先週の10月末で、ミラノ博が終了した。4月末からだったから、ちょうど半年ということになる。
知り合いが出展協力していたせいで、何度か誘われたが、まあ、わざわざミラノくんだりまでランチを食べに行くほど優雅な身分じゃないし、日本館の内容なんかみていると、もっともらしいことは掲げているけれど、到底それに追いついている雰囲気でもなかったり、きっと肩すかしだろうとおもっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/8f/ced6dec5a021297985fdeba6a7f76706.jpg)
日本館の外観。建築は北川原さん。
おそらく博覧会というのは、19世紀から20世紀前半までがそのピークであったろう。70年大阪万博の「人類の進歩と調和」までがギリギリだった。
つまり、それ以降は、一定の役割を終え、意味もないのに無理矢理やっているということだ。
19世紀当初は、世界にはまだまだ未知なる地域や文化があったし、見たこともない文物や輝かしい未来を創造させる目を見張るような新しい技術や価値観に満ちていた。そう、近代はそこから始まったという人もたくさんいる。
1851年ロンドンの水晶宮だって、1889年のエッフェル塔だってそのときできたものだ。
ちょうど、百貨店が誕生するのもこの頃だ。未だ見ぬ文物のショーケースは、無限の可能性をもっていた時代の話である。
だけれども、20世紀の後半にもなると、技術の展示も未知なる文化もあれほど大規模に考えなくても先に広まっていったし、集まって集合展示する意味がないのである。せいぜい地域振興くらいの話で持ち回っている感じだ。2005年の「愛・地球博」やそれ以降の博覧会も、エコや地球環境をテーマにするしかないわりに、資源は使うは終わった後はゴミの山というのがつねだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/4c/1e7bc3ff70b9b4716b6667382282a155.png)
1851年のロンドン博で世界を驚かせた鉄とガラスの建築。通称「水晶宮」。
近代を語るのに、ここから始める先生も多い。
そういう意味では、昔の資料なんかをみると、良識ある文化人にはすこぶる評判がよくなかったが、それでも大阪万博時の日本は大騒ぎだった。
おこぼれで、僕なんかは、NHKで毎週やっていた各国の文化紹介番組などは欠かさず観ていたし、いまからおもえば、スタジオ録画なんかだと不自然もいいところだが、当時としては子供たちの見聞を広める役には立っていた気もする。
そう、いまでこそ、バリとかいっているが、そういうものを考える土壌は、大阪万博と「素晴らしき世界旅行」と「兼高かおる世界の旅」だった気がする。一般人には情報少なかったしね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/c6/c200ab150e9d2be7ae73b2afb94f9a0f.jpg)
ともあれ、そのミラノ博で唯一興味をもったのは、NHKで放映していた「アンブロジアーナ食堂」というドキュメンタリーだった。
イタリアを代表するシェフ、マッシモ・ボットゥーラの呼びかけで始まったこの食堂は、下町地区のアンブロジアーナの教会関係の空き家を使って、万博会場で余った食材を使い、世界の一流シェフが日替わりで、ホームレスや恵まれない子供たちに無償で食事を提供するという企画である。普段は金持ちが大金をはたいても呼べないシェフたちも、もちろんボランティアだ。
これには、教会もミラノ市長も全面的に協力を申し出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/c1/549dc0f2b90ddf84084e2e6a03bf8bd4.png)
左がマッシモ、右が成澤。
そう、余った食材を使うわけだから、当日になってみないとどんな食材が持ち込まれるかもわからない。だから、予め何を作るとかも決めておくことはできない。そういうルールのなかで、いかに最大限のクリエイティビティを発揮し、食べてくれる人を幸せにできるのか、がテーマだった。
アラン・デュカスから成澤由浩まで、6名のシェフは、それぞれに知恵と経験と技を結集する。
子供たちは、最初はワイワイ騒いでいたけれど、味がわかるのか、次第にきちんとした態度をするようになる。日々のパンさえありつけるかどうかというホームレスたちは、ここではお客さんとして扱ってくれたと涙する。この味はきっと忘れないだろう。
この世に無駄な食材などない。工夫さえすれば、どんなものからでも食べた人を幸福にする美味しいものが生まれるのだ。それを産み出すのが、シェフの天命というものだ。
ここまでできるのは、並大抵の腕と努力が必要だろう。この企画では、シェフたちそのものも楽しんでいるように見えた。
相変わらず、世界では12億人が1日1ドル以下で暮らし、8億人は飢餓に喘いでいても、日本では、約3割の食べ残しと、1日5万トンの食材を破棄しているそうだ。
日本館は、「いただきます、ごちそうさま、もったいない、おすそわけの日本精神」をテーマにしていたが、はたしてそうなっているのだろうか。
人間は食べずには生きられない。だから殺生もする。相互依存の関係だ。
それに、人間らしい食とは、本当は飢えを満たすだけでなく、どんな食材でもその置かれた状況次第では、人々の絆と幸福にもつながる可能性ももっている。
万博会場を離れた下町の外れの場所で、ここにはこんな人たちもいる。シェフたちの姿はそういう未来を信じているように写っていた。(は/176)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/79/8d82d398e9577eee9f4327411e0a8e19.png)
ああ、明日からまた上海だ。来週は札幌とまたロードだ。
次はいつになるかわかりませんので、あしからず・・・。
また次回まで、ごきげんよう。
知り合いが出展協力していたせいで、何度か誘われたが、まあ、わざわざミラノくんだりまでランチを食べに行くほど優雅な身分じゃないし、日本館の内容なんかみていると、もっともらしいことは掲げているけれど、到底それに追いついている雰囲気でもなかったり、きっと肩すかしだろうとおもっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/8f/ced6dec5a021297985fdeba6a7f76706.jpg)
日本館の外観。建築は北川原さん。
おそらく博覧会というのは、19世紀から20世紀前半までがそのピークであったろう。70年大阪万博の「人類の進歩と調和」までがギリギリだった。
つまり、それ以降は、一定の役割を終え、意味もないのに無理矢理やっているということだ。
19世紀当初は、世界にはまだまだ未知なる地域や文化があったし、見たこともない文物や輝かしい未来を創造させる目を見張るような新しい技術や価値観に満ちていた。そう、近代はそこから始まったという人もたくさんいる。
1851年ロンドンの水晶宮だって、1889年のエッフェル塔だってそのときできたものだ。
ちょうど、百貨店が誕生するのもこの頃だ。未だ見ぬ文物のショーケースは、無限の可能性をもっていた時代の話である。
だけれども、20世紀の後半にもなると、技術の展示も未知なる文化もあれほど大規模に考えなくても先に広まっていったし、集まって集合展示する意味がないのである。せいぜい地域振興くらいの話で持ち回っている感じだ。2005年の「愛・地球博」やそれ以降の博覧会も、エコや地球環境をテーマにするしかないわりに、資源は使うは終わった後はゴミの山というのがつねだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/4c/1e7bc3ff70b9b4716b6667382282a155.png)
1851年のロンドン博で世界を驚かせた鉄とガラスの建築。通称「水晶宮」。
近代を語るのに、ここから始める先生も多い。
そういう意味では、昔の資料なんかをみると、良識ある文化人にはすこぶる評判がよくなかったが、それでも大阪万博時の日本は大騒ぎだった。
おこぼれで、僕なんかは、NHKで毎週やっていた各国の文化紹介番組などは欠かさず観ていたし、いまからおもえば、スタジオ録画なんかだと不自然もいいところだが、当時としては子供たちの見聞を広める役には立っていた気もする。
そう、いまでこそ、バリとかいっているが、そういうものを考える土壌は、大阪万博と「素晴らしき世界旅行」と「兼高かおる世界の旅」だった気がする。一般人には情報少なかったしね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/c6/c200ab150e9d2be7ae73b2afb94f9a0f.jpg)
ともあれ、そのミラノ博で唯一興味をもったのは、NHKで放映していた「アンブロジアーナ食堂」というドキュメンタリーだった。
イタリアを代表するシェフ、マッシモ・ボットゥーラの呼びかけで始まったこの食堂は、下町地区のアンブロジアーナの教会関係の空き家を使って、万博会場で余った食材を使い、世界の一流シェフが日替わりで、ホームレスや恵まれない子供たちに無償で食事を提供するという企画である。普段は金持ちが大金をはたいても呼べないシェフたちも、もちろんボランティアだ。
これには、教会もミラノ市長も全面的に協力を申し出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/c1/549dc0f2b90ddf84084e2e6a03bf8bd4.png)
左がマッシモ、右が成澤。
そう、余った食材を使うわけだから、当日になってみないとどんな食材が持ち込まれるかもわからない。だから、予め何を作るとかも決めておくことはできない。そういうルールのなかで、いかに最大限のクリエイティビティを発揮し、食べてくれる人を幸せにできるのか、がテーマだった。
アラン・デュカスから成澤由浩まで、6名のシェフは、それぞれに知恵と経験と技を結集する。
子供たちは、最初はワイワイ騒いでいたけれど、味がわかるのか、次第にきちんとした態度をするようになる。日々のパンさえありつけるかどうかというホームレスたちは、ここではお客さんとして扱ってくれたと涙する。この味はきっと忘れないだろう。
この世に無駄な食材などない。工夫さえすれば、どんなものからでも食べた人を幸福にする美味しいものが生まれるのだ。それを産み出すのが、シェフの天命というものだ。
ここまでできるのは、並大抵の腕と努力が必要だろう。この企画では、シェフたちそのものも楽しんでいるように見えた。
相変わらず、世界では12億人が1日1ドル以下で暮らし、8億人は飢餓に喘いでいても、日本では、約3割の食べ残しと、1日5万トンの食材を破棄しているそうだ。
日本館は、「いただきます、ごちそうさま、もったいない、おすそわけの日本精神」をテーマにしていたが、はたしてそうなっているのだろうか。
人間は食べずには生きられない。だから殺生もする。相互依存の関係だ。
それに、人間らしい食とは、本当は飢えを満たすだけでなく、どんな食材でもその置かれた状況次第では、人々の絆と幸福にもつながる可能性ももっている。
万博会場を離れた下町の外れの場所で、ここにはこんな人たちもいる。シェフたちの姿はそういう未来を信じているように写っていた。(は/176)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/79/8d82d398e9577eee9f4327411e0a8e19.png)
ああ、明日からまた上海だ。来週は札幌とまたロードだ。
次はいつになるかわかりませんので、あしからず・・・。
また次回まで、ごきげんよう。