玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■「花子」と「はな子」

2016年05月30日 | その他
小学生の頃、おそらく道徳の時間だったとおもうけど、「かわいそうなぞう」というお話を聞かされたことがある。
たぶん、ダランや我々同世代の全国の小学生はみんな読まされたんではないだろうか。

戦中、度重なる空襲に見舞われた東京、戦渦による猛獣たちの逃亡を恐れた上野動物園では、動物たちの殺処分を決定する。
最後まで残ったのはゾウであった。ゾウたちは、毒の混じった餌を吐き出してしまい、厚い皮膚のため注射も打てず、仕方なしに餓死させるという方法がとられることになった。
餌ほしさに芸をしたり、必死に声を出すゾウたちに、それまで我が子のように接していた飼育員たちは、迷い戸惑うが、どうすることもできず、ただ悔しさを噛み締める。ついに最後のゾウ花子が餓死していく、というお話である。
もちろん、戦争の悲劇を表す物語ではあるが、実話だけに、妙に身にしみるお話であった。

戦後すぐ、いなくなったそうした動物たちの代わりに、新しい動物たちが日本にやってきた。
最初のゾウは、49年にやってきた。毎日新聞によるとタイのソムアン・サラサスという人物が「戦争で傷ついた子供たちのの心をいやそう」と私財なげうって日本に送ったゾウであった。彼の子孫はまだ日本に住んでいるという。親日家なのだ。

そのゾウは、戦前人気だった「花子」に因んで「はな子」と名付けられた。右も左もわかならい2歳の雌象だった。
首都圏中心にたらい回しにされたが、それでも当初の予定通り、子供たちのアイドルになって喜ばれた。戦後すぐ、それくらい娯楽もなかった時代である。そう、はな子は最初から戦争に左右された象だったのである。


まだ子象だった「はな子」の画像。(公財)東京動物園協会より。

その後、はな子は、54年に井之頭動物園に移動になった。
そこからがたいへんだ。なかなか動物園に馴染めないはな子は、56年に酔っぱらってゾウ舎に入った男性を死亡させ、60年には飼育員の男性も踏んで死亡させるにいたった。
そうして、いつの間にか「殺人ゾウ」と呼ばれるようになっていった。
ライオンもかなわない3トンの巨体、踏みつけられたらひとたまりもない。脚には鎖をつながれ、檻のなかから出ることすらかなわなくなった。

専門家に言わせると、「象はブドウ一粒踏みつぶさないし、身体にハエ一匹とまっても気がつく」という。そういう繊細な動物。
野生の象たちの間では、死に場所、つまり墓場が決まっていて、死期が近づくと自分でそこに往くという。涙を流す象の映像を見たことのある人も多いだろう。つまり、象は本来、仲間意識や繊細な感情がある生き物なのだ。
だから、はな子が人間に危害を加えたとしたなら、それは正しく故意、なのである。
では、その故意の要因は何か・・・、人間には見世物やアイドルであっても、内面に芽生えたものは、実はストレスと人間不信以外のなにものでもなかったのである。
おもえば、はな子は、来日してからずっとひとりぼっちだった。友だちもいなければましてや結婚相手もいない。動物たちの幸福とは何か。


井之頭動物園の「はな子」。(公財)東京動物園協会より。

そのはな子を立ち直らせたのは、山川清蔵という一人の叩き上げの飼育係であった。殺人から数ヶ月後のことである。
山川は、はな子と正面から向き合い、やせ細り人間不信に陥った彼女に寄り添った。
赴任後、4日目に鎖を外してあげ、毎日、時間をみつけてはただただスキンシップしたそうだ。それでも山川にすり寄るようになるまで6年かかったという。体重が戻ったのは8年後だったそうだ。なんだか「オッペルと象」をおもいだす。

息子さんの宏治さんはいう。お父さんは「一旦閉ざされた心というものは、人間も象も無理にはこじ開けられない」と言っていたそうだ。
山川は同じ仕事に就いた息子には、仕事については何も語らず、ただ「気をつけろ、油断はするな」としか言わなかったそうだ。
要するに「自分が体験しながら身体で学べ」ということだ。動物飼育の教科書などない時代、山川はどのようにしてはな子と向き合ったんだろう。宏治さんはそんな父親にならいいまでは多摩動物園に勤めているそうだ。


山川さんとはな子。

その山川とはな子は30年間寄り添った。山川の姿が見えないとはな子は急に不安になるという付合いの日々が続いた。きっとはな子にとって山川さんは、やっと巡り会えた友人であり、兄弟であり、恋人であったのかもしれない。
その物語は、TVでも放映されたので観た人もいるかもしれない。定年で職を離れた山川であったが、ときどきははな子の様子をうかがいに井之頭に行ったそうだが、自分の姿が見えるとはな子の自分離れができないため、はな子に見えないそうそっと覗く日々だったという。

はな子は、山川さんがいなくなってから、壁を向くようになった話しは有名である。身の危険を感じた飼育員も多かったという。専門家の間では、それは広場の傾斜のせいではないか、と解説する人もいたが、はたしてその程度のことだったかどうか。
はな子は何を考えていたんだろう・・・もはやそれは誰にも推し量ることはできない。


ツイッターより。

そんなはな子を2度ほど観たことがある。もちろん井之頭動物園だ。2度目は山川さんの物語を聞いたから行った。まるで歴史の生き証人を観るおもいだったのを覚えている。
そうね、しばらく行ってないけど、今度、たまには散歩してみるか・・・。


広島に華々しくオバマ大統領が献花した日、その日の前日、はな子は69歳の生涯を閉じた。戦後の日本とともに生きた一生だった。
ここにもひとつの戦争の節目があったのかもしれない、と、ふとおもう。
Seventy-one years ago, ・・・その日は遥かなれど。(は/234)


日経Newsより。


■超ドSっぽい一日

2016年05月23日 | 上演後記
土曜の浜松公演は、無事終了。
浜松に行ったのは、2月以来だろうか・・・。その間、名古屋には3回ほど行ったけど、いつも素通りで失礼しました。
会場の「鴨江アートセンター」も2年ぶりだ。
往きのタクシーの運転手さんに言わせると、あそこは昔「鴨江別館」という公共施設だった、と言っていて、たしかに入口にはそういう表札っぽいものがあった。
はたまた建物の前で話しかけられた「謎のライダー」によればかつて「裁判所」だったというし、さらにダランに言わせるとここは「警察署」だったという。
時代によっても違うんだろうか、いったいどれが正しいんだかわからないけど、一応、それでも一番アカデミックっぽい雰囲気の漂うダランのいうことをここは信じることにしよう。

だけど、この謎のライダー、不思議な人だった。どこからともなくやってきて、玄関先でたむろしていた我々に知り合いに話しかけるように話しかけ、延々長話を始める・・・。最初は我々のことを浜松市民の関係者だと思い込んでいたようである。
やたら浜松には詳しそうな素振りなので、ちょっと突っ込んでみたら、案外答えは曖昧だったり、自分の会社は、スズキやヤマハと並ぶ創業史があるそうで、ちょっと自慢したがっていたが、そこはそれ、面倒なので、社名を訊くのはやめた。おそらく一緒にいた(お)さん、(こ)ちゃん、O嬢の暗黙も同意だったことだろう・・・。


ともかく、現「鴨江アートセンター」のエントランス。中央の柱に「鴨江別館」の文字が見える。

そんなこんなで鴨江アートセンターは健在。当日は、定番らしい「あさいち」というのをやっていた。
どうも浜松周辺のオーガニック系のこだわりのある人たちによって運営されている、っぽい。これならかみさんも食べれそうだということで、ルヴァン系天然酵母のパンを調達した。ま、これでお土産はOKだ。


入るとまずこれがある。なんとも素朴な案内というか、利用者情報というか・・・、
ともかく、黒板というところがいい。



打上げは、以前にも一度だけ行ったことがあるブラジル・ブッフェ。ビールは隣の食材屋で買う。
(か)さん、ここは、「セルヴィツー」というらしいですよ。



ここは外見もそうだが、中に入るとまったく日本を感じない。
旅先の暖かい系の第三国の地元レストランにでも行った感じといえばいいだろうか。天井の蛍光灯が電球で、もう少し暗ければ、毎日が夏の夜長の暇つぶし的な人たちがたくさん集まって来そうな雰囲気だった。
でも、壁の写真を見ると案外いろんな人が来ているし、ダランも言っていたけど、民博でのこの無国籍ぶりというか混在した文化食堂が記録されている有名店らしい。そうね、やっぱり日本っぽくないもの。
ちょっと驚いたのは、この調味料のスペース。世界のあらゆる調味料が揃えてある感じ。やっぱり無国籍っぽい。コーヒーは「コピ・バリ」っぽいし、デザートはどこかの作り物のようにキッチュな雰囲気だ。


あらゆるソースと調味料系が並ぶ。どれでも好きなだけ使っていい。
雑多だがある意味壮観だ。



それにしても、朝、駅で見つけたこの「超ドS」ポスター、なんだろう。謎だ、怪しい。
もちろん、静岡県民なら馴れていて、きっとみんなが知っていることなんだろうけど、外から行くと実に奇妙な感じなのだ。

で、ちょっと調べてみたら、どうも静岡新聞+SBS(静岡放送)のキャンペーンらしい。結局、昨年が「ドS」だったから、今年は「超ドS」にしたっぽい。これからは「静岡県」ではなく「動岡県」で行こう的なことがいろいろだらだら書いてあったけど、読んでも結局なんだかよくわからない。
それにしても、公のメディアで、このサブカルっぽい企画がよく通ったものだ。



Sはもちろん「Shizuoka」の「S」。「ド」とは「ど真ん中」の「ド」ということらしいが、日本の中心ということだろうか、これもよくわからない。「日本の重心」なら岐阜だと岐阜の人が言っていたが、こっちの方が強引だが数学的だ。
ま、「ド」とは「ど真ん中」でもいいけど、「ど田舎」とか「ど根性」とか「ど阿呆」の「ど」と一緒で、大げさにいうときの強調の接頭語だろう。だからきっと「超ドS」とは、「スーパーど級シズオカ」なのだ。
だから結局、「動岡」でもなんでもない、「そのまんましずおか」「ザ・しずおか」の核心を指しているように感じてしまう。
なら、何だ?それ?

我々は、「S」というといつ頃からかどうも「サディズム」のことを連想しがちである。別段、ヴァン=ダインのSでもいいし、フロイトの「エス」でもいいし、安部公房の「S氏」でもiphone6sのSでもいいけど、歴代の「S」というとなんだか少し謎めいていて、怪しい雰囲気がしてくる。
いまからおもえば、朝、このポスターを見たせいで、その日一日が、どうもこの「超ドS」に引っ張られつづけた気がする。これも「超ドS」の呪縛と因縁か。
おかげで、その日会う県民はみんな「S」に見えてしまうし、ワヤンの神様たちもプルチンティたちも、みんな「S」だ。引っ張られっぱなしのバスキはなんだったんだろう・・・。

帰りの新幹線の乗る直前、もう一度、このポスターを見た。静岡の「超ドS」はこのあとどこへ行く・・・。
よくわからないけど、結局、なんとも「超ドS」っぽい一日だったな、とおもいながら、いつしか列車のまどろみについたのでした。(は/233)


明日からまた香港出張。中華の日がつづく・・・。暑そうだな。
なので、またしばらくお休みします。ごきげんよう、ラた、マいしゅう。


ワヤンの朝 2016.5.21 浜松・鴨江アートセンター

2016年05月21日 | ワヤンの朝(か)

ワヤンのような爽やか空です。

今日は浜松・鴨江アートセンター「ワヤン」の本番です。
・・・
お近くの皆さん。
当日のご来場をお待ちしています。
・・・
是非お気軽にいらしてください。

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鴨江アートセンター、とても素敵な会場です。
ここでの公演は今回で二回目。
・・・
演目は「 ムナラ・ギリ (乳海撹拌:にゅうかいかくはん)」
マハーバーラタの挿話で、不死の聖水アムルタを神々と魔物が奪い合うお話です。
・・・
どうぞお楽しみに。

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●出演: ワヤン・トゥンジュク梅田一座
●日時:2016年5月21日(土) 開場13:30 開演14:00 (16:00終演予定)
●会場:鴨江アートセンター
 住所:静岡県浜松市中区鴨江町1番地
 TEL&FAX:053-458-5360
●全席自由:履物を脱いでお入りいただきますのでご了承ください
●料金:一般=1,000円 高校生以下は無料


■バスタ

2016年05月20日 | 出張
先日、出張の飛行機が朝7時過ぎだった。
普段なら羽田のカプセルに前泊するところだが、あまりに家に帰ってないので、前日はなんとか帰ることにして、翌朝まあ早いけど、しょうがないか、というところ。
この場合は、翌朝、4時に起きて、5時には出ないといけない。この時間は中央線の快速もないし、途中JRも止まるかもしれない。そうやって、なにかと時間がかかるし気苦労があるわりに座れるかどうかも微妙だし、座ったら座ったで寝過ごす場合もあったりして落着かない。そんなこんなで結局それで一日分の疲れを貯めてしまうことになりかねないというスチュエーションなのだ。



で、一応、ネットでルート検索してみたところ、吉祥寺から行くには、どの案も新宿からバスに乗るプランを提示していた。えっ? 以前はそんな結果がでることはなかったが、そうなのだ、少々値は張るけれど、いまはそちらの方が断然早いのだ。
ということは、家を出る時間ももう少し後でいいということになる。これで30分近くは稼げるというわけだ。

こうなったことのひとつには、昨年新しくつながった首都高速中央環状線の開通によるところが大きい。
環状線とはいうものの、いままでは環状にはなってなく、大橋ジャンクションと大井町ジャンクションの間がつながっていないかったのだ。そこを地下で全部つながったのが昨年春というわけである。ルートはほぼ山手通りの地下をなぞっている。
おそらくこれで新宿から羽田までの所要時間は約20分になった。夜間帯を除けば、いままで約40分かかっていたのに比べるとかなりの時短である。

それからもうひとつは、先月、新宿の乗り場が新しく整備統合され、新宿駅南口とサザンテラスのところで直結したことで、乗り換えや手続き等の利便性が向上したことによる。
それでできたのが、この「バスタ新宿」である。
バスタ? なんだそれ? 「パスタ」でもないし「タパス」とも違うし、もちろん「スタバ」とも違う。ギョーカイなら「タバス」というに違いない。これも時の流れだろうか・・・行政も短縮用語を使う時代の産物だ。


ここで待ったり、チケットを購入したりする。自販機が驚くほど便利。


乗り場は4階にある。大きなスーツケースをもった外国人も結構いる。

「バスタ」とは、当然まあ「バスターミナル」の略称ということだろうが、事業主体である行政用語としての正式名称は「新宿南口交通ターミナル」と書いてあった。まあ、鉄道、バス、タクシーといった都心の交通機関の拠点集約という事業意図があったらしい。
首都高のみならず、青梅街道や甲州街道、JRや私鉄の集約する一大交通拠点である新宿ならではかもしれない。
まあね、たしかに便利できれいで使いやすくなったなら、それはいいことだ。きっと、溢れるインバウンドも含めたこれからの観光需要を見越した施策のひとつなのだろう。
ここから日本全国に高速バスが発着している。浜松線もあるのでは?

「バスタ新宿」かぁ・・・まあ、これからもお世話になるの、だろうか。(は/232)


明日は、ワヤンの浜松公演。まだ若干空席があるようです。よろしかった、お誘い合わせのうえ、ぜひ、どうぞ。
心より、お待ち申し上げております。






■BEAN TO BAR

2016年05月17日 | 北海道・広島
普段、東京ではあまりオシャレなエリアには寄り付かないので知らなかったが、昨今の世間では「Bean to Bar」というのがトレンドらしい。
要するに、チョコレートの専門店のことだが、Beanというのが原料のカカオのこと、Barとはチョコバー、つまり板チョコのことだ。
ということは、Bean to Barとは、単にチョコレートを売る店ということではなく、豆からチョコレートになるまでの工程をもち、そこのオリジナル・チョコレートを売る店、もっと端的にいえば、チョコレート工房ということになる。


右から煎ったカカオ豆、それを砕いたもの、それを加工してつくったチョコレート。
豆を厳選し、丁寧に砕いてチョコレートに仕上げていくそれぞれの工程の状態。
カカオも売っているので、それを買って自分でつくることもできる。



よく「ストア」と「ショップ」の違いについて訊かれることがあるが、概ねその違いはもともとのルーツにある。
わかりやすくいえば、ストアとは販売店、ショップとは工房を伴う店のことで、職人がいるような店が本来だった。たとえば、そう、靴のマイスターがいるシューズショップとか、修理なんかもやっている時計やバッグの店などがそれである。日本なら煎餅屋も足袋屋も元を正せばショップに分類されるだろう。
だから、本来はCDショップとはいわず、そういうのは全部ストアなのだ。
よって、このBean to Barもそうだが、最近行った武蔵境のコーヒーショップは、ショップなのだ。

ともあれ、このBean to Bar、東京でも大手メーカーから個人店までいろいろあるらしいし、本場ヨーロッパにも波及しているというが、もともとは近年のアメリカが発祥らしい。
きっと既成のチョコレートというのは、ベルギーやスイスやオーストリアといったタックス・ヘイブン系先進国が主流で、植民地や途上国を搾取して甘い汁を吸っている人たちのお得意分野だったものを、現代に、よりハイ・クオリティで安全が目に見えるかたちで新しいオリジナルを食べたいという21世紀的アメリカ人の需要から産まれたものとおもわれる。

だからそれぞれの店では、豆にこだわりながら、それぞれの工夫をして、チョコレートのみならず、カカオそのものとか、ホットチョコレート(ココア)などのオリジナル商品の開発に余念がない。しかも多くは多品種少量の提供だから、消費者にも喜ばれる、という流れである。
それはそれでいいとおもう。でももしトレンドだというならば、願わくば、フェアトレードであってほしいものである。



で、今年に入ってから、たまたま通りかかった店に入ってみた、という次第。それが東京ではなく、札幌の出来事というところがミソ。東京じゃ、入りにくいし、たぶん行かなかっただろう。
試食させてもらったけど、ま、確かにうまい。けど高い。でも、うまい。こういうのを付加価値というんだろうかねぇ。
店の人に聞いた話では、店長が長年、独自に研究開発をして積み上げてきた結果がこうだ、ということのようだった。
それにしても店の人は熱心だった。そしてみんな親切だった。おせっかいにならない程度に相談にも乗ってくれるし、説明も詳しい。工程も全部見せてくれた。なんだかチョコレート愛を感じさせる暖かさがあった。
ま、これも普段あまり接すことのない貴重な体験ということにしておこう。興味のある人はぜひ覗いてみてください。


厳選された豆をさらに選別している。奥にあるのが焙煎器だという。


チョコレートのパッキングだろうか・・・慎重に作業していた。


さまざまな産地のカカオ豆があったが、ここでは、ガーナとトリニダードトバゴとキューバ産が用意されていた。
いずれも赤道付近の国々である。



個人使用用に豆も売っていた。
一応、シリアルなどに入れてもいいということだったので、砕いた豆を買ってみた。
案外、カリッとした食感がほしいときに何にでもかけて使えるそうだ。
砂糖と混ぜる前のカカオは苦みばしっていてほどよい風味が広がるのだ。



そういえば、札幌の隣町の石狩には、東洋でこの人といわれたココア鑑定士がいて、その店でホットチョコレートを飲ませてもらったことがあった。この人を信頼して、フランスやヨーロッパからも鑑定依頼が来るという。
北の大地、雪に閉ざされたなかで、赤道付近からやってくるカカオとひたすら向き合うというのも不思議な光景だが、隠れチョコレートファンにはいい環境なのかもしれないね。

日本人には、明治の板チョコからバレンタインの手作りチョコまで、さまざまな記憶があるだろう。子供の頃、上野駅で買ってもらったドロドロに溶けたチョコレートの昭和の記憶もある。グンデルの休憩時間にもチョコレートはよく登場するし、ウイスキーのもよく合う味覚だ。

だけど、チョコレートには常習性もあるらしい。生物全般、甘いものに弱い性質がある。甘いものは誘惑の香りがする。欲望の匂いがする。「う~ん、どうでしょう?」
ふと、以前、かみさんに教えてもらった「チョコレートをたべたさかな」という絵本のことをおもいだしていた。
そうね、とりあえず、「吾唯足知」。甘いものには罠がある、ということにしておこう。
みなさんも甘いものはほどほどにね。(は/231)


偶然少年が川に落としたチョコレートを食べてしまって以来、それが忘れられず、チョコレートを探し求めるさかなの話。その顛末はいかに・・・。


■「世界一良い店」

2016年05月16日 | その他
今朝ほど、音楽プロデューサーの星川京児さんの訃報が届いた。深夜だったらしい。
ま、このギョーカイでは僕なんかよりずっと親しくしていた人はたくさんいるだろうから、ここでとやかくいうのもちょっと気が引けるけれど、でもまあ、そこはそれ。僕なりにかなりショックだった。というより、哀しいというか、残念というか・・・、空虚、そう喪失感が強い。
そう、世界のどこかに穴が空いたようだ。

星川さんを最初に知ったのは、80年代初め頃だったとおもう。もちろんキングのレコードなんかでも携わっていたけれど、僕としてはやっぱり民族音楽専門誌「包(パオ)」の編集長兼発行者というのが身近だった。毎号買っては勉強させてもらった。水先案内人でもあった。
その後、ガムランをはじめて少しした頃からときどき話すようになり、その度ごとに、いろんなこぼれ話を聞くのが好きだった。
あの独特のしわがれた声とくしゃっとした表情が少し懐かしい。


「包」の画像を探したけれど見つからず・・・やっぱりマニアックだったか。(ディスクユニオンHPより)


星川さんといえば、民族音楽や邦楽を中心に世界中の音楽を紹介したことで知られているが、実は60年代や70年代のロック系も相当詳しいし、それ以前の大衆音楽ももちろん専門家だった。レコードを聴きながらいろんなことを教えてもらった。坂本龍一のスコラにも20世紀音楽の特集で出ていたのが記憶に新しい。バグがあって即日回収になったというツェッペリンの伝説的ファーストアルバムも見せてもらったことがある。

で、あるときは、実験音楽を集めたこの本を見せてもらったことがあって、本とその音のCDがセットになったこの日本語版の出版にも携わったと聞いた。
その後、なんとか探して出してゲットはしたが、いまでは日本語版は手に入らないだろう。インポートなら入手可能だとおもう(これが星川さんを代表しているわけではけっしてないので、誤解なきよう)。



なかにはこんな楽器が盛りだくさんに紹介されていた。








これに至っては、もうなんだかわからない。
世界には不思議なことを考える人がたくさんいる、ということを教わった。



それに、星川さんは、anomaという店を根津でやっていて(もうだいぶ前に閉めましたが)、奥様が探求していた中国茶と星川さんのどこからか買ってきた貴重な酒ともちろん珍しい音楽のたくさんあるユニークでマニアックな店だった。
日本では珍しい中国茶で割る九州当たりの焼酎は何杯でも軽く飲めたし、興が乗るとついついどこかの民族楽器を出してきて即興演奏会なんかも始まったりした。こんな店他にない。
よく一緒に行った友人にいわせると「世界一良い店」だそうだ。そうね、世界一だ。

いつだかベジタリアンのかみさんを連れて行くから、と行ったら、「三日前には言ってくれ」といわれ、言われた通りにしたら、まあ驚いた。
たぶん、特殊な仕入れルートがあるのか、あるいは大きな市場にでも行ったんだろう、そういうところでないと手に入らなそうな見たこともない野菜を調達してくれていて、ついでに開発したらしい食べ方も披露してくれた。
詳しくは申し訳ないが忘れてしまったのが残念だが、最古の江戸野菜とか、普通は単なる葉っぱで済ませるようなものでもこうやったら美味しい、とか、醤油と味噌を合わせてつけるとうまいとか、こういう意外な取合せもできる、とか、まあ初体験野菜のオンパレードだったことがあった。
以降、行く度にそれだった。なんという探究心、なんというアレンジセンスだ、とおもっていつも楽しみだった。


きっと、星川さんは、未知への好奇心が普通の人より旺盛なのだ。
未だ見ぬもの、未だ知らない世界の習慣や文物、未だしらない楽器や音楽、未だ味わったことのない酒や料理・・・まだまだ世界には知らないことがたくさんある。どんなにネットやTVや情報が流れていても、人間の営みや価値観にもまだまだ未知のフィールドの深淵がずっとずっと広がっている。
はたして、そうしたことの根源にはなにがあるのか、きっとそういう「世界の秘密」が知りたかったのだ。そしてそれをみんなと分かち合いたかったに違いない。酒でも飲みながら、語り合いながら。
あんな人、ちょっといない。


星川京児、享年63歳。不二の巨星の早すぎる昇天。文字通り、"星"になってしまったが、きっとこれからもずっと何か新しい発見を探求していくに違いない。
今晩は、著書の「粋酒酔音(すいしゅすいおん)」でも読みながら、星川さんの大好きだった珍しいお酒を飲むことにしよう。

謹んでご冥福をお祈りいたします。(は/230)




星川京児さん(音の森HPより)。


■同い年

2016年05月13日 | 現代社会
かつて(か)さんと話していたとき、息子はエアKの錦織君と同い年だと言っていた。ははん、それで錦織君を応援してるの?
でもそうね、世界にはいろんな同い年がいる。そして、なぜか同い年というのは、女子も男子も男子のことは鈴木君とか高橋君とか小林君とか、「君」付けで呼ぶ傾向がある。急に親しみを覚えるのか、幼年期からの慣習かね。
もしかしたら、そう呼ぶ方のが距離感や同等感があるのかもしれない。

僕の場合の同い年は、なんとバラク君、ファミリーネームでいうならオバマ君だ。なんだか急に幼なじみのような気がしてくる・・・。
そのバラク君、ついに決意して念願だった広島で献花することになった。
大統領選も近いし、ヘタに動くと民主党への影響もあるかもしれない。多くの保守的アメリカ人からの圧力や反感も招きかねないことになる。そこをまあ、うまくというか、よくぞ決断したものだ。



いまでもアメリカの小学生に質問すると、原爆は正しかったというのが9割だという。理由は、もしそうしなければもっと戦争は長引き、もっとたくさんの人が亡くなるから、ということである。退役軍人の問題もあるけれど、つまりそういう教育をしてきたということだ。それで納得し、それで誤摩化してきたわけである。
そう、だからといって、原爆投下が正統化されていいはずがない。そうやって、「人類の愚行」と悲劇は終わらないのだ。
それと、彼のエラいとことは、長崎を忘れないことだ。どうしても最初の広島の方が強調されてシンボリックに扱われる傾向があって、長崎の人たちにとってはいつもそこが哀しいところなのだ。


友人が細々と発行していた「百年の愚行」の続編。苦節十年、やっと今年出た。
重版出来(じゅうはんしゅったい)ではなく、続編刊行というところがエラい。



続編ではなく最初の方の本のなかのある頁。広島と長崎です。
どちらが広島かわかりますか?



昨年、バラク君が聴衆の前で涙したことをよく覚えている。
ノースカロライナはチャールトン。アメリカ奴隷取引の本拠地だった場所である。白人至上主義者に射殺された黒人牧師たちの追悼会のことだった。
犠牲者全員の名前を読んだあと、うつむき、そして長い沈黙・・・、バラク君は突然アカペラで「アメージング・グレース」を歌い始めた。
よく知られた話だが、この歌の作者ジョン・ニュートンは、奴隷貿易に関わった後悔から牧師になったイギリス人である。映画にもなった。それが海を越え、アメリカでも黒人たちによって200年も歌い継がれてきたのである。
60年代の公民権運動でも路上の黒人たちによって歌われ、それが大きな行進となって歴史を変えていったのは周知の通りだ。
その流れのなかで、"I have a dream."と言ったキング牧師。そのドリームとは、黒人と白人が同じテーブルで食事をすることだった。バラク君はそれを現実のものとした。
そう、この歌では、神の恵みは魂を帰郷させてくれるという。心ある人は「ゆるし」の歌だともいう。みなが平等に分かち合う世界、そう、そこにはやっぱり「寛容」が潜んでいるのだ。バラク君も例外ではない。
今年、アメリカ建国140年。自由と平等の国家を誓い、民主政治を担ってきた国。それでもいまだに人の心の闇はなくならない。時代とともに地下に潜る人種や宗教、貧困や差別。で、こうした事件は毎年のように差別主義者の事件がなくならない。彼は単に黒人を代弁したのではない。そここそ憂いたのだ。


マーチン・ルーサー・キング・ジュニア。
ケネディの翌年、白人男性によって暗殺された。
それはちょうど僕の3歳の誕生日のことだったことを高校生になってから知った。


そうこうして、いま、不平等とテロ戦争に苦しむアメリカ、価値観の迷走する国。政治不信はついにトランプまで持ち上げられる始末にまでなってしまった。新社会主義者のサンダースはどうした。どちらも両極端だが、それほど既成政治には期待されない事態なのだ。
7年前、"Change"と"Yes, We can."をうったえ、「一つのアメリカ」を再び標榜したバラク君の任期ももうあと半年になってしまった。
核廃絶でノーベル平和賞を取った彼の最後にともかくここへやってくる。今月の広島は再び世界が注目することだろう。はたしてギリギリ、どんなスピーチをするのか・・・。
たった「同い年」という接点だけですが、バラク君、期待してますよ。(は/229)


浜松・鴨江アートセンター公演(5.21)のお知らせ

2016年05月09日 | ワヤンのお知らせ(か)

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ワヤン・トゥンジュク梅田一座。
浜松・鴨江アートセンター「ワヤン」公演のお知らせです。
鴨江アートセンターでの2回目の公演となります。


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演目は「乳海攪拌:ムナラ・ギリ」
マハーバーラタの挿話で、
不死の聖水アムルタを神々と魔物が奪い合うお話です。
巨大な山に巻きついた龍神を神々と魔物が引き合い、乳色の海を攪拌する場面が見せ場です。

公演は日本語を使いますので、どなたにもわかりやすく、
バリ島の「影絵人形芝居ワヤン」を存分にお楽しみいただけます。
なお高校生以下は無料、乳幼児もOKです。
ぜひおいで下さい。


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●出演: ワヤン・トゥンジュク梅田一座
●日時:2016年5月21日(土) 開場13:30 開演14:00 (16:00終演予定)
●会場:鴨江アートセンター
 住所:静岡県浜松市中区鴨江町1番地
 TEL&FAX:053-458-5360
●定員:60名/全席自由(履物を脱いでお入りいただきますのでご了承ください)
●料金:一般=1,000円 高校生以下は無料


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★浜松公演お問合わせ・チケット予約
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
「ワヤン・トゥンジュク予約センター」
メールアドレス:wayang@mbf.nifty.com

●お申込みの方は、件名に「浜松ワヤン予約」とご記入の上、
 本文にお名前、電話番号、希望枚数を記載してお送りください。
 折り返し、確認のご連絡を差し上げます。
●定員になり次第締め切らせていただきます。





■今日の問題

2016年05月06日 | 
このGW、みんなは諏訪に行ったようだけど、どうだったろうか・・・?
今年も一人亡くなったようだけど。勇壮だね。今度、柱のシンボリズムについて考えてみようか・・・。

ともあれ、世間では、安保関連法案も通過し、昨年からわかっていたことだが夏にはダブル選挙になりそうだ。
憲法記念の日ということもあって、TVや新聞なんかでもさんざんやっていたが、このまま改憲になったら日本の骨格が崩れてしまいかねない。とくに人権や言論の自由は危うい局面に立たされている。やり過ごせない状況でもある。
一方アメリカでは、とりあえずクルーズはいなくなってよかったが、トランプが共和党の指名を獲得するかもしれないという局面。「理解と経験のある大人のクリントン」は人気が伸びないし、ここはおもいきってサンダースこそがんばってほしいものだが、4割といわれる浮動票の行方はいかに。


そんな折り、ではあるが、それでもお昼になればお腹がすく。
今日は久々にラーメンを食べた。月に1~2度くらいは食べるけれど、今日は事務所近くの屋台風名物店で、さんざん迷った挙げ句、なんと「ラーメンライス」にしてみた。小ライスだけど。
そう、でも、小ライスを付けるかどうか、そこが悩みどころ。我が身の「問題」なのだ。


今日のラーメンライス。


ラーメンはいまや国民食。海外でも人気だし、中国人や欧米人も、多くの外国人から日本で食べたいものの上位にランキングされている。
おもえば随分個性的な種類や店も増えたものだ。それぞれしのぎを削っているんだろうけれど、僕の場合、いまでもときどき食べたくなるのは、この「桂花ラーメン」かなぁ。なにせ最初はそのスープの色に驚いたものだ。いつだかダランも言っていたけど、我々にとって初めて食べた九州の味「とんこつラーメン」だったのだ。




定番のターローメン。学生の頃は金欠なので、これを食べるのは勇気が必要だった。
キャベツが絶妙。



で、昨今の中国人がラーメン屋やいわゆる日本流中華料理店に来て一番驚くのは、なんといっても「餃子定食」だそうだ。
つまり、中国では餃子は主食、昨今の春節には餃子だけを食べるという人も多い。なのに、日本人はその餃子をおかずにライスを食べる、ということがそもそも理解できないらしい。
そうね、「焼きそばパン」や「ナポリタンパン」もあるし、なかには「おにぎりパン」というのものまである始末。もしかしたら日本人は、世界のなかでも炭水化物や穀物系を一緒に食べるのには違和感がない民族かもしれない・・・。
かみさんは、パンやそばはともかく、ご飯と他の主食だけは絶対一緒には食べたくないそうだ。ニッポン人だねえ。


でもまあ、世間ではそのなかに「ラーメンライス」もあるわけである。そう、考えてみたら、これも両方主食というか、炭水化物系だ。
でも、僕は、記憶にある限り、あるときからそうは考えないようになった。
それはいまでもよく覚えているが、高校の近くにあった中華屋での出来事だった。
運動部で大食漢の友人がいて、彼はいつもその店で「ラーメン超大盛!」と頼んでいたら、ついにその店には、「ジャンボラーメン」という器サイズも巨大化したメニューができてしまったというくらいの常連。その友人はほぼ毎日といっていいほど通っていたのだ。

で、ある日その友人と一緒にその店に入ったときがあって、友人は即「ジャンボラーメン!」と頼み、僕は僕で「大盛ラーメン・・・かなぁ」とか頼んでいたら、店主のおやじさんが、たまには「ラーメンライス」にでもしたらどうだ? ライス大盛にしてあげてもいいよ、と言ってきた。
じゃ、ってんで、大盛のラーメンライスにするか単に大盛ラーメンにするか迷っていたら、店主がもう作るから早く決めろ、と急かすので、ちょっと訊いてみた。
そうはいうけど、どうせ大盛ラーメンは食べるわけだから、もう作ればいいじゃない。ラーメンライスのラーメンと、ラーメンはいったい違うのか?
即答、それは全然違う、のだ、ということだった。
ええ?? ラーメンはラーメンでしょ。どこが違うの?
で実際、それは違うものだった。
どう違うのかというと、店主の説明では、ラーメンライスは、ラーメンがおかずでご飯が主食。だから、ラーメンライスのラーメンは麺も少し柔らかくするし、スープも少し濃い味にするし、油も増やす、ということだった。
なるほど・・・、ラーメンライスのラーメンはご飯のおかず、だったのか・・・。と、そのとき初めて教えられた。


先日広島で食べた尾道ラーメン。醤油ベースのライトテイストだった。
ご当地ラーメンは健在だ。



ま、勝手な推測だけれど、「ラーメンライス」は、たぶん、60年代頃、定食屋系の中華料理店あたりで、お腹を空かせた学生なんかのために作られたメニューではないだろうか、とおもう。安くてボリュームたっぷり。それなりの大食いでも手っ取り早くお腹いっぱいになる。
もしかしたら常連の学生の要望で自動的、自然発生的に生まれたものかもしれない。だからきっと、いまでも多くのお腹をすかせた学生連中の空腹を満たしているメニューに違いないのだ。
いや~、やっぱりこれも立派なニッポンのヴァナキュラーな食文化だ。ダラン風にいうなら「B級グルメ」だ。

だから、ニッポン人の場合、餃子定食の餃子はおかず、ラーメンライスのラーメンもおかず、なのだ。もともとは外来種だからそういうちぐはぐはことが成立するんだろうね。
先日神戸でみんなで食べた関西名物「そばめし」も、きっとそばがおかずというか具の役目を果たしているんではないだろうか。
ニッポン人の主食はやっぱり米、だね。メインディッシュという考え方がそもそも違う文化の産物なのだ。


そういえば浜松も、そろそろ春キャベツの餃子が出ていることだろう。あれ、美味。いまでは年季の入ったダランの焼き加減も絶妙だし、何個でも食べられるライトテイストがいいのだ。ピリ辛のつけ汁も絶妙だし。
でも、我々はそれをライスと一緒には食べない。いまの我々にとって餃子はもはや主食でもおかずでもなく、つまみ、なのだ。
年代が変われば存在の意味も変わるということだろうか。ライスはいつのまにかビールに代わってしまったのだ。それだけ年をとったのか、それとも単なる酒飲みか。いずれにしても、いい身分だ。


これが浜松餃子の定番スタイルとディスプレイ。


世間のポリティカル・イシューは別に、問題は今日の雨とラーメンにライスを付けるかどうかを悩む我が身。やっぱりこれを平和というんだろうか・・・。もしそれが平和なら、そうあってほしいものだ。(は/228)


なんだかな・・・今日は妙に疲れた。詰まらない話で、どうもすみません。



■擬態する蛾

2016年05月02日 | 動物・植物
みなさん、ごきげんよう。なんだか久しぶりにアップする気がする。4月は出張だらけだった・・・月の半分以上東京にいない。今月もだけど。6月には一段落するだろうか。それまでブログは月に数回になりそうだ。はたしてどうなりますか・・・。

それはそうと、昨日、我が家に舞い込んで来た「虫」はいままで見たこともない虫だった。かみさんに言われて、スタソーマよろしく、殺生せずに柔らかく包んでつまみ出してしまったが、いまからおもうと実に奇妙な形をした虫だったなあ、もしかして貴重な発見だった、のかも。写真撮っておけばよかった。お見せできずにすみません。
でも、なんかなぁ、これも何かの「虫の知らせ」というやつだろうか・・・奇妙な体験。


ともあれ、地球上のすべての生物のうちで、最も多いのがいわゆる「虫」である。
一説には6千万種ともいわれていて、地球は「虫の惑星」だという学者もいる。そういうなかで、毎年新種が見つかるのも「虫」が最多である。
つい先頃も、沖縄の国頭村(くにがみそん)で見つかった新種は、「蜂」に擬態する「蛾」で、専門家の間ではそれなりの話題にのぼっていた。


蜂に見えるが、これは擬態。実際は「蛾」だそうだ。

国頭村は、ダラン一家も長らく住んでいた沖縄本島最北端にある村である。地元ではヤンバル、漢字で書けば「山原」と表記される地域で、まだまだ自然の山や森がたくさん残るエリアである。米兵もいるけど。
那覇辺りに住む人でも行ったことない人もたくさんいるのではないだろうか・・・、車で国道を行くと半日がかりだが、昔一度だけ行ったことがある。
ヤンバルといえば、タモリのネタでも有名な「ヤンバルクイナ」の生息地としても知られている。そういう固有種もいるほど深い自然だということだ。


ヤンバルクイナ。世界の中でこのヤンバルにだけ生息する国の天然記念物だ。
翼が退化?していて、飛ぶことができない、鳥だ。


そこで今回見つかった「蛾」は、台湾や中国などには稀に見る種類だそうだが、沖縄特有の蜂を擬態していることから、どうも地理的影響を受けた新種ということが判明したらしい。
発見したのは、沖縄出身で、いまは九州大学の大学院で研究をしている学生だ。彼によって「テイノタルシナ・アラウンティカ」と命名されたという。
??どういう意味? こういうとき、自分の名前をからませる人もいるけど、そうじゃない場合はたいがいラテン語に頼る傾向にある。日本語名にしたらいいのにといつもおもうけど・・・。

だいたいにして、「ラテン語」とはどこの国の言葉?と学生に質問すると、ほぼ全員中世ヨーロッパの言語、と答えるのが相場だ。
まあ、無理もない。中世はキリスト教の時代だから、カソリックの記述言語としてはラテン語が正式だったのでそうおもうんだろうけれど、正確にいうなら「古代ローマ帝国の公用語」というのが正しい。もちろん分類としては「インド・ヨーロッパ語族」の派生語だ。
つまり、古代ローマの言語だったものが「地中海文化」の担い手としての共通語となり、「パックスロマーナ」を支えたということだね。そのままキリスト教に古語として受け継がれて残っているためにそうおもわれているというわけだ。いまでもバチカンはローマだしね。
だから、「ラテンアメリカ」という言い方も、歴史的にイスパニアやポルトガルなどラテン系言語の人々が統治したために、いまでもそういう呼称になっているというわけだ。


ま、それはともかく、話を戻すと、一般に、虫が蜂に擬態するのは、鳥は毒のある蜂を捕食しないことから、そういう天敵から回避するためだと考えられているということだ。


エダハヘラオヤモリ。ここまでくると職人技だ。


もう見分けがつかない。これも虫の幼虫の保身の術だ。自然は不思議。


こういう生物の「擬態」のことを専門用語では「ミミクリー」という。
近年では、「バイオミミクリー」という本も出版されて、人間がつくる道具や空間や形、つまり「デザイン」にもミミクリー的要素を考察すべきではないかという論説もある。
著者のジャニン・ベニュスという女性は、モンタナのロッキー山脈の山に住みながら世界を考えている稀な人だが、これもある意味、21世紀的思考のひとつでもあろう。
こういうモノマネは、人間にも遺伝していて、人間が学習する過程や周囲と調和する過程などにおいて擬態に近いことをする習性があるという。




たしかにまあ、「学ぶ」の原義は「まね・ぶ」ともいって、すべては模倣から始まるのが人間のスタイルだ。
柔道や書道も、まずはお手本のコピーから修練する。いまあるおそらくすべての「道」がつく技巧はそういう「型」を学び、一旦は「型にはまり」、そして「型を破る」ことで初めて個としての成長がある。昔から同じ方法で育成されるのだ。
まあ、ガムランもそうかな・・・、だとしてら、擬態もガムランとはまったく無縁ではなさそうだ。
ま、ともかく、子供の遊びに「ものまね」があるのはそういう名残りだといわれている。我々はそうやって、新しい知識や技を身につけていく生き物なのだ。無意識の宿命・・・?

世界には「ナナフシ」や「コノハチョウ」や「コノハムシ」など有名な擬態する虫がたくさんいるが、ことは昆虫だけではない。ご存知カメレオンやカエルやフクロウもいるし、バリにはウミヘビに擬態して身を守る「タコ」などもいる。いつだかの「キリンのまだら」も擬態説も消えたわけではない。


ご存知ナナフシ。


ご存知コノハムシ。


ご存知コノハチョウ。枯れている風情がワビサビだ。


カエルもこんなになってしまった。


これ、フクロウです。どこにいるかわかりますか?


バリの海に生息する有名なタコ。ウミヘビの擬態のつもり、だろう。


擬態とは概ねそういう周辺環境に隠れて存在を消すか、毒で守られている生き物のように見えるかして、我が身の安全を模索してきた結果なのだろう。
こういうのは子供心をくすぐる、というか、誰も子供の頃から不思議な方法だとおもっていたとおもうけれど、自然はそれだけ弱肉強食、みんな生き延びるために必死なのだ。
今回見つかった「蛾」も、蜂を「虎の威」として、身を守る術にしている。
もしかしたら昨日の虫も新種だったかな・・・検証しようもないけれど。

地球上の虫の世界、これからもいったいどれくらい新種が発見されるのだろう・・・気が遠くなりそうだ。(は/227)