車を出そうとおもって駐車場に行ったら、ボンネットの上に一匹の猫が鎮座していた。
近頃たまに見かけたりはしていたが、この猫、コマちゃんのように身元がはっきりしているわけではない。ノラか近所の飼い猫かはわからないが、ややメタボに入りかけているので、きっと飼い猫だろう。
ちょうど正月のTVでやっていたけれど、いま地球上にいる猫というのは、山猫と家猫に大別されるそうだ。
ノラ猫といっても、元は飼い猫がルーツだから、総じて「家猫」という風に分けるのだ。つまり家猫とは野生ではなく、人間に飼いならされた猫ということになる。
そして、家猫のルーツはわかっている。それは「リビアヤマネコ」だそうだ。数千匹の猫と山猫のDNAを追跡調査して判明したという。
約1万年前の話。人類が定住農耕を始めた頃に一致する。彼らの説では、最初に穀物貯蔵が始まって、そこに集まるネズミを食べに来た猫が人間と利害が一致したせいで一緒に住み始めた、ということらしい。
だいたいまあ、農耕以来の文化はメソポタミア辺りがルーツであることが多い。
こういうのを地道に調べる学者もいるんだね。きっと「猫ばか」なんだろう。いい教育をされたんだね。
ともあれ、どうも最近車のフロントガラスが、まるで蛇が這った跡のような汚れがついていて、いったい何だろうとおもっていたが、犯人はこいつだったか・・・。
猫というのは、肉球からわずかに汗のような分泌物を出していて、自分の匂いをマーキングしながら歩いているというから、フロントガラスの汚れはきっとそれだ。
ま、拭けばとれるので別段問題はないのだが、よくぞ我が家の車を選んでくれたものだ。
それにしてもこいつ、あまりに堂々としていて、いかにも「我が輩は猫である」という体である。
「我が輩は猫である」といえば、最近、にわかに漱石ブームのようだ。なんでも没後100年ということらしい。たぶん朝日新聞とどこぞの出版社辺りが発信源のようだが、ま、出版不況のなかの大人の事情というやつかもしれない。
思い返せば、初めて読んだ日本文学というのは、もしかしたら漱石の「坊ちゃん」かもしれない。
小学生の頃、僕が風邪で寝込んでいたことをいいことに、家族でデパートに買物に行かれてしまったことがあって、熱も冷める夕方頃、みんなが帰って来て、「はい、お土産」と言って渡されたのが「坊ちゃん」だった。
なんだ、プラモデルじゃないのか、チェッ、と内心舌打ちしながら、読んだ記憶がある。
夏目漱石
ま、小説というのは、いまいる世界とは別のまったく異なる時空間のお話だったりするので、一度入り込むとその世界のなかで夢想するというのがだいたいの入口だったりする。
とくだん「坊ちゃん」がそうだったわけではないが、いまでも瀬戸内辺りがなぜか懐かしいのは、たぶん、多くの国民がそうであるとうに、これと子規と坪内栄のせいかもしれない、とおもうときがある。
そういえば、暮れに松山に行ったとき、駅前にこんな碑があった。そう、ここは坂の上に雲のある場所だったのだ。
注目は子規の碑というより、そこに座っている高校生らしきカップルだ。
手とはつないじゃって、なんとも初々しい。松山にだっていつの時代にも青春はある。
駅前の案内所にはこんなものもあった。流石に俳句のまち。
俳句がもっと日常的だったら、どんなにいい句が生まれることだろう。文化だな・・・。
これが瀬戸内海。真冬だというのに温暖な気がしてくる。
やっぱりどこか懐かしい青春の風景だ。
話を戻すと、その後、高校生までに漱石は一通り読んだ。
だけど、どれもイマイチ自分には合ってない気がする。ま、立派な文学なんだろうけれど・・・。
で、一通りの長編を読んでしまい、ま、ついでに短編でも読んでみるか、という感じで出会ったのが「夢十夜」だった。
なんと、こんな小説が・・・、一番いいんじゃないの?というのが、いまでも続いている。もし読んでない人がいたら、ぜひ一度。グンバツです。
そして、なんと最後に読んだのが「我が輩は猫である」だった。順番がまるで逆だね。
実はこの小説、漱石がお金に困り、新聞に書いたのが始まりだったらしい。英語の先生が金に困って小説を書き始めるというのも現金というか、いい身分だが、それだけ才があったということだろうね。
ともあれ、坂の上の雲、じゃなくて、我が車の上の猫(のと上しか合ってないけど)、いろんな空想を運んでくる。彼は、そこでどんな人生ドラマを見ているんだろうか。
そして、いったいどこからやってきて、なぜ、車の上にいるのか・・・それは相変わらずわからない。
けど、きっとそのうちまた同じところに堂々と居座っているに違いない。新しい年、今年はどんな物語が待ち受けていることだろう・・・。
「我が輩は猫である。名前はまだない。」(は/194)