NHKのBSでときどき放映している「京都人の密かな愉しみ」が密かに愉しみだ。
エンディングの「京都慕情」がなかなかいい。
かみさんに言わせると、いままで聴いたなかでかなりの上位に入るレコーディングだという。う~ん、そうかもね。
あの人の姿 懐しい 黄昏の 河原町
恋は 恋は 弱い女を どうして 泣かせるの
苦しめないで ああ 責めないで 別れのつらさ 知りながら
あの人の言葉 想い出す 夕焼けの高瀬川
遠い日の愛の 残り火が 燃えてる 嵐山
すべて すべて あなたのことが どうして 消せないの
苦しめないで ああ 責めないで 別れのつらさ 知りながら
遠い日は 二度と帰らない 夕やみの東山
苦しめないで ああ 責めないで 別れのつらさ 知りながら
遠い日は 二度と帰らない 夕やみの桂川
この歌、ちょっと調べたところ、実は作詞作曲は意外なことに、かのベンチャーズであった。対訳は林春生となっている。
「京都人の密かな愉しみ」(NHK HPより)。
話を戻すと、この番組の主人公は、常磐貴子扮する老舗和菓子屋の若女将だが、この人、絵に描いたような年中行事と洛中人の付合いのなかで京都の伝統を守って暮らしている。
ま、家のなかに祠もあるし、お供えもする。生活は「七十二候」を目安として暮らしている。1年を四季に分け、さらにそれを二十四節気(節句や土用を含む)に分け、さらに各節気を3つにわけたのが「七十二候」である。
なんだか、バリの家祠やウク暦の暮らしとどこか似てないか・・・。
それはともかく、彼女は伝統のなかにも生きているし、現代にも生きている。そこには密かな秘密があったり、隣に住む外国人から見た目線があったり、途中で挿入される京都人の現代模様を描いたオムニバスショートや老舗茶屋出の料理研究家大原千鶴さんのミニ京料理教室などもある複合ドラマ仕立てが、なかなか面白い。ある意味、勉強になる。
先日の放映では、ゲスト出演のシャーロット・ケイト・フォックス(マッサンのエリー役)が、お隣の奥さんにと道でばったり会って、こんなことをいうシーンがあって、そのモノローグが絶妙だった(うろ覚えなので言い回しや語尾はいい加減だけど)。
奥「こんにちは。えろ~寒むおすなぁ」
S「(こういうとき京都人は何か返さないといけない・・・)はあ、今朝はぁ比叡の山にも白いもんが見えてとりました」
奥「あら~、えらい上手に京言葉しゃべりはりますなぁ」
S「(よそ者は中途半端な京都弁はやめときな、という意味だな)そないなことありまへんけど、おおきに」
奥「ところでどちらまで?」
S「(何の興味もないのに・・・こういうときは詳しく云わないのが礼儀だ)はあ、ちょっとそこいらまで・・・」
奥「ほな、気ィつけていきなはれや」
S「おおきに」
要するに、全部裏返しで読むと京都なのだ。有名な「ぶぶ漬け、どうどす?」伝説が蘇る。
やっぱり京都はややこしい。そう、京都人は、敢えて理解してもらおうとはおもっていない。だからわからん人にはほっておいてほしいのだ。
で、ま、長くなったけど、京都の話。先日の井上さんの話に戻ろう。
あるとき井上さんが祇園の料理屋に入ったら、そのカウンターに、堂々袈裟姿のお坊さんが何人か並んで座っていて、その間にそれぞれプロっぽい女性が座っていたのを見たことがあるそうだ。
ビジュアルだけなら「姫・坊主・姫・坊主・・・」、まるで坊主めくりを連想する並びだ。坊主の隣にはなりたくないものだが。
そう、祇園は日本を代表する歓楽街、茶屋町、かつては太秦の映画スターや洛中の旦那衆によって支えられたその場所も、いまでは「坊主」に支えられているという。しかも、京都では袈裟姿が常識で、別段悪ぶれてもいないそうだ。ま、坊主もジモティだからね、気兼ねがない。
そういう坊主にいつだかある解釈を話してあげたそうだ。つまり、こう。
お釈迦様というのは、シャカ族の王子で、宮殿ではハーレム状態。つくずくそれが嫌になって修行の旅に出て、ついに悟りをひらいた、というストーリー。
これを聞いた坊主は、「やっぱりなぁ、いまはお釈迦さまの悟りの過程をなぞっている真っ最中や。早ようこれを開けて修行したいんけど、なかなか抜け出せへいもんですなぁ」的なことを言っていたそうだ。
そう、京都の坊主は、仏教という原理とは関係ないところで生きている。仏教学なんかを学んでいる学生はそこらへんがわかってないそうだ。
もちろんほとんどのお坊さんはまじめにお坊さんしている。が、京都という場所は、いかに僧といえど、それだけでは勤まらない経済や社会の現実が存在しているのだ。それだけ責任ある現世はたいへんということだろう。
で、そんな坊主の豪快を支えているのは、参拝料と非課税のシステムだ。他にも、雑誌が写真などの撮影や掲載をするときは、一律3万円と暗黙の相場があるそうだが、そもそも寺に肖像権はないから本来は払う必要のない金だ。だけど、これを無視すれば二度と付き合ってはもらえないから、雑誌社も結局これを支払うことになる。
これは「志納金」といって処理するから税金はかからない。つまり「こころざし」で納めるお金、ということだ。
旅HPより。
そもそも拝観料だって、額面上は「お布施」として扱われるので非課税だが、本来お布施なら気持ちで払うわけだから「大人500円」とか書くのはおかしいだろうという。まったくその通り。やっぱり「坊主丸儲け」だ。
そこに京都市が古都税とか考えて課税しようとしたことがあったが、結局、寺側のストライキで街全体が立ち行かなくなってしまい挫折。観光立国の時代、寺の力はますます強くなっていったそうだ。
寺話はもっと面白いことがたくさんあるけど、ま、ここは「カッツ・アイ!」(わからない人ごめんなさい)。
「LIFE」(NHK HPより)。
そもそもそういう京都の上質イメージとか「上からスタンス」をつくったのは、東京のメディアのせいが大きいという。実態以上に膨らませたイメージはバブルのようだ。なんで大阪出張した社長が京都で夕食を食べたがるのか意味がわからないという。
要は、ありがたがり過ぎ、ということだ。
その京都を唯一バカにするのは「大阪人」だという。
大阪では、高槻辺りに住む人には「あんたら、もうほとんど京都やんか。大阪ちゃうわ。いっそのこと、京都になってしもうたらどうや」と揶揄するらしい。
要するに京都を見くびったりあなどったりするのは、その内心とは別に、京都-神戸連合に冷やかされつづけられる「大阪人」だけなのかもしれないね。
「そや、そや、大阪はええで」と言いそうな何人かの具体的な顔が浮かんでくる自分が怖い。
かくいう井上さん、最後は、応仁の乱まで遡って、嵯峨天皇から後醍醐天皇まで、嵯峨の地は副都心だったという物言いもすごい。やっぱり京都人にとって「先の戦争」というと「応仁の乱」なんだろうか・・・。
そうやってひねた言い回しの井上さんは、やっぱりこちらからみたら立派な京都人だ。
東京の建築史家にも藤森さんのようなユニークな視点や活動をしている先生もいるけれど、独特ではあるが、井上さんのように、クスッと笑いながらひねくれた見方を楽しんでいるような人はいない。
「真如堂縁起絵巻」部分。応仁の乱を描いたものとされている。
でも、毎頁で笑いをとるこの書き方は、ある意味余裕のあるインテレクチュアルの知的な遊戯のようでもある。どうでもいいことを大げさな論理で持ち上げたり、シャレの利いたトンチでかわしたり、まさに知識人のゲームの様相だ。
だがそれでいて、深読みして全体を見渡すと知性的で立派な文化論になっていたり、背景の思想や倫理観はしっかり貫かれていたりするから面白い。やっぱり京大系は一筋縄ではいかない人たちだ。
そしてこの本は、最後の「あとがき」に、まるで大逆転の推理小説よろしく、小さな仕掛けがしてあった。不覚にもついついそれに乗ってしまい、笑いっ放しだった最後の最後でおもわず胸が熱くなってしまった。
これは、「あとがき」から読んだ人にはわならない。最初からずっと読み進めていった者だからこそ伝わる些細で象徴的な落とし穴なのだ。しまった、とおもったときはもう術中にハマっている。
う~ん、今回は、いや、今回も、負けました。(は/223)
井上章一さん。
なんかいつも余裕のある含みがあって、そのユニークさは、立派な京都人だとおもうけど・・・(京都新聞文化会議HPより)。
エンディングの「京都慕情」がなかなかいい。
かみさんに言わせると、いままで聴いたなかでかなりの上位に入るレコーディングだという。う~ん、そうかもね。
あの人の姿 懐しい 黄昏の 河原町
恋は 恋は 弱い女を どうして 泣かせるの
苦しめないで ああ 責めないで 別れのつらさ 知りながら
あの人の言葉 想い出す 夕焼けの高瀬川
遠い日の愛の 残り火が 燃えてる 嵐山
すべて すべて あなたのことが どうして 消せないの
苦しめないで ああ 責めないで 別れのつらさ 知りながら
遠い日は 二度と帰らない 夕やみの東山
苦しめないで ああ 責めないで 別れのつらさ 知りながら
遠い日は 二度と帰らない 夕やみの桂川
この歌、ちょっと調べたところ、実は作詞作曲は意外なことに、かのベンチャーズであった。対訳は林春生となっている。
「京都人の密かな愉しみ」(NHK HPより)。
話を戻すと、この番組の主人公は、常磐貴子扮する老舗和菓子屋の若女将だが、この人、絵に描いたような年中行事と洛中人の付合いのなかで京都の伝統を守って暮らしている。
ま、家のなかに祠もあるし、お供えもする。生活は「七十二候」を目安として暮らしている。1年を四季に分け、さらにそれを二十四節気(節句や土用を含む)に分け、さらに各節気を3つにわけたのが「七十二候」である。
なんだか、バリの家祠やウク暦の暮らしとどこか似てないか・・・。
それはともかく、彼女は伝統のなかにも生きているし、現代にも生きている。そこには密かな秘密があったり、隣に住む外国人から見た目線があったり、途中で挿入される京都人の現代模様を描いたオムニバスショートや老舗茶屋出の料理研究家大原千鶴さんのミニ京料理教室などもある複合ドラマ仕立てが、なかなか面白い。ある意味、勉強になる。
先日の放映では、ゲスト出演のシャーロット・ケイト・フォックス(マッサンのエリー役)が、お隣の奥さんにと道でばったり会って、こんなことをいうシーンがあって、そのモノローグが絶妙だった(うろ覚えなので言い回しや語尾はいい加減だけど)。
奥「こんにちは。えろ~寒むおすなぁ」
S「(こういうとき京都人は何か返さないといけない・・・)はあ、今朝はぁ比叡の山にも白いもんが見えてとりました」
奥「あら~、えらい上手に京言葉しゃべりはりますなぁ」
S「(よそ者は中途半端な京都弁はやめときな、という意味だな)そないなことありまへんけど、おおきに」
奥「ところでどちらまで?」
S「(何の興味もないのに・・・こういうときは詳しく云わないのが礼儀だ)はあ、ちょっとそこいらまで・・・」
奥「ほな、気ィつけていきなはれや」
S「おおきに」
要するに、全部裏返しで読むと京都なのだ。有名な「ぶぶ漬け、どうどす?」伝説が蘇る。
やっぱり京都はややこしい。そう、京都人は、敢えて理解してもらおうとはおもっていない。だからわからん人にはほっておいてほしいのだ。
で、ま、長くなったけど、京都の話。先日の井上さんの話に戻ろう。
あるとき井上さんが祇園の料理屋に入ったら、そのカウンターに、堂々袈裟姿のお坊さんが何人か並んで座っていて、その間にそれぞれプロっぽい女性が座っていたのを見たことがあるそうだ。
ビジュアルだけなら「姫・坊主・姫・坊主・・・」、まるで坊主めくりを連想する並びだ。坊主の隣にはなりたくないものだが。
そう、祇園は日本を代表する歓楽街、茶屋町、かつては太秦の映画スターや洛中の旦那衆によって支えられたその場所も、いまでは「坊主」に支えられているという。しかも、京都では袈裟姿が常識で、別段悪ぶれてもいないそうだ。ま、坊主もジモティだからね、気兼ねがない。
そういう坊主にいつだかある解釈を話してあげたそうだ。つまり、こう。
お釈迦様というのは、シャカ族の王子で、宮殿ではハーレム状態。つくずくそれが嫌になって修行の旅に出て、ついに悟りをひらいた、というストーリー。
これを聞いた坊主は、「やっぱりなぁ、いまはお釈迦さまの悟りの過程をなぞっている真っ最中や。早ようこれを開けて修行したいんけど、なかなか抜け出せへいもんですなぁ」的なことを言っていたそうだ。
そう、京都の坊主は、仏教という原理とは関係ないところで生きている。仏教学なんかを学んでいる学生はそこらへんがわかってないそうだ。
もちろんほとんどのお坊さんはまじめにお坊さんしている。が、京都という場所は、いかに僧といえど、それだけでは勤まらない経済や社会の現実が存在しているのだ。それだけ責任ある現世はたいへんということだろう。
で、そんな坊主の豪快を支えているのは、参拝料と非課税のシステムだ。他にも、雑誌が写真などの撮影や掲載をするときは、一律3万円と暗黙の相場があるそうだが、そもそも寺に肖像権はないから本来は払う必要のない金だ。だけど、これを無視すれば二度と付き合ってはもらえないから、雑誌社も結局これを支払うことになる。
これは「志納金」といって処理するから税金はかからない。つまり「こころざし」で納めるお金、ということだ。
旅HPより。
そもそも拝観料だって、額面上は「お布施」として扱われるので非課税だが、本来お布施なら気持ちで払うわけだから「大人500円」とか書くのはおかしいだろうという。まったくその通り。やっぱり「坊主丸儲け」だ。
そこに京都市が古都税とか考えて課税しようとしたことがあったが、結局、寺側のストライキで街全体が立ち行かなくなってしまい挫折。観光立国の時代、寺の力はますます強くなっていったそうだ。
寺話はもっと面白いことがたくさんあるけど、ま、ここは「カッツ・アイ!」(わからない人ごめんなさい)。
「LIFE」(NHK HPより)。
そもそもそういう京都の上質イメージとか「上からスタンス」をつくったのは、東京のメディアのせいが大きいという。実態以上に膨らませたイメージはバブルのようだ。なんで大阪出張した社長が京都で夕食を食べたがるのか意味がわからないという。
要は、ありがたがり過ぎ、ということだ。
その京都を唯一バカにするのは「大阪人」だという。
大阪では、高槻辺りに住む人には「あんたら、もうほとんど京都やんか。大阪ちゃうわ。いっそのこと、京都になってしもうたらどうや」と揶揄するらしい。
要するに京都を見くびったりあなどったりするのは、その内心とは別に、京都-神戸連合に冷やかされつづけられる「大阪人」だけなのかもしれないね。
「そや、そや、大阪はええで」と言いそうな何人かの具体的な顔が浮かんでくる自分が怖い。
かくいう井上さん、最後は、応仁の乱まで遡って、嵯峨天皇から後醍醐天皇まで、嵯峨の地は副都心だったという物言いもすごい。やっぱり京都人にとって「先の戦争」というと「応仁の乱」なんだろうか・・・。
そうやってひねた言い回しの井上さんは、やっぱりこちらからみたら立派な京都人だ。
東京の建築史家にも藤森さんのようなユニークな視点や活動をしている先生もいるけれど、独特ではあるが、井上さんのように、クスッと笑いながらひねくれた見方を楽しんでいるような人はいない。
「真如堂縁起絵巻」部分。応仁の乱を描いたものとされている。
でも、毎頁で笑いをとるこの書き方は、ある意味余裕のあるインテレクチュアルの知的な遊戯のようでもある。どうでもいいことを大げさな論理で持ち上げたり、シャレの利いたトンチでかわしたり、まさに知識人のゲームの様相だ。
だがそれでいて、深読みして全体を見渡すと知性的で立派な文化論になっていたり、背景の思想や倫理観はしっかり貫かれていたりするから面白い。やっぱり京大系は一筋縄ではいかない人たちだ。
そしてこの本は、最後の「あとがき」に、まるで大逆転の推理小説よろしく、小さな仕掛けがしてあった。不覚にもついついそれに乗ってしまい、笑いっ放しだった最後の最後でおもわず胸が熱くなってしまった。
これは、「あとがき」から読んだ人にはわならない。最初からずっと読み進めていった者だからこそ伝わる些細で象徴的な落とし穴なのだ。しまった、とおもったときはもう術中にハマっている。
う~ん、今回は、いや、今回も、負けました。(は/223)
井上章一さん。
なんかいつも余裕のある含みがあって、そのユニークさは、立派な京都人だとおもうけど・・・(京都新聞文化会議HPより)。