ついに都知事が辞職になった。
しかしまあ、なんでここまで粘ったんだろう。理由は単にオリンピックだろうか?
やめたら東京の恥をさらすというけれど、そもそもこのまま行ったって、すでに恥だろう。
それにもっと問題は、誰がこれらをリークしたか、ということも残る。ここまでになるとおもっていたかどうかは別として、得をしたのは一体誰だ。
ま、どっちに転んでもいい迷惑だ。はたして、これで何かが少しでも良くなるのだろうか・・・。
おもえば、東大教授から朝生に出てすっかり有名人になり、国会議員、大臣、党首と上り詰め、都知事、その間、どんな変化があったんだろう。
前の都知事もそうだった。以前現役時代のあるとき久々にお会いした際は、作家時代とは別人になっていた。名誉や権力というものは人を変えるらしい。文字取り、地に脚がついていなかった。
この手のタイプは、逆に他人の経費つかいについては厳しかったりする。二人とも公約である無駄遣いをなくす気持ちは当初は本心だっただろう。だけど、自分が使う分は別なのだ。一回持ち上げられると勘違いしてしまうというか、公僕でも無私にはなれないということだ。
つまり、結局はスケベ根性だけの小者なのだ。それでは大局的な政治家はつとまらない。
その点、善くも悪しくも、田中角栄はやっぱりすごかった(比べるのは変だけど)。たしかに多くなお金は動かしていたし、現代にも影響するような褒められたことばかりではないけれど、たぶんそれは、私利私欲以前に、国や故郷なのだ。
子供の頃見た「角さん」はものすごいオーラがあった。旧山古志村のおばあさんたちは、角さんが来るというので、雪のなかゴザのうえで2時間じっと待っていたそうだ。それを見た田中は涙したという。情には厚かったらしい。うちの母親が言っていた。翌年には見事にトンネルが開通したそうだ。
ま、角栄論は長くなるのでまたいずれ。いずれその功罪の検証は必要だろう。

Webnewsより。
で、こういう一連で対比的にすぐおもい出すのは、ウルグアイの前大統領、ホセ・ムヒカだろうか。ちょうど今年来日講演もあったっけ。
ムヒカは、かつて軍事政権に対抗して左翼ゲリラになった闘志だった。投獄もされたが、ついに大統領として労働者庶民のための政策を実施していった。
で、自身は、「世界一貧しい大統領」として知られている。給料の大半は寄付をし、大統領官邸にも入らず、農園で自然とともに、毎月千ドルで奥さんと暮らしつづけた。これは、貧しいというより「清貧の暮らし」だ。
唯一の財産、フォルクスワーゲンのビートル(年代物らしい)を1億出すから売ってくれというアラブの富豪に、「これは売れない。友人たちからもらった大切な贈り物だ。贈り物は売り物じゃない」と答えたという。

撮影:アフロ。
朝日新聞の記者の質問に対して、こう答えている。
「私は農民の心を持って生まれた。自然が大好きなんだ。」
「貧しい人というのは、限りない欲望を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。私は質素なだけで貧しくはない。」
「モノはカネで買っているのではない。働いた、人生という時間で買っている。だから生きていくには働かないといけない。そして働くだけではなく、ちゃんと生きることが大切だ。たくさん買物をした引き換えに、人生が減ってしまっては元も子もない。」
「成長一辺倒の西洋文明とは違った文化が日本にはあったはずだ。このまま資源の浪費を続けたら地球がもたない。生き方から変えようと言いたかったんだ。子供の頃、近所に日本からの移民がたくさんいて、みんな勤勉でわずかな持ち物で満ち足りて暮らしていた。本来簡素な生き方は日本人にも響くとおもうんだけどね。」
だそうだ。

農園の自邸(朝日新聞Digitalより)。
飢えも戦争もない国、消費や搾取もされない自由、それを自分たち自らが考えてほしいそうだ。
ムヒカは、「幸せとは生きる喜びだ」と笑う。そう、笑えるというそれだけで幸せを感じる人たちも世界にはたくさんいる。
そういわれると、いまの日本もバリも危ういところだ。ま、我々Tunjukはなんとかやってますが・・・。

日本で子供たち用に出版された講演録。
ま、世界には、こんな政治家も、いる。
小さいこといってないで、ドンでもいいし、コツコツでもいい。こういうときこそ、立派といわれる政治家が出てほしいものだ。
政治家とは、こういうことに貢献する人であったほしい。(は/239)
なんか変な終わり方になってしまった・・・。
ああ、ともあれ目の前の問題は明日からまた出張ということだ。
今月も目まぐるしくて、かみさんには迷惑をかける。どうも、すいやせん。出張も清貧にしやす。
しかしまあ、なんでここまで粘ったんだろう。理由は単にオリンピックだろうか?
やめたら東京の恥をさらすというけれど、そもそもこのまま行ったって、すでに恥だろう。
それにもっと問題は、誰がこれらをリークしたか、ということも残る。ここまでになるとおもっていたかどうかは別として、得をしたのは一体誰だ。
ま、どっちに転んでもいい迷惑だ。はたして、これで何かが少しでも良くなるのだろうか・・・。
おもえば、東大教授から朝生に出てすっかり有名人になり、国会議員、大臣、党首と上り詰め、都知事、その間、どんな変化があったんだろう。
前の都知事もそうだった。以前現役時代のあるとき久々にお会いした際は、作家時代とは別人になっていた。名誉や権力というものは人を変えるらしい。文字取り、地に脚がついていなかった。
この手のタイプは、逆に他人の経費つかいについては厳しかったりする。二人とも公約である無駄遣いをなくす気持ちは当初は本心だっただろう。だけど、自分が使う分は別なのだ。一回持ち上げられると勘違いしてしまうというか、公僕でも無私にはなれないということだ。
つまり、結局はスケベ根性だけの小者なのだ。それでは大局的な政治家はつとまらない。
その点、善くも悪しくも、田中角栄はやっぱりすごかった(比べるのは変だけど)。たしかに多くなお金は動かしていたし、現代にも影響するような褒められたことばかりではないけれど、たぶんそれは、私利私欲以前に、国や故郷なのだ。
子供の頃見た「角さん」はものすごいオーラがあった。旧山古志村のおばあさんたちは、角さんが来るというので、雪のなかゴザのうえで2時間じっと待っていたそうだ。それを見た田中は涙したという。情には厚かったらしい。うちの母親が言っていた。翌年には見事にトンネルが開通したそうだ。
ま、角栄論は長くなるのでまたいずれ。いずれその功罪の検証は必要だろう。

Webnewsより。
で、こういう一連で対比的にすぐおもい出すのは、ウルグアイの前大統領、ホセ・ムヒカだろうか。ちょうど今年来日講演もあったっけ。
ムヒカは、かつて軍事政権に対抗して左翼ゲリラになった闘志だった。投獄もされたが、ついに大統領として労働者庶民のための政策を実施していった。
で、自身は、「世界一貧しい大統領」として知られている。給料の大半は寄付をし、大統領官邸にも入らず、農園で自然とともに、毎月千ドルで奥さんと暮らしつづけた。これは、貧しいというより「清貧の暮らし」だ。
唯一の財産、フォルクスワーゲンのビートル(年代物らしい)を1億出すから売ってくれというアラブの富豪に、「これは売れない。友人たちからもらった大切な贈り物だ。贈り物は売り物じゃない」と答えたという。

撮影:アフロ。
朝日新聞の記者の質問に対して、こう答えている。
「私は農民の心を持って生まれた。自然が大好きなんだ。」
「貧しい人というのは、限りない欲望を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。私は質素なだけで貧しくはない。」
「モノはカネで買っているのではない。働いた、人生という時間で買っている。だから生きていくには働かないといけない。そして働くだけではなく、ちゃんと生きることが大切だ。たくさん買物をした引き換えに、人生が減ってしまっては元も子もない。」
「成長一辺倒の西洋文明とは違った文化が日本にはあったはずだ。このまま資源の浪費を続けたら地球がもたない。生き方から変えようと言いたかったんだ。子供の頃、近所に日本からの移民がたくさんいて、みんな勤勉でわずかな持ち物で満ち足りて暮らしていた。本来簡素な生き方は日本人にも響くとおもうんだけどね。」
だそうだ。

農園の自邸(朝日新聞Digitalより)。
飢えも戦争もない国、消費や搾取もされない自由、それを自分たち自らが考えてほしいそうだ。
ムヒカは、「幸せとは生きる喜びだ」と笑う。そう、笑えるというそれだけで幸せを感じる人たちも世界にはたくさんいる。
そういわれると、いまの日本もバリも危ういところだ。ま、我々Tunjukはなんとかやってますが・・・。

日本で子供たち用に出版された講演録。
ま、世界には、こんな政治家も、いる。
小さいこといってないで、ドンでもいいし、コツコツでもいい。こういうときこそ、立派といわれる政治家が出てほしいものだ。
政治家とは、こういうことに貢献する人であったほしい。(は/239)
なんか変な終わり方になってしまった・・・。
ああ、ともあれ目の前の問題は明日からまた出張ということだ。
今月も目まぐるしくて、かみさんには迷惑をかける。どうも、すいやせん。出張も清貧にしやす。