったのでした。
終点で降りる際、ご婦人は何度もその女性にお礼を言っていた。
よくある光景といえばそうだが、なかなかね。


こんなのもあるし、ピクトのデザインはいろいろ認められているらしい。


最近よく見かけるのが、このマタニティシール。
バッジやキーホルダーのようなものをつけている女性もたくさんいる。



最近は英語の翻訳っぽい言い方で「優先席」というらしいけど、少し前は「シルバーシート」と呼んでいたっけ。直訳すれば「銀座」だ。
でも、それでは外国人に理解できない。和製英語だからね。それに、見方やイメージとしてはお年寄りに席を譲りましょう的な、ある意味儒教的な道徳も入っている言葉ともとられかねない。

ともあれ、いまではどこも立派に"Priority Seat"「優先席」という。ここには、お年寄りだけでなく、身体の不自由な人、怪我をしている人とか、妊婦とか、社会的に弱者にカテゴライズされる人々も優先されるのが共通理解だ。
ちなみに香港の地下鉄では「優先座」と表記してあったけど。


普通はこれ。

で、ときどきおもうのは、じゃ、「とっても疲れている人」というのは、このカテゴリーには入らないんだろうか・・・などとついアマノジャクなことを考えてしまう。この話、誰かにしたような気もするけど・・・。
僕もときには徹夜などして、もう、1分でも寝たいときとか、限りなく疲れていて、ともかくわずかでも休みたい、というときもないわけではない。年齢に比例して、そういう状況にも落ち入りやすくなってきたことだし。
だから、そういうピクトグラムを考えてみた。


今回、僕の考案した「非常に疲れた人」のピクト。


「非常に疲れた人」が入るとこんな感じ。
いつか、追加されるときが来るだろうか・・・。

これ、どう?
世の中には座る側にも譲られる側にも、一見してわからないそれぞれの事情というものがあるものだ。
朝のちょっとした情景にもついついそんな空想を巡らせてしまうこともある。(は/274)


■引越の現実

2016年07月28日 | 日常のお話
ダランと一緒で、この年齢になると、ちょっと忙しいだけでブログも書くことすら息抜きにならない。というか息抜く暇がない、ということだろうか。最後にアップしたのはいつだろう・・・もう2週間くらい経つような気がする。
先々週からずっと出張つづきで、白浜、東北の奥地、札幌、会津と東京にはいなかった。昨日は社会人セミナーの講師でおおわらわ、さすがに高学歴な社会人に意味のあることを話すのは一筋縄ではいかない。ま、いい経験だけど、これから毎月あるとおもうと少し気が遠くなる。
おまけに明日からまた広島、福岡に行かなければならない。

そんな時間もぬいながら、先日も練習に出れなかったけど、録音も送ってもらったし、6日用のグンデルはバッチリです・・・・・・・・・、・・・「すいやせん、またウソつきやした」。


話しはかわるけど、「引越」・・・。なんだか(か)さんも引越だというし、そう、最近はどこも引越ブームだ。
引越は、英語では単に"move"という。動名詞である。完全名詞化して、movementにしてしまうと、ちょっと別の意味合いが出てきてしまう。
日本語の「引越」は、単に「越す」でも意味が通じるように、もともとは、きっと、川や山などの地理的心理的「境界」を越えて移って行く意味があるのだろう。
「天城越え」だって、「野麦峠」だって、越えればそこに何かある。越えた先の未だ観ぬ、あるいは思い入れの別世界を空想して境界を「またぐ」のだ。
「引く」は、単に「引き揚げる」とか「身を退く」などの「引く」くらいの意だろう。
日本はなんでも押したりしない。ノコギリだって、西洋は押して使うけれど、日本は「引く」し、我々の仕事なら線は引くものだ。何事も謙虚に「引く」。押したり押しのけたり、前には出ない。柔道だって、引き手こそが極意だ。

ともかく昨今は、世の中、移動だらけだ。出張も多いし、旅をする人の人口は毎年確実の増加している。「観光立国」というけれど、製造業以降の目玉は、そういう意味ではサービス産業であることは間違いないだろう。
人々は、それだけ、移動が便利になり、仮に自分は動かなくても、人類の経験値も確実に上がっていることになる。これがもたらす結果はどういうものか、ということも、しばしば考えてしまう・・・。


そういえば、ワヤンでも「具志堅さん」は「移民」だった。"trasimigration"とかいって、ダランはいつもこのネタで笑いをとっている。戦前戦後、沖縄や東北の人たちは、この移民政策でずいぶんひどい目にあったが、いまでは、南米からは大統領も出る時代まできた。
僕自身は、何年か前からこの"trans-"と"inter-"の付く概念がずっと気になっている。
簡単にいえば、"trans-"は、「越える」とか「向こう側とつなげる」とか、onしないでoverして覆うというイメージをもっている。
逆に"inter-"は、internationalとかinterfaceとか、お互い独立しながらも対等に向き合い、つながあり合う、というイメージがある。
このふたつが、良質で本来の意味に使われるなら、世界はもっとよくなっていくとおもうのだが・・・。
この件は、それなりに厄介でもあるので、そのうちまたいずれ。



ボートでギリシャに渡るシリア難民。彼らは文字通り命がけだ(Webnewsより)。

ところで、「移民」というなら、昨今の問題は、「難民」の移住のことだろう。シリア難民は600万人にも上るという。集計は日々刻々と変わるので難しいだろうけれど、仮にそのうちの半数近くがヨーロッパに渡ったなら、かなりの人数だ。
歴史上有名な4世紀の「ゲルマン民族大移動」も、最近の研究者間ではだいたい300万人くらいだったといわれている。なら、ほぼ同数ということになる。
もちろん時代も世界人口も違うので、同等の比較はできないが、歴史的「移住」の一コマだ。

ゲルマン民族は、もともとはユーラシアのフン族に追いやられた、いわば「難民」移動だったが、押しやられた結果が、ローマ帝国への侵入だったりしたので歴史上の重大事に残っているのだろう。でも結果、彼らの末裔は、フランスやドイツ、つまり、いまのEU文化圏の素地をつくったということになるわけだ。


同じくWebnewsより。


日本も縄文から弥生にかけては「移民」流入の時代だったし、大和朝廷も朝鮮半島からの移住者政権だった。もちろん、先住民との紛争もあっただろうし、出雲や物部氏や豪族たちとの決戦も神話に残っている。だから本当は島国単一民族なんかではない事情もあったのだ。
ただし、日本や東南アジアのエラいところは、敗れた方を尊重するし、受け入れる、ということにある。「寛容」なのだ。簡単にいえば、その上に文化の融合がある。ヒンドゥ文化やアンコール文化や大和は同じ文化的受容構造なのだ。その辺はそのうちまた詳しくやります。

でも、いまの日本は、なかなか「寛容」とはいえない面がある。
昨年の日本の難民認定者数は、27名だった。手元の書類によると、申請者が7586名だそうだから、ほぼ0.35%に過ぎない。逆にいえば、99.7%は却下されたわけだ。
短期的インバウンドは歓迎するけれど、移民は受け入れない。そういう政策なのだ。だから、介護や工場労働などで出稼ぎに来ているアジアの人たちのも門戸が狭い。心理的にはわからなくもない部分もないとはいえないが、一体何をしたいんだろう、ともおもってしまう。
移民が多いと犯罪率も高まるという数字は確かにある。だが、アジアに開かれないうちは、この先の人口減少日本はビジョンが見えないのも事実。その「塩梅」はいかに。


なぜこんな話しをしているかというと、実は、いま、事務所が移転の憂き目に合っている。10月いっぱいで引っ越さないといけなくなってしまったという現実が目の前にある。
さあ、たいへんだ。物も多いし、金もかかるし、都合もあって港区渋谷区縛りの条件もある。仕事も止められないし、住居とオフィスが一緒でなければ成立しないという事情もある。
ああ、「難民」にならないといいけど・・・、どこか、「寛容」に受け入れてくれるところを募集しています。(は/248)


西麻布の事務所のあるビル。通称le bain(ルベイン)という。もちろん、弊社設計。
なかにはギャラリーもあり、10年間居て、ギョーカイでは有名というか、それなりに話題を提供した場所だったが・・・。



事務所内部。本ブログ初公開。本は6000冊ほどある。自宅にある本の2倍くらいだろうか・・・。


僕がいるスペース脇はテラスになっていて、こんな感じ。
先に見えるのは、六本木ヒルズのレジデンス棟。夜は東京タワーも少し見える。



■朝飯前とグンデル前の期日前

2016年07月07日 | 日常のお話
ま、世の中、いろんな「前」がある。そもそも朝飯前とは、朝早く朝ご飯前にこなす農作業から来ている。「お前」といえば相手のことだし、「あたり前田のクラッカー」だって「テルマエ・ロマエ」だってある。・・・ん?関係ないか。

ということで、今週末の投票日には行けないので、「朝飯前」に市役所に「期日前」投票に行ってきた。なんだかんだいって、でもやっぱり選挙には行かないことには何も始まらない。



その日は日曜だったので、グンデルの練習日だったが、その前に、行ってきた。から、これは「グンデル前」だ。
で、投票所は、日曜ということもあり、期日前ということもあり、裏口から入る。いくつかあった「のぼり」を頼りに動線を行ったが、それとは別に、入口で目に入ったのは、のぼりより「宿直室」の看板だった。
そう、「宿直」といえば「シュクチョク」、「空耳アワー」の話題作、いまは亡きマイケル・ジャクソンの名作空耳だ。

smoothscriminal.flv


だいたい大事なときに関係ないことが気になったりするのは悪い癖だ。
先日の広島のオバマのときも、献花の際、オバマに花を渡して、小さくサンキューと声をかけられていた女子高生は、どういう経緯で選ばれたんだろう、とか、30年後くらいにまたTVなどに出て、あのとき花を渡したのは私です、的なインタビューを受けるんだろうな、とか、そもそも隣の男性は誰?とか、安部は、何度も花をかけ直すのはやめればいいのに、とか、三歩で下がるはずが四歩になっていた、とか、スピーチで左右に首を振っていたが、やっぱりプロンプターがあったんだろうか、とか・・・、ま、どうでもいい話しが気になってしまう。



ともかく、「宿直」の連想の誘惑をはね除け、投票したのでした。
投票したのは、もちろん、「あの人」です。これから行くみなさん、間違えないように。というか、選挙はやっぱり行きましょうね(沖縄弁風に読むと良い)。具志堅さんならきっとそういいます。

その後、朝飯を食べ、グンデルへ。
もう完璧にサンシを弾きこなし、万全の体制でした・・・、
・・・・・すいやせん、またウソつきやした。


で、その夜は、かみさんが留守なのに、家に鍵を忘れてしまい、入れない。
もう、しょうがないから、三鷹駅付近で、時間潰しの場所を探していたら、最近できた店を発見した。
看板を見る限り、焼きトン、おでん、80円、生ビールも350円といまどきにしては激安の類いだ。
よし、ここにしよう、となかに入ると、さすがに随分混み合っていたが、カウンターがちょうど一席だけ空いていて、そこに案内された。
右隣は、一人酒のおやじ、左はたぶん、仕事の同僚だろう男女。どうも女性の方が気がある風で男性の愚痴や仕事上の改善案を頼もしそうに聞いている。ああ、よくある風景だ。日曜なのにどういう仕事だろう、と、また気になってしまう。



で、よくみると、店員はなんとこういう店には珍しくすべて女性だった。
たぶん店長兼オーナーだろうとおぼしき女性とあとは若いバイト風が4名。う〜ん、そうか、ここは焼きトン屋兼おでん屋だけど、いわば「ガールズ居酒屋」だったのか・・・。いまどきはこういう店もできるんだね。なかなか戦略的だ。

ま、家に帰れば、晩ご飯があるので、ここでは、ビールと焼きトンと枝豆とキャベツ程度にしておこう。
こういうのも「夕飯前」というのだろうか・・・、ま、日曜だし、いいか。

ともかく、我らの民主主義がどう変わっていくかはまだわからないけれど、選挙は行きましょうね。「あたり前田」?(は/244)


今晩からまた北海道。今度は札幌ではない北海道だ。どうなりますか。
というわけで、日曜のワヤン会議には出れません。すいやせん。次回、よろしくお願いします。


■健診の日

2016年06月30日 | 日常のお話
今週は久々に出張はなかったけど、その分のしわ寄せというか、ま、結構な仕事量と締切ラッシュだ。慌ただしい。おかげでブログも滞ってしまっている。来週はまた、一日しか東京にいないので、その分も詰まってくる。
九州は地震に大雨でたいへんだし、トルコではまたテロだ。先週のイギリスといい、気づいたらどうも世の中また少し変わっていきそうだ。やっぱりどこも「寛容」性に乏しいけど。


それはそうと、今日は一年に一度の健診の日だった。
場所は、六本木のミッドタウン。都会的な雰囲気の受診である。



ずっと以前は、長らく新宿の通称職安通りにある病院で受けていたが、まあ、ここは、雑多な状況というか、随分待たされた挙げ句に、薄暗くてお世辞にもきれいとはいえない天井の低い内装の施設に、チープなパジャマ姿のおじさんたちが列をなしていたものだ。
おそらく、人数当たりの看護師なり先生なりの数はかなり少なかったであろう。いわば、「健診のLCC」だった。

そこへいくと、その後に行くようになった山王病院やこのミッドタウンは、ビジネスクラスのようだ。
施設は明るくきれいだし、スタッフはすべて女性、しかも若くて美人揃い(見解には個人差があります)。接し方も言葉遣いも丁寧でやさしい。外国人も多いのでイングリッシュ・カンヴァセーションもばっちだ。
おもわず何時間でもいたくなる環境?だ(ここだけの話しですが・・・ここだけってどこ?)。


ミッドタウンからの眺め。なんだか東京も変わったものだ、と、ふとおもう。

まあ、それがいいかどうかはともかくとして、ただ、やっぱり健診そのものは好きになれない。とくに嫌いなのがバリューム。グルグル回転させられるし、ときには逆立ちのごとく頭を下にされたりするのを、バーにつかまった腕だけで支えさせられる。
こんなこと、あと5年もしたら耐えられないかもしれない。みなさんも経験あるでしょ?


Websiteより(イメージ)。

それに、以前に比べたら飲みやすくなったとはいえ、バリュームは気色悪いし、その前の発砲顆粒がいただけない。ついゲップが出そうになるのを無理矢理こらえさせられる。
で、最後は、「はい、下剤です」と言って帰される。「8時間経ってまだ出なかったらもう2錠飲んでくださいね」とかいう。でも結局これがなかなか出ないのだ(食事しながら読んでいる人はごめんなさい)。


もらった下剤のタブレット。おもわず見入ってしまう。

さらにいうと、こいつのせいで、前日は、夜9時までに食事を済ませなければならない。できれば酒も飲むな、という。
そういわれると俄然飲みたくなるのが心情だ。「できれば」だから、できなければそれはしょうがいないだろう(見解には個人差があります)。


で、昨日は久々に早く帰ったので、7時半頃吉祥寺を徘徊しながら食事の場所を探していると・・・あった、久々のここにしよう。
ここは、いつかダランと(か)さんと何度か来た魚料理の店。「魚昭」という。安くて良心的、かつ新鮮な魚の店だ。

僕が学生の頃はまだ先代の時代で、魚屋をやっていたが、後を継いだ息子さんとおかあさんがこの店を始めたのだ。いまでも自ら毎日築地に買い出しに行っているという。築地が移転したらどうするんだろうね・・・?
昨日も店主とそんな話しをして盛り上がっていたが・・・、客は僕一人だった。大丈夫だろうか、この店、とおもってしまう。

店内、もう少し明るくしたらいいのに、とおもいながらも、それは飲み込んだ。うらぶれた感じもまたいい。そのうち「孤独のグルメ」でやりそうな感じだ。
健診のせいで、久々にこういう食事をした・・・。


お薦めのさしみを訊いたら出てきたのがこれ。マグロの頭だそうだ。脂がのっているとはこのことだ。


好物のきすの天ぷら。「何枚?」と訊かれたので、「じゃ、三枚」。
こういうオーダーのカスタマイズがいい店の証だ。



最後に、ダランの好物「銀ダラ」の焼き物。
ご主人いわく、昔はね、銀ダラなんて安い魚、売っているだけでバカにされたものだ、そうだ。
時代は変わり、いまでは高級魚だ。海底200m程度のところに生息する深海魚の一種だね。
ちょっと食べ過ぎかな・・・?ま、いいか。


ま、でも、無事9時までに食事は終わり、近場の骨董屋などを冷やかしつつ、家に帰る。ちょうど10時前くらい。こんなに早く帰るのも久々だ。

で、今朝の健診となる。
ああ、今年こそは健診前に運動しよう、とおもっていたが、やっぱりにわか運動は簡単にできるものではない。
ということで、ああ、今年も数値は期待できない。何年同じことを繰り返しているんだろう。
でも、ま、世界の苦しんでいる人たちをみたら、悪いところが見つからないだけ幸運とおもうしかない。そうやって毎年過ぎていく・・・。

もう午後も2時過ぎ、下痢はまだ来ない。(は/242)



そんな帰り道、六本木の交差点で見つけた。
何度も通っているのに見過ごしてしまう。周りの通行人も気に留める様子もない。
これは、75年、再開発を記念した設置だそうだけど、作者は北海道を代表する彫刻家、本郷新だ。
「奏でる少女」というタイトル。若い頃はこういう具象に関心を寄せることはなかったが、
今日は、なぜか少し気になった。これも北海道つながりだろうか、年齢のせいだろうか。都会のなかのふとした風景。そこにはいろんな感情が入り交じってくる。
でも、いいものはいい。精神が貫かれているものは、残るということだろう。


■小散歩

2016年04月01日 | 日常のお話
先日の日曜は、かみさんと「今日は浪費はせず、散歩でもしまひょ」ということになり、昼をかねて、武蔵境まで歩いてみた。
一応、なんとなく目的もあった方がいいだろうということで、以前、千倉で紹介してもらった「自家焙煎のコーヒー豆屋」を探しにいく、というまあ、あてどもない気楽な散歩だが、晴れた初春ということもあり、実に気持ちがいい。
まだ2分くらいの桜並木やまだ通ったことのない住宅街を通りながら、たわいもない話をする。ちょっとわかりにくいジョークなんかいうと、かみさんが笑ってくれるので気持ちが和む。ときにはこういう時間も大切だな、とおもう。

それでもときどき、明日の打合せはどんな話をしよう、とか、いま頼まれている原稿はどの方向で仕上げようか、とか、そんなことも頭をよぎったりもするが、桜の玉川上水辺りでそんなことも消えていく。
ふと、風や自転車の子供がよぎったりすると、なんだか細かいことが吹き飛ぶようだ。逆に、そういうときにいいアイディアがおもいついたりすることもある。
結局、仕事と休息は行きつ戻りつだ。それが人生、というものだろうか。ああ、新しく始めたクンダンやグンデルの新曲もどうしよう・・・。




そうこうしていると、ついに、そのコーヒー豆屋を見つけた。
自家焙煎とは聞いていたが、売っているのは、全部、世界中の「生豆」のみ。そのどれか、もしくは組合せを選んでその場で好みの深さに焙煎してもらうというシステム。そんな店、なかなかない。
待つこと15分くらいか?、サービスで出されるコーヒーを飲みながらゆったり待つ仕組み。狭い店内は常連だろうか、たくさんの人で賑わっていた。
 は「酸味は少なく、マンデリン系の苦みの深い豆が好きなんですが・・・、どれがお薦めですか?」
 店「それなら、モカ何々か、やっぱりマンデリンがいいかとおもいます」
 は「じゃ、お薦めのモカ何々にしてみようかな、でもモカというからには酸味は大丈夫ですかね?」
 店「はい、これは問題ないとおもいます」
 は「じゃ、それを200g、ディープローストで、あとはお任せします」
 店「わかりました、あちらで少々お待ちください」
 は「ああ、ついでに、そのネルもください」
てな感じ。

店主は、早口だけど、聡明そうで優しい感じのいい人だった。
そう、いいバーテンダーとか、際立ったコーヒーを淹れる人というのは、こういう動きの早い人が多いとおもうのは僕だけだろうか。きっと、そういう人だからこそ、いろいろ熟達していくんだろうね。
コーヒーの好みが近いダランも一度騙されたとおもって行ったらいい。ともかく鮮度はグンバツ。そういうのも経験では? もしかしたら別の世界が見えてくる、かも。




焙煎器。観察していたら、ここで高速焙煎した後、専用パンでじっくり仕上げをしていた。
仕事は丁寧だ。



近くのベジタリアン系インド料理でお昼にし、ついワインも少々。ま、休日だし。
で、帰り際、
 は「支払いはカードでもいいですか?」
 イ「はい、でも現金でもいいです」
 は「んん?じゃ、カードで。はい、これで」
とカードを渡すものの、端末機の使い方を間違えたらしく、端末機を僕に見せ、
 イ「取り消しはどのボタンですか?これ、なんと書いてありますか?」
 は「あ、はい、取り消しはこれですかね」
 イ「あれ、おかしいな・・・現金でもいいですが」
 は「いや、カードで払います」
そんな会話が延々つづく。結局なんとかカードで払ったものの、やっぱり手数料が惜しいらしく普段はカードは使わないのだろう。
外国ならよくありそうな話だが、昨今の日本では珍しいやり取りだった。あるんだね、そういう店も。

ここから東小金井にいけば、新しいガード下ショッピングもできるが、今回はそちらへの行かず、違う道を探しながらまた散歩して家に帰ることにした。
そういえば、最近若い人の間では、(か)さんも住む「東小金井」のことを「ひがこ」というらしい。じゃ、「武蔵小金井」は「むさこ」か。吉祥寺は「ジョージ」で、国分寺は「ぶんじ」だ。
高架も進み、なんだか中央線もだんだん変わってきた気がする。それも時代の流れか、いいのかわるいのかわからないが、すべては受け入れよう。そこに進化もある、かもしれない。
そんなことを空気で感じるのも散歩の体感か。

途中、いくつか、ヘンテコな家もあったり、近いのに全然知らない風景があったり、やっぱり車じゃなく、歩いてみるといろいろ考えたり、体感したりすることがあっていい。普段のせわしない時間が延びるみたいな感覚だ。小さな散歩にも大きな発見がある。


「血管住宅」と命名。


「血管住宅」とは真反対のような窓のない斜壁コンクリートの現代住宅。
これは・・・「かぶき(傾き)小屋」といえばいいだろうか、「国士無窓」なら役満上がり。
おかげでここは「ウォールストリート」だ。



Tunjukお気に入りのマーボードーフの店。陳健民の直弟子、だそうだが、はたして・・・。


そんなこんな、久々ののんびり休日は「小さな散歩」、我が家だけの「ちいさんぽ」な一日だった。(は/224)




■新宿カレーにおもう

2016年03月14日 | 日常のお話


これを見て反応するのはダランくらいだろう。
実はこれ、京王が運営しているカレーチェーンで1食食べるともらえるサービス券である。トッピングのコロッケとかと換えるなら2枚から使えるが、10枚貯めるとカレー一杯が無料で提供される。
有効期限には3月末と9月末の二種類あって、半期単位の精算方法になっている。けれど、だいぶ猶予をもって配布されるので、通常約1年近い期限がある。
だいたいは、大学へ行く途中のお昼とか、土曜や日曜で午後から仕事に行くようなときのお昼、つまり、あまりゆっくりランチとかしていられないときなどにときどき食べる、という感じ。だが、なんだかんだ毎年無料のカレーを食べているので、結局は年に10回以上はここで食べていることになる。
そんなに食べてるかなぁ、とおもうけど、いつもあと二枚で十枚という頃になると、術中にはめられたとはおもいつつ、なぜか俄然行きたくなってしまう。

ま、近頃はこういうポイントやマイル商法が蔓延っている。いたるところの店舗がやっているので、カード制の場合溜まってしょうがないのと、安易に個人情報を提供するのは憚られるので、ほとんど登録はしない。
が、それでも、最低限、JALとJRのアトレや京王、タワレコやTカードやリブロ、その他にも洋服関係や薬局や飲食店などがあって、ほっておくとどんどん増える一方だ。
事務所のあるスタッフのを見せてもらったことがあるが、全部まとめると祐に5cm近くの厚さがあった。そんなの持ち歩くのか?といらぬ心配をしてしまう。
その点、この店の場合、毎度配布される薄~い紙切れだけだし、貯まってもそうやって全部使ってしまうので後腐れがない。


話を戻すと、この店、カレーの種類は、中辛、辛口、野菜、ビーフの5種類あって、カツやコロッケや野菜、あるいは季節限定など数種類のトッピングのほか、サラダなどが用意されていて、その組合せで頼む仕組みだ。
特段うまい、という部類のカレーではない。だけど、この店しかない「味」を持っている。
学生の頃、まだ馴れていないときは、年に1回も食べたかどうか怪しいところだが、だんだんその「味」に馴れてくると、ときどき思い出したように食べたくなる系のカレーなのだ。

きっと、そういう人も多いんだろう。店ではこのチェーンのカレーの缶詰やレトルトも売っている。その名は「新宿カレー」。だからこの店のカレーはもともとはきっと「新宿カレー」と言っていたのだろう。ダランのようにかつてはよく食べていたが、いまは遠方に住む人などには通販もある。


レトルトの「新宿カレー」。HPより。


で、このチェーン店、京王だけあって、沿線にすべからくある感じ。だから、吉祥寺や明大前、渋谷や新宿などで食べることが多い。
ところが、その慣れ親しんだ店がここ3~4年ほどの間に次々に改装されていった。

変わった点といえば、かつては、牛丼屋のようにカウンターで注文すると、奥から頼んだカレーを運んでくるという仕組みだったが、いまでは入口で食券を買い、その隣に進んでプレートとスプーンやフォークや紙ナプキンを取り、まるで学食のように並んで注文したカレーを受け取るという方法になったこと。
ま、いまでも新宿には立ち食い店もあるし、吉祥寺のように後払い制の店もあるけど、基本はこれに変わった。
テーブルへは自分でそれを運んで、食べ終わると返却口に自分で返すことになる。実際には、だいたいはスタッフが下げてくれたりするけれど。
あとは、オムカレー系や季節限定品やサラダなどのメニューが増えた点、ダランの好きな無料らっきょうが有料になってしまった点(福神漬けはいまも無料です)、インテリアがこぎれいになった点、などであるが、実は僕としては、注目点がもうひとつある。

それは、BGMがつねにビートルズになったということだ。もちろん有線だろうけれど、営業時間中は次から次へとずっとビートルズがかかっているのである。
ときどき行くお客ならまだしも、ある意味、毎日8時間そこで働くスタッフなどにとっては辛い面もあるかもしれないけどね。



最初、「なぜ、ビートルズ?」とおもっていたけれど、僕も嫌いではないのでその発想はわからなくもないが、よくリニューアル企画のなかでそれが通ったな、などと考えてもいた。
でも、そうおもって店内をみると、客層はバラバラ。男性が多目だが、10代から70代くらいまでほぼ均等にいる。そういう世代共通の音楽といえばビートルズは当たらずしもと遠からじ、という感じ。でもだからといって、それだけで企画は通らないだろう。

そこで思い出されるのは、ダランの好きな通販カレーでもある「新宿カレー」という名称だ。
そう、おそらくこのチェーンは、60年代頃、若者の空腹を充たす新しいタイプのファストフードとして、まず新宿に誕生したのではないだろうか。しかも、京王線。その発祥が新宿である可能性は多いにある。たぶん、その時代、新宿には若者や文化人たちに愛されたカレー文化があったのだ。
「書を捨てよ、町へ出よう」、「ここは広場ではない」新宿、学生運動で騒がしい新宿、そういう60年代の音楽こそビートルズだったのだ。もちろんフォークソングもあるが、それではいまどきのBGMが成り立たないだろう。
きっと、企画会議では、新しい店のスタイルは、いまこそそういうルーツに帰りましょう。このカレーを愛してくれたすべての利用者に好まれる音楽こそビートルズです、という話になったに違いない、と勝手に想像している。


新宿西口広場のフォークゲリラ集会。


坂倉準三先生設計の西口ロータリー。ベトナム反戦の人の群れ。
僕はまだ小学生だったけれど、当時は世界中が揺れた時代だった。



そんなことをおもいながら、しばしカレーを食べる手を止めて、ビートルズに聴き入ってしまう。
ああ、この曲聴いてた頃、あんなことあったな・・・、きっとそれぞれの世代が、それぞれの体験と重ねながらビートルズを聴いている。カレーを食べながら、それぞれがそれぞれの想い出と向き合っている「ほんの一瞬」があるのではないだろうか。
だから、その刹那、そこにはそれぞれの別の時空間が生まれているような気がしてくる。
やっぱり、音楽と体験的記憶は直結している。(は/216)


■空港のロッカー

2016年02月15日 | 日常のお話
今年もまた出張がたて続き、毎日慌ただしい。ま、そんなことでいいのかわるいのかわからないけれど、空港にはよく行くことになる。なんでも馴れた日常的風景といえばそうなってしまいつつある・・・。
今日の話題は、「空港のロッカー」。
ロッカーといっても、荷物を預けるロッカーではない。ロケンローのロッカーのこと。
実は先日、飛行機に乗ろうとして、セキュリティチェックに並んだら、前の人がいわゆるそういう人だったのだ。
黒の革ジャンに、ジャラジャラしたアクセサリー、おまけに手首の腕輪のようなものとか、金属ビスの打ちまくられたブーツとか・・・。
年の頃とすれば、たぶん僕と同じくらいか少し上くらい、だからか髪の毛はやや控えめだったが、申し訳程度にザンバラに立っていた。




わるくて写真は撮れなかったので、実写はないれど、ま、だいたいこんな感じ。

飛行機に乗るならセキュリティーチェックは避けられないはずだし、仮にも優先レーンだから、それなりに回数は乗っているはず。だから、わかっていながら人の迷惑顧みずそうしう格好をしてきた、ということになる。
なんでだろう・・・プロのロックルローラーなんだろうか?
人ごとながら、移動中くらいは普通の格好できないもんだろうか・・・。

でまあ、困ったことは、それらのアクセサリー類をすべて外すのに時間がかかるということだ。
まず革ジャンを脱ぎ、ジャラジャラした鎖だか手錠だかわからないものを外し、大仰なベルトを外し、ブーツを脱ぐ(これが時間がかかる)。ズボンの後ろポケットに入れてあった大げさなサイフまでジャラジャラだ。
ちょうど僕の前だったので、僕も運が悪い。少し面白かったけど。

警「金属系はすべて外してください」
ロ「??ロケンロー」
警「外さないとお通しできません」
ロ「OK、ロケンロー」
警「それもです」
ロ「?? OK、ロケンロー」
警「それも、です」
ロ「・・・・・・・ロケンロー」

そんな会話があったどうかはわからない。でも、なんとなく従順な態度が違和感というか、ロックじゃない感じ。最後は裸足にさせられていたが、靴下を履いていたのが妙に和製ロケンローだった。
僕と同じくらいということは、たぶん世代的にはロックンロールというよりもパンク系だ。
そう、黒の革ジャンというスタイルはそれ以前からあったが、こういうジャラジャラ系のファッションは、パンクで定着したような気がする。



パンクロックは、70年代始め、NYのラモーンズに始まるとするのが通例だ。同時期にテレヴィジョンやパティ・スミスやジョニー・サンダースなども出たが、ま、ムーブメントとしては、やはりその後のロンドンだろう。
70年代中盤には、ストラングラーズやセックスピストルズ、クラッシュやダムドなど、雨後の筍のように生まれていった。僕もちょうど高校生入りたての頃。ロック離れするギリギリがパンクだった。
黒の革ジャンや柄コートに、チェーンや安全ピン、逆立てた髪、というファッションの型がこの頃生まれたのだ。
ステージでの粗暴、アナーキーに王室や企業批判、スキャンダラスなネタ満載で話題に事欠くことはなかった。







個人的には、ヒュー・コーンウェルのストラングラーズが好みだったが、ムーブメントとして衝撃的だったのは、やっぱり「セックスピストルズ」だろうか。
リーダーはご存知ジョニー・ロットンだが、途中参加のシド・ヴィシャスが群を抜いたキャラクターで話題をさらっていった。
シドはベースを担当したが、参加当時、実はベースは弾いたことがなかったらしい。が、まあ、そこはそれ、パンクだからOKだ。
パンクというのは、それまでのクラプトンやベックのように超絶技巧派ロックミュージシャンでなければ音楽は作れないというような風潮を一気に打破した音楽であり、ある意味究極の素人ミュージシャンたちであった。
だから、ジミー・ページやデイヴ・ギルモアのような神秘的な「高度なコード?」を使う必要はなく、簡単なコード進行をザクザク勢いよく弾いていれば技術はなくてもそれでよかったのだ。
というか、むしろ、演奏技術がうまいことより、若く押さえどころのないエネルギーをぶちまけ、さらけ出したパフォーマンスや存在そのものが強烈なら、ファンは熱狂した。
そういう過渡期の音楽でもあったのだ。



シドで有名なのは、それに付けられた名前を忘れたが、ステージで演奏しながらピョンピョン跳ねる垂直跳び。でも、これが流行った。真似してる奴がたくさんいた。
当時のシドは、よくいえば、既存の社会的通念や常識の縛りから解き放たれたかったのだろう。ともかく過激、暴力、無謀、ステージでの聴衆との非常識なやり取りや鼻血を出しまくって暴れる姿や暴言は人気の的だった(僕は礼儀正しい性格なのでこういうことには傍観者だったけど)。
でまあ、これは母親の影響らしいが、ご多分に漏れず、ドラック中毒だ。
おまけに最愛の恋人ナンシーは、NYのチェルシーホテルで刺殺されることになるが、そのときでさえ、シドは多量のツイナール摂取で昏睡状態だったという。もう手がつけられない。



このホテル、ニューヨークでは歴史保存建築物に指定される建物で、ホテルとはいえ、多くのアーティストたちが住んで創作していたことでも有名な場所である。
僕もかみさんと何泊か泊まっていたことがあって、お世辞にもきれいとはいえないホテルだし、置いておいたお土産をベッドメイクの女性に食べられてしまったこともあったっけ。まあ、ある意味、不思議で破天荒なホテルだった。
けれど、そういうことがあってからここは一時はパンクの聖地として巡礼者が後を絶たなかったそうだ。僕らが行った頃にはすでに改装されてしまっていたが。
別段、見たいともおもったわけではなかったが、そういうこともあるのか・・・とおもったものである。

シドの死因も大量のヘロイン摂取だが、死後、彼の革ジャンのポケットから、ナンシーの隣に埋めてくれという紙片が見つかったそうだ。
享年21歳、詳しくはわからないが、自殺に近い死だったのかもしれない。人生をパンクで突き進んだ若死。ま、これも「パンクばか」だね。
そういえば昔、ある音楽誌でシドは本当は気弱で礼儀正しい青年だったとジョニー・ロットンが回想していたのが意外だったのを記憶している。
貧困と悪環境が若者のエネルギーを無謀な方向へと発散させたんだろう。そういうのは紙一重の裏腹だ。でも、テロに走らなくてよかったんじゃないか。少なくても音楽だし、多くの人を楽しませ、勇気づけ、影響を与えたわけだから・・・。


で、その後のパンクは、たぶん、ジョニー・ロットンがピストルズを脱退し、PIL(パブリック・イメージ・リミテッド)をつくった辺りが境目だろう。マニアは「メタル・ボックス」を押すかもしれないが、僕が最初に聴いたのは「フラワー・オブ・ロマンス」だった。これも時代だね。めぐる~め~ぐる~よ、ってことか。
その後、時代はニューウェーヴへと移り、80年代初頭はそうしたパンクは忘れられていきつつ、それらに影響を受けた「トーキング・ヘッズ」などの時代となっていった。要するに、パンクのようにハチャメチャではなく、シャレた前衛という感じになっていったのだ。
ちょうどヴォーカルのデヴィッド・バーンは、アフリカンリズムセクションに傾倒していったこともあり、民族音楽的リズムや色彩を表現し始めたていた。
僕が民族音楽をまじめに聴きだしたのは、いまからおもえば、JAZZだけじゃなくて、この時代のバーンやイーノなどの影響もあったのかもしれないな・・・。


PIL「フラワー・オブ・ロマンス」


トーキングヘッズ「リメイン・イン・ライト」


デヴィッド・バーン「ブッシュ・オブ・ゴースト」。やっぱり名盤だ。


話は飛んでしまったけれど、ともかく迷惑だがら、空港のセキュリティでは、予め金属物は外しておきましょう。
「そこんとこ、よろしく。ロケンロー」。(は/204)






■梅にメジロ

2016年02月09日 | 日常のお話
先週の日曜は、久々の休日らしい休日だった。終わらないかとおもっていた仕事も土曜になんとか終わり、ちょうどグンデルの会も(に)さんの体調不良で急きょ中止となったからだ。
う~ん、休みなんて、ホントに久しぶりな感じがする。なんか気分がんびりだ。

天気もよく空気も澄んでいたせいか、いつもの富士山が余計クリアに見えていた。隣は大山山系あたりだろうか、いつもは見えないのに、こちらもよく見えていた。こうやって見えると、富士山もなんだか近い気がする。
休みだと気分も落着くし、こういういつも発見できないようなことにも目がいくというものですかね。




表に出てみると、ちょうど梅が咲いていて、鳥が1羽戯れていた。
梅だからウグイスかとおもったら、あれは「メジロ」だとかみさんが教えてくれた。あ、そうか、メジロも梅だ。
メジロは目の周りが白いからメジロという、と、これも昔かみさんが教えてくれた。
春になると、よく寄り添って、押しくら饅頭のように止まっていたりするから、そういうのを「目白押し」というようになった、とも聞いた。寒いのかね・・・?
しかしなんとも、この梅とメジロ、日本画の画題のようでもあり、ここで一句、とかいけるほど教養があればいいんだけど、ま、そういうのは一朝一夕にはなかなかいかない。日本人の素養も風情も薄くなったものだ。




このなかにメジロが一羽いる。わかるだろうか・・・?


ともあれ、春になると、いろんな命が芽吹いてきて、なんだか自然も元気になった感じがする。
と、いつもになくまともなことを考えていると、ふっと冷たい風が吹いてきたりする。まだまだマフラーやコートは欠かせない。
今年も立春が過ぎたし、昨日は旧暦の正月だった。春節の中国人は慌ただしいけど、台南は悲劇だね・・・、人間たちの世界もいろいろたいへんだ。
人間たちの諸活動のせいで気候変動しているとかいうけど、自然というのは、そんなことどこ吹く風で、実は自然は自然なりの姿や変化を積み重ねているようにも見える。今年もまた毎年のように、無事、世の中次第に暖かくなっていくだろうか・・・とか、ふと、考えてしまう。

今年はワヤンも何回あるだろう。まあ、今年は今年の風が吹く、だろうね。そんなこと、頭で考えても埒があかない。
たまにはのんびり散歩でもして、しばし春の気配を肌で感じてみまひょ。(は/203)



メジロ。



■おでんの季節

2015年11月23日 | 日常のお話
今年の秋は長い。でもそろそろ冬の気配の近づいてきたかな。光塾が近づくと冬だね、という感じになる。第九とかと一緒で、毎年やっていると季節感と連動するのも不思議な感じ。
秋じゃなくて、空きはあと少しです。まだお申込でない方はお早めにどうぞ。


冬といえば、おでん。ということで、先日夜、新宿で打合せがあった帰りに、親しい仕事関係の人で二人で渋くおでんをつついてみた。
新宿でおでんといえば、この店。「お多幸」だろうか。定番名物は締めの「とうちゃ」。とうちゃと言っても「闘茶」ではない。くたくたに煮て染み込んだ豆腐を茶飯の上に乗せ、いま風にいえば「つゆだく」にしたごはんのこと。
もともとは「まかない飯」だったものを常連たちによってメニューにされたという。常連というのはすごいものだね。


この濃い口醤油というかくたくたに煮込んで染み込んだ感じが江戸風だ。
最近は、京都とか関西風おでんがはびこっているが、やっぱり、大根は茶色じゃないと感じが出ない。



名物「とうちゃ」。やっぱりこの店の締めはこれだ。

京都あたりの「一見さんお断り」などの店では、常連になると、店の食事など食べないそうだ。「通」は、裏から入って、まかないを食べ、芸者衆やお店の人をからかいながら、ときを過ごす。裏から入ることを許されるくらいだから、ま、通というわけだ。
そういうところは、だいたい女将とねんごろだったりして、そういう人のことを「間夫」という。要するに間男ということだ。よく親しい友だちをマブダチとかいうけれど、つまり、それだ。

そういえば、僕も広島や札幌なんかでは、従食で食べたり、フロントバックに勝手に入っていて、いろいろチェックしたりするから、それは現代の「間夫」的扱いだ。ねんごろの人はいないけど。

ともあれ、その後、DUGに寄ってから久々に「ゴールデン街」にもちょっと寄って、昨年できた新しいホテルのテラスバーに行ってみた。昔はよくやったけど、まあ、ハシゴもいいところだ。
ゴールデン街は、いまも人気だが、僕らがよく行った頃に比べると、店も健康的になった気がするし、入れ替わりも随分あった感じだ。まだ流しのギター弾きとかいるんでしょうかね・・・。





ホテルはというと、世の中なんでもテラスというかオープンエア志向だね。眼下は歌舞伎町だから、夜景がきれいというわけではないけれど、やっぱりオープンエアは気持ちがいい。ただ、寒いといえば寒いので、僕ら以外は全部外国人だった。毛布をかぶって外で飲んでいる。
これは文化の違いか、身体感覚の違いかわからない。彼らはともかく冬でもTシャツだったりして、意味がわからない。きっと、そういう身体なのだ。


真冬でも外国人客で賑わうそうだ。夜も遅い方が混んでいるというからすごいね。


全然関係ないけど、フロントにあったミラーのアート。
三面鏡好きの僕としては、案外面白い。



光塾の方は、昨日の人形合わせで、少し目処が立った、かな。あとは来週の土日が勝負だね。今年は、例の「具志堅さん」も活躍するそうだから、う~ん、なんとかがんばろう。

でも明日から三泊で今度は香港だ。
香港は30年ぶり。前に行ったときは、まだビルの谷間を縫うように離着陸する古い空港で、素人目には、かなりスリリングだった。パイロットなんかの最終シュミレーター試験でも香港が課題になっていたそうで、パイロット泣かせの空港だったんだろう。いまは別の場所に移ったそうだけど。
それに当時は「九龍城」とかまだあって、危険で怪しい人たちもたくさんいた時代だった。そういうのはもうないんだろうな・・・。

ま、一週間準備したプレゼンテーションがうまくいきますように、と祈るしかない。
今日の香港は28℃だそうだから、向こうはまだ夏のようだ。東京はやっと冬になりかけていたのに、夏に逆戻りとは、まだまだ今年の冬は遅い。
ああ、いったいいつ光塾の準備をすればいいというのだ。(は/182)


というわけで、ブログはしばらくお休みです。今度は、早くて30日かな・・・ああ、もう月末か。やっぱり年末は早い。

■北裏

2015年03月20日 | 日常のお話


そういえば、雨の日など、帰宅するときにときどき乗る三鷹からのバスは、「北裏」というターミナル行きだ。
やっぱり、「北」と「裏」について回られている・・・もう、演歌だ。(は)

これから、アンクルンに行きます・・・クリル組むのに、ちょっと遅れそう。