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 玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■記憶の中のMAC

2016年10月01日 | 北海道・広島
ダランは活発だな・・・。僕はここのところ、どうも疲れが溜まっている。歳のせいにするのは怒られそうだが、それでも寄る年波ということもあるし、睡眠不足もたたっているのかもしれない。今日も土曜なのにしっかり仕事をしている。

来週はまた、撮影→岐阜→高山→名古屋→広島→南房総と家にも帰らずロードがつづく。金曜は都内の大学で後期の講義がはじまるし、連休にはグンデルもある。ああ、まだまだ疲れそうだ。
などと悲観的な気分になってもしょうがない、と、行かなきゃいいのに飲みにも行く。ま、ほとんど付合いですが。

たとえば、先日行ったバーは、以前から一度行こうとおもっていたところだが、二度ほど満席で入れずやっと入れた店である。
入口もよくわからない扉を開けると、中は真っ暗。目が慣れるまで時間がかかる。逆に店を出ると、夜の街がまるで昼間のようだった。ま、それだけ東京の街は明るのかもしれないし、やっぱり店が暗すぎるのかもしれない。

こういう暗さのバーなら、他にも知っている。そのバーなんか、店に入るとまず、怖くて足を踏み出せない。そう、何も見えないからだ。
こういう暗さ、まるで昔の映画館のようだ。子供の頃、映画館に入る前には、よく片目をつぶっておくように言われたものだ。そう、そうすれば、少なくとも、片目は暗さに馴れる準備が整うからである。そうおもうといまの映画館は明るいね。近代の街とは、明るくなることだったのかもしれないね。


このバーには、ドリンクもフードもメニューというものが一切ない。そんな野暮なこと、という意味だろうか。
で、フード(あて)は、小振りの干物と野菜のみ。
このなかから好きなものを好きな数だけ選んで炙ってもらう、という仕組み。
今回は、岩海苔入り畳鰯・赤貝の天日干・ホワイトアスパラにしてみた。醤油のひとたれが絶妙だ。
今度は、日干明太子の薄切りにしてみよう。



ま、バーというのは、個性があっていい。ゴールデン街だって、店の個性だけでもっている。そうやって、店も客も時を重ねていくのだ。

広島でもよく行くバーがある。名前を「MAC」という。店主の愛称から取られている。
もう十年以上前、広島に通っているうち、気になる店構えだったので入ったのが最初であった。だいたいにして、無造作な看板ひとつ。あとはなにもない。ボロい階段を上がった先の入口だって、まるで、香港かどこかで麻薬の取引とかに使われるなアジトな雰囲気だ。
だいたいこういう店はきらいではない。新宿なんかでもよく行くタイプの店だ。中に入れば案の定、インターナショナルでフレンドリー、というか、要するに、雑作がない。店にも外国人が多かった。


裏ぶれた駐車場の脇のビルの2階にある。小さい看板しかない。


こんな階段を上った先にある。


看板もない、いかにも怪しそうな扉。


店内はこんな感じ。CDと落書きで埋め尽くされている。


トイレも落書きだらけ。ま、トイレというのはそういうものですが。

最初に入ったとき、一人か二人だったので、店主のマックさんといろいろ話し込んだことがある。
本人も実はミュージシャンで、店内には数千のCDが山積みされている。ああ、あのアルバム聴きたい、とかいうと、その山のなかから、すっと取り出してくるのは、もう「芸」に近かった。
それに、若い頃は世界中歩き回ったバックパッカーだった。いかに貧乏旅行したかとか、こんなバカな出会いがあったかとか、話しは弾んだ。
年齢は僕よりちょっと上だとおもう。やっていることは違うけど、同じような世代ということもあってか、同じような時代や人生観や価値観を生きてきたというか、音楽や旅行や酒やまあそういう話しは尽きないのである。


僕の好きな壁。マックさんが行った世界中の国の最小単位の紙幣が貼られている。
ある意味、壮観だ。


後でわかったことだが、マックさんが店にいることは、実は非常に稀なんだらしい。そういえば、その後行ってもいっこうにいなかった。そういえば、10年以上通って、店であったのは、数回しかない。
そのかわり、広島の「流川」とか「薬研掘」といった飲屋街ですれ違うことは何度かあった、とうか、むしろそっちの方が多かった。

じゃ、その間、店には誰がいるかというと、奥さんの「ゆり」さんだ。さすがマックさんの奥さんという感じの人。ある意味一心同体なんだろう。いつもサービスしてくれる。
この店では、オンザロックを頼むと、700円くらいでトリプルくらいの量が入ってくる。つまり、量ったりせず、ボトルからグラスが溢れそうになるまで入れてくれるのだ。
だいたいにして、三軒目くらいに行くのに、ここでこれを飲むと、いつも、どうやって帰ったんだか覚えていない式になるというわけである。


最後に行ったとき。

この店が、残念なことに、ビルの解体で、移転することになったのが、昨年暮れだったろうか。みんなを連れて行けなかったのが心残り。店はすでに記憶のなかにしかない。
残念だね、今度はどこへ、などと言っていたら矢先、あろうことか、今度は、マックさんが急死した。ガンだという。これも運命だろうか。でも、葬儀には、ミュージシャン仲間や常連がたくさん集まって盛大だったそうだ。マックさんらしい。

ゆりさんが、今後どうするかはわからないが、店は個性だ。できればまた店を再開してほしい。死せどもマックさんの店として。僕にだって、多少のマックさんの想い出はある。またきっと行きますよ。
マックさん、謹んで、ご冥福をお祈りいたします。(は/267)


街ではよく会うんですけどね・・・右がマックさん。


というわけで、来週と再来週のブログはお休みです。今後はいつアップできることやら・・・みなさん、ごきげんよう。


■初秋の夜の夢

2016年09月20日 | 北海道・広島
今年も「飛生芸術祭」に行って来た。昨年の次いで二回目。
昨年はあいにくの雨模様だったけれど、今年は晴れ。北海道最後の夏空のなか、気持ちのよい一日だった。
今年からキャラクターもできたらしい。
着いたらちょうどお昼。昼からまあ、いい調子だったけど、出店も個性的でいつも感心させられる。


新キャラ?・・・そういえば、Tシャツとかも売っていた。


道内から集まった個性派屋台がズラリ。


こんな仮設デザインの店もあった。うまい。
左下の人は、日比野さんとマレウレウのマユンキキさん。彼女はこれから出っぱなしだからたいへんだ。



こんなのも。


なかには、こんな子に営業させる強者オーガニックスイーツ屋台もある。
こんないたいけない子に寄られたら、そりゃあまあ、買うわね。微笑ましくも、うまい戦略だ。



こんなワークショップの店もある。
装置を付けると、どんなものでもその場で即、楽器になってしまう。
音もなかなかいい感じ、でした。演奏は、一緒に行ったアーティストの伊賀さん。



これは、アイヌの伝統楽器「ムックリ」の手作りワークショップ。
作り方の指導から、演奏方法まで指導して持って帰って、締めて500円也。



早速、我々も制作。案外難しい。


腹ごしらえのあとは、さらにいい調子で少し飲んでから、恒例のテント張り。今年はかなり広いテントだったので、かなりゆったりと楽でした。
夕方からは、いよいよ、火入れ。人間は火に弱い。自然に囲まれて、まるで太古の時間が始まるようだ。




「マレウレウ」とウポポの合唱。今年は一人お休みで三人らしい。


昨年創作影絵をやったガムラン仲間のウロツテ氏は、今年はどうもインドネシアに行っていて不参加なれど、映像ワヤンで参加していた。内容は、アイヌの創作物語。なかなかでした。
その他にも、いつものように、アートあり、ワークショップあり、ライヴあり、トークありの盛りだくさんでした。


左から、アーティストの奈良美智さん、トンコリ奏者のOKIさん、主催者で彫刻家の国松希根太さん、一番右が、マレウレウのお姉さんの方(すみません名前忘れました)。


今年は、あまちゃんでブレークしたノイズの大友良英さんも参加。マユンキキさんとトーク。

おかげさまで、北海道も四年も通っていると、いろんな人と知り合う。
今回は、アイヌ民族博物館の館長や国松明日香さんともお会いすることができた。みんな自然体で清々しい。でも、みんながんばっている。
三年前の坂本さんを次いで、来年、札幌国際芸術祭のメインキュレーターになったさっきの大友さんも言っていたが、行政が予算を組んでやる芸術祭は、人のつながりでやる芸術祭にはかなわない、だそうだ。まったくだ。
でもまあ、それぞれにいいところもあるし、そうでないところもある。それぞれの立場でやるべきことをやるということだろう。

そんなこんなで、夜が更ける。酒も入る。飛生の夜は、いつも幻想的なのだった。(は/261)


なぜか、こんあバルームも上がっていた。なんだろう・・・?


入口にいまも残る小学校のプレート。


なんだか昨日あたりから久々に風邪をひいたようで、仕事もグンデルもやらず、一日寝込んでいた。
でも、今日もまだつらい。熱はないけれど、悪寒はするし喉が痛い。
なんか気が抜けたかな。今日は台風も来るというし、ゆっくり休もう。ま、こんな日もあるさ。


■朝顔咲いた

2016年09月16日 | 北海道・広島
「明後日朝顔」というアート・プロジェクトがある。
2003年、新潟の超山奥、十日町市莇平(あざみひら)地区で廃校になった小学校で、アーティストの日比野克彦さんによって「大地の芸術祭」のとき始まった。
ちょうどそのときか、次のとき、その後も何度か僕も行ったことがある。そこでは、集落の人たちと一緒になって、「タネ」を植え、育て、花を咲かせ、そして最後にまた「タネ」をとる。

この単純だが、自然を相手にした共同作業が、コミュニティとグループに活力を与える。
そして、収穫した「タネ」は、他の地域に持って行って、またそこで花を咲かす。またそこにグループができ、「タネの縁」が生まれている。もう全国で数十ヶ所やっているそうだ。それぞれのコミュニティ同士の交流も芽生えている。

日比野さんは、「種は船」だという。種がどこへでも行って、その地で花を咲かす。そしてたくさんのメッセージも届けるのだ。
人工物でもないこういうアートをなんと称するか難しいところではあるが、少なくとも、アートが何か変化のきっかけだったり、活力の動機だったり、心を動かすものであるなら、そういう「行為」や「事」もれっきとした「アート」なのだ。


撮影:K. Kosuge

今回、昨年も行った「飛生芸術祭」に合せて、この「明後日朝顔プロジェクト」をやることになった。アイヌ集落のある白老の山中、廃校の小学校を使ったアートイベントである。いつかここでワヤンができたらいいのに、といつもおもう。
ともあれ、この全国に広がるプロジェクトとしては、北海道では「初」だそうで、ま、これも「縁」だね。


6月の種植え。札幌からのバス組を含め、これも大イベントだった(撮影:K. Kosuge)。

ということで、今年の6月、種植えを行い、先週、芸術祭に合せて育って咲いた花をみてきた。まあ、立派に育ち、花を付けてました。
ここにもまた、新しい交流の芽が生まれた、ということでしょうかね。
来月末には、「タネ」の収穫祭をやる。その「タネ」はまたどこか遠くで花を咲かせるに違いない。


到着した日は午後だったので、その日の花はもうなかったが、ツルはきれいに伸びてました。
一緒に行った作家の日比野氏と。雲一つない青空。



とおもったら、雲、いました。


早速、昼から始まってしまいました・・・、ま、いいか。


子供たちは、お手製ブランコに夢中。キャッキャという高らかな声が響く。
かつては小学校だったわけだから、毎日がこういう場所だったんだろうね・・・。
危ないからやめなさい、という親はここにはいない。



翌朝は、早朝の6時から朝顔の前で「ヨガ・ワークショップ」。気持ち良さそうでした。




無事、咲いてました。


芸術祭の様子は、また今度。なかなか錚々たるメンバーでした。(は/260)


関係ないけど、昨日は中秋。名月でしたね。
もう秋、でしょうか・・・。






■札幌か、広島か

2016年09月15日 | 北海道・広島
いや〜、なんか久々にアップする。先週はずっと出張だったし、今週は打合せやプレゼやセミナーが重なって毎晩午前様だ。いや〜、いつグンデルやればいいんだろう・・・とか。


Netnewsより

でも、とりあえず、カープ優勝おめでとう。
野球はほとんど見ないけど、長らく広島に通ううちに、なんとなくカープにはシンパシーがある。二度ほど連れられて球場にも行ったことがある。旧市民球場といまの新しい球場を各一回ずつ、である。
旧広島市民球場は、もうないので、行くことはできない。そういう意味では、数々の名勝負を繰り広げた「記憶の場所」でもある。
もともと近鉄の次に応援する気持ちがあったのは、やっぱりカープだった。なんといっても、初の市民球団だしね。広島では、戦後復興のシンボルでもあった話しはよく耳にしていた。


最近広島に行くと、よくこれを見かける。
最近は「カープ女子」なるものがたくさんいるそうで、広島はどこも「赤」一色だ。


また、今年は黒田がチームを引っ張ったのも立派だった。なんといっても、20億を蹴って、広島に戻って来た男は、地元でも大人気だ。
その黒田が、日米通算だけれど、見事200賞を達成したのも今年だった。
ちょうど、イチローも日米通算ながら、ピート・ローズの安打記録を抜いたすぐ後のことだったが、そのイチローからのお祝いのメッセージがよかった。
「日米通算は認めない」という内容だったそうだ。うまいね、イチローは。
ちょうど、自分は、一部のアメリカ人から同じようなことを言われ、ピート・ローズは、よりにもよって「日本人はそのうち高校時代の記録もカウントするんじゃないか?」とかぬかしていたりしていたすぐ後のことなのだ。
狭いね、アメリカ人は。国土は広いけど。


黒田投手(Netnewsより)


イチロー((Netnewsより)


ともあれ、先週の札幌では、タイミングよく、10年ぶりくらいに野球を観戦した。初札幌ドームだ。
ドームは後楽園(コンサートだったけど)、名古屋、福岡と行くだけは行ったけど、いつ行っても、なんとも不思議な空間体験だ。あんな広い空間が屋内というのが不思議なのだ。いまさらだけど。
ここも結構ハイテクで、自動で観客席が動いて、サッカー場にも早変わりするらしい。2020のオリンピックでもサッカーの予選が決まっている。社長は、ギャラリーにも何度か来てくれた人だ。


札幌ドーム。設計は「建築家の腹」、ではなくて建築家の原広司先生だそうです。
暗くてブレてしまいましたが、外観は黄金虫のような金属の丸い固まりでした。


で、なぜ行ったかというと、大谷君が投げると聞いたからだが、それは単にきっかけであって、本当は、これも数年通った札幌の球団なので、なんとなくシンパシーが芽生え始めているため、かもしれない、ともおもう。
それに、ちょうど、ソフトバンクと首位を争っていて、これで、日ハムがパリーグ優勝すれば、広島対日ハム、つまり、広島対札幌の対決になる。
う〜ん、もしそうなったら、僕はいったいどちらを応援すればいいんだろう。小林一茶なら、どうするだろうか・・・。



でも、結局この日、球場に着いたのが3回だったので、なんと大谷君はもう降板してしまっていた。DHだけでも残しておいてくれればよかったのに・・・とおもってももう遅かれし。
ニュースでは、その日、163kmのスピードボールを投げたらしい。惜しいことをした。

そう、遅れたのには理由があった。
その日は、朝からギャラリーの壁の塗り替えをやっていたためなのだ。
予算がないというので、しょうがなく、自分たちでやったのが間違いだった。想像以上の重労働。若い頃ならともかく、案外きつい。
それにこの格好。どう見ても、これから除染活動に行くか、ゴーストバスターズにしか見えない。



おまけに、これだけの装備をしていても、ペンキというのは飛び散るもので、中のポロシャツやズボンに少し飛び散ってしまった。
さあ、どうしよう。乾いたら取れないというし、家に帰ってかみさんに迷惑をかけるのもなんなので、ホテルのクリーニングをケチって、シャワーついでに部屋で自分で洗濯した。
ああ、こんなのバリのロスメン以来だ。


なんとか部屋で乾かしましたが・・・。

お湯に30分つけ置き、手でゴシゴシやる・・・結構な労働だ。「アカバネ電器」でもなんでもいいから洗濯機があったらなぁ・・・やっぱり、家電は主婦を解放したんだね。
でも、安くすればいいというものでもない。やっぱり金メッキはダメでしょう(わからない人はごめんなさい)。
でも、努力の甲斐があって、なんとかとれました。ホッ。


©NHK

翌日は、ご褒美に、市内で見つけた「バリ料理」の店で、ナシゴレン。久々。
北の国で、バリ料理というのもなんですが、自家製サンバルが案外旨かったです。


ウブドかどこかにありそうなカフェ系の店。


シンプルはいいが、もうちょっと赤いと感じなんだけどね・・・。

こんな店があるなら、いつでもワヤンできそう、だけど・・・、今度、どう?(は/259)


■みちにしたがえば吉

2016年08月23日 | 北海道・広島
先日、今年封切られるジブリ新作の番宣だろうか、数年前の映画「コクリコ坂から」をTVでやっていた。ジブリ嫌いのダランはきっと観たことないだろう。
この映画、DVDは持っていないので、録画して観たけれど、まあ、80年代の少女漫画が原作とあって、少々照れくさいというか、ついていけない部分もあるが、それでも、よくできた作品のひとつだとはおもう。


©スタジオジブリ。

主人公は、メルと愛称で呼ばれる「海」という名前の少女と俊という文芸部部長の男生徒で、高度成長期に入ったばかりの横浜と高校生活を舞台に、淡い恋心も交差しながら、昭和63年の時代をうまく写し出している。
その文芸部部室のある建物「カルチェラタン」の取り壊しを巡っての騒動が物語の筋にもなっているが、この建物の描写がまた面白い。黒板に「下ノ畑ニ居リマス」と書いてあったかとおもうと、その隣に「上で寝ています」とあったり、普通はあまり気がつかないところの看板やポスターも凝っている。
こういうのを世間では「遊び心」というんだろうけれど、あまり好きな言葉ではないので、あえていえば背景担当の「悪ノリ」というところだ。
カルチェラタンとは、パリ大学があるいわずと知れたパリの学生街の地名から取ったものだろう。


©スタジオジブリ。

ともかく、ここの取り壊しについて話し合う学生集会で、俊の演説がうまかった。
彼は取り壊し反対の少数派なのであった。


©スタジオジブリ。

  古くなったから壊すと言うなら君たちの頭こそ打ち砕け!
  古い物を壊すことは、過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか?
  人が生きて死んでいった記憶を、ないがしろにするということじゃないのか?
  新しい物ばかりに飛び付いて、歴史を顧みない君たちに、未来などあるか!
  少数者の意見を聞こうとしない君たちに、民主主義を語る資格はない!

耳の痛い人も多いだろう。


それで想い出したのが、以前、札幌で観た佐藤雅英の写真展だった。
佐藤さんは直接の面識はないが、アイヌ刺繍家のチカップ恵美子さんとの共著などもあり、たぶん、心ある人だとおもう。それはこの写真を観てもわかる。

この写真は、83年に取り壊しとなった北大の名物宿舎「旧恵迪寮(けいてきりょう)」の最後の記録でもある。
北大はその設置当初から道外からの学生も多く学んでいたので、恵迪寮は、クラークが"Boys, be ambitious"と言った頃にはもうできていて、大学と同じくらい古い歴史がある全国でも名だたる学生自治寮なのである。
「迪(みち)に恵(したがえ)ば吉」という意味だと書いてあった。明治の人はやっぱり漢文の教養がある。
「都ぞ弥生」という全国三大寮歌と言われた歌も受け継がれていることでも知られている。


ランダムな貼紙が絶妙だ。
(以下、写真はすべて佐藤雅英撮影、転載ご容赦)



薄暗いが、歴史を感じさせるものがある。

この旧恵迪寮は、二代目で、昭和初期の建物らしいが、昔一度、TVで観たことがあった。そのときも、まあ、絵に描いたような男臭く何の格好つけもない汚い寮だった。
学生たちは、毎日のように夜な夜な酒を飲み、プライベートはほぼ、ない。部屋でも自治集会では議論が沸騰する。こんなところ、まだあるんだね、という感じだった。


マルクスにジェームス・ディーン。偉人もアイドルもメインもサブカルチャーもみんな一緒だ。


「コクリコ坂から」にも、そういうシーンがあったが、
学生というのは、どうしてみんな飛びたがるんだろう。描け放物線。物理の学生だろうか。


この寮、学生運動の時代にすでに建替えの案が出ていたという。文部省指導で危険因子の巣窟になるのを懸念した大学側の意向であったそうだ。これに猛反発したのが、当時の寮生である。用途は違えど、まさに「コクリコ坂」である。
結局、建替えは決定してしまったらしいが、ここにも当時の「挫折」と「敗北」はあったであろう。

いまではすべて新しい寮に統合され、女子も入居できるようになったそうだ。その映像も以前地元のTVで観たことがある。けど、これが女子か?とおもうほど、中身もやっていることも全然変わっていなかった。
つまり、まあ、露骨なジャージ姿で毎日飲み明かすか、議論するか、集まって読書三昧か。一人くらいオシャレな女子がいても良さそうなものを・・・。IQは高いんだろうけれど、結局、人間。学生寮とはそういうものなのかもしれない。
でもね、将来はそういう生活はできないだろうから、いまだけ、だね。それも他では体験できない、いい経験、なのかもしれない。

建物は変わっても、たぶん、そこは伝統がある、のであります。歴史がある、のであります。ここから将来の研究者もたくさん出ることだろう。それぞれ「みちにしたがえば吉」なのだ。
北大は偉大なり。"Boys, be ambitious"、いや、"Boys and girls, be ambitious"、いや、"and LGBT too."(は/255)


■南風の地から来たウルトラの「父」

2016年07月29日 | 北海道・広島


札幌で沖縄の染織家上原さんの展示を6月の初めからやり、先週、無事終了した。道内外からたくさんの方に来ていただきよかったです。
上原さんは、ダラン一家も住んでいた那覇から車で20分ほどの南風原の人である。
二人の娘さんご夫婦とともに、遠路、札幌までやってきてくれた。ありがたい。

上原さんは、平和主義者だし、僕のもっとも尊敬する染織家の一人だが、その作業は、まあ、気が遠くなるような細かい繊細な作業の連続だ。それは「あけずば織」と呼ばれている特殊な技法だ。
「あけずば」とは沖縄の言葉で、どうやらトンボの羽を意味するらしい。薄くて透けた軽い布、である。色もアトリエの庭にある植物からとられた染料で染め上げられたものである。
これがまた、札幌の初夏に案外似合うのだ。








なかでももっとも貴重な作品は、絹の最小単位であるひとつの繭玉からとれる糸一本でつくりあげた作品だ。
普通の絹というのは、10程度の繭玉から出る生糸を撚って糸にするので、ある程度の太さがあって丈夫にできている。が、その作品は、一つの繭玉から出る生糸だけなので、地上、もっとも細い糸となる。3デニールだそうだ。もっと厳密にいうなら2.8デニールだという。ほぼ、目に見えないくらいの太さだ。
それを縦横に織ったもの、なのだ。


この本の表紙になったのが、その作品。


普通、縦糸のことを「経」、横糸のことを「緯」という。地球の緯度経度の縦横はここから来ている。
だいたいにして古代というのはたとえ話しが多い。布というのは昔から大切なもの、芸術以前の工芸品である場合も多かったのだろう、布をたとえにすることも多いのだ。
たとえば、インドでタントラのことは、中国では「緯」と訳され(少々の違いはあるが)、スートラのことを「経」と意訳した。
だから、四書五経などの書物は「経書」と呼ばれるし、実務的な書物は「緯書」と呼ばれるようになった。仏典も「お経」というが如し、だ。
つまり、世の中を平らに編むには、タントラや緯書を「縦糸」に、スートラやお経や経書を「横糸」に、「布」のように広く長くありがたく編み上げるというイメージがそこには込められているのだろう、と昔から勝手におもっている。
ここらへんにも、広くアジアのイメージの源泉があるというわけだね。


で、上原さんの「その作品」は、広げると45cm×3mの大きさで、なんとたった3gまだそうである。
とても貴重なものなので、いまはまるで秘仏のようになっていて、今回も持ってこれなかったが、かつて一度だけ南風原のアトリエでそれを持たせてもらったことがある。
いわれた通り、ほとんど重さはない。が、折り畳んだだけのものを手のひらに乗せてもらうと、ジワッと暖かい。まるで魔法のようだった。
一緒にいったかみさんはこれに涙した。かたじけなかったのだろう。人の技というのは極めれば神業になる、ということだろうか。

「何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」。西行が伊勢で詠んだ歌を想い出す。

世の中に、もし「天女の羽衣」というのが本当にあったら、きっとああいうものだんだろうな、とおもってしまうくらい、静かで穏やかだけれど、そういう作品の凄さがあるのだ。

講演は、ご要望があったこともあり、少し迷ったけれど、僕と一緒のトークになった。いろんな話しをしたけれど、聴衆は、すべからく来てよかった、とっても感動したと言っていたそうだ。
真剣に取り組んでいる人というのは素晴らしいね。こんなところで「上原作品」に出会えるなんて、という東京から来ていた人もたくさんいたらしい。
気候は全然違うけれど、札幌の初夏に、十分沖縄の風を吹かせてくれた。


で、講演前に、上原さんと雑談していて教えてもらったことがある。
実は、上原さんの旧姓は「金城」といって、お兄さんは「金城哲夫」という人だという。「ご存知ですか?」と訊かれ、「え?・・・聞いたことある気がするけど、どなたでしたっけ?」とおもわず聞き返してしまった。
そう、想い出した。ウルトラQの脚本家だ。ウチにもDVDfが何枚かある。ウルトラシリーズというと、つい、円谷英二と実相寺昭夫くらいしか想い出せなかったけれど、それに匹敵する存在が金城哲夫さんだ。家で確認してやっとそれがわかった。不覚とはこのことだ。
という次第で、ある意味では、金城さんは、もう一人の「ウルトラの父」でもあったわけである。




金城哲夫さん。

まだ20代にして、あの脚本である。後で調べ直してみてわかったが、SF好きのオプティミストだったらしい。けれど、作品は含蓄も深みも創造性もある。
その後、ウルトラマンの第一話やウルトラセブンに至っては、ほぼそれを作り上げた張本人だったという。
なるほど、ウルトラセブンは、他のウルトラシリーズのなかでも飛び抜けて異彩を放っている。それ故に視聴率は取れなかったらしいが、僕もかみさんも記憶に残っているのはほとんど金城作品だった。


名作「ノンマルトの使者」より。


主人公諸星弾とアンヌ隊員。

人間のおごりを戒め、欲や念が怪獣を生み出したり、地球ははたして人間のものなんだろうかといった概念の戦いは実にSF的イメージの創造的視点がある。
本人はけして沖縄での生い立ちや戦争の話しはしなかったらしいが、それでもその思想的背景には「沖縄」があったのだろう。示唆も啓示も教訓もあった。
子供の頃とはいえ、知らないうちに随分影響を受けたものだ。かみさんなんか、主人公の諸星弾は初恋の人だというし。

偶然にもその金城さんの特集がNHKで放映され、それも観た。初期ウルトラ3シリーズの後は、故郷「南風原」に戻り、沖縄海洋博の演出などもやったらしいが、惜しくも37歳の若さにして、事故死する。
彼を忍んで、いまでも南風原の記念館に訪れる人は後を絶たないという。

ダランは今週も沖縄だというけれど、沖縄、しばらく行ってないなぁ。たまにはあの空気を吸いたいものだ。(は/149)


さて、僕は僕で、いまから広島に行ってきます・・・。明日戻って、学校で授業やって、うまくいけば夕方?帰宅します・・・。
そして、明後日は、ワヤンのリハ・・・。梅雨は明けたらしいけど、仕事はなかなか明けない、のでした・・・。
来週は福岡なので、次回の投稿はまだわかりません・・・。それまで、御機嫌よう。


■やる気は素敵

2016年07月13日 | 北海道・広島
追伸。

滝川は典型的な地方都市、ではあるが、街中アートがちりばめられている。
たとえば、小学校にもアートがあった。
いくつもあったが、ひとつだけ紹介すると、これ。



この校舎は一年前にできたそうだが、「先生、そこにぜひアートを」と頼まれながら「でも、予算はありません」ときたそうだ。
なので、ワークショップをやることにしたという。
それは、体育館の床を解体し、それをいくつかのサイズにカットする。ひとり30cmくらいの幅のベースをそれぞれの生徒に配布し、各々が自由にそれらを貼付ける、というもの。
つまり、全校生徒が、ひとり30cm程度の長さの床材をもらい、数種類の長さにカットされた別の床材を好きな数選び、それを好きな密度に好きな数だけ直角に貼付ける。

それを全部集めて一直線にすると、こうなる。
一応、落下の危険もあったので、実はこれらは全部裏からビス留め済み。やったのは、ゼネコンのおじさん、だそうだ。

生徒は、自分のつくったものがアートになり、そこに実在する、という経験をすることになるのだ。
なかには大人になってから改めて来て感動する人もいるだろうね。もしかしたらその人は、世界的なアーティストになっているかもしれないね。

ま、そういうことに刺激を受けてか、校内には、いろんな手作り作品もあった。
たとえば、こんなの。何かいい。


やる木。アートに刺激されてやる気が出たんだろうか。
多感な子供の頃に刺激を受けるのは、もっとも大切なことだ。
グンデルも、「やる木」が大切・・・。



やる気は、素敵、だ。
だけど、若いうちからダジャレか・・・?


また、たまたまこんなのも発見した。見た限り既製品だろうけれど、パズルのようにいろんな組合せができるテーブルだ。小学校にこれはいい、かもね。


パズルにもなるし、使い方によってはコミュニケーションの距離やかたちが違ってくる、だろう。
そこを考えるのは、これも大切な体験だ。



その他、おまけ。
先に紹介した廃校美術館にあったもの。何かいい。
別段、美術館じゃなくても、こうあってほしいものだ。




さらにおまけ。
帰りはひとりだったので、千歳空港で夕食。
毎日、野菜とかジンギスカンだったので、そうだ、ここは寿司、にしよう。
とはいえ、まずは、Bと北海道産ししゃも。雄雌二尾づつ。やっぱりししゃもは北海道に限る。これよ、これ。
その後、何を食べたかは、私だけのひ・み・つ。当たった人には一杯おごります。


ししゃもは、子持ちの雌より、雄の方がおいしいのが鉄則だ。卵に取られない分、味も濃い、のだ。
しぶ〜い、食事でしたが、美味しかったですよ。



そうこうして、無事、東京に現実に戻ってきた、のでした。
それにしても、ああ、東京はやっぱり蒸している。
それにしても、ああ、いつグンデルやれというの・・・?
それにしても、ああ、「やる木」が大切、まずは「やる木」・・・子供たちに教わった。(は/246)


■ラベンダーの花揺れて

2016年07月11日 | 北海道・広島


先週末、「ワヤン会議」も欠席し、「デザイン会議」に行ってきた。
場所は、北海道空知地方滝川、札幌から車で1時間ほど、アルテピアッツァのある美唄や旭川にもほど近い。初めて来た。
いまの街そのものはご多分にもれずシャッター街だが、かつては周辺に大きな炭坑があって栄えた地域である。インフラやかつての賑わいの痕跡は残っている。

さすがにこの季節、東京は蒸しているが、ここは爽快そのもの。日中は暑いくらいだ。石狩川の流れが雄大。泊めていただいた家のおかあさんが栽培しているという3種類のラベンダーも咲き誇り、やっぱり、夏の北海道は美しい。



主催者は、地元出身の著名なI先生を中心に集まった有志たち。そこに日本中から集まった有名デザイナーや研究者から学生まで80名ほど。今年はなんとジャカルタからもデザイナーが来ていて、カタコトのバハサ・インドネシアで会話する。向こうの方が驚いて盛り上がったり・・・これも奇妙なものだ。

中身は、三日間もあるので、会議だけでなく、何ヶ所か雄大な大地を感じながらバスで移動したり、周辺の作品鑑賞や屋外パーティやチャリティオークションやワークショップやミニコンサートなどもあり、盛りだくさんだ。
夜は当然宴会になる。フリートーク。まじめな議論の人、バカ話する人、それぞれだ。
この会議はもう8年も続いている。僕も北海道はもう4年も通っているので知ってはいたが、ありがたいことに毎年お誘いを受けていて、今年やっと初めて行ったのだ。

メイン会場は、ここ。I先生のご実家が造り酒屋で、その遺構となった石造りの蔵を改造したものである。なかなか雰囲気がある。
毎年の結果は本になる。なかなか濃密だ。
場所も変われば発想も変わる。こういう場所で、世界を語る・・・ということ。

昨日の選挙の結果をみる限り、日本の未来は明るくない。いろいろ考えさせられた。詳細は長くなるのでまたいずれ。






言葉より、ざっくりイメージで、バーチャル・トリップを。


街の公共施設などには、I先生のさまざまなアートがある。ここは病院。


ここは公園。ジャックの豆の木のイメージだそうで、子供たちにも人気があるという。
地面に湧き出る水が気持ちいい。


たとえば、ランチはこんなの。地産地消、オール地元のオーガニックだそうだ。
北海道は、実は海産物より野菜が格別なのだ。
別の日は、町の有志が、おにぎりと豚汁を振る舞ってくれた。これはテッパンだ。


たとえば、ギャラリーのレセプションで振る舞われたオリジナルカクテル。
誰でも飲めるよう、アルコールとノンアルコールがあった。ま、昼間だし。


夜はここ。街で唯一のオーセンティックバー。
謎のロゴマークがユニークだ。おそらくアマゾン川を龍に見立てているのだろうか・・・。
そう、ナーガは、古今東西、「水」との関係が深い。
それにしても、なぜ、ブラジル?
マスターは一度も行ったことないというし・・・、でもまあ、バーは謎な方がいい、かも。


周囲には、廃校になった小学校を利用した美術館もある。これはそのエントランス。


テラコッタアートのある白い部屋。ここでボーっとしているのもいい。


これは作品の一部。地元産のベニアをくり抜いてつくる。


ワークショップは、その切り抜かれた端材を銘々が小口を磨き、仕上げ、絵を描けば、それをもらえるというもの。


僕の作品・・・?


テラスでは、お世話になった友人もひたすら磨く。これでも一児の母である。


できた作品がこれ。旧体育館を覆い尽くす。


中に入るとこんな感じ。


この日は特別に完成記念ミニコンサートとなった。




北海道の短い夏はこうして過ぎてゆく。
来年もやるという。(は/245)


■BEAN TO BAR

2016年05月17日 | 北海道・広島
普段、東京ではあまりオシャレなエリアには寄り付かないので知らなかったが、昨今の世間では「Bean to Bar」というのがトレンドらしい。
要するに、チョコレートの専門店のことだが、Beanというのが原料のカカオのこと、Barとはチョコバー、つまり板チョコのことだ。
ということは、Bean to Barとは、単にチョコレートを売る店ということではなく、豆からチョコレートになるまでの工程をもち、そこのオリジナル・チョコレートを売る店、もっと端的にいえば、チョコレート工房ということになる。


右から煎ったカカオ豆、それを砕いたもの、それを加工してつくったチョコレート。
豆を厳選し、丁寧に砕いてチョコレートに仕上げていくそれぞれの工程の状態。
カカオも売っているので、それを買って自分でつくることもできる。



よく「ストア」と「ショップ」の違いについて訊かれることがあるが、概ねその違いはもともとのルーツにある。
わかりやすくいえば、ストアとは販売店、ショップとは工房を伴う店のことで、職人がいるような店が本来だった。たとえば、そう、靴のマイスターがいるシューズショップとか、修理なんかもやっている時計やバッグの店などがそれである。日本なら煎餅屋も足袋屋も元を正せばショップに分類されるだろう。
だから、本来はCDショップとはいわず、そういうのは全部ストアなのだ。
よって、このBean to Barもそうだが、最近行った武蔵境のコーヒーショップは、ショップなのだ。

ともあれ、このBean to Bar、東京でも大手メーカーから個人店までいろいろあるらしいし、本場ヨーロッパにも波及しているというが、もともとは近年のアメリカが発祥らしい。
きっと既成のチョコレートというのは、ベルギーやスイスやオーストリアといったタックス・ヘイブン系先進国が主流で、植民地や途上国を搾取して甘い汁を吸っている人たちのお得意分野だったものを、現代に、よりハイ・クオリティで安全が目に見えるかたちで新しいオリジナルを食べたいという21世紀的アメリカ人の需要から産まれたものとおもわれる。

だからそれぞれの店では、豆にこだわりながら、それぞれの工夫をして、チョコレートのみならず、カカオそのものとか、ホットチョコレート(ココア)などのオリジナル商品の開発に余念がない。しかも多くは多品種少量の提供だから、消費者にも喜ばれる、という流れである。
それはそれでいいとおもう。でももしトレンドだというならば、願わくば、フェアトレードであってほしいものである。



で、今年に入ってから、たまたま通りかかった店に入ってみた、という次第。それが東京ではなく、札幌の出来事というところがミソ。東京じゃ、入りにくいし、たぶん行かなかっただろう。
試食させてもらったけど、ま、確かにうまい。けど高い。でも、うまい。こういうのを付加価値というんだろうかねぇ。
店の人に聞いた話では、店長が長年、独自に研究開発をして積み上げてきた結果がこうだ、ということのようだった。
それにしても店の人は熱心だった。そしてみんな親切だった。おせっかいにならない程度に相談にも乗ってくれるし、説明も詳しい。工程も全部見せてくれた。なんだかチョコレート愛を感じさせる暖かさがあった。
ま、これも普段あまり接すことのない貴重な体験ということにしておこう。興味のある人はぜひ覗いてみてください。


厳選された豆をさらに選別している。奥にあるのが焙煎器だという。


チョコレートのパッキングだろうか・・・慎重に作業していた。


さまざまな産地のカカオ豆があったが、ここでは、ガーナとトリニダードトバゴとキューバ産が用意されていた。
いずれも赤道付近の国々である。



個人使用用に豆も売っていた。
一応、シリアルなどに入れてもいいということだったので、砕いた豆を買ってみた。
案外、カリッとした食感がほしいときに何にでもかけて使えるそうだ。
砂糖と混ぜる前のカカオは苦みばしっていてほどよい風味が広がるのだ。



そういえば、札幌の隣町の石狩には、東洋でこの人といわれたココア鑑定士がいて、その店でホットチョコレートを飲ませてもらったことがあった。この人を信頼して、フランスやヨーロッパからも鑑定依頼が来るという。
北の大地、雪に閉ざされたなかで、赤道付近からやってくるカカオとひたすら向き合うというのも不思議な光景だが、隠れチョコレートファンにはいい環境なのかもしれないね。

日本人には、明治の板チョコからバレンタインの手作りチョコまで、さまざまな記憶があるだろう。子供の頃、上野駅で買ってもらったドロドロに溶けたチョコレートの昭和の記憶もある。グンデルの休憩時間にもチョコレートはよく登場するし、ウイスキーのもよく合う味覚だ。

だけど、チョコレートには常習性もあるらしい。生物全般、甘いものに弱い性質がある。甘いものは誘惑の香りがする。欲望の匂いがする。「う~ん、どうでしょう?」
ふと、以前、かみさんに教えてもらった「チョコレートをたべたさかな」という絵本のことをおもいだしていた。
そうね、とりあえず、「吾唯足知」。甘いものには罠がある、ということにしておこう。
みなさんも甘いものはほどほどにね。(は/231)


偶然少年が川に落としたチョコレートを食べてしまって以来、それが忘れられず、チョコレートを探し求めるさかなの話。その顛末はいかに・・・。


■クリスマスのミドリムシ

2015年12月25日 | 北海道・広島
今日の昼間、終わる目処もなく山積みの年賀状を書いていたら、札幌から宅急便でクリスマスカードと一緒にプレゼントが届いた。今日はクリスマスか・・・、こういうのも「北の国から」とでもいうんだろうか・・・?

ともあれその中身、なんと「飲むミドリムシ」。じぇじぇじぇ。
以前に話したミドリムシジョークを覚えていたのか、「ハードスケジュールな人にはミドリムシの栄養を」ということらしい。
「心温まるお気遣い」ありがとうございます。北の国からなら、どうせならもうちょっと気が利いたのがありそうなものを・・・。
それに、わざわざ赤い入れ物にミドリムシ、う、つまりクリスマスの配色というつもりだろうか?
送ってきたのは、いつものギャラリースタッフだ。気が利くんだか遊んでるんだかわからない。ただ元気そうな気配だけは届いてきた。
そう、本人たちが楽しんでいるその様子がたくさんの人に届くから、ギャラリーにはいつも楽しそうに人がやってくるのだ。彼女たちは功績は大きい。よく働く、そしてまたよく飲む。それでいい、のだ。



でも、う~ん、ついに来たか。
とりあえず、1ダースも入っていたので、事務所のみんなに分け、1本だけもらうことにした。

実は、今年の夏の終わりくらいに、グンデル練習に行く途中、JRのジュースバーにちょうどミドリムシのドリンクを発見し、う、こんなところまで。やっぱり地球はミドリムシに浸食されている、でもどうしよう、飲んでみたりして、などと考えているうちに終了してしまったことがあった。期間限定なのだった。
名前こそ「石垣産ユーグレナ」だったけど、どうせ同じような飲物だろう。石垣はミドリムシの産地なんだろうか。



なんだかどうも今年はこのネタに振り回されている気がする。
でも、今年の締めがこれならそれでしょうがない。家に帰って、明日の朝飲むことにしよう。
今年はダランが好きな「青汁」も飲んだし、健康第一だ。

広島からは毎年の花が届いた。シクラメンだ。これもこの季節の定番だね。
Merry Christmas、今年もあと僅か、みんな一年間ありがとうございました。来年もいろいろ決まっている。どうぞ、よろしくお願いいたします、と心のうちで言うことにしよう。絶対本人たちの前では言わないのがいいのだ。

ま、みんなそれぞれ元気そうだし、こんなクリスマスもまあいいか。
今日はヒンドゥを忘れて、幼稚園のときの自分に戻ってみよう。天にまします我らの父よ、今宵の糧がありますことを感謝します。父と子と精霊の御名によりて、アーメン。世界に神のご加護を。(は/188)


ヘラルト・ファン・ホントホルスト画(17世紀)。


ジャン=フランソワ・ミレー画「晩鐘」(19世紀)。