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 玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

ルンルンなディスプレイ

2018年12月07日 | 路上観察
冬を彩る数々の秀逸なディスプレイ。
以前、銀座・ブルガリの蛇(「セルペンティ」と言うらしい)イルミネーションを挙げたことがありました。
今年は表参道のコーチで何とも可愛いディスプレイ発見。
ブタがルンルンしています。
そういえば会社近隣のラゾーナ川崎にもコーチが入っているので、ブタ探検に行かねば!!
(お)


■スクランブルな交差点

2016年08月29日 | 路上観察
先日、館山でこんなものを発見した。
よく見ると標識に「スクランブル」と書いてある。
でも、それにしちゃあ、この交差点、ちょっと規模が小さ過ぎ。第一、カーブ沿いに別の道が交差しているだけだし。人通ってないし。


車のなかから慌てて撮ったので、ぼやけているのはご容赦のほど。


日本でも最も有名な「スクランブル交差点」は、渋谷のハチ公前の交差点だろう。正式名称は「渋谷駅前交差点」という。
以前、そのグチャ混みの歩行でも、ひとつも接触事故が起きないことが外国人の間で話題になったことがあった。
そりゃ、そうだ。一見するとそのスムーズな通行は難しそうだけれど、そこは日本人、暗黙の譲り合いができている。こういうのは、一神教だったり個人主義だったりする人たちには一生わからないかもしれない。


Saturday afternoon at Shibuya Crossing, Tokyo


それをいうなら、これはもっとすごい。「集団行動」というパフォーマンスだが、かなりの身体能力とお互いの信頼と集中力と勇気が必要だ。
まるで我々のグンデル演奏のようだ・・・・・すいやせん、またウソつきやした。


日本体育大学集団行動2015/神奈川新聞(カナロコ)


そういえば、ビートルズの名曲として知られる「イエスタデイ」は、最初は「スクランブルエッグ」という名称だったな。
ポールが朝起きて、頭に鳴っていた曲があまりに美しいので、きっと誰かの名曲だろう、とおもっていたが、どうも違う。これはオリジナルではないか、ということで、ジョージ・マーティンに相談したら、これは素晴らしい、即、録音しよう、ということになったという話しの曲である。
ポールは当初、朝閃いた曲なので「スクランブルエッグ」にしたんだろうね。もしかしたら頭のなかがそんな感じだったか、朝食に食べたのかもしれない。
でも、結局、後で歌詞を付けて、「イエスタデイ」になったという次第。そういう意味では、文字通り「曲先」なわけだ。


当時のポール。

それと、ポールのイエスタデイにはよく知られた逸話があった。
80年の麻薬取締りで入国できず逮捕された折り、留置場に4日ほど居たわけだけれど、そこで少し交流のあった殺人犯のために、アカペラでイエスタデイを歌ったという話しが残っている。
そう、あの特別捜査官「菊池」が尋問したときだ(みなさん何のことかわかってますよね?)。
でも、昔からおもっていたけど、その歌詞は、案外難しい。

  Yesterday, all my troubles seemed so far away
  Now it looks as though they're here to stay
  Oh, I believe in yesterday

  昨日、すべての問題は去ったとおもえたのに
  いまは、まだここに居座っている気がする
  昨日を信じたい

くらいの話しだろうか・・・、ある意味、殺人犯には辛い歌詞か?

で、その際、ついでにあと三曲ほど歌ったらしいが、どうもそれらは事実らしい。普通はそういうのは禁止のはずの守衛も止めなかったわけだから、すごいね。ま、これもある種の役得かもね。
でも、その殺人犯、ビートルズファンではなかったため(そりゃ堅気じゃないしね)、他の三曲を知らず、何を歌ったのか結局わからず仕舞、というオチがついた。
何を歌ったんだろうね・・・。


逮捕されたポール。


そうこうしていると、気になり出すといろいろ目に付くもので、先週末、中央線で押しつぶされそうになりながら乗っていたら、こんなのが目に入ってきた。すかさず撮影。
う〜ん、ここの正式名称は「西荻窪駅前」、だけれど、その横に「スクランブル交差点」と標識がある。これが普通だろうな・・・。



ということは、館山の交差点は、正式名称が「スクランブル」という交差点名だろうか。
だとしたら、渋谷や西荻窪や全国の有名スクランブル交差点を押しのけて、館山のこの小さな交差点こそ、全国唯一の正式名称「スクランブル」という交差点ということになる・・・のか。
そんなこと、地元の人も全国の人も誰も知らない話しかもしれない・・・、もちろん、世界のポールも知らないだろう。
館山、おそるべし。(は/258)


館山の交差点、アップ


■我が輩は猫である

2016年01月13日 | 路上観察
車を出そうとおもって駐車場に行ったら、ボンネットの上に一匹の猫が鎮座していた。
近頃たまに見かけたりはしていたが、この猫、コマちゃんのように身元がはっきりしているわけではない。ノラか近所の飼い猫かはわからないが、ややメタボに入りかけているので、きっと飼い猫だろう。




ちょうど正月のTVでやっていたけれど、いま地球上にいる猫というのは、山猫と家猫に大別されるそうだ。
ノラ猫といっても、元は飼い猫がルーツだから、総じて「家猫」という風に分けるのだ。つまり家猫とは野生ではなく、人間に飼いならされた猫ということになる。
そして、家猫のルーツはわかっている。それは「リビアヤマネコ」だそうだ。数千匹の猫と山猫のDNAを追跡調査して判明したという。
約1万年前の話。人類が定住農耕を始めた頃に一致する。彼らの説では、最初に穀物貯蔵が始まって、そこに集まるネズミを食べに来た猫が人間と利害が一致したせいで一緒に住み始めた、ということらしい。
だいたいまあ、農耕以来の文化はメソポタミア辺りがルーツであることが多い。
こういうのを地道に調べる学者もいるんだね。きっと「猫ばか」なんだろう。いい教育をされたんだね。


ともあれ、どうも最近車のフロントガラスが、まるで蛇が這った跡のような汚れがついていて、いったい何だろうとおもっていたが、犯人はこいつだったか・・・。
猫というのは、肉球からわずかに汗のような分泌物を出していて、自分の匂いをマーキングしながら歩いているというから、フロントガラスの汚れはきっとそれだ。
ま、拭けばとれるので別段問題はないのだが、よくぞ我が家の車を選んでくれたものだ。
それにしてもこいつ、あまりに堂々としていて、いかにも「我が輩は猫である」という体である。


「我が輩は猫である」といえば、最近、にわかに漱石ブームのようだ。なんでも没後100年ということらしい。たぶん朝日新聞とどこぞの出版社辺りが発信源のようだが、ま、出版不況のなかの大人の事情というやつかもしれない。
思い返せば、初めて読んだ日本文学というのは、もしかしたら漱石の「坊ちゃん」かもしれない。
小学生の頃、僕が風邪で寝込んでいたことをいいことに、家族でデパートに買物に行かれてしまったことがあって、熱も冷める夕方頃、みんなが帰って来て、「はい、お土産」と言って渡されたのが「坊ちゃん」だった。
なんだ、プラモデルじゃないのか、チェッ、と内心舌打ちしながら、読んだ記憶がある。


夏目漱石


ま、小説というのは、いまいる世界とは別のまったく異なる時空間のお話だったりするので、一度入り込むとその世界のなかで夢想するというのがだいたいの入口だったりする。
とくだん「坊ちゃん」がそうだったわけではないが、いまでも瀬戸内辺りがなぜか懐かしいのは、たぶん、多くの国民がそうであるとうに、これと子規と坪内栄のせいかもしれない、とおもうときがある。

そういえば、暮れに松山に行ったとき、駅前にこんな碑があった。そう、ここは坂の上に雲のある場所だったのだ。


注目は子規の碑というより、そこに座っている高校生らしきカップルだ。
手とはつないじゃって、なんとも初々しい。松山にだっていつの時代にも青春はある。



駅前の案内所にはこんなものもあった。流石に俳句のまち。
俳句がもっと日常的だったら、どんなにいい句が生まれることだろう。文化だな・・・。



これが瀬戸内海。真冬だというのに温暖な気がしてくる。
やっぱりどこか懐かしい青春の風景だ。



話を戻すと、その後、高校生までに漱石は一通り読んだ。
だけど、どれもイマイチ自分には合ってない気がする。ま、立派な文学なんだろうけれど・・・。
で、一通りの長編を読んでしまい、ま、ついでに短編でも読んでみるか、という感じで出会ったのが「夢十夜」だった。
なんと、こんな小説が・・・、一番いいんじゃないの?というのが、いまでも続いている。もし読んでない人がいたら、ぜひ一度。グンバツです。




そして、なんと最後に読んだのが「我が輩は猫である」だった。順番がまるで逆だね。
実はこの小説、漱石がお金に困り、新聞に書いたのが始まりだったらしい。英語の先生が金に困って小説を書き始めるというのも現金というか、いい身分だが、それだけ才があったということだろうね。

ともあれ、坂の上の雲、じゃなくて、我が車の上の猫(のと上しか合ってないけど)、いろんな空想を運んでくる。彼は、そこでどんな人生ドラマを見ているんだろうか。
そして、いったいどこからやってきて、なぜ、車の上にいるのか・・・それは相変わらずわからない。
けど、きっとそのうちまた同じところに堂々と居座っているに違いない。新しい年、今年はどんな物語が待ち受けていることだろう・・・。
「我が輩は猫である。名前はまだない。」(は/194)

■日の当たる場所-規制のかたち

2015年09月07日 | 路上観察
ところで、その剪定の木の向かい側の道路際に建っている建物がこれ。いかにも法律が決めたラインギリギリで建てた形になっている。
建築には、日影規制、道路斜線規制、臨池斜線や北側斜線規制など建築基準法に定めるいくつかの目に見えない規制ラインというのがあって、その建物が建つ地域の性質(用途地域)などに沿って、その環境や目的が保たれるように規制されている。
基本は、建ぺい率(敷地に対する建物面積が占める割合)や容積率(敷地に対する建物の延床面積の割合)だが、それに加わってくるのが、だいたいが日照権とか採光や通風を確保するための基準なのだ。



そもそも日照権からして、70年代初め、高度成長が終わり、建物などの高層化が進んでいった頃にいろいろ訴訟などがあってできた権利で、いかにも太陽光、つまり日差しを重視する日本人的価値観のもとに生まれた法的権利といえる。
こういうのは世界でもあまり多くなはいような気がするが、かつて平屋や二階建ての建物が多かった頃には問題にならなかった現象が、コンクリートなどの高い建物ができて環境変化への不満がそうさせたのであろう。
要するに、サザエさんの家の隣に10階建のマンションなんかができたら、日が当たらないから「いまより環境が悪くなる」、ということがないようにするための認められた権利なのだ。
その点、ヨーロッパの都市は昔から密集していて日差しもなにもあったものではない。むしろ、ファサード(建築正面)やパブリックの方が大切と考える、そういう伝統的感覚の違いが立法にも影響しているというわけである。


たとえば、日影規制では、冬至の朝8時から午後4時までの影になる時間を各用途地域ごとに定める範囲内にするというものだし、道路斜線規制は、建物が接する道路の反対側から、ある一定の傾斜で引かれたライン内に納めなければならいというもの。道路境界からセットバックすれば、その分、斜線の基準点となる位置も後ろにさがり、結果的に緩和されたりもする。
言っているとこがよくわからないとおもうけど、ともかく、ま、人が暮らしている場所は、一定以上の日照が確保されるように法律で規制しているということだ。

この辺が植物のように遺伝情報だけで自動的にうまくいくということがないのが、人の世の常だ。先の伝統(歴史)感覚や感情も入るし、法律の科学も人間がつくる以上、まだまだ到底未完成ということだ。

この建物は、五日市街道沿いなので、おそらく前面部分の容積率はかなりたくさんあるが、臨池や日影などのさまざまな見えない斜線の編み目のなかで最大限ボリュームいっぱいの建築をつくったということであろう。だからこんなヘンテコな、というか、不細工な形になってしまっているのだ。法律で切り取られた形である。
ある意味、これは法律的技術的措置の設計だ。こういうのを経済建築と揶揄されることがある。

建築は、技術的であっても、効率的であっても、経済的であってもいいけど、どれにも美学は必要だろう。技術美、効率美、経済美、機能美・・・そういう教育と啓蒙が必要なのだ。そこに継承されるべき文化の種がある。

たったこれだけのネタでよく言うよ、と言われるかもしれないけれど、ま、人間界はせいぜい文化でいいけれど、形というなら、まだまだ植物の命のための緻密な戦略にはかなわないということだ。まあ、そこまでに費やした時間も違いすぎるけどね。



明日から5泊でまた北海道なので、終末の小原ワヤンは参加できない。ごめんなさい。でも、きっとご成功を。

今回は、札幌のほか、トビウキャンプというアート&ミュージックイベントに参加する。主催は友人の国松希根太さん。奈良美智さんも行くというし、OKIさんたちのほか、小谷野さんや川村さんも出演する、らしい。
それとは別に、地元、アイヌコタン白老はもちろん、うまくいけばイザベラ・バードも行った平取や二風谷にも行くし、札幌でもアイヌのイベントと儀礼があって参加する。
11月にはギャラリーで、アイヌの写真展も企画中。財団や継承者や知識人など、ここから一気にいろんな人に会わないといけない。


トビウ・キャンプ。毎年誘われながら、今年初めて行くことになった。


二風谷。



そのせいというわけでもないけれど、最近はなぜかまた縄文文化が気になり始めている。
考古学者というのはマルクス学派以降どうも即物的でつまらない。年代測定や機能主義はいいけれど、土器は別に煮炊きに必要でつくったわけじゃないだろう。縄文人は一体何を考えていたのか、そここそが問題だ。
アイヌの文化というのは、遠く、そういう古来の観念を伝えているような気がしてならない部分もある。エミシやエゾは京都の文化からすると「まつろわぬもの」たちだったのかもしれないが、大陸文化を背景にもつヤマトとは違う文化のルーツをどうみるかは、東北学も含めて、日本文化のひとつの視点でもある。

なんか、ややこしくなってきたけど、要するに、そういう謎を持ちながら、まだまだ無明なのだ。(は/153)


というわけで、ブログはしばらくお休みです。
急に秋の気配が近づいてきました。季節の変わり目は風邪などひきやすいので、みなさんどうぞ、ご自愛ください。

■Under the Rainbow

2015年07月24日 | 路上観察

先日、映画を観に大泉に行く途中で、虹が出ていた。
L'Arc~en~Ciel・・・やっぱりフランス語はなんか妙だ。




大泉といえば、西友OZとシネコン、ここはかつては東映の大泉撮影所があった場所だ。
網走番外地や昭和任侠伝やトラック野郎から子供向けの映画まで、昭和の名作映画が撮影された場所。戦前からあったから、多くの人に親しまれていたし、ある意味で往年のキネマに命を捧げた人たちの聖地だね。
幸か不幸か、いまはそこにシネコンと西友OZが建っている。といってももう30年も前の話ですが。
それにしても、この西友のデザインは、ちょっと変だ。パリのポンピドーセンターのあからさまなパクリなのだ。また名称のOZはつまり、オズ。きっと、大泉の発音的略と「オズの魔法使い」から取られたもだろう。安易というか商業的というか・・・。
でもここはなぜか馴染みがあって、学生時代の夏休みに抽選会のバイトをしたこともあるし、そうそう、スマンディ先生のワヤンをやったこともあったね。
で、まあ、いまでは、ロードショー系の映画はだいたいここで観ることが多い。




そんなこんなで、"over the Rainbow" が頭で鳴り出してきた。「オズの魔法使い」でジュディ・ガーランドが歌った挿入歌としてあまりにも有名な曲。Somewhere over the Rainbow・・・ま、名曲だね。
個人的には、キース・ジャレットが、ミラノのスカラ座でのアンコールで弾いたのが素晴らしかったけど。




まあ、OZに行くのに、虹か・・・ある意味で、リンクしている現象ともいえるけど、虹はやっぱり大自然の大いなる現象だ。まずは敬意。
そんなことを考えながら行くと、虹がどんどん近づいてきた。へえ、やっぱり虹のある場所があるのか・・・。
でも、僕らは「虹の向こうのどこか」に行こうとしているわけではなく、「虹の手前の下」に行こうとしているわけです。いまはね。(は/130)


■路上のポピーズ

2015年05月22日 | 路上観察
半月ほど前、近所の路上にこの花が咲いていて、かみさんが、ポピーだと教えてくれた。音引きを除けばギリギリ3文字以内なので、何とか覚えられそうだ。
だけど、それがまあ、先日、あっという間にもう花は終わり、実をつけはじめていた。




ムム、ポピーといえばケシ。ケシの実といえば阿片。阿片といえば、阿片戦争・・・いやいや、モルヒネでしょう。例の人類史上の炭素化合物だ。19世紀には鎮痛剤として戦争なんかでは多用されていたそうだ。モルヒネから生成されたのがさらに強力なヘロインである、と書いてあった。
ま、迷走の19世紀だね。




いやいやそんな話ではなく、これは当然、法的に認められている別の種類だ。ヒナゲシかなぁ・・・。
我々の世代なら、ヒナゲシといえばアグネスチャンだけれど、ヒナゲシは虞美人草ともいうから、文学好きなら夏目漱石だろうか。やっぱり漢字の方が感じがいい。

「虞美人草」とは、項羽が劉邦軍に破れたとき、貞節を守って自害した項羽の愛人「虞」の墓に咲くという花から来ているらしいから、たしかにまあ、漱石の「虞美人草」は、複雑な人間関係過ぎて、実際よく覚えていないけれど、主人公の女性、価値が激変する時代にあって、ある意味では我が身の自由と保守的な価値観や道徳との間の女性の悲劇ともとれなくもない。
でも、微かな記憶のなかで面白かったのは、東京勧業博覧会の描写。たぶん上野の山かどこかだとおもうけれど、文明の最先端の展示場で、新旧、男女が交差していた。当時の博覧会はさぞ面白かったか、ついていけなかったか、どちらかであろう。
でも、日本の産業デザインはここから始まったのだ。


ともあれ、我々のようなものは、ポピーといえば、クタのポピーズ(ホテル)だろう。ポピーズのある小道は、車も小型がやっとの道幅で、ガン・ポピーズという。いわずもがな、ガンとは小道のこと。
80年代に初めてバリに行ったとき、ずっと、クタの安宿にいたけれど、最後の何日か前、一度だけポピーズで食事をしたことがあった。当時のクタでは、最高級レストランだ。
もちろん普段は、ナシチャンかナシゴレンだったけど、この日は清水舞台で、ロブスターというものを初めて食べてみた。
入口付近の台には、いまなら美ら海水族館にいそうな巨大な青いエビが陳列されていたけれど、出てきたのは、ちょっと大振りな伊勢エビという感じ。でもまあ、ガーリックバターのグリルが最高だったのをよく覚えている。その日一日だけの贅沢だしたけどね。




その後、かみさんと最初にバリに行ったときも、どこに泊まりたいか訊いたら、「ポピーズ」と即答だった。
じゃ、ってんで、初めて泊まってみたけれど、さすがは老舗、施設は少々古くなってはいたけれど、どこも手入れが行き届いていて実に気持ちがよかった。
朝など、庭を手入れしている女性がいて、ぎこちなく「スラマット・パギ~」なんて言ってみると、ニコッと答えて「パギ~」とか返されると、妙に満足したりした。朝の蓮の花や庭に差し込む光が美しかった。もっとバリにいたら花の名前も覚えるかもね。
翌日は、またクタの高級スーパーで、ダラン夫妻とばったり会ったり・・・、そんなこともあったねぇ・・・。そんなこと、いろんなこと、いまでも鮮明に覚えている。
だから、ポピーズは、記憶の場所なのだ。

じゃ、この際、このポピーの咲くご近所は、密かに、ガン・ポピーズと名付けることにしよう。かみさんと二人だけの秘密だ。
ま、たまには散歩でもしますかね。(は/104)


■ギョ!

2015年04月28日 | 路上観察


鯉魚から魚つながりじゃないけれど、先日、鷹の台の帰りの電車の広告にこういうのがあった。
流石だね。

そういえば、思い出したけど、以前に、アルジャ研究家で知られるAMさんの出版の内祝いで、ブックカバーをつくったけど、そのときに、こういうコピーを入れたことがある。
世界の「声」の音楽と民族がテーマの本だったので、そういうネタも入れたわけだけれど、バカっぽいね。
LIFEのうっちゃんネタのわからない人はつまらないかもしれませんが・・・。




 □「声」を出す魚がいるそうだね。
 ◎うそでしょ。魚は声出さないでしょう。
 □うそじゃない。じゃ、紹介しようか。話す魚、サカナさんです。
 ▲おはようギョざいます。千葉の銚子から来ました。ギョらんの通り、魚です。
 ◎変な発音。でも~、「びっくりびっくり」。
 ▲ギョめんなさい。発音悪くて。
 ◎いや~、自然の驚異というやつか。
  でも、発音悪いな・・・。コケコッコーって言ってみて。
 ▲キョケキョッキョー・・・。
 ◎じゃ、午後五時は?
 ▲ギョギョギョじ・・・、ギョギョギョじ。
 ◎やっぱりなんか変。でも楽しませてくれてありがとう。
  「はい、百万円」、といいたいところだけど、「はい、五十五万円」。
 ▲ぎょっ、ギョじゅうギョまんえん?
  ギョめんなさい、僕、嫌われてる?


こうなったら、ゴルゴ13だって、ギョるギョ13だし、マッハゴーゴーゴーならマッハ・ギョーギョーギョーだ。
豪華客船ならギョーかきゃくせん・・・なんか言いにくい。指圧の心は母ギョキョろ、ギョだいギョてんのう、ギョかやまとしらかわギョう・・・、ま、いいか。
というわけでということもないけれど、僕もギョールデン・ウィークは、またサッポロになってしまいました。
浜松祭り行けなくて残念。みなさん、ギョめんなさい。(は)


ポールは元気そうで何より。僕が観たときはいくつだったか・・・。
ま、ダランも我々もポールを見習って、息の長い芸能人生でありますことを。

■セコムの効き目

2015年02月23日 | 路上観察

外観。1階はほぼガラスサッシの扉。


そこに何か小さな紙片がゴミのように張り付いている。


それがこれ。手書きだ。若干新しくなったし・・・。


土曜にワヤンの稽古に行くため、近所を歩いていると、これ、まだあった。
広告紙かなにかの裏に手書きで「セコム」。セコイ。
かつてはきっと電気屋とか畳屋とか、そういう工事関係か何かの店だった感じ。でも、気のせいか、僅かだが新しくなっている気がする。リニューアル更新したんだろうか・・・? 制作費1円?

これ、防犯セキュリティというより、「お札」に近い。かなりいいセンス。
ま、僕が泥棒だったら入っても無駄な気がするし、「鬼」も近寄れない、一石二鳥だ。
最近はいろいろあって建物も安心できない。「オペラ座の怪人」より怖い「歌舞伎座の呪い」だ。大丈夫か?

江戸の地霊ゲニウス・ロキは、「四神相応」、天海僧正(ロシアでいえば、ラスプーチンのような存在だ)によって仕組まれたあと、さまざまな「物語」が重層し合い、いまにいたる。その解明は、霊的アースダイバーが必要だ。
テレ東的ネタでは、天海は明智光秀の子孫、プーチンはラスプーチンの子孫ということになっている。・・・どういうこと?家系ダーバーも必要だ。


で、まあ、そこから少し歩いたところに最近できたのが、このネパール料理の店「ヒマラヤ」。
自慢の「モモ」もある。まだ行ってないけど。
ヒマラヤは、インド半島がユーラシア大陸に突き刺さって隆起した大地の皺。だから頂上に貝の化石があったりする。プレートニクスは止まることはないので、いまでも年間約8mm程度は隆起が続いている。
まさに世界の屋根だ。遥かなるかな、すごいね。

ところで、唐突ですが、もしお時間があったら「ヒマラヤ」という言葉を10回続けて言ってみてください。
10回ですよ。数えながら、できれば小さく声を出して。

ヒマラヤ
ヒマラヤ
ヒマラヤ
ヒマラヤ
ヒマラヤ
ヒマラヤ
ヒマラヤ
ヒマラヤ
ヒマラヤ
ヒマラヤ



世界で一番高い山は?(は)



で、ブログ越しですみませんが、ネパールの店でこれ調達しました。
見た目は少しチープだけど、かなり高音の連続音が出ます。技いらずです。
今度、使ってみますか?